夜が明ける。東からゆっくりゆっくり姿を見せる太陽の、その光線のような眩い朝日は屋上の上にも勿論降り注いだ。

「おい、神楽那、大丈夫かよ!」

はっとした。わき腹からだらだらと血を溢れさせる燐が、こちらを心配そうに見下ろしている。どちらかといえば、その台詞は神楽那のものであるような気がする。出血し、明らかに怪我の度合いが重いのは燐の方なのだ。なんとか立ち上がり、その傷に触れようとすると、燐はすぐに二歩ほど後退して、大丈夫だよ、とシャツを捲った。
線の薄いその腹に刻まれた傷は、音を立てながら自己再生していた。傷は既にほとんど塞がりかけていたのである。雪男の信じられない、といった声音に、燐は自嘲気味にその傷を眺めた。

「元々怪我治んの早かったけど、いよいよほんとのバケモンだな…」

諦めかけたような、僅かに口元に湛えられた笑みに、神楽那は嫌悪感しか抱かなかった。立ち上がり、その傷を観察するように見つめた神楽那は、そんな燐の肩を痛いくらい叩いて、笑った。

「そういうのやめてって言ったじゃん」
「え?」
「燐、あんたはヒトでしょ。なんでそういう悲しいこと言うの?」

あんたにヒトとして生きてほしいと願った人がいたこと、忘れちゃ駄目だよ。
いつもの理不尽に切れる神楽那ではない、諭すようにほんの僅か笑みを覗かせたその言葉に、燐は脳裏にある人物を蘇らせていた。もういない、自分にヒトとして、生きてほしいと願った人。じくり、と心臓が痛んだ。
一瞬の静寂の後、屋上の扉が勢いよく開かれる。


「雪ちゃん!燐!…え、神楽那ちゃんまで!」

雪男の後を追ってなんとか屋上に辿り着いたしえみである。彼女はまず神楽那がいることに目を丸くし、その後、燐のその傷に表情を変えた。慌てて応急処置を始める少女は、その処置を施しながら、ある決意を胸に抱く。それを知る由もない神楽那は、そんな彼らを見届けてゆっくり屋上を後にした。





1時間後、医務室。医工騎士でもある雪男に、ぐるぐると包帯を右腕に巻かれる神楽那がそこにいた。先ほどの戦闘で神楽那は右腕を負傷した。打撲である。そう重症のものでもないものの、利き腕を使えなくなったのは随分と痛手だ。そんな自身の右腕を不満そうに眺める神楽那を見つめ、雪男は静かに口を開いた。

「神楽那さん、」
「なに?」

白く細い腕に、何重にも包帯を巻いた。雪男は処置が終わってもなお、その右腕を離さなかった。

「やっぱり、僕達の寮からは離れた方がいいと、思うんです」
「…なんで?」

突拍子もない雪男のその言葉に、神楽那は純粋な疑問符を浮かべるほかない。しかし神楽那が考えている以上に、雪男の表情は深刻さを帯びていく。一体何の話がしたいのか、首をかしげ、神楽那は雪男の言葉を待った。

「…今回のこともそうでしたけど、いくら学園内が安全とはいえ、こうして悪魔が兄さんを狙っていつ何時襲ってくるか、分かりません」
「…確かに。でもだったら尚さらわたしは雪男の傍にいて、援護したいと思ってる。メフィストにもそう言われたし」
「それが良くないんです」
「…?」
「さっきの屍(グール)、神楽那さんを見つけた瞬間、まるで僕の存在を忘れたように神楽那さんに向かっていっていました。…分かりますか?神楽那さん、貴方は普通の祓魔師以上に、いや、兄さんと同じレベルで悪魔に狙われている。その標的にされているんです。それを分かっていて、わざわざ神楽那さんをそんな危険な環境に置いておく意味はありません」

じ、と至近距離で、そのレンズの奥の瞳が神楽那を見つめた。
確かに正論である。神楽那もそれは分かっていた。この体質は悪魔を引きつけてしまう、それは先日メフィストにもいやというほど聞かされた話である。けれど神楽那が祓魔師であるということもまた事実だ。どんなに危険であろうと、尻尾を巻いて温室に逃げることが許されるはずがない。そんなこと、神楽那は勿論こちらから願い下げだった。悪魔が自分を狙っているのならば、こちらも正面から戦ってやる、それが彼女の意志だった。神楽那には、どうも雪男の言葉が心配のそれではなく、自分の祓魔師としての能力を否定されているように感じられたのである。
むっとして、思わず神楽那は反論の言葉を唱えていた。

「そんなの分かってる。でもわたし、祓魔師なんだよ、悪魔が狙うのならこっちから戦ってやる。危険に晒されてるなんて、わたしだけじゃない、祓魔師は、」
「神楽那さん、貴方は事態を軽視し過ぎです。神楽那さんの体は神楽那さんが考えている以上に悪魔を引き付けてしまう。それがどんなに危険なことか…」
「だから力を付けて祓魔師になったんでしょ…、わたしを舐めないでよ…!」

むきになって反論を続ける神楽那は、つかまれていた右腕を強引に振りほどいて、雪男を睨んだ。雪男も雪男で火が点いてしまったのか、いつもなら神楽那の言葉にそう反論することはないのに、そのときばかりは違った。

「力と言ったって、貴方のそれは悪魔を憑依させる戦い方だ、通常以上に用心が必要なのに神楽那さんの戦い方は更に悪魔を引き付けているようなものです」
「そんなの…!」
「だから神楽那さんの戦闘には、詠唱騎士のように、貴方を援護する、悪魔の気を引きつける祓魔師が必ず必要であることを知っているでしょう。貴方一人で向かえばそれこそ悪魔の良い餌だ。もう少し神楽那さんは自分のことを、」
「…っ、人を、」

雪男の言葉が頭の中で反響する。今まで目を瞑っていた弱点を、全て突きつけられたようで、そしてまたそれが正論で、神楽那は唇を噛んだ。
祓魔師になったときから、いや、このベリアルの力が明らかになってから、ずっと思っていた。それは心の奥深くにずっと眠っていた感情である。何故、自分はこんな不利な体質を持っているのだろう。何故、自分ひとりでは何も出来ないのだろう。それを嘆いた時、手を差し伸べてくれた人物がいたことを、神楽那は今まで一度も忘れたことがなかった。

「…人を半人前扱いしないでよ!!」
「僕はただ、」
「ただ、何?そうやって人のことを見下して!わたしだって祓魔師なんだから!わたしだって戦える!!なんでわたしを一人前に見ないんだよっ!!」

悔しい悔しい悔しい。それは自分で自覚していたことで、そして目を背けていたことだから、余計に悔しかった。立ち上がって、思い切り雪男を睨みつける。それから勢い良く踵を返し、乱暴に医務室のドアをあけた。

「雪男のばーか!!ホクロメガネ!!言われなくても出てってやる!!」

捨て台詞を吐き捨て、神楽那は医務室を飛び出した。
雪男なんて、持ってる眼鏡全部踏み壊されればいいんだ。体中ホクロだらけになればいいんだ。ふざけんな、馬鹿、眼鏡。ホクロ。

散々心中で暴言を吐き散らしたあと、じんわりと喉の奥が熱くなったことを、神楽那は無視した。
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