しとしとと降っていた雨は、いつの間にか強さを増し、先ほどから窓ガラスを五月蝿いほど叩いている。立て付けが悪いのか、建物自体が古い所為なのか、強い風が吹くたび、がたがたという物音がどこからともなく漏れる。そんな正十字学園男子寮、その一室。突然風の所為でもなく雨の所為でもない、どたーんというやたら大きな物音が響いた。

「よーす!」

唖然。その瞬間の燐を表すとすればその二文字しかありえなかった。突然開いた燐と雪男の部屋の扉、その奥にはラフなTシャツにショートパンツを身につけた見覚えのある少女が何故か枕を片手に仁王立ちしている。時刻は夜の9時を回った時頃。シャワーも済ませ、雪男がいないこの時間帯、課題に手をつけるわけでもなくひたすら自由を持て余していたところへの訪問者である。訪問者、神楽那は部屋の中をきょろきょろと見渡してから、もう一度よ、と片手を上げてどかどかと部屋に足を踏み入れた。ちょ、とか、は、とか言っている間にも神楽那は持っていた枕を雪男のベッドに放り投げ、扉を閉める。まったく状況が飲み込めない燐少年、我が物顔でベッドに座った少女を問い詰めた。

「ちょ、おい!お前いきなりなんなんだよ!つか今何時か分かってんのか?」
「はあ?まだ9時でしょ?」
「じゃなくて!いきなり何しにきたんだよ!」

一人慌てふためく燐に相反して、神楽那はいやになるほど冷静だ。ぽすんぽすん、と枕の位置を調整して神楽那は笑んだ。

「わたし、今日此処で寝るから」
「…は、ああああ!?」



今日は任務で夜帰って来れないかもしれないから、大人しくしてるんだよ、兄さん。数時間前の雪男の言葉である(まったく兄の自分をなんだと思っているのだと問いただしたくなるような言葉だ)。案の定、雪男は宣言どおりどうやら今日中に帰ることは難しいようで、先ほどその連絡を受けた燐はこの寮に来てはじめての一人の夜を過ごすはずだった。たった一人の寮、とだけあって僅かに不安もあったが、それより先に好奇心が勝った。今晩は課題をやれとしつこく言われもしない、夜更かししてもそれを注意する奴もいない。なんとなく、わくわくしたのである。そんな中、突然の豪雨とともに少女はやって来た。


「うちの寮さ、さっき雷落っこちちゃって電気つかないんだよねー。まあお風呂入ったあとでよかったけど。でもいつ電気復旧するかわかんないから来ちゃった」
「来ちゃったじゃねえよ!なんでここ!?つかルームメイトとかはどうしたんだよ!」
「わたしの部屋一人部屋だし、大体今日夜雪男いないんでしょ?ちょうどいいじゃん、あんたが何か問題起こさないかわたしが見張ってるよ」
「いやいやいや!」
「なにー?けちなやつねー別にいいじゃん、雪男帰ってこれなさそうなんでしょ?」

根本的にこの少女とは話がどこかずれている、燐は直感した。何故部屋の電気がつかなくなっただけでこの部屋にやってきたのか、むしろここをチョイスしたのかが燐にはわからない。大体自分は男であって神楽那は女であって。と、そこで燐は重要なことに気がついた。

「なら別にこの部屋じゃなくても、隣の部屋に行けよ、どうせ空いてるんだし」

途端に神楽那の表情が一変する。

「つかさー、あんたどんだけやなわけ、わたしがここにいること」
「いや、やだっつーか駄目だろ普通に考えて!」
「何が駄目だよ童貞野郎が。こんな雷びっかびかの嵐の夜に、古びたこの男子寮に一人で寝ろっていうの?」
「え、なに雷怖いの?」
「なわけないだろ!とにかく!あんたのお守り役も兼ねて今日はここで寝るから。異論は認めません」

びし、と顔の前に指をさされて、燐はそれ以上反論することをやめた。どうせ何を言っても同じだろうし、この少女に口論で勝てる気がしないのだ。神楽那は早速ベッドに寝そべって二人部屋ってなんか面白そう、なんて呟いた。

「んー雪男の匂いがするー」
「ぶっ」
「ていうか雪男もあんたのこと好きだよねー、こんな寮に二人っきりとかさ、どんだけ警戒してるんだろね」
「知らねーよ、つかお前他のやつにもこういうことしたりすんのか?」
「こういうことって?」
「だ、だからいきなり部屋来て泊めてとかいうの」

学園で会う神楽那はいつも気高くてびし、としているのに、こうしてベッドに寝転んでいる少女があまりにも無防備でどことなく緊張してしまう。目線を合わせられないでいる燐に、神楽那はにんまり微笑んでしないよ、と告げた。

「するわけないじゃん、雪男兄だから言ってみたの」
「は、」
「大体わたしそんなこといえるような友達そういないし。あ、ぼっちってわけじゃないから!勘違いしないでよ?」
「へーへー」

神楽那の口から漏れた友達、というワードに無意識に頬が緩んでしまう。燐はそんな口元を隠しながら、しかし今夜は安眠にありつけるのだろうか、という一抹の不安に駆られた。視線を少し正面にベッドに移すせば、思春期の自分と同じくらいの少女が薄っぺらいTシャツとズボンだけで寝転がっているのだ。シャワーを浴びたばかりなのか、少し湿っている黒い髪の毛にも、短いズボンから生える白い足にも、どくりと体中の血液が波打つ。それは自分も神楽那も年頃であるからであって、と無理やりに自分を納得させながら、燐は火照る顔を押さえた。そんな燐に気付いているのか、神楽那は先ほどから笑みを絶やさずににやにやと燐を見つめている。
と、燐の足元を漂う尻尾に視線が移る。そういえば悪魔の子なんだよなあ、と今更ながらに思案して神楽那は口を開いた。

「尻尾」
「へ?」
「なんか可愛いね、うようよしてて」
「あっ」

今になって尻尾を隠すことを忘れていたことに気付く燐だが、どうせ彼女は自分が悪魔の子であるということを知っている。それでもなんとはなしに尻尾を布団の中に隠すと、神楽那から非難の声が漏れた。

「なんで隠すの?」
「別にいいだろ、見せもんじゃねえんだよ」
「えー」

言いつつも、まったく残念そうなそぶりを見せない神楽那にため息が漏れる。はっきり言ってこんな罵声ばかり吐く少女であっても、今の格好は目に毒としか言いようが無い。まだ早い時間ではあるが寝てしまおうか、燐が本格的にベッドに寝そべると、神楽那はわざわざ燐の真正面に体を向けて、その視線をぶつける。燐は目を一度丸くし見開いてから、慌てて神楽那に背を向けた。少しとがった耳はりんごのように真っ赤である。それがおかしくて、小さく笑い声を漏らすとすぐさま早く寝ろよ!、という燐の声が飛んできた。

「なんか面白いね」
「面白かねーよ、早く寝てくれまじで」
「なになに。奥村くんはもしかして年頃の女の子と同じ部屋で寝るのに緊張しちゃってる感じですかね?大丈夫、わたし顔に童貞って書いてあるようなやつとはしないから」
「どういう意味だコラァ!」

やけになって起き上がると、正面ににやにや笑う神楽那に顔があって、そしてついでに無防備に晒される生足と白い首筋まで見えて、燐はまたしても言葉を飲み込んだ。こりゃあまじでやばい目に毒過ぎる。どっどっ、と五月蝿い心臓を押さえつけて、燐はひたすら神楽那に吐かれた罵声の数々を思い出した。こいつは女じゃねえ女じゃねえあんだけのパン一人で食っちまうようなやつだ大丈夫落ち着け俺。ぶつぶつ唱えながらまた背を向ける燐に、神楽那はつまんないのーと毛布をかぶった。

「早いけどもう寝ちゃう?」
「お、おう」
「そ、んじゃ電気消してねおやすみ」

持ってきた愛用の枕に頭を沈め、漸く静かになった神楽那に、燐は再び大きなため息をついた。

「なにため息ついてんだよ」
「えっ」
「もー寝るだけなんだからそんな意識しないでよね、こっちまで恥ずかしくなってきちゃうから」

寝るだけだからこそ緊張するんだよ、という言葉を飲み込んで、燐は大人しく部屋の電気を落とした。しかし思春期少年、暗闇の中で聞こえる僅かな布の擦れる音にさえ、大きく反応してしまう。雪男だと思えば大丈夫、なんて言い聞かせてみるが暗闇になった分、先ほどの神楽那の姿を思い浮かべてしまってまったく睡魔がやってこない。寧ろ目が冴える一方だ。今夜は一睡もできそうにない、と途方に暮れる燐に、ふと、暗闇の中から声が聞こえた。

「ねえ」
「!、な、なんだよ」
「雪男が祓魔師だって分かった時、どんな感じだった?雪男もあんたも」


突然の思いもよらぬ神楽那の言葉に、燐は思わず眉をしかめる。しかし神楽那の声音にいつもの少しふざけたようなものは一切含まれていない。顔が見えない分、何を考えているのかすら分からない状況下で、燐はとりあえず塾でのあの一場面を思い出した。
自分に向けられる銃口。初めて見る弟の真剣な表情。無意識に表情が強張った。

「死んでくれって、言われたよ」
「…」
「まあそのあとは兄弟喧嘩って感じで無事に終わったけどよ」
「…そう」


何故そんなことを聞いてきたのか、逆に聞き返そうとも思ったが、それが口から音になって出ることはなかった。暗闇に目が慣れてきた頃、雪男のベッドに膨らむ布団の塊が僅かに身じろぎをした。

「おやすみ、燐」

それを最後に、部屋には静寂が訪れた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -