「イェーガー新兵、行きましょう」

 エレンが奪われることに口々に批難を漏らすお嬢様方には一切視線をやらず、わたしは急いでバルコニーへと彼を連れて向かった。外へ出ると、中のねっとりした空気とは打って変わって中々に冷たい夜風が頬を撫でた。振り返る。エレンはかなり間抜けな顔をしたまま、ぽかんとわたしを見ていた。それは、先ほどの獣のような金色ではない。

「エレン、大丈夫だった?なにもされてない?」
「えっ、あの、いや…だいじょうぶです」
「渡されたのあのグラスだけ?ほかに何か飲まされなかった?」
「はい、あれだけで…って、あんな一気に飲んで大丈夫だったんですか?」

 正直それについてはあまり大丈夫だとは言い難かったので、わたしはとにかく、とエレンの肩を掴む。わたしは何をこんなにエレンが心配なのだろうかと自分でもほとほと呆れてしまった。

「飲んじゃダメって言ったよね」
「すいません…」

 叱られた子犬のように眉尻を下げて申し訳ないと唇を噛むエレンには、わたしもはぁ、とため息を漏らすことしか出来ない。あれだけの娘たちに囲まれながら、寧ろあの一杯さえ断ろうと務めていたエレンは懸命なほうであると評価できるだろう。髪型が崩れないよう、いつもよりかなり優しい力でその頭を撫でてやり、エレンの手を握った。

「いや、エレンは悪くないよね、ごめん。むしろよく頑張った」
「えっ」
「今日のエレン、すごく可愛いし恰好いいから、彼女たちもほっとかないんだよ」

 言うとエレンはぽっとその頬を赤らめてから、わたしの手を握り返す。

「その言葉、そのままお返しします…、今日、ほんとうにすごく綺麗です」

 暗闇にぼんやり浮かんだ金色の瞳が、熱を孕んだようにこちらを見つめていた。ああ、綺麗だな。こんな綺麗でうつくしい子供が、巨人どもを殺し尽くすことを至上の目的としているだなんて考えられなかった。ごくん、と生唾を飲み込んだ。ひどく喉が渇いているような気がした。エレンの瞳を見つめていることができなくなって、視線を足元に落とした。繋がれている手からじわじわとダイレクトに熱が伝わってくるようで、慌ててその手を振り払う。暑い。外に出ているというのにやたらと暑かった。

「あの、大丈夫ですか…」

 今度はエレンからわたしの肩に触れてきた。直後びりっと何かが肩から足元にまで駆け降りたような感覚を覚えて、思わず悲鳴のような声を漏らしていた。漏らしてから、はっとする。自分の口元をばちんと押さえつつ、同じように目を丸くしたエレンと視線がかち合った。

「おい」

 エレンの肩を後ろから掴む手が見えた。彼の肩越しにこちらを見るリヴァイは、先ほどよりかなり疲れているように見えた。

「どうした」
「り、リヴァイがエレンから目を離すから…危ないところだったんだから」
「それは悪ィな。こちとらババァ共のお相手が忙しかったんだ。…おい、だからお前はどうしたって聞いてるだろ」

 心なしか、声も震えてしまっているようだった。リヴァイが覗き込むようにわたしの顔を見る。

「あ、俺に渡された飲み物、代わりに飲んでくれたんです…」

 おいエレン余計なことは言わんでいい!そんな叫びも声にすることはできず、わたしは近付いたリヴァイの吐息にひくりと肩を引きつらせた。わたし、いま物凄く間抜けな顔をしているんだろうな、と思った。まさかこんなにも即効性のものだったとは。リヴァイの冷たい手が額に当てがわれて、そのまま俯いていた顔を上げられる。彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「…とりあえずエルヴィンんとこ行ってからだ。どうする、馬車の中で待機してるか。それともどこか別室で男を呼んでやろうか」
「ハハハ、娼婦かよって…」
「ったくあれだけエレンに言っておいて、お前がこのザマかよ」
「たしかに、ね。はぁ…」

 暑い。ドレスを全部脱いでしまいたい。昔はこんな類の薬なんて屁でもなかったけれど、こうして毎日訓練に明け暮れる薬とは無縁の生活をしていると、これらが如何に有害であるかを身をもって知った。もうそろそろ地下街だけでなく、こうして貴族の間にも蔓延するこれらの薬品を規制なり何なりすべきではないだろうか。リヴァイに腕をとられて、そのまま彼の肩に回された。彼がチビのおかげで、思った以上にその体勢は楽だった。

「ま、待って下さい!」

 突然叫んだエレンの声音には、リヴァイと揃って肩を引きつらせた。エレンは瞳孔をかっ開いて、会場についたときナントカ伯爵とわたしに見せた、あの恐怖を覚えるような瞳をしていた。

「お、俺のせいでこんなことになっちゃったんですよね…」
「ああ?分かってんなら退け、エレン」

 エレンは何故かバルコニーの入り口で、こちらを通さんとばかりに立ち塞がっていた。何やっているんだ、この馬鹿は。普段の2割り増しで機嫌の悪いリヴァイのどすのきいた声には、エレンもぐっと堪えるように眉を寄せたが、それでも引き下がる気配は見せなかった。それどころかわたしの空いている腕をむんずと掴むと、まともに動くことさえできないわたしをずりずりと引きずってリヴァイから引き剥がしたのだった。あまりの突拍子のない行動に、とりあえず目をぱちくりと見開くことしかできない。リヴァイは珍しく間抜けな顔をしていた。

「えれん…?」
「おっ、俺がこの人を介抱しますからっ」

 叫ぶように宣言されて、よいしょーとその薄い肩に担がれた。アルコールが入っているせいか、薬による性的な欲求とは別に飲んだものが逆流してくる感覚を覚える。うっぷ、と口元を手で押さえるも、肩に担がれたわたしにはリヴァイの顔も、ましてやエレンの表情を窺うこともできなかった。

「おい、エレン。今のこいつ介抱するって意味分かって言ってんのか」

 まずい、と思って身近にあるエレンのお尻をパシンと叩いた。エレンはぎくりと背筋を伸ばしてから、「ええっと」と言葉を濁す。薬を盛られた女を介抱するだなんて、セックスで熱を発散させてやるという意味であることをわたしもエレンも理解して、リヴァイの言葉にイエスとは言わせられなかったのである。エレンもわたしの意図に気づいているものの、引き下がる気はないらしい。

「おれ…っ!」
「エレン」
「俺!!これでも医者の子なんですからねっ!!」

 言うや否や、ドレスを着てこんもり膨らんだわたしを担いだままエレンは走り出した。人一人を担ぎながらもこの全力疾走とは、いやはや日々の訓練の賜物であろうか。バルコニーから中庭に続く階段を飛び降りて、暫し手入れの行き届いた芝生の上を走る。そこはもう会場内のきらびやかな明かりは届いておらず、真っ白に輝く月明かりと、城の壁面のところどころ設置された小さな窓枠から漏れる室内の小さな明かりだけしかなかった。追いかけてくると思いきや、リヴァイはバルコニーから一歩も動くことはなく、エレンはしばらく走ったのちに馬鹿でかい城の裏手にまで回って足を止めた。わたしをおろすと、そのまま冷たい壁面に押し付ける。しかしこちらも既に薬が回っている所為で、既に正常な思考回路は働いてはいなかった。

「え、れん」

 我ながら情けない声だと思う。エレンに乱暴に顔を両手で包まれて、がっつくようにキスをされた。ぐいぐいと太ももの間に膝を割り込ませて、分厚いドレスの生地の上からそこを刺激されてはわたしも我慢の限界だった。ここ数週間でエレンはキスの仕方を大分学び、そして驚くほど上達させた。執拗に舌を吸い上げられて、口内を弄って(まさぐって)、大量の唾液を注ぎ込まれる。それを飲み込むしか選択肢のないわたしは必死にこくこくと喉を鳴らしながら嚥下するのに、その間もエレンはまるでこちらを労わる様子を微塵も感じさせないほど粘着質で激しいキスを施した。鼻息が荒い。でもたぶん、それはわたしも同じ。ようやく唇を開放されたかと思うと、そのまま獣のような荒々しさで鎖骨に吸い付かれた。正常な思考が働いていれば胸元の広く開いたこのドレスで隠すことのできない鎖骨に痕を残す行為など許すはずもなかったのだが、わたしもそしてエレンも理性なんていうものは当の昔にバルコニーに置き忘れてしまっていたのだった。膝が笑って立っていられなくなっても、足の間にエレンの膝が割り込んでいる所為で座り込むことすら許されない。寧ろその膝が上へ上へと押し付けるように持ち上げられるので、わたしはそこが屋外であることも忘れて声を漏らした。ぼんやり白い月を見つめた。ああ、ここ、外なんだっけ。耳の穴に舌をじゅぼじゅぼ差し込みながら、エレンは重いドレスのすそを持ち上げてチッと舌打ちを漏らした。「クソ、邪魔くせぇな…」だなんて普段よりずっとずっと低い声音で、まるっきり雄の声で、しかも耳元で囁かれてはたまらなかった。一体いつからわたしはこんな15歳の少年にここまで骨抜きにされてしまっていたのだろうか。ドレスを脱がされたところで、果たしてまたこれを同じように着込むことができるのだろうか、なんて思考はもうなかった。目を閉じる。ああ、もう、どっぷり快感に溺れてしまえばいい。ここが舞踏会の会場であることも、そこにわたしたちはお呼ばれされた身であるということも、今いるこの場所が柔らかいベッドもシーツも何もない屋外であるということも、全部忘れてしまえばいい。簡単だ、与えられる快楽に溺れてしまえばいいのである。面倒なことはあとで考えればいいや。エレンの指が背中のファスナーに伸ばされた。目を見開いた。

「(あ、やば)」

 エレンはもうほんものの獣のようにフーフーと鼻息を荒くしてわたしの肌を貪っている。ちょっと待ってエレン。やばいかも。

「エレン、」
「…はぁ、可愛いです、かわいいです、」
「エレン、き、いて!エレンっ」

 可愛い可愛いとだけ連呼して、エレンはまるでわたしの声を聞いていないようだった。震える両手では今のエレンを止めることなど到底不可能である。それどころか伸ばした手は勝手にエレンの背中に回されて、さらに体を密着させられた。うっ、と唇を噛む。やばい、やばいってばエレンさん!!!

「えれんっ!」
「だいじょうぶです、すっごく気持ちよくしてあげますからね…!ごめんなさい、つらいですよね、俺の所為で、ごめんなさい」
「ちがくて、エレン…、わたし」
「まってださい、でもやっぱりちょっとは慣らさないと…」
「ううぅ、まって、わたし、もうむり…」

 そこまで言って、エレンはやっとわたしの顔を見た。右手で口元を押さえる。でも限界だった。すぐにエレンに背中を向けて冷たい城の壁面を向いた。だめ、気持ち悪い。吐く。


 数分後、回収班・もといリヴァイがそこにやってきて、わたしは前回同様に彼に担がれて馬車に連れ戻されるのだった。



 自分がここまで下戸だとさすがにもう笑えてきてしまう。帰りの馬車の中でエレンの柔らかくない膝枕に頭を乗せ、はあああ、とため息をついた。エルヴィンはまた困ったように笑っているに違いない。エレンは心配そうに先ほどからわたしの頭を優しく撫でてくれていた。

「お前あれだけの酒でよく吐けるな」
「…うっさい」
「まあでも一緒に薬も吐き出せたのならよかったじゃないか」
「ううう…」

 戻した際に先ほどの薬も一緒になっていたようで、吐き終わったころ妙にすっきりとしたわたしにくすぶる熱の余韻は残っていなかった。ただ壊滅的に体が疲れ果てていて、わたしは今度リヴァイにエレンにされたのと同じように肩に担がれた。もう少し女性らしい扱いはしていただけないものかとは思ったが、それをこの男に期待するのは見当違いなのだろう。
 ちょうど話を付け終わったエルヴィンとも合流して、わたしたちはこうして帰りの馬車に揺られているのである。幸いエレンにドレスを脱がされる前だったので、多少着崩れはしていたが行為を察知されるほどではなかったと思う。ただ首元に数個付けられた鬱血痕は隠しようがなく、今はエレンの上着をかけてもらうことで一先ずリヴァイとエルヴィンの目に晒さぬよう努めている。アップにしていた髪の毛を下ろせばなんとか隠せるかもしれない。城に戻ったらすぐに髪の毛を解こうと決めて、わたしはまぶたを下ろした。

「それにしてもエレン、てめぇいい根性してんなァ」
「ひっ、す、すいません…でした」
「ん?何かあったのかい?」
「いや?エレンの野郎にはもう少し躾が必要だったってだけの話だ」

 それは先ほどわたしを拉致していったときの話だろうか。確かにリヴァイに歯向かっていくのは自殺するのと同義である気もするのだが。あのときのエレンは中々に肝が据わっていたように思える。あの瞳は、何者をも恐れぬ、獣の瞳だった。ちょうど、最初に見てわたしが恐怖した、あの瞳である。この子供は本当に心に獣を飼っているようだと思った。強い意志を揺ぎ無く燃やす、あの金色の瞳が、それでもわたしは好きなのである。わたしの頭を撫でるエレンの手がびくついたように引きつった。

「あんまりいじめないでよ、リヴァイ」
「あぁ゛?」
「中々見上げたものだったと思うよ、貴族のお嬢様方に囲まれてたエレンも」

 きっとあのままエレンを放置していても、彼はあの娘たちに流されることもなかっただろう。グラスを受け取ってもきっと口を付けなかったに違いない。しかしながら考えるより先に足が動いていたわたしは、どうやら自分が認知している以上にエレンのことが大切で、わたしよりずっと綺麗で、ずっと汚らわしい貴族の少女たちの手にエレンを渡したくないと考えてしまったのだ。はは、笑える。ハンジなら呼吸困難を起こすほどの傑作である。

「…もう二度と行きたくないな」

 ぽつりとつぶやけば、頭上から賛同する声が、横からはふんっ、という同意ともとれる偉そうな返答が、その隣からは乾いた笑い声が聞こえた。
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