その人たちは、まるで今回わたしが初めて目にしたようなとにかく派手で、厚ぼったくて、一ミリの機能性も感じ得ない高級そうなカーテンみたいなドレスを着て、頭には、一体あれはなんという名称のものなのだろうか、フリフリのレースがいっぱいあしらわれた装飾品をつけていた。それは女性の格好。男性は黒光りするほどつやつやのタキシードだのを着て、変な形の帽子をかぶっているのが多かった。形なんかはまるでバケツをひっくり返したみたいなやつだ。それでもひと目で高級品とわかるほど、帽子も手に嵌める白い手袋も上質そうなものだった。なるほど、これが貴族という人種のする格好なのだな、と集まる人々を観察しながら、わたしは使い慣れた立体機動装置のグリップを握った。となりではエレンがうんざりそうに肩を鳴らしている。けれどそれもグラン公爵が見えたらすぐにそんな表情をひっくり返し、人の良さそうな綺麗な笑みを浮かべた。グラン公爵が手招きをする。わたし達は彼の横に並び、またエレンに倣ってぎらぎらと着飾った人々に向かって敬礼の姿勢を取った。すごい人数だなと思った。空はよく晴れている。きっとこんな日に立体機動を使って空を飛ぶのは、きっとすごく気持ちがいいんだろうと思わざるを得ない天気だった。この貴族の群衆がいなければ。

 この屋敷に到着した翌日の昼下がり。わたしとエレンは立体機動装置を身に付け、屋敷の屋上にいた。屋上はまるで手入れされた庭園みたいなところで、またこれがとにかく広い。グラン公爵が呼びつけた貴族たちはそれぞれ手に紅茶の入ったカップを持っていたりと、これからご大層な演奏会を待っているかのような雰囲気である。もちろんこれから行われるのはそんな演奏会なんてものじゃなく、わたしとエレン、現役の兵士が立体機動装置を使って屋敷のだだっ広い敷地内に設置された巨人の形をした模型を削ぎ落とす、いわばショーの開催を待っているのだ。屋上から見下ろす限り、この信じられないくらい広い敷地には鬱蒼と木々の生い茂る一角があって、そこに訓練などでも使われる巨人の模型が今日の日のために設置されている。集まった人々はこの屋上からわたし達の動きを眺める、といった流れだ。高みの見物、とはまさにこのことを言う。
 グラン公爵が何やら集まった人々に仰々しく説明をしている最中、わたしは敬礼の姿勢を取ったまま、ぼんやりとその巨人の模型を見つめた。そばには憲兵団の姿もある。彼らがきっと巨人の模型を搬入し、設置するよう指示されたのだろう。本当にここに住んでいる人々は、時間と金が有り余って仕方ないようだった。
 グラン公爵がエレンを紹介する。続いてわたし。エレンからは何もしゃべるなと言われているので、軽く会釈だけをした。そのあとすぐに立体機動の準備にとりかかった。後ろからはわたし達が飛び立つのを今か今かと待ち望んでいる人の息遣いが聞こえた。この装置実物も、その動きを見るのも初めてなのだろう。訓練兵団に入ればいやというほど扱うことになるのだから、そんなに気になるのならば入団すればいいのに。とはもちろん声には出さない。エレンを見る。

「俺から先に行く。右の三体と、その奥、最後に手前にもう一体現れるからお前はそれをやれ」

 頷く。先にエレンが屋上から飛び降りた。ばしゅっとアンカーが巻き取られる音。歓声の声が上がった。わたしも続いてアンカーを木の幹に突き刺し、屋上から飛び降りた。人々の声はもう聞こえなかった。これならばもういつもどおり、訓練を行うみたいに模型の項部分、クッションになっている部分を削ぐだけだった。エレンの指示通り、まずは右の三体。本物の巨人と違って動きもしない標的をやるのは眠くなるほど簡単だった。その奥の模型も仕留める。模型は次々に現れた。よくもこんな大量の模型を用意したものだ。一度木の枝に着地して、体勢を整えたあと再び飛び立つ。こんなものを見て、あの人たちは何が一体楽しいのか。よくわからないまま、ブレードを振りかざし続けた。最後の一体、あれをやってわたしの出番は終わりだろう。距離が少しあった。一度木の上に着地してからアンカーを放射する。アンカーの先がきちんと突き刺さったのを見て、飛び降りた。グリップを操作してアンカーを巻き取る。はずだった。

「え」

 気づいたとき、わたしの体はまったく意図しない方向に投げ出されていて、見るとアンカーの先が無くなっていた。何が起きたのか何も理解できないうちに強く体を木の幹に叩きつけられ、そのまま落下する。そうして地面にも同じように叩きつけられたあと、わたしの上からは何故か大木が降ってきていた。わたしが体当たりしたせいで腐っていた根元の部分がやられ倒れてきたのかもしれない。冷静に分析していた。けれど激痛で体は全く動かない。不味いな、とこれもまた冷静に思案していた。エレンの声がする。そのあとすぐに飛んで来たエレンに抱きかかえられて、近くの木の上に着地していた。折れた木は、ちょうどわたしがいたであろう場所にずしんと倒れていた。

「…何やってんだよ」

 エレンの怒ったような声はそれきりだった。エレンはわたしを地上に下ろすと、自分はそのまま立体機動で屋上に舞い戻り、慌てふためく貴族の人々に人あたりの良さそうな笑みを浮かべていた。心配することはない、とかなんとか説明しているのだろう。わたしは上を仰ぐことをやめ、立ち上がろうと足に力を入れてみるのだが、どうやら左足首を捻ってしまったようで、うまく立つことができなかった。仕方ない、と問題のワイヤーを引っ張り上げる。アンカーはやはり何かで切断されたようだった。ワイヤーがぶらんとあるだけだ。それを不思議に思って切断面を観察していると、同じく立体機動で木々の上からやってきた憲兵の人間が忌々しげにわたしを見下ろしていた。

「ったく、今の調査兵団は模型ひとつもまともに討伐できねーのかよ」
「ガキが一丁前に立体機動なんか扱うからだ。役たたずめ」

 ユニコーンの紋章は、どうやら自由の翼よりも偉いらしい。
 座り込んだままのわたしを見て、憲兵団の一人が地面を蹴り上げてこちらに砂をかけてきた。無能、と言われ、顔を蹴られた。ここの位置なら屋上にいる貴族の誰ひとりとしてこちらの状況を伺い見ることはできないだろう。だからこその行為だった。尖ったブーツで頬を蹴り飛ばされる。

「(たしかに、無能かもしれない)」
 
 何故ワイヤーが切れたのか。それはわからないけれど、実際に巨人と対峙して戦わなければならない調査兵団の兵士としてはあるまじき失態だった。エレンになんて言われるか。利用価値がないって、殺されるかもしれない。そうだ、巨人を駆逐する能力がないと判断された瞬間、わたしの価値なんて無に等しい。生かされる理由は抹消されるのだ。屋敷から使用人とメイドの少女たちが駆けつける。憲兵団の二人はそのまま屋敷の中に消えた。肩を借りながら屋敷の中に連れて行かれるわたしは、悲しいほどに情けなかった。






 綺麗に包帯が巻かれた足首を撫でていると、ものすごい音を立てて扉が開かれる。今回エレンに宛てがわれたこの部屋にこんな風にやってくる人間など一人しかいない。顔を上げると、エレンはひどく怒ったような表情をしていた。思わず肩がひきつる。目を合わせられなくて、すぐに俯いた。わたしが座っているソファの前にまで来ると、一度そこにしゃがみこんで、包帯の巻かれたわたしの足首に触れる。

「エレン、あの…ごめんなさい」

 何か言われる前に謝っておかなければ。咄嗟に口をついて出た謝罪の言葉に、しかしエレンの眉間のシワは濃くなる一方で、忌々しげに唇をぎりっと噛んだ。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。でも、謝罪の言葉がなければ彼はきっともっと怒るだろう。わたしのとるべき選択肢はこれしかなかった。

「わたし、あんな…失敗、した…」

 それでもエレンは何も言わなかった。怖い。指先が震えだしそうだった。
 エレンは数回包帯の上から足首を撫で、長いため息を吐いた。そのあと独り言のように、「あのクソ変態野郎…」と小さく悪態をつく。誰に怒っているのかはわからなかった。窓から差し込むのは、もう真っ赤な夕日に変わっている。せっかく人々を集めて自慢の兵士の技を披露させようと目論んだグラン公爵も、きっと恥をかかされたと怒っているかもしれない。これで調査兵団への資金援助が止まってしまったら、本当にこの責任はどうすればいいのだろうか。わたしは、一体なんてことをしでかしてしまったのだろう。ちぎれたワイヤーが恨めしかった。

「お前なんか…連れてこなければよかった」

 ふとエレンが呟いた。閉じられた瞼の奥、金色の瞳は見えない。わたしはすぐに心の中でそれはこちらの台詞だと即答する。わたしだって、こんなところ連れてこられたくなかった。無理矢理に連れてきたのはお前の方だろう。こんな恥をかいて、大変な失態を犯してしまって、なぜ呼ばれたのがわたしだったのだろうと、虚しくなった。エレンはきっと昨晩せっかくまとまった当面の資金援助の話が白紙になることを恐れているのだろうと推測される。ごめんなさいと謝ったところで、時間はもとには戻らなかった。
 エレンが立ち上がる。それを視線で追った。

「…呼ばれてるから、ちょっと出てくる。お前はここから一歩も出るなよ」

 言われなくとも、行くところなんてない。エレンが部屋をあとにするのを見つめ、先ほどの言葉を思い出した。連れてこなければよかった。とは。それはこの屋敷に無能なわたしを連れてくるべきではなかったという意味か。それとも調査兵団に連れてくるべきではなかった、という意味なのか。わたしを命知らずのクソガキとして、あの日、あの時殺しておくべきだった、という意味なのだろうか。足はただの捻挫だろう。少しすれば支障なく訓練を行うことができる。それでも。
 それでも、もし、わたしが必要ないと判断されたときは、できたら一回くらい、最後にエレンの顔をぶん殴りたいな、と思った。


 しばらくして、控えめなノックの音が聞こえた。エレンであるはずがない。返答をしないうちに扉が静かに開かれた。奥にはメイドの少女がいた。

「失礼します、シーツを取替えに参りました」

 高いソプラノだった。声を聞いても、それが年端もいなかい少女であることがわかる。喋れないので、頷いておく。少女はいそいそとベッドシーツを替え、綺麗にメイキングを行った。手には元々かき集めてきたそれぞれの部屋のシーツがあって、この部屋のものを加えてかなりの量を持ち上げる。ふらり、とその体がよろめいた。驚くべきことに少女はシーツの塊以外にも、洗いたてのタオルやシーツの入った籠、肩には掃除道具のようなものをかけていた。ものすごい量である。果たしてそれら全部を持って歩けるのかと不安に思っていると、やっぱり少女はフラフラと2、3歩歩いたあとに持っていた全部を絨毯にぶちまけて転んでしまった。慌ててそれらを回収しながらもう一度歩き始める。それでもやっぱり荷物を点々と落としてしまうのを見ていては、誰とも喋るなとエレンに祝えれていたわたしでも、重い腰を上げてしまった。

「あの、手伝う…」

 落下したシーツの塊をひとつ持って彼女を覗き込んだ。メイドの少女は驚いたように目を丸くしてから「申し訳ございません」と蚊の鳴くような声で謝罪した。謝罪の言葉を口にするのは常ではあるが、言われるのは思えば初めてかもしれない、と変な感覚を覚えた。彼女のあとについていって屋敷の中を歩く。綺麗に湿布と包帯を巻かれたあとでは、歩くことくらいなら支障なくこなせた。やがて少女がたどり着いたのは明らかにほかの部屋とは違う扉の前だった。ぎ、とそれを開けて中に入る。これを置いて早く部屋に戻らなければ、と思うのに、少女について中に入ったあと、何故か扉は他のメイドの少女によって閉められてしまって妙に緊張してしまった。早く戻らなければ、エレンに怒られてしまう。部屋の中は扉と同様に、他のところよりももっとずっと派手な装飾がされていて、ここが特別な部屋なのだということを悟った。そしてソファにとある人物が座っているのを見て、息を呑む。

「おや、ちょうど良かった」

 グラン公爵は手に持っていたワイングラスを僅かに傾けて、にたりと笑みを浮かべた。ここはどうやら彼の自室であるらしい。わたしの前を歩いていた少女は荷物を全部持ったまま、奥に消えてしまう。そこで気付く。恐らくわたしはあの少女によってこの部屋に誘導されたのだ。使用済みのシーツを、まさか屋敷の主のところへなど持ってくるはずがない。しまった、と思っても、相手が相手である以上わたしは下手に動くこともできず、呆然とそこに立ち尽くした。

「そんなに緊張しなくていい、なに、とりあえずここに座りなさい」

 公爵は自分の向かいのソファを指差した。おずおずとそのソファに座る。その際に持っていた荷物は別のメイドに取り上げられ、そしてまた別のメイドが公爵の後ろに寄り添った。夕刻だというのに、部屋は分厚いカーテンが引かれて妙に薄暗かった。

「先程は、また随分と派手に転んでくれたね」
「…ごめんなさい」
「いや、何もそのことについて怒っているわけではない。失敗など誰にでもある。集まってもらった彼らには相応の説明をしておいたから心配することはない」

 てっきりかなりひどく叱責されることを予想していたわたしにとって、その言葉は予想外の何ものでもなかった。公爵はまだ笑みを浮かべていた。ほんとうに、怒っていないのか?それならば何故わたしはここに呼び出されたのか。公爵がここにいるとなれば、一体エレンはどこで誰と話をしているのだろう。溢れ出す疑問に、グラン公爵は改まったように咳払いを一つした。

「君に大事な話があったから来てもらったんだ」
「…すいません、あの、わたしには何も話す権限がないので…、エレンに、」
「ああ、違う。これはもうイェーガーとは済ました話なんだ。君個人の意見を聞きたくてね」

 エレンとはもう話を済ませた?
 一体なんの話をしているのか、皆目見当もつかなかった。




「いいかい、私はね、君を買ったのだよ」
「…………、え?」

 ほんとうに、これはなんの話なのだろう。



「君のその容姿、そして実力を気に入った。あんな野蛮な組織においておくのはもったいないと思ったんだ。君を私のボディガード兼側近として傍に置いておきたい。それ相応の額はもう兵団には支払っている。イェーガーも了承済みだ。君はもう、彼らに売られたのだよ。そして私が購入した。わかるかね」
「へ…、あ、あの…」
「一応は君の意見も聞いておこうと思っただけだ。なに、難しいことは何も考える必要はない。とにかく君はもう二度とあの調査兵団という組織には戻らず、ここで働くのだよ」

 言っている言葉の意味は知っているものなのに、文として男の言っている話が掴めなかった。
 わたしは売られた?そして買われた?もう調査兵団には戻らない?一体どういうことなのか。エレンはもう、全部知っているの?エレンはわたしをこの男に売ったの?もう、用済みだから?無能だから?兵士としての価値がないから?
 知らないところで、どうやらわたしの管理とそして権限はエレンからこの男に譲渡されていたらしい。

「驚くのも無理はない。しかし喜ぶべきところじゃないか?もう苦しいばかりの訓練など、巨人と戦うことなんかない、ここで私がたくさん可愛がってあげよう。美味しい食べ物も提供する。柔らかいベッドも、綺麗な洋服も、だ。君は何も心配することはない」
「あの、え、えれん、は」
「言っただろう、イェーガーはもう了承しているんだ。君を売ったのは彼だよ。聞けば君はどうやらイェーガーの直属の部下らしいじゃないか。しかもかなりしごかれたとかなんとか。もう厳しい訓練も何もしなくていいのだよ」

 グラン公爵がまたにたりと笑った。その瞬間後ろから誰かに体を押さえつけられる。咄嗟にそれを振り払って相手をソファに縫い付けるものの、それがメイドの少女であると気付くと、どうしていいか分からず動きを止めてしまう。彼女の力なんて本当にただの子供のもので、動きを封じるなど赤子の手をひねるより簡単だ。それでも見ず知らずの、それも自分より年下の少女を傷つけることはひどくためらわれて、わたしはあっという間に別の少女たち4人がかりでソファに押さえつけられた。そのときだってそこから抜け出すのはまるで造作もないことだったけれど、この状況に混乱していたわたしは、そこから逃げ出すことよりも、その先の男の言葉のほうが重要だった。だって、もし今の話が事実であるならば、わたしにはここから逃げる必要も、寧ろ逃げる場所すらない。この薄気味悪い屋敷が、わたしの居場所となるのだから。少女の一人がわたしの袖を捲くって、手にしていた注射器のような何かを突き刺した。鋭い痛みが走り、そのあとに何かが血液の中に注入される。
 注射器が抜かれると同時に少女たちは退き、グラン公爵のそばに擦り寄っていった。そうしてみて、ようやくその不気味さに驚いた。彼は若い少女たちを侍らすことを至高としているのだろう。この屋敷のメイドが全て幼い少女たちで構成されているのは、この男の趣味か、または性癖によるものだ。エレンの言っていた、変態野郎、の意味をようやく理解した。そしてわたしも同じくらいの年齢であるからきっと彼に買われたのだ。段々と話が見えてくる。わたしは、この趣味の悪い変態野郎のコレクションのひとつに加えられた、ということだ。そしてなにより驚くべきは、エレンがそれを了承したということにある。あれだけ躾と称して様々なことをしたくせに、こんな簡単にわたしを売ってしまうらしい。一体いくら金を積まれたのか。いや、きっとわたしなんてはした金で売られたに違いない。あんなに一生懸命巨人を殺す術を学んで、辛い思いもして、苦しい思いもして、なのに、わたしの末路はこんなものなのか。ふう、とひとつ息をついた。

「考えてみるんだ、本当に兵団にいるほうが、君は幸せなのか?辛い訓練ばかりで、食事だって粗末なものばかりだろう。寝るところは?ここより良いベッドで寝ているのか?」

 そう言われて、ぼんやりと本部での生活を思い返してみる。
 確かに訓練は毎日きついものだ。ご飯だって美味しくない。部屋なんてもっとひどい、隙間風ばっかり吹いて、ここの床よりも粗末なベッドで寒さと戦いながら寝るのだ。誰とも分かり合えず、毎日一人だけで生きていく。それを考えれば、この男に買われたほうが、もしかしたら幸せなのでは?少なくとも彼はわたしを必要として買ったわけで、ご飯だって美味しいし、ベッドもあったかくて柔らかい。わたしを世間知らずのクソガキだと白い目で見る人は、ここにはいないのかもしれない。ここにはエレンはいない。あいつに怯えて、地下室の悪夢に魘されることもないのではないか。

「(わたしは、もう、兵団にひつようとされて、ないし…)」

 思考がまとまらない。先ほど注入された何かのせいかもしれなかったけれど、もうどうでもよかった。なんだかすごく瞼が重い。目を開けていられない。指先も思うように動かなかった。誰かに頬を撫でられる。滑らかな感触だったから、メイドの少女によるものだろう。
 そうか、わたしは、もう。

「すて、られたんだ、なぁ…」

 体の自由が効かなかった。立ち上がることも、身じろぐことすらできない。
 ふざけんなよ、エレン。一回くらい、殴ってやりたかった。

 叩きつけられたような、バタンと激しい扉の開閉音がした。誰かが入ってくる。廊下いっぱいに広がる夕日が部屋の中にも差込んで、薄暗かったそこがわっと明るくなる。部屋に入ってきた人物は自由の翼を背負っていた。黒髪で、エレンではなかった。何も喋れず、ぼんやりとその人とグラン公爵が何か言い合っているのを眺めた。その人が、こちらに振り返る。見たことのない人だった。そのままわたしを小脇に抱えてグラン公爵に何かを言っていた。なんで、兵団の人間がわたしを抱えているんだろう。わたし、もう調査兵団に必要なくて、それで、売られたんでしょ?この人は、何をしているんだろう。部屋の中で少女たちが怯えたように隅に蹲っていた。グラン公爵はとても怒っているようだった。

「貴様!どうなるか分かっているんだろうな!!」

 廊下に出る。グラン公爵はわたしとその人に向かって最後、吐き捨てるように叫んだ。

「こんなことをして…許されると思うなよ!アッカーマン!!」

視界の端で、真っ赤なマフラーが靡いていた。






 部屋に戻ると、ものすごい形相のエレンが待っていた。舌も回らず、手も動かせず、わたしはアッカーマンと呼ばれたその人からエレンに人形のように受け渡される。

「何か薬を盛られたのかもしれない」

 エレンに抱きかかえられて、シーツを取り替えたばかりのベッドに寝かせられた。エレンは今までわたしが見たことがないような表情をしていた。怒っているようで、焦っているような、それでいて、安堵しているみたいな。なぜ、この人がここにいるんだろう。なぜ、わたしはここにいるんだろう。なぜまたこの部屋に連れてこられたのだろう。

「あのクソ野郎…ぜってえ許さねえ!ぶっ殺してやる!!」
「エレン、落ち着いて、もうじき憲兵団とエルヴィン団長がやって来る」
「落ち着いてられるかよ!!こんな怪我させられて!!わけのわからねえ薬まで盛られて!!あのクソ野郎が何しようとしてたか分かってんのか!?」
「怒るのはわかる。でも今はそのときじゃない。冷静になって」

 視線をずらして、エレンがマフラーを巻いた女性と言い合っているのを眺めた。エレンはかなり激昂していた。何に対して怒っているのか、誰に対して怒っているのか。それに女性がこれから憲兵団とエルヴィン団長が来る、と発したことも気になった。指一つ動かせず、何も喋れない状態ではあるが、かろうじて意識は明瞭だった。

「ふざけんな…ふざけんな!あの野郎!!クソッ!!!」
「…もう、すぐだから。あの男が拘束されれば尋問する時間なんていくらでもある」
「…はー、…わかってる、そうだよな、今じゃねえよな…、あの野郎に然るべき粛清をしてやるのは、今じゃねえ」

 ようやく落ち着いたらしいエレンが、また一言二言女性と言葉を交わした。その過程で、彼女があのミカサ・アッカーマンであることに気づいた。エレンの幼馴染のひとりで、リヴァイ兵長に次ぐ実力者。ファミリーネームは確かにアッカーマンだった。どうして彼女がこの屋敷にいるのだろう。疑問に思うことばかりだった。エレンが近づいてくる。もう二度とこいつの顔を拝むことはないだろうと思っていたのに、一体どういうことなのか。お前はわたしを売ったのだろう。なぜわたしはまだここにいるの?エレンは怒っているでもなく、呆れた顔でもなく、ひどく穏やかにわたしの頭を撫でた。

「ここから出るなって…あれだけ言っただろ…」

 瞬きひとつするのも億劫なほど、体が重かった。
 しばらくしてから屋敷の中が騒がしくなる。それを待っていたかのように、エレンに抱きかかえられて屋敷を出た。何故か屋敷の前には調査兵団の馬車が停まっていて、エレンは当たり前のようにそれに乗った。わたしとエレン、二人だけを乗せて馬車は動き出す。この馬車は、きっと調査兵団本部に向かことだろう。屋敷が遠ざかっていく。わたしはいったい、どこへ向かうのか。
 馬車での道中、エレンはずっとわたしをその長い腕の中に抱きかかえていた。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -