ハンスが鬱陶しいと思って、帰りたいと思った瞬間、自分に激しい違和感を感じた。
帰りたいって何だ?
ここはもう僕の家ではないし、僕のいる場所でもないが、だからと言ってあの侯爵家が僕の家という訳でもない。
そもそも僕はあの家の跡取りになるはずだった子どもを殺したんだ。帰る場所でもないけれど、戻れるはずもない。

じゃあ、このまま子爵家で世話になるというわけにもいかない。少なくても世話いなるわけにはいかない。このままいても言いというだろうけど、すでに廃嫡された身だし、居場所がない。

修復しようとしてくれているのは分かるが、僕にとって居心地の良い場所じゃないし、ここにいてもきっと僕は彼らを傷つけることしか出来ないだろう。
ハンフリーにも優しくする事なんか絶対にできないだろうし、僕の棘で誰もを不快にするような態度しか取れない。

だからと言って、侯爵家にもどんな顔をして戻れば良いかも分からない。

特にレオニードは弟(甥)が出来るのもとても楽しみにして、お兄ちゃんになるんだと喜んでいたのに。

「ハンス、ねえねえ」

「煩い」

「ハンスの兄弟って僕だけだよね?」

「残念な事にな」

「ハンスの弟って名乗る子が来ているんだけど……でも、ハンスの兄弟って僕だけだもん!」

「血縁的にはお前だけだが、結婚すれば義理の兄弟ってものができるんだよ! エクトル殿の弟はお前の義理の弟になるのと同じだ! 良いからさっさと連れて来い!」

だいたいレオニードとは即位式の時に顔を合わせただろう。もう忘れているのか? どれだけ鳥頭なんだ?

「ハンスにい様は僕のにい様だもん!」

「僕の弟なんだ!」

と騒ぎながら廊下を歩いてくる声が聞こえてきた。こういうときこそ、両親が相手をするべきだろう。ハンフリーになんか侯爵家の子息の相手をさせて良いはずがない。

「よ、ハンス。思ったより元気そうじゃないか? レオ君がどうしてもハンスに会いたいって言うので、付き添いでお見舞いに来ました」

「ハンスにい様! 病気治ったの? 戻ってこないから僕寂しくて……」

「大丈夫だ、レオ。ブライアンも……ありがとう」

「顔色も良いし、ご家族と和解できたのか?」

その言葉でブライアンまで事情を知っていることに驚いた。レイダードのやつブライアンまで教えたのか?

「侯爵夫人が教えてくれたんだ。ほら、俺レオ君の婚約者だろう? どうやら俺だけレイダードの魔法に影響されなかったみたいだし。俺も子爵家というくくりでは魔力高いほうだけど、無茶苦茶高いってほどじゃないのになあ。何で俺だけかからなかったんだろうか?」

「……レイダード曰く、不特定多数および広範囲に及ぶ魔法だから、影響は特定単独に与えるよりも小さくなるみたいだ。それに精神状況もある程度左右されるんだってさ。だからお前みたいにある程度魔力があると影響されないし、その性格のせいもあるんだろうな」

「話を逸らすところを見ると、上手くいかなかったんだな?……まあ、お前の事だから、魔法の影響なんてない。僕がクズな性格だからだ、とか、例えそうだったとしても今更どうやって修復して良いかわかんないんだろ?」

ブライアンはこんな僕の性格が気に入ったといって友達になったせいか、誰よりも僕の性格を良く分かっている。
と思ったが、ブライアンよりも僕の性格を良く知っている奴がいた。レイダードだ。レイダードも何が良いのか心底良く分からないが、僕の事をずっと好きだったらしいので、あいつも僕を良く知っているだろう。

「急ぐ必要はないんじゃないか? 簡単に受け入れることなんか無理なんだし。ハンスだけじゃなくってご両親もな……そうすぐには変われないだろ。特にお前の性格じゃあなあ……10年以上差別されて育てられたんだから、同じくらいの年月かかるだろ? それくらいあれば、ご両親を許せるかもしれないし、お前も自分を許せるようになるだろ?」

僕は両親を憎んでいないし、許す立場でもない。
憎んでいるのはハンフリーだけど、もう今はどうでも良かった。

「僕は……僕を許せるようになる?」

「何時までも自分を嫌っているのは止せよ。見ているほうが痛々しいし、10年かけても良いから、自分を許してやろうとしてやれ」

僕は底意地が悪くて、家族に嫌われて、自分も嫌って、自分の血を分けた子も嫌って、殺したのに、どうやって許せって言うんだろうか。そんな価値なんて無い。

「ハンスにい様……泣かないで」

「レオ……」

「どうして泣いているの? どこな痛いの? 赤ちゃんがいるから、お腹が痛いの?」

レオはまだ子どもが死んだことを知らないのか?
知らないで、お兄ちゃんになる日を待っているのか?

「……レオ……レオ、ごめん」

あの家でレオだけが何の思惑もなく、僕を慕ってくれていたのに。レオだけが純粋に僕を大事にしてくれていた。レオだけが純粋に愛情を向けてくれていたのに。僕はレオが欲しがっていた弟を殺してしまった。

僕は子どもがいなくなって清々していた。だって欲しかった子じゃないんだ。
僕なんか母親になるような人間じゃないし、あの家も欺瞞に満ちていた。優しいはずの義母は、結局息子の後始末のためだと思ったし、レイダードも僕を愛していると言いながら、罪悪感のために優しい箱庭を用意しただけだ。
僕が愛せないのなら、他の誰が愛してくれるんだと、生まれる前に殺してあげたほうが子どものためになると思っていた。

だけど、レオだけは愛してくれたのに。生まれてくるのを楽しみにしてくれていたのに。

レオのために産んであげれば良かったのかな。

冷静になってみれば、嘘で塗り固められていても、義両親だって孫は可愛かっただろうし、息子の尻拭いでこんな嫁を貰う事になったしまったが、だからといって孫を愛さないという訳ではなかっただろう。

なのに、僕は良く考えもせずに殺してしまったんだ。

「レオ……」

もうお腹の中にはいないんだ。レオが生まれてくるのを楽しみにしていた弟はもうどこにもいない。そう言おうと思ったけれど、言えなかった。
言えば、どうしてと聞かれるだろう。
でも僕が殺したんだ、なんて言えない。言えるはずがない。
レオだけが、真っ直ぐな愛情を僕にくれるのに、この目が恐怖や軽蔑に彩られるのを見るのは嫌だった。

「ハンスにい様、ここにいるから寂しいんでしょ? にい様の兄って人、意地悪だもん! お家に一緒に帰ろう?」

帰れるはずはない。
あの家で大事な存在だった子を殺してしまった僕が、どうやって帰るんだ。
レイダードだって何も言わずにここに置き去りにして以来、会いにもこない。流石に愛想を尽かしたのかもしれない。

「レオ、帰れないよ…」

流石にそこまで厚顔無恥じゃない。
結局僕にはどこにも居場所がなくって、唯一愛してくれるレオにも何もしてやれない。

「帰ろう? 僕、兄上を呼ぶよ! 兄上、ハンスにい様と帰るからお迎えに来て?」

「レオ、止めてくれ!」

静止するよりも早くレイダードが転移で目の前に現れた。会うのは二週間ぶりほどだ。




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