「おー雪男兄じゃん」

いっそ鬱陶しいほどさんさんと降り注ぐ太陽の光と共に降ってきた声音はつい最近聞いたばかりのものである。先ほど昼食のパン争奪戦(アット購買部)にて、死力を尽くしながらも、何一つ食料を手に入れることの出来なかった燐は、唸り声を上げる腹の虫の音をBGMに中庭のベンチで昼休みの時間を潰していたところであった。正直何も食べずに午後の授業を受けるのは辛い、どうしたものかと途方に暮れていた燐の目に映ったのは、先日その姿を初めて目にしたばかりの、月本神楽那である。いや、正しく言えば、その少女の持っているぱんぱんに膨れた紙袋に、燐は視線を奪われた。先ほど死闘に破れ、手に入れることの出来なかった購買部のパンがこれでもかというほどその袋に詰め込まれていたのである。神楽那は昼休みだというのに弁当もパンも手にしていない燐を見てにやり、と笑みを浮かべるとその隣にどっかり腰を下ろした。

「どう?学校と塾、慣れた?」
「…お、おう」

初対面であれほど罵声を浴びせられた所為か、他愛無い神楽那の会話に思わず身構える燐。あれから初めて会うのだから身構えてしまう燐の反応は正しいといえるだろう。寧ろ神楽那が何事も無かったかのように振舞いすぎなのだ。まさかこの少女に開口一番罵詈雑言を浴びせられるとは思わなかった数日前の自分。明らかに自分に対して嫌悪を抱いているように見えた神楽那は、あまりにも燐に対して自然だった。まるで昔からの友人にかけるようなその言葉に、驚愕半分、どこかむず痒さを覚える。幼い頃から腫れ物扱いされてきた燐が、当たり前のようにこうして女性と言葉を交わすのは、なるほど経験の少ない事象なのだ。

「な、なんか変な感じする」
「は?」
「お前、俺のこと嫌いだったんじゃねえのかよ」

素直、いや純粋とは時に罪である。自分の脳裏に浮かんだ疑問をそのまま音にすれば、正面の少女の表情がみるみるうちに強張っていく。それは嫌悪というよりかは、どちらかといえばお前馬鹿じゃねえの?と言いたげな表情である。

「はあ?なにそれわたしいつそんなこと言った?」
「いやいや、だって初対面であんなこと言ってきたくせに」
「挨拶よ挨拶!大体雪男兄が人の話真面目に聞かないし、歩きながらパンなんか食ってるからでしょ、ばっかじゃないの。そういう悲劇のヒロイン思考やめろって言ったじゃん」
「…、」
「大体まだ会って二回目なのにどこにわたしがあんたを嫌いになる要素があるわけ?」
「や、…その、それならいいんだけどよ」

またしても罵倒されつつ、しかし自分の言葉を否定してもらってなんとなく嬉しいような恥ずかしいような。神楽那はまったく、とぷりぷり小言を漏らしながら、紙袋の中からひとつパンを取り出した。途端、超絶空腹状態の燐の視線はそのパンに奪われる。しかしこの女、食料を持たない自分の前で堂々と食事する気なのだろうか。

「ていうかそのパン、どうしたんだよ、やばくね?量」
「どうしたって購買部で買ったんだけど」
「はああ!?嘘だろそんなに!?…はっ、まさかお前4時限目出ないでスタンバってたな!?」
「はあ?何言ってんの、授業サボるわけないでしょ。普通に買ってきただけだって言ってるじゃん」
「いやいやいや!あの戦場でそんな量買えるわけねえ!」

先ほど自分が戦地に赴いたことからも、燐にはたった一人がこんなにも大量のパンを買える筈が無いことを身をもって知っている。寧ろ授業終了後全力疾走で購買部に向かっても、無事パンを購入できる確証はないのだ。信じられない、という視線をぶつける燐に神楽那は焼きそばパンをぱくりと一口齧って、肩を竦めた。

「ちょっとーわたしのこと見くびらないでよ?わたし祓魔師だよ?」
「関係ねえだろ!」
「ありありだから!」
「…ど、どうやって手に入れたんだよ」
「祓魔師だから」
「…」

回答にはなっていない神楽那の言葉に何故か戦慄を覚えざるを得ない奥村燐である。一体どうやって手に入れたかは定かではないものの、忘れてはならない、燐はこの昼休み時、何も食べるものを所持していないのである。ぐううう、と間抜けな音が燐の腹から響く。神楽那はにやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ぴらぴらと焼きそばパンを燐に見せ付ける。

「ドヤ顔やめろうぜえ!」
「ははーん。なるほど。雪男兄はあの争奪戦に負けて何も食べるものがないわけねえ」
「つーかお前その量一人で食うのかよ!」
「あったりまえでしょ!だから買ったんだから」
「…」

ゆうに10個はあるパンをこの線の細い少女が全てたいらげるというのか。俄かに信じられない話ではあるが、とにかく燐の空腹は人の食事風景を眺めていても満たされることは無い。またもぐう、と唸る腹の虫の音に、燐はがっくり項垂れるほかない。と、頭に衝撃。何かが膝の上に落下する。

「一個なら恵んであげるよ」
「…ぉおおおお!まじでか!」
「これからは月本様とお呼び」
「サンキュー!はー助かったぜー」

手にしたのはカレーパンである。わりとサイズの大きなものだ。さすがに空腹状態の燐を目の前に一人食べることを躊躇われたのだろう。神楽那は最後の一口の焼きそばパンを嚥下し、紙袋から今度はメロンパンを取り出した。

「ていうかさー雪男兄、雪男よりちっちゃいんだし、ちゃんと食べなきゃ差つけられるんじゃないの?」
「う、うるせー!あいつが俺よりでかいのも今のうちだけだかんな!」
「そーかなあー、雪男はわりとしっかりとした体してっけど、あんた結構ガリちょだし」
「んなことねえよ!」
「あるね。大体胴うっすいし!」
「あ?」

ぺたり。神楽那の白い手がいつのまにか燐の胸板に当てられている。

「ほらー胸板うっす!なに、草食系男子目指してんの?男はややマッチョじゃないともてないよー?」
「や、…ちょ、おま」

ぺたぺたぺたぺた、燐の体を這う神楽那の白い手。肩も華奢だよねーとか言いながら肩を掴んでくるのだから、燐は思わず赤面する。神楽那に一ミクロンもそんな意図がなくとも、年頃の女子に体を触られる男子、という図には変わりはないのだ。みるみる顔を赤くする燐に、神楽那は何赤くなってんのキモイ、と最後鳩尾を軽く叩いた。

「あんたの体がひょろいって話でしょー?」
「だったら変なことすんなよ!」
「はああ?変なことって…ちょ、馬鹿じゃないの!変態!」

漸く燐の言いたいことを理解したのか、こちらも顔を真っ赤にする神楽那。その様子が普段からは想像もできないもので、燐はどこかでうっすら、可愛い、なんて思案した。途端、額に衝撃。でこピンにしては威力が強すぎると、額を押さえる燐は神楽那の手がすっかり自分から離れていることに違和感を感じた。あれ、今こいつなにででこピンしてきたんだ?今でこピンしてきたのなら、まだ目の前に少女の指があってもおかしくないはずのなのに、神楽那はすっかり立ち上がっていて、両手で紙袋を抱えている。今のは何だったのだろうか、と燐が疑問に思うより早く神楽那は踵を返した。

「チビ!」
「な、少なくともお前よりはでけえっつうの!」
「チービ!」

捨て台詞のようにそう吐いて消えた神楽那の後姿を、燐はパンをむさぼりながら見つめた。


不思議な少女である。しかし少女といる時間はどこか居心地がいい。気がする。カレーパンを完食し終える頃、そういえば結局雪男兄と呼ばれていることに気がついた。
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