上司エレンシリーズです
もはや時期を無視したエレンの誕生日夢です



 兵団内がどことなく浮足立っている雰囲気は、朝方から感じ取っていた。不思議には思ったが、別段気に留めることもなかった。間違いなくその理由にわたしは関与していないと思っていたからだ。良い酒でも手に入ったのだろうか、夕方を迎える前、わたしは普段よりずっと豪勢な食事の匂いを厨房から感じていた。立体起動の訓練を終え、兵舎に戻ったわたしは、すぐにその異変の正体に気付かされた。否、気付かざるを得ないと言ったほうが正しいかもしれない。わたしの帰りを待っていたといわんばかりに、アルミン・アルレルトが言い放った。

「今日はね、エレンの誕生日なんだ!みんなと話し合って、ささやかだけどパーティを開こうと思ってね。勿論君にも参加してほしい!」

 おえ。
 声には出なかったけれど、恐らく表情には出てしまっていたかもしれない。なるほど、そわそわしていたのはこの所為か。兵団内にはエレンのファンもかなり多い。その実力と容姿から男女問わず、である。彼らもきっとアルミンの発案には大賛成したに違いない。エレンの同期とその部下たち、この兵舎のほとんどの兵士がどうやらこの催しものに参加するらしい。アルミンに連れてこられた食堂には既にかなりの人数がいた。エレンの姿が見えないあたり、これはいわゆるサプライズというやつなのだろう。

「(…くだらねー)」

 心底そう思った。テーブルに並べられる豪勢な食事、酒、果物。ミカサ・アッカーマンが表情を変えずに、しかしどことなく嬉しそうに食器を並べていた。お腹は空いていたけど、正直エレンのために開かれるこのパーティで食事を取る気にもなれない。こっそり抜け出して、今日はもう寝てしまおうと思った。
 
 アルミンに見つからないように踵を返す。優しいアルミンのことだから、誰にも今日の食事に誘われないわたしを気遣って、率先してここに案内してくれたのだろうが、それは有難迷惑というやつだ。エレンのために、エレンを祝うために、そんなことのために開かれるこの場にわたしはいたくなかった。
 幸い人が大勢いるおかげで誰もわたしがここを後にしようだなんてことに気付くものはいなかった。
 ただひとりを除いて。

「どこに行くんだ?まだ飯食ってねぇだろ?」
 
 わたしの手首をやんわり掴んだのはリヴァイ兵長だった。あと一歩でここを去ることができたのに。けれどリヴァイ兵長に引きとめられたことが、存外苦でも何でもなくて、わたしは立ち止って彼を見た。
 あの日から、なんとはなしに、彼とは口をきいていなかった。といっても、一兵士のわたしはそうそう兵長職である彼に会うことすらなかったのだが。兵長の指から伝わる体温が心地よい。わたしを軽蔑しない、その眼差しから逃げることが躊躇われたのである。

「あの、…えっと、たぶん、わたしなんかいないほうがいいかと思いまして、せっかくのパーティーなのに」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ。せっかく普段食えねぇようなもんがあるんだ、たくさん食ってけよ」
「…」

 どうしよう。この手を振りほどくのが、なんだか勿体ない気がして、わたしは食堂から逃げることをほとんど諦めてしまっていた。ここにはいたくないけれど、兵長といるのは嫌じゃない。ひとりで冷たい部屋に戻るより、彼の隣のほうが何倍も魅力的な場所に思えてしまうのだ。次の言葉を言い淀んでいるわたしに、兵長は何を思ったかすぐ近くのテーブルから赤い液体の入った木のジョッキを取って、こちらに差し出した。

「これでも飲んでろ。酒じゃねえ。何か思うところはあるかもしれないが、お前だってこの調査兵団の一員だということは何度も話しただろ。ここにいちゃ悪ぃことなんかひとつもねぇ」

 くん、と匂いを嗅ぐと、どうやら木苺のジュースのようだった。そのときになって、ついに兵長の指がわたしの手首から離れる。エレンがこの食堂にやってくるのとほぼ同じタイミングだった。アルミンを始めとするエレンの同期が彼に祝杯の言葉をかける。他の兵士達も同じようにジョッキを掲げ、部屋の前方に連れ出されるエレンを祝杯していた。食堂内が普段とはまったく違う騒々しさに包まれた。エレンが何か喋っているような気がしたが、ほとんど耳には入ってこなかった。兵長はそんなエレンを見て、かすかに笑みを浮かべている。それは部下の成長を喜ぶ上官の顔だったんだと思う。

 すぐにパーティが始まって、どんちゃん騒ぎになる中、わたしはずっと兵長の傍を離れなかった。兵長がわたしを気遣って食べ物を持ってきてくれるのが、なんだかこそばゆくなるほど嬉しかったのだ。それでも兵長はしばらくすると、仕事がまだ残ってる、と言い残し食堂を後にしてしまった。ぽつんと一人残されたわたしは、持っていたジョッキをテーブルに戻し、今度こそ食堂を出た。食堂では誰かと誰かがテーブルに乗っかって酒の飲み比べをしたり、談笑したり、酔って暴れている誰かもいた。もはやエレンだのアルミンだのがどこにいるかなんて分らない状況だったと思う。エレンの誕生日パーティなどと称して、ようはみんな酒が飲みたかったのだろう。

 喧噪のなかから一変した、耳が圧迫されるほどの静かな廊下を歩いた。あの騒ぎはおそらく一晩中続くことだろう。わたしには関係ない。明日も朝早くに起きて、馬の手入れをして、訓練、訓練、訓練。今日はなんでもない、そうやって続いていくうちの一日だった。のろのろ歩いて、角を曲がれば階段がある、というところに差し掛かった時だった。わたしが歩いているすぐ横の扉が開いた。にゅっ、と蛇のように伸びる長い腕。襟元をぐっと掴まれ、そのまま扉の中に引きずり込まれた。はっとして、部屋に引きずり込まれる一歩手前で思い出す。ここは、エレンの部屋だ。

 乱暴に投げ込まれた部屋の中、勢いあまって尻もちをつくわたしを、エレンが見下ろしていた。パーティの主役が、どうしてこんなところに。あまりに突然のことに驚いて何も言えないでいるわたしをエレンはむすっとした表情で睨みつける。けれど何も言わずに、そのまますたすたと自分のデスクに座った。扉の前でへたり込んだままだったわたしはすぐに立ち上がり、恐る恐るエレンに振り返った。

「…ずっと兵長といたな」

 見ていたのか。食堂の隅、出入り口のすぐ近くだったというのに、エレンはあんな人だかりの中からこちらを監視していたらしい。本当に、わたしには小指の爪ほどの自由も許されていないようだった。見ればデスクの上には食堂から拝借したのだろう、酒の入ったジョッキが置かれていて、エレンが酒を持ったままここへ抜け出してきたことが推測された。

「…どうして、ここに」
「いいんだよ、どうせみんな酒が飲みたいだけだろうし」
「…」
「俺も少し疲れたんだよ、あの騒ぎの中に」

 そう言ってエレンは残った酒をぐびっと一気にあおった。そうしてわたしを見て、ちょいちょい、と犬にするみたいに指で手招きをする。逆らうのも恐ろしいため、素直にエレンに近づいた。椅子に深く腰掛けるエレンの前までやってきて、燭台の明かりに照らされるやたらと端正なつくりの横顔を見た。頬がうっすらと赤く染まっている。大分飲んでいるのだろう。近づいただけで酒の匂いがした。その眼光にいつもの鋭さはほとんどなくて、とろんと潤んでいるようにも思えた。わたしはエレンが酒に酔っているという事実に、内心かなり驚きつつ、彼の言葉を待った。直後わたしに伸びてきたのは、言葉ではなく腕だった。
 
 ふわっと一瞬の浮遊感。エレンに持ち上げられて、そのままデスクの上に座らされた。椅子に座るエレンの目の前、彼よりちょっと高い位置でわたしは見下ろすようにエレンを見た。距離が近くて、少し怖い。エレンのデスクに行儀悪くこんな風に座るだなんてもちろん初めてのことで、彼の意図が読めずにこくりと唾を飲み込んだ。エレンはぎっ、と椅子ごとデスクに更に近づいて、わたしの脚の間に体を捩じ入れる。わたしの太ももの上に頬杖をついて、じっとこちらを見上げていた。長い睫だ。金色の瞳は、いまにも落っこちてしまいそうだった。

「今日、俺、誕生日だって知ってたか?」
「…え、あの、…いえ」
「だよなぁ、お前が知るわけねぇよな」

 正直エレンがいちいち誕生日だのを気にするようには思えない。そもそもわたしにエレンに関する情報なんてほとんど与えられていないのだ。誕生日など知るはずもなかった。エレンは一度わたしの太ももの間に顔をうずめてから、つぅ、と腰に指を滑らせる。くすぐったさと一抹の恐怖に、体が無意識に揺れた。エレンが顔を上げる。そうして人差し指で自分の唇をとんとん、と叩いた。

「ん」
「…え?」

 おやすみのキスのことだろうか。それはすなわちエレンから解放されて自室に戻れることを意味するのだと思って、わたしは素直に少し下の位置にある唇にキスをした。無理矢理上を向かされてキスをする、いつもとは逆の体勢だ。手が自由だったので、無意識にエレンの顔を固定するようにその頬に指を添えていた。唇を離す。目を開けると、エレンは黙ってわたしの瞳を射抜かんばかりに見つめていた。エレンの頬に添えた手をきつく握られる。怒らせてしまったのかと思って、すっ、と一瞬で顔の血の気が引くのを感じた。

「もう一回」

 けれどエレンは声を荒げることもせず、呟くようにそう言った。

「舌いれて。俺がいつもするみたいに」

 言われたとおりに、舌を突き出して薄く開いたエレンの唇の合間に差し込んだ。ぬっとり、と中は熱い。いつもエレンがする仕方は分からなかったけれど、待っていたといわんばかりの奴の分厚い舌ぺろぺろと舐めるみたいにしたら、そのままじゅっ、と音がするほど吸い付かれた。エレンの舌も口の中、アルコールの味がする。熱い。はふっ、とエレンが唇の間から漏らした吐息で前髪が揺れた。
 髪の間に指が差し込まれ、エレンは自分の顔に押し付けるようにわたしの頭を押さえこんだ。わたしの口から溢れた唾液を、エレンが一生懸命吸いついて、嚥下していた。本当に、いつもとは正反対だ。苦しくなって、唇を離そうとすると、それを許さんと言わんばかりに更に強く頭を押さえこまれ、今度は逆にエレンの舌がわたしの咥内に突き入れられる。

「んっ、ん、むぅ…っ、」
「…」

 エレンの手はわたしの後頭部から離れ、何かを確かめるように背中を何度も撫で上げた。段々とその手は背面から正面へと回され、脇腹を数回撫で、胸元を弄った。

「んっ、えれ…っ、」

 おやすみのキスではなかったのか。雲行きの怪しさを感じ取って、顔を上げた。

「誕生日だって、言ったじゃん、俺」
「へ、…、い、言いましたけど」
「…」

 エレンの表情が怪訝なものに変わった。それでもすぐに肩をすくめると、わたしの体をきつくきつく抱き締め(締め上げ?)て、そのまままた持ち上げた。二人でダイブするようにベッドに沈み込む。嫌な予感しかしなくて、急に鼓動が早まるのを感じた。エレンはわたしを組み敷くと、また舌を差し入れながら深いキスをしはじめる。口の中を全部食べられてしまいそうなキスだった。流し込まれる熱くてアルコールの味がする唾液をなんとか飲み込んで、かたく瞳を瞑った。
 
 エレンの顔が離れていく。そうしてすぐ横に倒れこんだエレンは、まるで毛布でも手繰り寄せるようにわたしを引っ張り、抱き締め、長い息を吐きだした。

「もう一回、おやすみのキスして」

 人を胸板に押し付けるように抱き締めているくせに、むちゃを言う男である。顔を上げ、こちらを穏やかに見下ろすエレンの唇に、再度キスをした。なぜかエレンは満足した様子で目を閉じ、おやすみ、と言った。

「(……、えっ、待って、ここで寝るの?)」

 この腕の中から這い出ることは不可能だった。行為に及ばれないことは幸いだったが、こうして一晩中自由を奪われるのもかなり苦痛である。けれど酔いも回って大人しく眠りについたエレンを刺激することなど自殺行為であるため、わたしは泣く泣くそのまま目を閉じた。
 主役のいないパーティは朝まで続くだろう。今日は何年か前にこの男が生まれたらしい日である。いろいろ思考を巡らせるのはとても疲れる行為だ。わたしはエレンを追うようにして眠りについた。
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