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▼ 6(最後)

「お先に失礼します」

今日も今日とて、定時に退庁。

「おーい定(さだ)、あの事案のまとめ、もう終わったのか?」
「はい。明日の会議で必要分は、集めて共有フォルダに入れていますので、要り様でしたら活用してください」
「さんきゅー」

おつかれーと手を振る同僚達に、餞別にとチョコレートをバックからぽいぽい投げて部署を後にする。
部署は大きな人事異動があったことと、風見さんと風見さんの手のかかる上司こと降谷さんの手により随分と過ごしやすくなった。
彼らがいったい何をしたのかわからないが、久しぶりの登庁日に本当に全員に土下座されたあと、各種詫びの品を渡された。
書類じゃなくて詫びの品で机が埋まるのは、後にも先にもこれ一回きりじゃないだろうか。

最終2週間は自分のせいなのでいいとして、その前は一応家に帰れていたし、強いて言えば体力的に厳しかったくらいなので、(草時代の方がもっとひどかったし)多少荒みはしたものの、大して気にしていないと言えば、みんなチベスナ顔になって何やらスクラムを組んだあと、毎日の睡眠時間と休憩時間を申告するように言われたのは解せない。
休み中に受けたメディカルチェックもカウンセリングも、異常なしだったのになんでだ。
そこから、人の入れ替わりとか、引継ぎとかいろいろあってバタバタしたのだけれども。

なんにせよ仕事量は劇的に減ったので、情報収集の時間が増えた。
ついでに、先輩や風見さんの監視によって休憩時間もじわじわと増えている。
そうすると周囲と話したり、協力することも増えていって、今では愛称で呼ばれるほどだ。
信用していない、と言い放ったことがうんと昔に思える程に、部署内の空気も、私の雰囲気も変わったことだろう。
正直驚きである。私が職場で受付嬢ちゃんたちとお話する以外に笑うのだ。
笑っていると初めに気づいたとき、それは大層驚いたものだ。

定、というのは、私の定時退庁から取られている。
どうにも日本らしい音を持つこの愛称を、私はとりわけ気に入っている。
皮肉も込めて昔は呼んでいたと、誰かが言っていたが、別にいいのだ。私は好きだから。

部署の人間と多く関わるようになって思ったことが、以前の私の働き方はあまりよくなかったということ。
周囲と特段関わることもなく、淡々と渡された仕事をこなしてさっさと帰る。話すことといえば必要最低限。
仕事で締め切りを決して破らず、しかし及第点のことしかしない自分を、別に悪いことをしているわけではないので怒るに怒れず。
コミュニケーションを取ろうにも、男所帯に唯一の女で、しかもそこそこ年の離れた女とどう話せばいいのかわからず。
タバコも吸わないから、より話しにくかったことだろう。彼らが話そうと意識し始めたころには、私の表情筋はボイコットしていて鉄面皮だったし。

正直、草の頃は単独行動が基本だったから協力して何かするということが、警察学校時代でうまいこと矯正できず未だに私はとても苦手であったし、克服すべき点であった。
書類をどかどか渡したのも、何考えているのかわからない新人が、ちょっとは先輩を頼ってこないか、という思いもあったそうだ。
結果は私がさっさと済ませてしまったので目論見は外れた上、その目論見も定時上りの嫉妬に埋もれてあっという間に忘れてしまったらしいが。
そんな積み重ねと、先輩はまだ知らないが私がヒロさんを拾った時期が重なって、あんなことになった。

お互い反省することですね、と後にあったお酒の席でちょっと笑ったら、いつだか受付嬢の話を聞いたと言った先輩に泣かれた。何故だ。

受付嬢ちゃんにお疲れ様、と手を振って庁舎を出る。
実は練習ではなく嫌がらせの一環だったらしい尾行もなく、夕飯の具材などを買ってから、監視カメラをいつものように気を付けながら家に帰る。
こういうのを癖にしておけば、いつかきっと役に立つのは前の経験則である。
そういえば尾行に関して、皆さん視線が対象に突き刺さる、挙動不審など、あんまりにも分かりやす過ぎたので、後日研修がなされると風見さんが言っていたな。私も出るのだろうか。
そんなことを考えている間にも足は動き続けるわけで、気づけば目の前に自宅のドアがあるのである。
考え事は、また後日に持ち越し。

「ただいま」

鍵を開けて中に入ると、にゃあん、と応えてくれる声が3つ。とととと、と玄関に出迎えてくれる、3匹の我が愛しの猫達。
しっかり戸締りしてから足を締め付けるパンプスを脱いで、足にすりつく猫をそのままに明かりのついたリビングへ歩いて部屋に入れば、この間書庫に新たに迎え入れた蔵書を手にしてソファに座る男性が1人。

「おかえり、定」
「ただいま、ヒロさん」

ただいまを言って、緊張の糸がふっと解ける。
その足で猫達にやられてしまわないように、スーツをハンガーにかけて、唯一彼らを入れない書庫に隔離したあと、洗面台で化粧を落とす。
体調に問題はないものの、あれだけ工夫をこらしていたメイクは、今ではしているのかしていないのかわからないナチュラルメイクに切り替わっている。
お高いコンシーラーが要らないって素敵。

ヒロさんの横に座って、待ってましたと膝目掛けて飛んでくる猫達を受け止めて、一番軽いサバを抱えて鼻をよせ、吸って吐いてを繰り返す。
実はあまり抱えられるのが得意ではないサバが暴れだしたのをきっかけに下ろしてやり、次は自分に構ってという2匹をこれでもかと構って、ふう、と息をつく。

「おつかれ様」
「今日はそこまでではないですよ」
「何かあったのか?」
「逆に後処理が終わったんです」
「そっか、良いことだな。おめでとう」
「ありがとうございます」

ヒロさんと話して、お猫様3匹を構い倒しひとしきり満足した後、夕飯の準備に移る。

包丁を扱いながら、なにかよこせと、にゃーにゃー足元で、時に炊飯器の上から物申す愛らしいギャング達を適度に構ってみたり、炊飯器から降ろしたり、時折伸びるつまみ食いの手から夕飯を守りながら、ご飯を完成させる。
盛りつける前に彼らが手出し出来ないよう隔離して、先に所定の場所へ愛する同居人(猫)達のご飯を差し出す。
ちなみに、ヒロさんはご飯の準備中にやってくる猫達の襲撃をうまいことまだ躱せないので、これは未だに私の仕事だ。

まぐまぐカリカリ食べ出す彼らを尻目に、炊飯器からご飯を盛り付けている途中で、ピンポンと家のベルが鳴る。
モニタを確認して、ご飯の盛り付けをヒロさんにバトンタッチして玄関へ赴き、久しぶりに我が家へ訪ったかの人をお迎えする。

「お疲れ様です、風見さん」
「ありがとう、お邪魔する」

あの件以降、大変気にかけてくださる風見さん。
私の胸を見てしまってびしりと固まってしまう彼が、なぜ自宅に来るのかというとすこし前まで時は遡る。
大まかにいうと私が多忙を極める彼を見るに見かねて、上司(異動してやってきた人)に直談判したのだ。
その上司の計らいによって、私は風見さんの補助役に付くことになった。

補助役として具体的に何ができるかと言えば、風見さんの机に溜まる書類を、風見さんがやりやすいように整理すること。
つまり、風見さんの書類に堂々と触ることができるようになったのである。
もちろん、機密性の高いものも紛れているので、階級が足りない私は、そういったものに関する誓約書もとられている。
私としては、仕事が増えて憂鬱、なんてことはなく、今世の主人と定めた人のために働くことができて満足である。
そうして書類の確認などで彼との接触回数が増える中、ある日風見さんがまともにご飯を食べていないということがわかり、それはいけないとその日のうちに自宅へご案内した。
これが始まり。
以降ちょっとだけ帰りが早くなった風見さんと、たまにヒロさんに会いに来る降谷さんを含めて、4人で夕飯を共にする日ができたのである。

「ご飯出来ていますよ」
「今日のメニューは?」
「ほうれん草とお揚げのお味噌汁に、冷めても美味しい唐揚げ、レンコンのきんぴら、お好みで昨日の残りの肉じゃがです」

ぐうう、と玄関からリビングに向かう最中彼のお腹が自己主張をする。
それを恥ずかしそうする風見さん。今世の私の仕える主人はとても可愛いらしいお人だ。

「今日は降谷さんは?」
「ポアロで催し物があるらしく、そっちの方に出ている。明日は来たいとおっしゃっていたぞ」
「そうですか。なら、明日はお魚の煮つけにしましょうかね、寒くなってきましたし」
「鍋でもいいんじゃないか?」

リビングに辿り着いて、何の話?とヒロさんが聞くので、明日のメニューは降谷さんもいらっしゃるから鍋もいいかなと話すと、やめておけ、と言われた。

「鍋将軍だぞ、あいつ」
「「あー、、、」」

とてもお似合いである。絶対おいしい確信はあるが。
これはお魚の煮つけかな、と風見さんと笑って、バトンタッチしたままの夕飯の盛り付けを手伝いに入る。
風見さんはスーツなのでジャケットを書庫に隔離しに行ってもらい、ついでに手も洗ってきてもらう。衛生と予防は大事です。

最近買いなおしたちょっと大きなダイニングテーブルに夕飯を並べ、みんな席についたら手を合わせてご一緒に。

「「「いただきます」」」

これが、最近の私がとても大切にしている、幸せな毎日である。
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