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「律、今からカラオケ行くんだ。一緒に行こうぜ」

ホームルームが終わって、当たり前の放課後だった。当たり前すぎて、懐かしくなるほどだった。

「う〜ん……行きたいんだけど、母さんが寄り道するなってうるさくて」

律はちょっと困ったように笑って、肩をすくめた。

「門限6時って本当か?今時小学生だって6時はないだろ」

「まあ、そうなんだけどね」

高校生にもなって門限6時は律もどうかと思う。夏なんて6時はまだまだ明るいし、友達同士の付き合いもあるのに、母は決して許そうとはしない。女子のクラスメートだって6時の門限などいないだろう。

「ごめん!家に来てもらうぶんは母さんも煩く言わないから、また遊びに来て」

とにかく母は律を目の届く範囲に置いておきたくて仕方がないのだ。
律は平凡な外見で中肉中背の何処にでもいる高校生だ。家も大富豪というわけでもない、ただのサラリーマン家庭だ。誘拐されるリスクが高いわけでもない。

それでも母は律が学校に行くことさえ嫌がるのだ。

どうかしているとは思うが、だが気持ちは分からなくもない。煩わしいと思っているが、我慢しなくてはならないとも思っている。
端から見ると母は少し異常に見えるだろう。何をそんなに心配しているのだろうと。
でも律を取り巻く状況を聞けば、皆ため息をついてそれ以上は言わなくなるだろう。
こんな束縛は今に始まった話でもなかった。


律は両親と現在三人家族だが、元々はそうではなかった。
律には昔は兄と妹がいた。仲のいい兄弟だったと思う。もう昔のことなので、薄情にもそう記憶しているに過ぎない。それほど覚えていないのだ。

ただ、覚えていることは何でもない日常の中、突然妹が消え失えたことだった。

誘拐でもなくほんの数分間目を離した隙にだ。

当時両親は半狂乱になって探したが、身代金の要求もなく、誘拐と疑い警察も捜査したが妹の行方は何も掴めなかった。そもそも律の家は中流階級を絵にかいたような平凡な家庭で、営利目的で誘拐されるような裕福な家庭ではなかった。そして他人に恨みを買うような覚えもない。

結局、妹は発見されなかった。

それは律が七歳の頃だった。悲しいとも何も、不思議と思わなかった。
それからまた二年が経って妹の生存を誰もが絶望視した頃、兄が消えたのだ。妹と同じように忽然と。

当然兄も捜索されたが、一度目は偶然でも、二度も同じように幼い兄弟が消えれば、同情よりも、奇異に映るらしい。

両親が妹や兄に危害を加え、殺したのではないかと、心ない噂さえ流れた。
勿論律は両親がそんなことするはずかないと分かっていた。悲しみにくれる両親を見ていたからだ。
兄弟が消えた時律は二度ともその場所にいたのに、どうやって二人が消えたのか何も分からないし、その時の記憶すらないのだ。誰に聞かれても、ただ覚えていないとしか答えられなかった。

そして妹と兄が消えてから、母の監視が始まった。今は学校に行かせてもらえるだけでもありがたいと思う。兄がいなくなってから小学校には一度も行っていなかった。九歳の頃だったから、三年くらいは家から一歩も出なかったのだろう。常に母の監視の目があった。律まで消えて無くならない様に、ただその思いからだったと思う。父もそんな異常な母に、二人の子どもを無くした立場は同様で、何も言えなかったようだ。

母と二人きりだったら我慢できなかったかもしれないが、拓人がいた。拓人は隣の家に住む律より二つ年下の少年だった。酷く病弱でほとんど学校には通っていなかった。だが律にとっては唯一の遊び相手だった。

拓人が病弱なので、あまり激しい遊びはできなかったが、相手がいるだけで違った。母も拓人が遊びに来ることだけは許し、両親と拓人と、あまりに狭い世界の中で律は幼少を過ごした。

しかし律の少年時代の唯一の友達だった拓人の顔を、律は覚えていない。一緒に過ごしたことは覚えているのに、霞みがかって鮮明に描くことができなかった。兄や妹のことを覚えていないのと同様、誰よりも一緒にいて過ごした友人の顔すら覚えていないというのは余りにも薄情だろうと、律自身ですら思う。だがあまりにも日常とかけ離れた生活をしていたせいだろうか、律はほとんど幼い頃の記憶はないのだ。一緒に過ごしたという記憶があるのに、大切な友達だったという記憶も確かにあるのに、顔すら覚えていない。
思い出そうと、もう一度会ってその顔を確かめたいと思っても、もう彼はいない。兄や妹と同じように消えてしまったのだ。

三度目だった。拓人の両親は律の母を責め、律の一家は好奇の目と、心ない中傷に曝されその地を去った。

拓人もまた律と一緒にいる時に消え去ったのだ。あの頃しばらくは律も自分といる人間は、皆いなくなってしまうのではと恐怖に怯えた。

だがそれ以降律の周りの人が神隠しのようにいなくなることはなかった。
ただ母の束縛はおさまらない。たった一人残った息子だから仕方がないかな、と諦めはいるが。

もし律までいなくなったら母はどうなるのだろうかと思う時がある。
馬鹿馬鹿しいとは思うが、何時もふとした瞬間に思うことがあるのだ。
ここは自分のいる場所ではないのかもしれないと。

どうしてだか、何時も違和感を感じながら生きていた。でもそんなことは間違っても言えない。

母が悲しむから。
自分が不幸だとは思ったことはないし、過去を吹聴して回る気もなかった。このクラスメイトの友人も当然ながら律の家庭の事情は知らない。だからただ過保護な母親がいるとくらいにしか思っていないだろう。
でもそれで良かった。ただ、律は平凡な毎日を愛し、もう二度と誰も自分の世界からいなくならないことを望んでいただけだった。

だからまさか、自分こそがこの世界からいなくなるなんてことは、想像もしていなかった。


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