「結婚をして欲しいんです」
リーナは何を言われたか理解が出来なかった。
「ジゼリア様? 私はとうに結婚をし」
「離婚すれば良い」
リーナは早くに両親を無くし、親戚が進めるまま結婚をし実家を継いだ。
騎士になろうと思ったこともあったが領地を放っておくわけにもいかず、成人になってすぐに結婚をし妻と平凡に暮らしていた。
そんなリーナにとって、王宮主宰の夜会の出席は貴族の義務であり、数少ない社交の場であった。王都にいることは少なく、普段は領地にいた。従って、この公爵家の出の男ジゼリアと会ったのは、今夜の夜会が初めてだった。
つい先ほど会ったばかりの男に求婚をされ、リーナが独身なら考える余地はあっただろうが、とうに結婚している。しかし目の前の男はそんなことを問題にもしていなかった。
いや、後で考えれば妻の事をこれ以上ないほど憎んでいたのだろう。しかし、結婚しているからジゼリアと結婚できないと言う余りにも当たり前のことを、何の障害にもしていなかったのだ。
「そんなことっ……できるはずもありません」
「何故? 離婚の手続きは俺がやろう。問題ない。すぐにでもできる」
リーナが結婚したのはもう4年も前だ。結婚してすぐなら性の不一致などで離婚が通ることがあるのも知っている。しかし、4年も円満な結婚生活を送っていたリーナたち夫妻の離婚の申請が通るはずもない。しかし、王家よりも力があるといわれる一族だ。不可能を可能に出来たとしても不思議ではない。
「結婚しているから貴方と結婚できないわけじゃない。貴方を愛していないから……妻を捨てることなんかできません」
ほんの少し前に出会ったばかりでまともな会話はいましたばかりの相手と、どうして連れ添った妻を捨てて結婚できるというのか。それが通ると思っているジゼリアのことが同じ人間とは思えなかった。
「妻を捨てれないのならそれでも良い。俺がその男を処分しよう。そのほうが簡単で良いだろう? 面倒な離婚手続きもなく、邪魔な男も始末できて一石二鳥だ。俺の運命の貴方を奪った男だ。楽には死なせないけど、それで良いかな? リーナ」
「っ……」
ジゼリアは、離婚をするか、それとも妻を殺すかどちらが良いと暗に選択をリーナに迫っていた。どちらも無理だ。
だがリーナが黙っていたら、ジゼリアは妻を殺すかもしれない。ジゼリアにはリーナと結婚しないと言う選択肢は無いのだ。このまま簡単に逃がすような事を許してはくれない。
「お願いです……余りにも急なことで…少し考える時間を下さい」
「考えたところで、俺の妻になるという未来しかないことは分かっているな?」
「………っ、は、い」
「そうか……なら三日だけ時間をあげよう。迎えに行くから、妻の死か離婚か、それまでに選んでおくんだ。良いね、リーナ?」
三日……それがジゼリアにとって長いのか短いのか分からないがリーナにとっては余りにも短い時間だった。
つい数時間前まで田舎の領地に住む平凡な貴族だったのに。ジゼリアに愛さえしなければこれからも妻と、いずれ生まれたかもしれない子どもと、平和に暮らして死んでいっただろう。
「誰か……」
誰か助けてくれないかと縋りたかった。
憲兵隊に助けを求めたとしても、まだジゼリアは何もしていない。憲兵隊も動きようが無い。相手は大貴族なのだ。脅されたという証拠も無い。
陛下に助けを求めたとしても、お目どおりもかなわないだろう。王家も公爵家と事を構えたくないはずだ。
なら公爵家の方に、ジゼリアを諌めてもらうしかない。
当主のアンリ様にお願いするしかなかった。
しかしリーナ程度では公爵アンリは直接会う事はかなわず、何度も嘆願をしてようやく会えたのは、ジゼリアの従兄弟でもあるアンリの次男ユーリだった。
「お願いします、ユーリ様。ジゼリア様は、私が妻と離婚しなければ妻を殺すと脅迫をしてきました。どうか、ジゼリア様を止めてください」
「……離婚をすれば良いじゃないか?」
しかしユーリ様は、私が何を問題にしているかわからないといった態度だった。
「妻と別れたくないから、こうしてお願いをっ」
「ジゼリアも、離婚をすれば細君を殺さないと譲歩しているのに、何を我がままを言っているんだ? そんなくだらない事のために、俺の時間を無駄に費やしたのか? 馬鹿馬鹿しい」
公明正大な方だと噂には聞いていたのに、ユーリ様は酷く冷淡だった。
「いずれ父の跡を継ぐのだからこれも仕事だと思って時間を作ったが、本当に時間の無駄だった。良いか? 俺にとって、君よりも一族の人間の幸せのほうが遥に大事だし、ジゼリアは従兄弟だ。同じ一族の人間として、愛する人と無理矢理引き離したら何をしでかすか分からないのはよく分かっているし、魔力が高いからこそ自暴自棄になれば、どうなるか誰にも分からない。だからこそ、陛下ですら公爵家に人間のやることには口は出さない。自暴自棄になって国ごと破壊されかねないと思っているからな。だからこそ、うちの家系では一族の男をを抑えることよりも他の人間に我慢してもらうことになっているんだ」
理屈は分からないでもなかった。
親戚の人間に我慢を強いて、何をしでかすか分からない男を見張っているよりも、弱い人間を犠牲にしたほうが簡単だ。
この場合は犠牲になるのはリーナであって、大事な親戚のジゼリアではない。
「ジゼリアはよく我慢している。俺だったら、クライスに妻がいたら……殺す? いいや、生まれてこなかったことにする」
無駄だった。出来ることはすべてしたのに、リーナくらいの人間に出来ることはもう無い。
大人しく離婚を申請して、ジゼリアの元に嫁ぐことが一番妻にとっても良いだろう。リーナが我慢すれば妻は死なずに済む。
頭のおかしい一族の男に嫁ぐだけの話だ。
三日の期限の前に、リーナは妻に全てを正直に話した。離婚しなければ殺されるだろうということを。内緒にしておくことはできない。妻に非があって離縁するのではなく、どうしようもないことだということを知らないままでは、酷く傷つくだろうからだ。
「すまない…私も出来るだけのことはしたが。もうどうしようもないんだ。君を守るためには離婚するしかない。力の無い私を恨んでくれて良い。出来れば、次に良い縁があるように頼んでみるから……」
妻はジゼリアにとって邪魔な存在だろう。だが良い縁をといえば、喜んで誰かを宛がってくれるだろう。リーナの前妻ではなく、誰かの妻になったほうがジゼリアにとっても都合がいいはずだ。
「リーナ……僕のためにしたくもない結婚をするの? 愛しても無い結婚をして、相手もない方に抱かれるの? そんなの耐えられるのか?」
耐えられるのかではなく、耐えなければいけない。
「そんなの僕のほうが耐えられない。僕は死んでも良いよ。そんな目にリーナを合わせるくらいだったら、きっと死んだほうが幸せだよ」
「私のほうこそ、そんな目に合わせるわけにはいかないっ!」
「ね、だったら……一緒に死のう? 死ねばジゼリア様も追いかけてこられないよ。僕だけが死んでも、僕が生きてリーナを地獄のような目に合わすことも出来ない。だから……」
「ごめん……ごめんっ」
そうして私たちはジゼリアが提示した二つの条件とは違い第三の選択肢を選ぶことにした。
死ねば追われない。そう思ったんだ。
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