周囲を観察するのはわりと得意であると自負できる。周囲のどこから視線が注がれているのか、彼らの口元。耳をすませる。彼らが今何に関心を抱いているのか。草木の揺れる音。遠い彼方からやってくる巨人の足音。におい。生きるうちに必要な術だとわかっている。自分が喋らない分、周りの音や声がよく聞こえるのだ。とくに今日みたいな日、訓練そっちのけで、周囲の人間がわたしの姿を見て快く思っていないことにはすぐ気がついた。もとより歓迎されたことはないけれど、わたしが気づかぬうちになにか粗相をしてしまったみたいに周りの人間はわたしを見ていた。心当たりがないし、もちろんそんな状況にはこの1年ほどでいやというほど慣れたわたしは特に気に留めることなく訓練に取り組んだ。それは女性兵士の、とりわけ常日頃からエレンに羨望だの恋心を抱いていると(わたしから見て)思われる人間に多かった。エレンがまた何かしたんだろうと、それをいつも金魚のフンみたくくっついているわたしに文句でも言いたかったのだろう。と、勝手に自己完結をした。ここでふたつほど主張したいのが、わたしは何も好んでエレンのあとをくっついているわけではないことと、エレンの馬鹿がやらかした何か問題ごとに、わたしを巻き込むなバカヤローということである。今朝、エレンは早くから幹部達の会議に出席しているためここにはいない。いてもいなくても害をまき散らす野郎だな、と悪態をついて、正午過ぎ、わたしはのろのろと食堂に向かった。

 配給された食事のトレーを持って、座る場所を探す。この時間食堂はかなり人で溢れかえっている。親しい者同士で座って談笑する人、一人で黙々と食事をする人、よどほ疲れているのかスプーンを片手に居眠りをする人、そんな人達の中でわたしは立ち尽くしていた。食堂を出て、どこか静かな場所で食べようか。喧騒が嫌で、くるりと踵を返す。わたしの目の前には真っ白なシャツが迫っていた。

「えっ」

 ひゅっと息を吸った。見上げる。頭ひとつ分以上高いところに見知った顔を見つけた。さらさらと金色の髪がなびいていた。今日は髪を結っていないようだった。女性のように綺麗な顔と綺麗な髪の毛だけれど、正直こんな背の高い女性がいたらちょっと気味が悪いな、と思った。

「やあ」
「…こんにちは」
「どこか行くの?食べないのかい、それ」

 アルミンは背の低いわたしを覗きこむようにそう言った。でかい目だった。青くて、きらきらしていて、とても綺麗だった。

「…座るとこがなくて」
「大丈夫、奥の方なら空いてるよ?僕もお昼まだなんだ、一緒に食べてもいいかな?」

 ここでわたしがいやだ!と頑なに拒否したらどうなるんだろうとは思ったけれど、口には出さず、視線を落とした。アルミンはにこっと笑ってから、自分の分の食事の乗ったトレーを持ってきて、それを器用に片手で持ちながらもう片方の手でわたしの腕を引っ張った。エレンみたくではなく、とてもやさしい手つきだった。アルミンの言うとおり、奥にはまだ3,4人が座れるスペースがあって、わたしたちはそこに腰を下ろした。アルミンが向かいに座る。なぜこの人はいつもにこにこ笑っているのだろう。ちょっと不気味だった。味のしない、水分が全部蒸発してしまったシンクのスポンジみたいなパンを千切って口に入れる。唾液を吸い込んでもなお、パンは噛み切るのが苦労なほど硬い。美味しくない。ついでに今日のスープは最悪だ。ばかみたいに大きな人参がごろごろと浮かんでいるのだ。ジャガイモだけにしろよ、とそっと心のなかで思案して、とりあえずかちかちのパンを完食することにする。アルミンは無理に話題を振ってきたりしなかった。「パン硬くない?大丈夫?」とか、「水分もちゃんと取らなきゃダメだよ」とか、「口ちっちゃいんだね」とか、子供かよ、と突っ込みたくなるような声はかけられたけれど。パンを食べきって、スプーンをスープの器に突っ込む。さり気なく人参を端に追いやってみる。けれどやつらはすぐに器の中央に戻ってきて、顔は見えなかったけれど、まるでこちらを小馬鹿にするみたいに笑ってきた。むっと眉を寄せた。このやろう、根菜の分際で。お前なんかこうだ。このっ。このっ。スプーンの裏側でやつらを潰してやろうと思ったけれど、人参はスープの油分でにゅるんにゅるんと器の側面を滑って、まったく形を変えることすらできなかった。

「ねえねえ、」

 はっとする。顔をあげるとアルミンがにこにこと笑っていた。

「実はさ、誰にも言わないで欲しいんだけど」
「はぁ…」

 こちとら人参殲滅に忙しいのだ。早くしてほしい。

「僕さ、小さい頃からジャガイモだけはどうしても食べれなかったんだよね」
「はぁ」

 まったくもってどうでもいい。

「だからさ、今日のこのスープ、よかったら僕のジャガイモと君の人参、交換してくれないかな?」

 えっ、と固まってしまった。今日のスープには、確かに人参以外にもジャガイモがぷかぷか浮かんでいる。アルミンはスプーンでジャガイモの欠片を拾って、ね、と首を傾げてきた。わたしのとってみればこの憎き人参を遥か彼方アルミンの胃の中にぶち込んでやれるなら、と利害が一致したのだが、けれどすぐにエレンの顔を思い出してそれを思いとどまった。以前も人参が嫌だと、夕食に出た蒸し野菜の中から人参だけを取り除いていたら、エレンの野郎め、「好き嫌いすんなよ」とかなんとか言いながら、わたしを押さえつけ、片手で簡単に人の両手の自由を奪った上で無理やり人参を口の中にねじ込ませて来たのである。エレンはかなり楽しそうだったように思える。馬鹿みたいにくだらないけれど、エレンはああいう風にわたしが嫌な思いをするのを見るのが好きなんだろう。クソみたいな趣味だ。そんなわけで、エレンとかなり近しいアルミンと、わたしが大嫌いな人参を交換してもらったなんてバレたら、今度は生の人参を口に突っ込まれるかもしない、と危惧した。でも人参は食べたくない。忌々しいオレンジ野郎め。けれどやっぱりヤツを食べたくなくって、スープの中から人参を拾ってアルミンの器に落とした。アルミンはそれをジャガイモでやった。ジャガイモばかりが浮いている謎のジャガイモスープ。でも美味しかった。彼をちらりと盗み見ると、バッチリと目があって、更に笑いかけられた。

「でも一応質素とはいえ栄養バランスが考えているわけだし、嫌いな野菜でもたまにはきちんと食べないとね」

 それはまるで子供に言い聞かせているような口調だった。言い出したのはアルミンのほうなのに。素直に頷くことしかできなかった。食事を終える頃、すっかり食べ終わって手持ち無沙汰だったらしいアルミンがじっとこちらを見つめて口を開いた。

「髪の毛も短くなったから、結構目立つね」
「?」
「もちろん、エレンだろう?それ」

 アルミンがとんとん、と自分の首筋を指先で叩いた。困ったように笑っている。残念ながら鏡がなければ自分の首を目視で確認することは難しい。何があるのだろう、と首を傾げた。

「君からはエレンに言い難いだろうし…、僕から言っておくよ」
「あの…?」
「見せつけているようだよ、まるで。エレンのやりそうなことだ」
「…??」
「君も首の詰まっている服は持っていないもんねぇ?付けたエレンに非があるよ」

 まったく何の話をしているか分からなかった。鐘が鳴る。いつのまにか食堂に人影はまばらだった。みんな午後の訓練に向かったのだ。アルミンもトレーを持って立ち上がる。

「先にごめんね?まだ会議途中だったんだ」

 そういえばエレンが今朝から出席している会議は、もちろんアルミンも出席するはずだ。お昼だけ抜けてきたんだ、とこちらに笑いかけてからひらひらと手を振ってきた。アルミンが食堂をあとにする。わたしはもうすっかり食事をする気もなかったので、食べかけた食事のトレーを持って食堂を出た。




 午後からの訓練には、何故か兵長の姿があった。会議に出席していたはずだ。何気なくしれっとした仏頂面だったけれど、兵長の顔には確かに抜け出してきた、と書いてあった。まわりの兵士は、あの人類最強をそばで見れる、というだけでかなり興奮していたようだった。あの人実は大事な会議を抜けだしてきているんだよ、と、わたしには言う人もいなかった。
 日が傾いてきた時頃、ブレードの調整を行っているわたしのもとへ兵長がやってきた。お前の動きがどうだったとか、頼んでもいない採点をつけてきたのだ。それを周りで見ている人たちは言う。あのガキ、兵長にまで色目を使ったのか、と。気に入られるためにはなんでもするのだな、と。わたしは何も頼んでいないのに。静かに、悪目立ちしないように振る舞ってきたのに。このチビのせいで水の泡だ。兵長はやっぱり怖い。エレンとグルだから。わたしをどこまでも貶めたいのだろう。わたしが彼にしたことは、確かに許されないことだ。けれどそう思うのならいっそあのとき殺してくれればよかった。あとからこんなにチクチクチクチク、小姑みたいなことをする人だなんて、他の人は言っても信じてくれないだろう。わたしを慰めてくれた兵長は、一体誰だったのだろうと時々思う。あんな人が身近にいてくれれば、こんなちんけな世界も、もう少しマシになっただろうに。

「お前、それ」

 兵長の視線とある一点に注がれる。さっきアルミンが指した鎖骨の箇所だった。こうも何人にも指摘されるほど、わたしの首筋には一体人面でも浮き出てきているのだろうか。兵長はきょろきょろとあたりを見渡してから、呆れたようにため息を付いた。そうしてしゃがみこんでいるわたしの腕を引っ張って立たせると、そのまま兵舎のほうへと引きずっていった。アルミンよりは力強かったけど、やっぱりエレンよりはやさしかった。 
 何故か連れて来られた医務室で、兵長はうんうんと悩んだ挙句、真っ白な包帯を持ってきてわたしをベッドに座らせた。ちらりとそばの鏡を見た。わたしの首筋に、まさか恐ろしい人面なぞは浮き上がっておらず、代わりになにか虫さされのような赤い痕がついていた。なんだろう、と思っているうちに、兵長は持っていた包帯をぐるぐるとわたしの首に巻き始めた。ぎょっとする。「苦しくないか」と問われても、彼の行動が謎すぎて目を丸くすることしかできない。兵長は元々困り眉のくせに、さらに眉間をきゅっと寄せて包帯を首の間に指を差し込み巻きつきを緩めた。彼の意図することがまったく理解できない。包帯を巻くほどあの虫さされは重症なのか。空気に触れちゃいけなかったとか。兵長の細い指が包帯の上からわたしの首を数回滑った。見上げると、兵長はそのままわたしの頬に手をあてがった。

「今日、何か妙なこと言われたり聞かれたりしなかったか」

 妙どころではないけれど、よくないことを言われるのは常なのでとりあえず首を横に振っておいた。

「お前髪短くなったからな…こんなとこにつけやがって、あのガキめ…」
「…あの、痛くないんですけど」
「は?あたりめーだろ、隠すために巻いてるに決まってる」

 何を隠すためだろう。問いかけるのは億劫だった。

「お前こんなんつけて一日中いたのかよ、…格好の餌食だな」

 怒っているわけではなさそうだったけれど、兵長の表情はいつもより暗かった。そのままよしよし、とかなり乱暴に頭を撫でられる。何を意図しての行動なのか、これもきっと良くないことなんだと思って、黙って俯いた。はやくこの人とは別のところへ行きたい。息がつまりそう。エレンといるよりずっと苦しかった。わたしは兵長が怖い。中途半端に優しさを纏ってみせるその姿勢に、まるでわたしは期待してしまう。それがとてつもなく怖かった。もう兵長にわたしなんか見えなくなってしまえばいいのに。どうしても、あのときの兵長の言葉が蘇るのだ。「痛かっただろう」と、そんなことを嘘でも言ってくれたのは、彼が初めてだったのだから。忘れてしまいたかった。


 夜になって、今日は会わずに済むかもしれないと淡い期待を抱いていたわたしは、まんまとエレンに呼び出されてしまった。部屋に着いて、中に入る。エレンはわたしの首に巻いてある包帯を見て目を丸くしたあと、何がおかしいのか、ぷっと吹き出した。

「それ…もしかして兵長だろ」
「…まぁ」
「あの人、そういうとこあるよな、包帯巻き付けてるほうが不自然だろって」

 エレンがちょいちょいと手招きをする。そばまで行くと、突然エレンに抱き上げられデスクの上に乗せられた。わたしのお尻の下で書類がくしゃりと音をたてる。エレンはわたしの足の間に体を滑り込ませ、ふう、と仰々しくため息を付いてみせる。

「アルミンに何か言われたんだろ?今日」

 頷く。

「わざとこんなとこに付けたんだから、目立つのは当たり前なのになあ」
「…」
「ん?お前もしかして見てねぇの?」
「…あんまり」
「キスマークついてんだよ、ここ」

 そう言ってエレンが包帯の上から首筋をぎゅっぎゅっと押した。ちょっと苦しい。

「…ああ、なに、お前あんま意味わかってねえのか」
「…」
「だから、」

 エレンがすとん、とその場にしゃがみ込む。ちょうど、わたしの足の間から顔を覗かせるみたいに。恥ずかしくって足を閉じようとするも、エレンの指が唐突にズボンのホックにかけられた。素っ頓狂な声を上げる。けれどもちろんエレンは軽々わたしの手を押さえつけ、悠々とズボンを脱がしにかかった。膝の下までずり降ろされる。ふっ、と目の前のわたしのパンツに息を吹きかけて、こちらの様子を伺っているさまは、本当に殺してしまいたくなるほど憎らしかった。羞恥で顔も耳も熱い。そんな場所にエレンの顔があるのは2回めだ。恐ろしくって、恥ずかしくって、唇を強く噛んだ。
 エレンがわたしの右の太ももを持ち上げ肩に担ぐ。べろり、と内ももの際どいところを舐め上げられた。

「キスマークっつーのは、いわばマーキングなんだよ、分かるか?」
「ま、…マーキングって、」
「こんなの見せびらかせて歩いてたら、売女かただの馬鹿にしか思われねえんだよ」

 そんなこと言ったって、どうやらアルミンや兵長によればつけたのはエレンらしいのに。いつの間につけたのか。お見通しだと言わんばかりに、エレンはにやりと口元を歪めた。

「この前お前が寝ちゃったあとだよ、全然気づかなかっただろ」

 そう言って、ふにふにとエレンの肉厚な唇が、わたしの内ももを食む。くすぐったい。けれどそのあとすぐにぢゅっ、と音がするほどそこを吸い上げられて、痛みのほうが勝った。エレンの唇とわたしの太ももの間を唾液の糸が伝った。見れば白いそこに、小さな赤い痕が付いていた。首筋にあったのと似ているような気がしなくもない。

「俺が思うに、首輪だよ」

 こちらを見上げる、黄金の瞳。長いまつげに覆われた、とても大きな瞳だった。吸い込まれそうな恐怖を孕んでいる。こんな瞳は、普通の人間は持っていない。エレンは普通の人間じゃあないのだ。エレンの指がわたしの首元に伸びて包帯をわずかに解いた。そしてその両端をこの男は思いっきり引っ張った。

「っ!?」

 笑うエレンを見下ろす。突然気管を締め付けられて、勿論息が止まる。苦しい。本気で殺しにかかってきているんだと思うほどに力強かった。エレンは力を抜かない。こちらをずっと見つめている。いくら柔い包帯といえど、こんなに短くもって力強く締めあげられれば、きっと人は絶命するだろう。この男はきっと人を殺す時、笑って殺すのだと思った。

「こんなふうに、」
「はっ、…ぅぐッ、」
「誰のものか誇示するみたいに」

 唐突に力が弱められた。ひゅっと息を吸い込み、大きく噎せる。目元には生理的な涙が溜まっていたらしく、わたしの体が揺れるたびにぽたぽたと太ももの上に落ちていった。先ほどエレンがつけた、曰くキスマークの上にも水滴が落ちる。それをエレンはもう一度丹念に舐め、お尻のほうから下着の中に指を差し込んできた。

「今日全然動いてねえんだよ、ちょっと運動しなきゃな」

 わたしはいやというほど動いたのだから、お前一人で勝手に動いてこい、ともう一人のわたしがエレンに忌々しく吐き捨てていた。
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