目を閉じたその瞬間に夢の世界に飛び立てるとさえ思った。極力瞬きをせずに暗い廊下を這うようにして歩いた。自室まではあともうすこし。脳裏には洗いたてのシーツに包まって安眠を貪る自分の姿を思い描いた。
自分が納得できるまでその物事に没頭し、寝食を疎かにするのはわたしの良くない癖のひとつであると以前にも同期に注意された。理解はしていても早々その癖とやらを直せるはずも無く、わたしは昨日の夜から今日の明け方まで一晩中書庫に閉じこもって本を読み漁っていた。なんてことは無い、これまでの調査兵団の戦歴を調べていただけである。ただ、本を読んでいると面白いように時間があっという間に過ぎていくだけの話なのだ。そしてそんな無駄な徹夜が悪かったというわけではない。今日に開かれるパーティーに、自分が出席しなければならないということをすっかり忘れていたことが命運の尽きだった。パーティーというのも、兵団のお偉いさんやら王都のお偉いさん方が集まってやんややんやと豪勢な城で酒を飲み交わすだけのものである。調査兵団団長としてそのパーティーに出席を余儀なくされていたエルヴィン団長が、何故かわたしとリヴァイを引きずるようにしてその集まりに連行して行ったのだ。確かに人類最強と謳われるあの男を出席させるのは分からなくもないが、何故わたし?酒なんて大して飲めないし、何より自分よりも圧倒的に力量が下回るくせに身分的な理由でこちらがへこへこしなければならない豚共と一緒に同じ空間にいることが耐えられない。嫌だいやだと叫んだのに、悲しきかな、一際大きな舌打ちを漏らしたリヴァイにひょいと担がれて馬車に放り込まれたのが今日の夕方である。(ちなみに夕方までは通常通りの訓練が行われていた)ひくひくと引き攣った笑みを浮かべながら飲めもしない酒を何度も何度も喉に流し込み、耐え切れず部屋の隅で蹲っていたところをリヴァイに回収された。エルヴィン団長はまさかわたしが本当に酒に弱いとは思っていなかったようで、帰りの馬車の中で申し訳なさそうに謝罪の言葉を並べていた。こういった定期的に行われるパーティーと称された資金調達の算段を立てる集まりは、日頃から他の兵団よりも莫大な資金を必要とする調査兵団にとってはかなり重要なものだという。それに何故わたしを連れて行ったのかはエルヴィン団長の独断だったらしいのだが、次回からは絶対に断ろうと心に誓った。
そんなわけで一睡も睡眠をとらず、激しい訓練を行い、その後居心地の悪すぎるパーティー会場で強い酒を煽らざるを得なかったわたしの身体は限界だった。こうなると分かっていれば昨日徹夜なんてしなかったのに。団長とリヴァイと別れて、わたしはこうして自室を目指して這っているのである。
ただでさえ徹夜と訓練の所為で身体中が休息を求めているのに、アルコールが回ってそれは更に強くなっていた。寝たい。早く寝たい。明日は絶対に起きない。そう心に決めて廊下の角を曲がった瞬間だった。

「ふがっ」
「うわっ、すいませ、って…大丈夫ですか?」

衝撃を覚えてから、誰かにぶつかったのだということを認識した。頭上から降ってきた声と、腰に回された少し頼りない腕にはいやというほど覚えがあって、わたしは恐る恐る顔を上げた。

「えれん…なんでこんな時間にうろうろしてるの」

エレン・イェーガーは通常こんな時間であれば、とっくに地下の自室で手枷を嵌められて熟睡しているはずだ。それが何故。いぶかしげにエレンを睨んでいると、奴は何を思ったかふんふんとわたしの首元に顔を埋めて匂いを嗅ぎ始めた。そういうの、ミケだけで間に合ってるんですけど。

「なんかすごく…酒臭いんですけど」
「何も喋らんでいい、わたしの質問にだけ答えて。こんな時間になんで廊下をうろうろしているの?今夜の鍵を閉める当番は誰?」
「多分ハンジさんだと思うんですけど、いつまで経っても来ないので探しに来たんです」
「ハンジ…?なにやってんだ、あいつ…」

その瞬間何か凄く不吉な予感がした上に、待ち望んだ自室まで後一歩のところではあったが、彼をこの時間に一人でうろつかせておくわけにはいかない。仕方なしに泣く泣く自室から遠ざかるようにエレンを引き連れてハンジの部屋へ向かった。
ちなみに予感は的中していた。通常であれば怒りを覚えて足元の本を投げつけるくらいはしただろうが、そのときのわたしにそんな体力は勿論あるはずもなく、ただ目の前に広がる光景に絶句することしかできなかった。

「ハンジ…」
「…寝てますね」

知っていた。ハンジがものすごい徹夜魔であることは、大分前から知っていた。そしてここ数日彼女が徹夜続きで巨人の研究に没頭していたのも知っていた。ただ、今夜が彼女の唯一の休息日だということは知らなかった。荒地かと見紛うほど本や書類で荒れ果てた部屋の隅、ぐちゃぐちゃのベッドの中で彼女は丸まっていた。おいおい、勘弁してください。近づいてその肩を揺らすと、ハンジは不機嫌そうに目を薄く開けてこちらを見上げた。

「ん〜?なになに…」
「何じゃないわ。ハンジ、今日あんたがエレンの鍵の当番でしょ」
「…ぁれえ、そうだったっけ」
「ほら起きて!エレン待ってるから」
「…ふはぁ、おやすみ…、鍵はそこの机の上にあるから…」
「は!?ちょっと待ってハンジ!起きてよ!」
「頼んだ…貸しひとつってことで…」
「ハンジ!!」

ハンジはそのまますやあと穏やかな寝息を立て始め、本格的に夢の世界に飛びだってしまったようだった。静かな室内にはわたしが足元の書類を踏み締めた音が響く。たかが少年の手枷の鍵を閉めに地下室まで行くのを代わってやるということが、何をそんなに嫌がるであろうかと、第三者ならそんな疑問を抱くであろう。わたしだって本当にそれだけの動作で済むのなら、眠くて眠くて仕方ないこの身体に鞭打ってそのくらいは代わってやってもいい。貸しは勿論つくけれど。だけど、わたしにとって地下室に鍵を閉めにいくということは、その先にほぼ確実に今以上に体力を使わねばならない作業が待っているということなのだ。振り返ればエレンが子犬のように尻尾を振って嬉しそうにわたしを見ていた。ふざけんな15歳。勘弁してくれクソメガネ。確かに机の上には見慣れた例の鍵が置かれていて、それを持ち上げるととんでもないくらいの重量があるように感じられた。




「まてまてまてっ!エレン!待って!」

そしてやっぱり予測したとおりの展開に、わたしは最早涙すら浮かべた。頼みます寝かせてください。じゃらじゃらと鎖の音がひどく耳障りだった。まともに動けないことも手伝って、兵士として許されないほど簡単にエレンにマウントポジションを奪われてしまった。エレンは器用にも手枷に繋がる鎖でわたしの両手首を頭上で一纏めにまとめてから、にんまりと可愛らしい笑みを浮かべる。

「えへ…」
「えへじゃない!今日はほんと無理なの、ね!エレン!退こう!?」
「そんな…いつも無理無理いいながらめっちゃ気持ちよさそうじゃないですか…」
「うっせー!!とにかく退いて!腕外して」

分かっている。今のわたしにはエレンを突っぱねるほどの体力も、彼を説き伏せられるだけの言い訳も持ち合わせていない。こうなってしまえばいつも通りの展開に持っていかれることはほぼ間違いなかった。それでも体力が底をついているような状態で、アルコールが十二分に回ってしまっているわたしは一刻も早く自分のベッドで(ここ重要)睡眠を取りたかった。エレンはうきうきといった様子でわたしのシャツのボタンを外し始める。ついこの間まで女の匂いなど微塵も感じさせなかったこの少年が、何故こんな風になってしまったのか。まあ、半分くらいはわたしの所為でもあるけれど。
ともかくこの状況を打破するには、何とか彼を諦めさせられるような「今日はどうしても出来ない理由」を探さなければならなかった。

「お酒飲んでます?っていうか、パーティーはどうでした?」
「クソみたいなパーティーだったよっ、て!エレン今日は本当にやめて!」
「どうしてですか?」
「だから、その、…お酒飲んじゃったから、死ぬほど眠いの、寝ちゃうかもしんないよ?」
「なら目が覚めるくらいのを頑張りますね!」

言葉選びミスった。エレンはふんっと鼻息を荒くしてからいそいそとベルトに手をかけた。いかん。なんだかルートを短縮されている。どうすれば彼の行動を止めることが出来ようか、一瞬諦めかけたわたしの脳裏に一人の男の不機嫌そうな顔が思い浮かんだ。

「リヴァイ!」
「…え?」
「そうだ、そう、わたしリヴァイに呼ばれてたんだよ、いま!」
「…こんな時間にですか?」
「そう、今!」

やはりリヴァイの名前には、さすがのエレンも動きを止めた。おお、なんだかいい感触を掴んだかもしれない。やる気スイッチが入ってしまったエレンでも、リヴァイの名前には少し理性を取り戻したらしい。それでも突然の彼の名前が上がったことに対し、疑り深くわたしの瞳を見つめた。

「さっき別れるときにさ、今日のパーティーで喋ったお偉いさんの名前を確認するって言われてたんだー」
「…」
「行かないと不味いよなー、もしわたしが行けなかったのがエレンの所為だって知ったらリヴァイ怒るだろうなー」

万が一にでも、わたしがリヴァイにエレンとの関係を口にするはずもないのだが、目の前の少年を説き伏せるにはこれしかなかった。今わたしを解放しなければ、こっぴどく怒られるのはエレン、お前なのだよ、と。単純でそれでいてリヴァイに対してまだ恐怖心を捨てきれないでいるエレンは、わたしの今の言葉には少し考えるように唇を尖らせた。そうそう、その調子。また殴られるのはいやでしょう。飛びっきり優しい声でそう諭してやると、エレンは分かりました、と肩を竦めた。勝った!思わず顔が綻んだ。

「えれっ…」
「腕の一本くらいは我慢します!」
「…………―は?」

何を言われたのか、いまいちぴんとこなかった。

「今夜あなたをリヴァイ兵長に奪われるくらいなら、腕一本差し出します!」
「…いや、待って、エレン?」
「こんな時間に呼び出すだなんて目的はひとつしかありませんっ、兵長には渡したくないんです!」
「いや、誰しもエレンみたいに年中発情期じゃないのよ?そんでリヴァイは三十路だよ?そんな元気ないんじゃないかな…」
「そんなことありません!こんな顔真っ赤にして、大した抵抗も出来ないような今のあなたなんて抱いてくださいって言ってるようなもんですよ!」
「あの…、エレン…」
「明日仮に兵長に怒鳴られても、怒られて腕の一本くらい持っていかれるとしても、俺は今を譲りません!」

とにかく巨人をぶっ殺したいですみたいなそんな意気込みで言われても。わたしはもう控えていた続きの言い訳をも飲み込んでしまった。自分の腕とわたしを天秤にかけるなよとは思ったが、リヴァイが以前エレンの手足は蜥蜴のように生えてくるらしいとかなんとか言っていたのを思い出した。恐らく巨人の回復力を使うべきはこのタイミングではないだろう、と思う。そしてお前はどれだけしたいのだ、と、本気で万年発情期なのか、とそこまで思案してわたしは考えることを放棄することを選んだ。

もう明日は起きない。絶対に起きない。何があっても一日寝潰してやる。
わたしが大人しくなったのをいいことに、エレンは先ほどよりもふーふーと鼻息を荒くして服に手をかけた。そして自分もベルトをがちゃがちゃと外しながらいざ!みたいな空気を醸し出したくせに、突如その動きをぴたりと止めたらしく、諦めて瞼を下ろしていたわたしはいつまでも触れてこないエレンを不思議に思って目を開けた。エレンは先ほどまでのオスの表情をどこに忘れてきてしまったのか、悲しそうな、切なそうな、言葉には到底起こせないような表情でわたしを見下ろしていた。ベルトにかけていた右手をわたしの頬に当てる。温かい、子供体温の手のひらだった。

「…エレン?」
「本当ですよ。俺がもし腕を切り落とされるとしても、今のあなたを誰にも渡したくない」
「なに、急に」
「だからどこにも行かないで」

頭の上に手枷の鎖で雁字搦めにされていた両の手首が開放される。エレンは限られた狭い自由の中で、まるで縋りつくように必死にわたしを抱きこんだ。やばい寝そう。

「エレン…わたしの居場所はここにしかないんだよ、調査兵団で心臓を捧げると誓った、どこにも行かない。どこにも行かないから」
「…」
「だから、寝さして」
「…。それとこれは別です」
「…っち」

エレンはむくりと上体を起こすと、先に湛えていた可愛らしいような、しかしどこか獰猛な野生動物みたいな金色の目を光らせて笑っていた。こいつが仕掛けてくるあざと過ぎる様々なトラップはほとんどが演技といっても過言ではないだろうが、極稀に、ぽろりと15歳の少年の本音を漏らすことがある。多分、今がそのときだった。こいつはまだたったの15歳なんだな、ということを思い知らされる瞬間である。
だからその、わたしがあざとイェーガーに流されてしまうのも致し方ない話として片付けたいと思う。だって可愛いんだもん。
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