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▼ ココロの花(探偵:松田※花吐病)

こふ、と吐き出したそれを見て、私は貴方の心を知ったのです。

先週末の様子から一変し、一気にげっそりとした私の様子に、パワハラ万歳の上司も流石になにも言えなかったらしい。
電話口で有給ふざけんな出てこいと言われたから出てきたのに、出社して10分も経たない内にオフィスから追い出された。
そんなことをするくらいなら、初めから休ませてほしかった。掛かり付けの病院はここから遠い。

先週末、私はある病気を発症した。
その病気はとても有名であり、しかし滅多に発症することはないとされている。病気の原因もさることながら、感染経路、発症、さらに治癒の方法も稀なるこの病気は、奇病として名高い病気だった。

通称、花吐病。

正式名称は病気らしく難しい上、そこそこ長くて覚えられたものではない。現に私は覚えていない。

ただその名の通り、花を吐く病気だ。

原因は片想いを拗らせること。
感染経路は、花吐病患者の吐き出した花、吐瀉花と呼ばれるそれに触れること。吐瀉花は見目は普通の花であるので、それ故に本人も知らぬ間に感染、潜伏している場合がある。
薬などを使用した具体的な治療法は無く、治癒するには、新しい恋をするなりしてどうにかその恋を忘れるか、原因となった想い人と両想いとなり、白銀の百合を吐き出すこと。
因みに前者は症状が治まるだけで、病気は潜伏状態にある。
完治するには、両想いとなることが必須条件である。

本来ならば、私はこの病に罹ることはないはずであった。

何故ならば、私は互いに好きあった相手と結婚した既婚者だから。
、、、そう思っていたのは、私だけだったようのだけれど。

【悲しい】

人に見られぬようにそっと吐き出した花は、そんな花言葉をしていた。

月の初めのことだ。前の日の月末の後処理の延長で、帰りが遅くなったあの日、本当に偶然、職場の最寄り駅前の繁華街で、彼を見かけた。
酒をしこたま飲んだのだろう。でなければ、彼の顔が赤くなるなんて、足元が覚束無いなんてことがおきるはずがない。
でもその彼を支えていたのは、友人と聞いた人でも同性である男性でもなく、如何にもできる女な、細身でカッコいい、それでいてきれいな女性だった。
私とは正反対の、その昔彼の好みだと聞いたタイプの女性と一緒にいて、肩を借りて、顔を寄せ合い、それで。

笑っていた。

いつか見たような、気の抜けた顔で。知らない女の人の横で。
妻のはずの私が、もう数年見ていない顔で。

スッと凪いだ心でそれを見送って、血の気の引いた体を急かして家に帰った。
家に着いたら泣くのだろうと思ったのに、泣けなかった。
代わりに、花を吐いた。
以来ずっと、私は涙を流す代わりに花を吐いている。

「やはり、難しいですか、、、?」

主治医として治療、、というより進行を抑えるべく、カウンセラーとして私についてくださった先生と、その様子をこちらが心配するほどに泣きそうな顔で見つめる馴染みの看護師さん。
先生も看護師さんも、婚前から良くしてもらっている馴染みの人達。
、、、だからこそ、込み入ったことも話せるだろうという病院側の人選だった。

「実は、、今とても忙しいらしく、夫とは連絡が、」

とれなくて、と言う代わりにげほりと花を吐き出した。
【嘘】【諦め】
花は大変正直だ。私と違って素直でよろしい。
ただ、吐く毎に体力を持っていくのは頂けない。
悲壮な顔をした看護師さんは、大きな瞳から雫が溢れてしまいそうだ。彼女の強く握りしめられ白くなった手よりも心なしかさらに白い、まだまだ年若い主治医の先生に、震える声で尋ねられた。

「今の貴女の状況を、私から連絡しても構いませんか?」

いいえ、とそれだけはハッキリと伝えた。

病気の進行は思いの外早かった。
思ったのは病院に掛かってから次の日のことだ。発症から日を追う毎に強くなる吐き気は、病院に掛かったことを切欠に更に酷くなった。
治まらぬ吐き気にたまらず職場に連絡し、溜まった有給をとりあえず2日申請した。
無事に受理されてとりあえず安堵したが、病は待ってはくれないようで。
もはや自室と言っても過言ではない寝室に籠って、只管に花を吐き続けた。

【愛しています】【好きです】【何故】【悲しい】【忘れて】【忘れないで】【過去】【未練】【苦しい】【嫉妬】【追憶】【寂しい】【醜い心】【それでも君が好き】

今月の初めからずっと自宅にいるにも関わらず、私が触らない限りずっと灯りの灯らない暗い自宅。もう数年、そうなのだけれど。
数年前、結婚当初はそこそこ鳴っていたはずの端末が、沈黙を守るようになったのはいつの頃か。

【失意】

花は私の心を吐露し続ける。見ないフリを許さないように、突きつけるように。
今までの結婚生活のそのすべてに今を責められている感覚になりながら、私は大量の花を吐き続けた。

吐き続けて吐き続けて、それこそ眠っている間も吐き続けた。吐いている間はさすがに苦しくて起きている。
喉に詰まらせると惨事なので横向きで寝るようにし、なるべく睡眠を取ろうとしたが吐き出す前に激しく咳き込んで結局目が覚める。
それのせいでなかなか睡眠がとれていないし、鏡に写る自分が1日でよりやつれたのは、見間違いではないのだろう。

せめて、彼の知らぬところで枯れてしまいたい。
そう思った私は、お世話にならないけどね、といつだか宣言したあの紙をもらってきて記入しようとした。

、、、結果として、名前も書けすらしなかった。

ぼろぼろと大量の花を口からこぼしながら、必死にペンを握ったのだけれど、今や未練の権化たる私にはそれすら苦痛だった。

そうこうしている間に、申請した2日が経とうとしていて。
やつれたと言えど仕事があり、、しかしこんな状態では職場に行っても追い返されるし、なにより不気味だ。
今の私は見た目幽鬼のようであり、しかも奇病の感染源である。仕事にならないだろう。
やむを得ず事情を知っている、というより普段からプライベートの相談に乗ってくれていた上司の上司、、、実は部長なのだが、彼女を頼って相談したところ、現況すでに重篤化していて更に病気の進行が早いと知るや否や、人事と社長に便宜を図ってくれて、私はあの上司の元にいる人間で初の病気休職を手にいれた。

死ぬのは許さないからね。
普段から姉のように母のように寄り添ってくれた彼女の言葉は、泣きたくなるほど嬉しかった。
でも、守れそうにないな。
【感謝】【諦念】
げほりと吐いたそれを抱き締めた。

掛かりつけの病院に、今日は少しの荷物を持ってやって来た。
あの家で彼と過ごした時間は少ないけれど、物理的に離れてみることで症状の改善が見られないか試してみるのだそうだ。
実際外に出てから気づいたのだが、彼の私物が見えないところや、関わりのないところだと前日比ではあるが、吐かずに居られる時間が少し長く出来た。もしかしたら、入院は効果があるかもしれない。

病院に着いて簡易な受付を済ませたあと、げっそりと数日でかなり酷くなった容姿を今更気にして、私はロビーでも隅の方を陣取った。
名前を呼ばれるまで、気配を殺してここにいるつもりだ。

ぼんやりとロビー内を見渡していると、ふと視界の端になにかが見えた。
視線を向ければ、入り口側の階段裏、オープンスペースのそこには普段なら消火器や観葉植物があるのだが、それと一緒に何やら見慣れぬ荷物がある。そこそこ大きな紙袋のそれは、誰かの忘れ物だろうか。
周囲は気づいた様子もなく、また探している様子の人も居らず、頼みの看護師さんも忙しそうに歩き回っている。
私の中のお人好しな部分が顔を出して、とりあえず袋をカウンターのお姉さんに届けようと近づいた。すぐに足が止まったが。

不気味な、無骨なそれは、いつだか何かの映画で見たようなタイマーとおぼしき画面と、くくりつけられた昔懐かしの型の携帯端末。

『携帯端末を鳴らしたら、その電気を起爆スイッチにして爆破するタイプもあるんだぜ』

懐かしい記憶が降りてきて、グッと喉の奥からせり上がるそれを押し止めながら端末を操作し、少し迷ってその番号を打ち込んだ。

───米花中央病院。
ここに爆弾があると通報が入り、萩原は班長と班員と共に爆弾を解除しにやって来た。
本来なら相棒として隣にいるはずの親友は、己の仇討ちだと、死にかけはしたが死んでないのに意気込んだ挙げ句空回ったため、頭を冷やせと別部署に飛ばされた。
が、その先で犯人から予告が来て爆弾と観覧車でランデブーかますとは誰が思おうか。
もっとも、通報を受けて親友は解体を再開し、いくつかの配線を残して待機。
説得にも応じず、こちらの爆弾の解除の報をうけてようやっと完全に解体、先程地上に降り立ったそうだ。
己も人のことは言えないが、命がいくつあっても足りない。一発殴るくらいは構わないだろう。
通報者もきっと怒ることだろう。
偶々聞いただけだったが、今回の通報者は知り合いだった。
彼女ならきっといや確実に怒る。友人の己も焦ったし、怒ったのだから。
嫁であるなら、なおのことだろう。

爆弾解除の報を本部にいれた後、周囲の確認を済ませ更に報告し、避難体制を解除、班の撤収となった途端、病院付近に急患が居たのか容態が変わってしまったのだろう、ストレッチャーが何台かと、声かけをする幾人かの看護師や医師などが一斉に院内に駆け込んでいった。
自分達も要請がかかれば何があっても飛び出ていく職であるので、なんとなく共感を覚えて心うちでお疲れ様です、とか職員さんも患者さんも頑張れとか応援してしまう。
彼らを見送り、以前は毛嫌いしていた防爆服を同僚に脱がせてもらい、一息ついたところで変なものが見えた。

廊下に、花が散らばっているのだ。

なんだこれ、と手を伸ばした瞬間、触らないで!と鋭い声が飛んできた。
ビックリして手を引っ込め、その声の主に視線を向けると、そこには一人の看護師が立っていた。
両手にラテックスの手袋をつけ、箒とごみ袋を持った彼女は未だに鋭くこちらを見ている。
その視線の厳しさは、その転がった花がただの花でないことを物語っているようで。

「?この花は、、」

なんですか?と言う言葉は、すぐ側をさらに花を散らしながら走り去ったストレッチャーの一団により続けられなかった。

「松田さん!松田アキさん!しっかりしてください!お願いですから諦めないでっ、、!」
「え、、?」

呼び掛けられた女性の名前、通り過ぎたストレッチャーの上からこぼれた一筋の見覚えのある髪の毛。
いつだかに、雨の日には苦労するといっていたネコ毛の栗色の髪だ。自分はそれを昔から見知っているし、つい最近、、一月前に見ている。

松田アキ。
彼女は、松田の嫁さんだ。

通報を受け、その通報者が彼女であると知ったときから違和感はあった。
一月前に会ったときは元気そうだった彼女がなぜ、病院の、しかも入院患者を扱うフロアにいたのか。

見舞いだろうかと勝手に納得していたのに、今のそれを見ていた限り、そんなことはないと頭のどこかで警鐘が鳴る。
カラカラに渇いた喉で、ストレッチャーを悲痛な顔で見送った看護師に訊いた。
彼女の病はなんですか?
自分が彼女の昔からの友人であり、旦那の友人でもあることを告げ見つめ合う。
根負けした彼女がその病名を告げたとき、俺はどうしてとしか言えなかった。

彼女は花吐病の重篤患者であり、もう余命幾ばくもない。

悲しみを湛えた看護師はそれきり口を閉ざし、彼女の吐き出したものだという花達をラテックスの手と持ってきた箒で丁寧に袋に詰めていった。
それを呆然と見つめて、正気を取り戻したのは、情けないことに彼女の作業が終わった後のことだ。
ぱちんと音をたててラテックスの手袋をとって、がさりと音をたてる袋のなかに放り込みその口を固く縛る。
それを更に別の袋に詰める様を見てから、慌てて友人にもはや怒鳴り声で電話を掛けたのだ。

嫁が危篤だから急いで来い。米花中央病院だ、と。

元気だよ。彼女がどこか諦めたように笑うようになったのは、いつからだっただろうか。
研二くん。呼んでくれた幼馴染みは、友人と結婚して幸せではなかったのだろうか。
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