私はその後、父公認でほぼ軟禁状態で、長男レイダードを産んだ。
子どもができるまでは、城から出ることはおろか、自室からすら出る自由は無かった。
だから私は子どもさえできれば、自由になれるのだと勘違いをしていた。父は跡継ぎが欲しかった。きちんとした私の子で、孫となる魔力の高い後継者が。
私と彼とでは絶対に生まれないだろう、魔力の低い子ではいけなかったのだ。だからレイダードは生まれた時、私の役目は終わったのだと安堵をした。父の望むような跡継ぎができたのだ。もうレザードに無理強いされることを、父も許すはずが無いと思っていた。
だって私は父にとってたった一人の息子なんだから。
「レイダード……ごめんね。お母さまを許してね……お母さま、レイダードを捨てるんだ」
私が産みたくて生んだ子じゃない。父に強制されて、跡継ぎとして産んだ子だ。平民を選んだ私の代わりに、この家を継ぐ存在として生を受けた子。だから連れて行くことなんか絶対に許されない。
父とレザードの元に置いていくしかなかった。
出産したことで、監視が緩やかになり、城の中も自由に動き回れるようになった。レザードは私の子を産んでくれたご褒美だよと笑っていたが、今更私が逃げだそうとするなんて思ってもいないのかもしれない。
初めから反抗らしい反抗をせず、従順にしていたから。
大人しくレザードに抱かれ、長い年月かかってレイダードを産んだ。その間私はたったの一度も逃げだろうともせず、レザードに抱かれるのも嫌がらず、一度も彼の事を問いただすこともしなかった。
だから、今日この日、城を出るのも容易にできたのだ。
この七年間ずっとレザードに忠実な妻の振りをしていたから、できたことだった。
彼に会いたい。私と婚姻前に結ばれたせいで、もう純潔ではなくなった彼は、どうしているだろうか。私と違って、たった一度しか交わっていないのだ。少し年をとっているだろう。でも愛し合った仲だ。たった七年くらいで、分からなくなるほどではない。けれど、侯爵家の使用人を辞めさせられ、結婚もできない身体になった彼は、私と違う酷く苦労しているかもしれない。私に抱かれなかったら、まだ他の男と結婚するという選択肢があったかもしれないのに、私のせいでいらぬ苦労をさせたかと思うと、申し訳なくて仕方がなかった。
彼のいる場所はすぐに分かった。私の魔力の込めた指輪をプレゼントしていたからだ。彼に何かあった場合、守ってくれるように力を込めた婚約指輪のつもりで渡したものだった。私の魔力を追って辿り着いた先は、辺境の村だった。数年前にこの国に編入されたばかりの土地で、国境の端に位置し、転移が出来る私でも休み休みに来たため、それなりの時間がかかってしまった。
レイダードとこれほど長い間離れるのは当然初めてで、母乳を何時の飲ませる胸がはって痛かった。けれどもう飲ませる事も無いのでこの痛みにしばらく慣れなければならない。
彼はすぐに分かった。辺境の村の中でもかなり大きな邸宅に住んでいた。はじめはここで住み込みで働いているのかと思ったが、彼は奥様と呼ばれていた。彼は私には気がつかずに、彼の子どもだろう赤子をあやしていた。その外にも、3人の子がいて、お母さまと呼ばれていた。
ああ、彼はもう結婚して4人も子どもがいるんだ。あれから7年も経っているのだから、4人の子どもがいたって少しもおかしくないのに、私は彼がまだ独身で私を待っていてくれるものだとばかり思っていた。
純潔を失ったはずの彼が結婚できるはずは無いと思っていたのもある。
しかし現実は違う。彼はとても満ち足りた生活をしていて、裕福な暮らしに可愛い子どもたちがいた。夫はこの村の村長か、富豪の出なのかもしれない。きっと彼は幸せなのだろう。
私と一緒で不幸な生活をしているものだとばかり思い、私が救い出さないといけないとずっと思っていたのに。
父やレザードが、意に沿わない結婚相手の彼を優遇するとは思ってはいなかった。むしろ無一文で追い出すか、殺していてもおかしくないとさえ思っていたのに。
「ミレイ、こんな辺境までお散歩なのかな? 私は城から出て良いとは言わなかったよ?」
「あ、あっ……レ、レザード……ご、ごめんっ。でも、彼のことが気になったんだ。彼が私のせいで……不幸だったら」
「殺してやろうと思ったが、止めたよ。そんなことをしたら取るに足らない男のせいで、ミレイに嫌われるしね。むしろ、それなりの境遇にいたほうが、ミレイもどうしようもないだろうと思い、結婚相手を見繕ってあげたんだよ。こういった辺境では編入されたばかりだから、処女じゃないと結婚できないと思っている男は少ないし、持参金をつけてやれば喜んで嫁にむかい入れるものだ」
確かに、編入されたばかりの土地はこの国の法律が適応されるが、人の意識ばかりは10年単位をかけていかないと、なかなか変わっていかない。婚前交渉が当たり前の国から編入されたばかりの土地だったら、彼のような過去のある妻でも構わないという人もいるだろう。持参金があれば、そして直接レザードのようなものが口を利いたのなら、妻として大事に扱うに違いない。そこに愛があるかまでは私には分からない。
でもレザードの言うとおりだ。不幸だったらなんとしても私は彼を救い出さないといけないと、何でもしただろうが、彼が私なしでも幸せなら、私は無理矢理連れ出すことなんか出来ない。夫と子どもがいて幸せな彼に、見せる姿があるわけない。
結婚の約束を破り、父の決めた相手と結婚し、子どもまで作った私と彼が再びやり直すことなんかできるはずも無かった。
「彼は……幸せなんだな」
「ああ、そうだよ。おさまる所におさまったんだ……可哀想だが、彼はミレイと一緒では幸せになれなかったよ。何もかも違う。魔力も育った環境も階級も。それでは幸せにはなれない。その身に見合った幸せというものがあるんだ。ミレイには私がいるようにね」
彼は幸せで、私は、レザードを愛せない。愛せない私は、幸せではない。
レザードは私を奪って、私の大事な物も手の届かない場所に追いやってしまった。
不幸にしたのならレザードに怒りをぶつけられるのに。
「さあ、帰ろうか。レイダードが待っている」
ああ、そうか。レイダードを置いて来たけど、彼は私を待っていてくれなかったから、もう私はどこにも行かなくて良いんだ。だったらレイダードの元に帰ってあげないといけない。
もう彼を愛してはいけないし、愛する必要はないのだから、私のこの愛はレイダードに与えるべきだろう。
「そうだね……胸が張っているから」
でも、愛せるのかな。母親なんだから愛せないはずないし、愛さないといけない。置いていかないんだったら可愛がって愛を与えてあげないといけない。
でもレザードの子どもを、愛せるのかな。
「母親なら、自分が産んだ子を愛してあげないと……いけないよね?」
恋人の愛は簡単に捨てられてしまうけれど、捨てられてしまったけれど、親子の愛情は……ああ、でも私の父は私をレザードに差し出し、犯させた。そこに愛はあったのだろうか?
「そうだよ。私とミレイの大事な息子だ。当然愛してあげないといけない」
そう、だよね。
もう彼を愛せないのだから、代わりに誰か愛してあげないといけない。その代わりは、息子であるレイダードしかない。
「うん……愛する」
「そして息子の父親で、ミレイの夫である私も当然愛さないといけない」
そう?
だって、レザードは私から彼を取り上げて、嫌がっているのを知っていながら私を抱いて……
「愛し合っていない夫婦の元で育つレイダードが可哀想だろう? もう、彼を愛する必要はない。だったらレイダードのために私を愛するべきだ。違うか?」
違わない。理屈的にはそうするべきなんだろうけど。理屈だけで私を辱めたレザードを愛することは出来ない。
でもこれから先、何の希望も無く、愛してもいない夫の妻として生きていかなければいけないんだ。さっきまでは義務を果たしたら、彼と新しくやり直そうと思っていたけど、もう無理なんだ。
レザードの妻としてこれから長い間、過ごしていかなければいけないと思うと、酷く憂鬱だった。
彼の事を忘れたい。レザードがはじめから私の夫で愛する人だったら……
彼がいなくて、お父様にレザードと結婚するように言われたら、きっと私は大人しく従って、それなりにレザードを愛されたかもしれない。
「何か……魔法ないの? 私が彼を忘れて……レザードを愛せるようになれるの。レザードも公爵家の血、ちょっとだけど引いているんだろう」
「残念ながら、そんな便利な魔法があったらとっくにミレイに使っているよ。私たちも万能ではないし、特に精神を操作するのは難しい。それができたらあんなにたくさんの花嫁を誘拐と言う形で連れてくる必要はないからね」
ああ、そうだよね。それができるんだったら、私にとっくの昔に使っていたよね。
特に精神に作用する魔法は、操作が難しいだけではなく、廃人になりやすいって聞く。やりすぎると人形しか出来ないって聞いたことがあるけど、私は人形になっても良いのにな。
「私がミレイにかけるのは難しいけれど……そうだね、ミレイが自分にかけるのだったらそれほど難しくないよ。自分に暗示をかけるのは意外に簡単なんだ。ミレイ、今ならきっとかかるよ。全てを失ったミレイは今私とレイダードしかいないだろう……ミレイ、ミレイは私を好きになるんだ」
ああ、分かった。レザードは私が絶望するときを待っていたんだ。何もかも無くなって希望がなくなるこの時を。
彼を殺したら私に憎まれて、私は絶対にレザードを愛することは無かったけれど、今はもう、私にはレザードを愛するしか、この先の未来は無い。
嫌いなままでいたら、レザードに抱かれ続ける日々がきっと耐えられない。
私は弱い人間なんだ。
そしてレザードは私の弱さをよく知っている。
「……私はレザードを愛するようになる……あいさなないと………」
10年ぶりに私は子どもを産んだ。
私たちくらいの上位貴族では、長男と次男の間にこれくらい年齢差がある兄弟はさほど珍しくない。
レオニードと名づけられた次男は、お世辞にも魔力が強くなかったが、レイダードが文句の無い跡取り候補なので特に問題はないと夫に慰められた。
「確かに……そんなに魔力高くないけど、レオは可愛い子だよね? 愛してくれるよね?」
私は何故か魔力の低い子は愛される価値が無い、と言われたことなんかないのに、そう思われることに恐怖心を抱いていた。
「母上、俺がレオを守ります。安心してください」
「ミレイ、私が愛する君が産んでくれた子を疎んじるはずないだろう。レオは私とレイダードが守るから安心しなさい」
私はとても幸せだ。愛する夫と可愛い息子二人がいて。
「母上……俺、今まであとを継がないといけないと思っていましたけど……レオが生まれたから、場合によっては婿に行っても良いですか?」
レイダードは子爵家の跡取りになる予定のクラスメイトに恋をしている。と言っても、可哀想なことに全く相手にされていない様子だけど。
次男は生まれたけど、けどレオニードではあとを継ぐのは無理なんだけど。だけど、ずっと好きな子と結婚したいと思っているレイダードに駄目だなんていえない。親の都合で結婚を駄目にするなど、親としてしてはいけない。誰もが不幸になるから。
「良いよ……私もね、お父様と結婚できて、レイとレオが生まれて、凄くね、幸せだったんだ。レイもね、絶対に好きな子を幸せにするんだよ」
「父上みたいに?」
「そうだよ。お父様みたいに……伴侶になってくれる人を愛して、子どもを愛する、そんな夫になるんだよ」
END
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