「何か食べないと駄目だよ」

「すみません……食欲がないんです」

「ちゃんと……食べないと駄目だよ。お腹の赤ちゃんのためにも……」

「つわりなんです……何も食べたくないんです。そのうち治まりますから、寝かせてください」

義母がこの世の終わりのような顔をして、僕にオートミールをスプーンにのせて食べさそうとするが、何も欲しくはない。
何も食べたくない。きっとお腹の子どもが要らないと言っているんだろう。
僕みたいな親から生まれてくるべきじゃないってきっと思っているに違いない。

「母上、少しハンスを寝かせてやって下さい。少しくらい食べなくても平気なので」

「でもっ!」

「今は、一人にさせておいて上げて下さい。そんなに構うことじたいがハンスにとってストレスになるんです」

何か言い訳をするかと思ったけれど、レイダードは何も弁明しなかった。それはそうか、だって別に僕の人生を変えるような事はしていないのだから、何か僕に説明するべきこともないのだろう。
下手に言い訳がましい事を言われたほうが、僕にとってストレスになる。

レイダードが僕に対して何かしらの罪悪感でも抱いていたのなら、謝罪くらいはするだろう。しないのだから何とも思っていないに違いない。
けれど、腑に落ちない事も少しある。何とも思っていなかったとしたら、僕に新しい家族を用意しようとしたりするだろうか。それともただの僕の勘違いなのだろうか。レイダードは何の意図もなく、ただ義両親が息子がしたことに罪悪感を感じて僕に優しくしていただけなのだろうか。

レイダードは僕を幸せにできない、そう言ったエクトルの言葉を何度も思い出した。

幸せになるつもりなんか毛頭無かったけれど、義両親の裏切りには正直心が萎えた。
世の中には打算がない優しさはないって分かっていたけれど、あんなふうに無条件で優しくしてくれる人がひょっとしたらいるのかもしれないと、一瞬でも思ってしまっていた。
レオニードに向ける我が子への愛情は偽りはないのだろうけれど、僕に対して与えられた優しさは償いからだった。

僕はあの人たちを信頼してしまっていた。僕の子どもにも優しくしてくれるんだろうって。僕の子にも無償の愛を与えてくれるだろうと、安心してしまっていた。誰も打算なくして僕に優しくしてくれるはずがないのに。

僕は食べることもせず、ただ一日ほとんど寝て過ごしていた。

食べれないことは嘘じゃない。本当に食べ物の匂いが気持ち悪くて受け付けないのだ。義母は無理矢理食べさせようとするが、どうやっても無理だった。

つい先日までつわりらしい症状もなかったのに、こうなったのは僕なりのこの家族への抗議なのかもしれない。
僕は彼らを受け入れないし、受け入れて欲しくないという。

「ハンスにい様……起きて、起きて」

「………レオ、眠らせてくれないか?」

「だって、お母さまと兄上が喧嘩しているの。僕……っ」


喧嘩? 仲の良い家族だろう。レオニードの前で喧嘩するなんてどういうつもりなんだろうか。
僕は重い身体を無理矢理起こして、彼らのほうに向った。
レオニードは僕の部屋で待っていろと、置いて来た。


――― 話し合っても、無駄ですね。

――― このままじゃあ、ハンスは死んでしまうかもしれないのに?

――― ただのつわりなんだから、そのうち食べれるようになるだろう。そんなに心配しなくても。

――― ただのつわりってっ!……レイダードのせいでっ!

喧嘩と言うほどではないが、義母の感情的な声が聞こえてきた。

――― 違います、母上のせいでしょう。あんなことハンスに言うべきじゃなかった。

――― だって、分かっているだろう? ハンスは、自分の事を凄く嫌っているんだ。ハンスのせいじゃないのに、両親に愛されなかったのは全部自分のせいだと思って……自分を卑下して、自分の事が大嫌いで……見てられなくって。

――― それで真実を知ったハンスが、俺のせいで愛されなかったと思ってくれるとでも? 俺もハンスがそう思ってくれるならいくらだって真実を話した。俺が全部悪いって……そう思ってくれるのなら、いくらだって懺悔したさ。けど、ハンスはそうは思ってくれない。自分のせいだって、思いつめて……しかも、母上や父上の行為まで全部謝罪のためだとしか思っていない。真実を話してどうなったですか? 余計悪化しただけだ……


レイダードは僕のことが良く分かっている。
流石昔から僕の事を好きだという変わった人間なだけはある。僕と言う人間を良く分かっているみたいだ。

「レイダード、レオニードが怯えている……レオの見ている前では止せ」

仲の良い家族が急に怖い声で話をしていれば、事情を知らないレオが怯えるのは無理はないだろう。

「ハンス、一人で歩くのはっ!」

「重病人ってわけじゃない。ただのつわりだ」

それでもレイダードは僕を抱き寄せると隣にソファに座らせた。

「これまでレオに怒った事もなかったんでしょう? なのに突然空気が変わってあの子は戸惑っていますよ」

「……レオの前では言わないようにしていたんだけど……聞いていたんだね」

「子どもは敏感なんですよ」

親の愛情には、子どもは親が思っている以上に敏感なんだ。

「今までと違うのは母だけだ。ハンスへの罪悪感でレオのことにまで気が配れていない。ハンスのことは夫婦の問題なんです。もう口を挟まないで下さい」

「でもっ……夫婦の問題って言っても、レイは何もしていない!」

「何かするほうがハンスにとって負担になるんです!……ハンス、お前は俺に何かして欲しいか?」

「何かって?」

「謝罪が欲しいか? 言い訳が欲しいか? ハンスが望むのなら、どうして俺がお前にあんな魔法をかけてしまったのか全部話すし、土下座して謝罪もする……だが」

そう、僕は別にそんな物欲しくない。僕が欲しがっていないのを分かっているから、レイダードは何の弁明もしていないんだ。

「良いよ……別に。僕がレイダードのことを好きじゃなかったから、そうしちゃっただけなんだろ?……子どもなら一回や二回やってしまう魔力の暴走だろ?」

悪感情があってやったわけではないだろうことは、卑屈な僕だって分かる。やろうとしてやったわけじゃないんだろうって。
だからって普通は許される訳ではないだろうが、僕は違う。
僕のせいで家族の関係が悪くなったわけで、特段レイダードの魔法が関係しているとは僕は感じていないからだ。

「たいした影響があったわけじゃないのに、義母は気にしているし、レイダードだって謝罪しないって言いながら、悪いことしたって思っているんだろう? だから、僕にこの優しい家族をプレゼントしようって……偽物の優しさをな」

謝ったら僕が怒るから、そう分かっているから言わないだけだ。

「違うよ!……そんなつもりじゃなかったんだ! 偽物なんかじゃないよ! 私はハンスがレイと結婚してくれて本当に嬉しかったし、本当の子どもだと思って!……思っているから、君が自分の事を嫌っているのが凄く悲しくて……申し訳なくて……」

「もう良いでしょう。ハンスの身体に触る……もう、これ以上何も言わないでください。良かれと思って母上は言ったんでしょうが、ハンスにとっては逆効果でしかないんです。せめて言うんだったら相談して欲しかったし、出産後にして欲しかったですが……後は、俺とハンスで解決しますから」

そう言うとレイナードは僕を抱き上げて、レオニードのいる寝室に戻るために歩みだした。僕は黙ってレイダードに抱かれていた。

「ハンス………俺の言い訳を聞きたいか?」

「聞きたくないのを分かっているから、今まで言わなかったんだろ?」

無駄な話し合いはしたくない。話したって無意味なことだってお互い分かっているのに。

「俺のくだらない言い訳なんてハンスは聞きたくないだろう?……だから何も言うつもりは無かった。だけど……罵って怒ってくれたほうが、ずっと気が楽だったな」

「お前が楽になるためにくだらない話を聞くつもりはない」

僕がそう言うと、レイダードは苦笑なのか自嘲なのか分からない笑みを浮かべて、僕をベッドに寝かした。レオは待っている間に寝てしまったようだ。

「……ハンス、愛しているんだ」

「………」

「愛しているから……お前の事を愛しているのは、俺だけで良いんだって思ったんだ。お前が俺を愛してくれなかったから……だったら俺だけがハンスを愛していれば、そのうちハンスも俺を愛してくれるかもしれないと」

「………話し合わないんじゃなかったのか?」

「話し合いじゃない……ただ、俺が……言い訳だが、どうしてそうしてしまったのか……言いたかっただけだ」

これ以上レオニードに険悪な雰囲気を見せたくなくて、寝ているレオが気になったが、どうやら先ほどのことで反省をしたのか、防音の魔法をレオにかけているようだった。

「ただ、愛して欲しかったんだ。ハンスに……不幸にさせるつもりは……なかったつもりだったが、俺を見てもくれないハンスに対して、不幸になれば良いって思う気持ちもきっとあったんだろう……な。誰もハンスを愛さない中で、俺が大事にしたらハンスは俺を頼って、思い返してくれるかもしれないっていう、期待があったんだと思う」

レイダードがゆっくりと僕の頬の撫でて、僕を労わるかのように触れてくるが、僕は何とも思わない。
レイダードが反省していることも伝わってきたし、後悔もきっとしているんだろう。
でも、何も感じない。

「子どもだったんだろう?……魔力の暴走は誰にでもある……別に何とも思わない」

「お前の人生を無茶苦茶にしたのにか?」

「……僕は、お前が嫌いじゃない」

そう言うと、レイダードは僅かに顔を期待に染めたように見えた。

レイダードのことを嫌いだったけど、今はそうじゃない。

「……好きでもない」

嫌いでもなくて好きでもない。

「どうでも…良い」

「ハンスっ…」

「寝たい……」

食べもせず、会話もせず、何も考えず眠りたい。そしてそのまま目が覚めなければ良い。

「俺が……ハンスのためにしてやれることはないのか?」

なに、そんなこと今更聞くまでも無いじゃないか。ずっと言っているのに。

「お前が僕にしてやれる最良のことは……僕を殺すことだ」

してくれないって分かっているけど。

僕が死んだら子どもはどうなるんだろうか。まあ、当然一緒に死ぬんだろう。
でも、僕みたいに親から愛されない子なんだから、生まれてこないほうがマシだ。僕が責任をとって一緒に死んでやることが最初で最後の母親としての愛だ。

産みたくない。
レイダードは死ぬ事を許してくれないから、産むしかないんだろうけど、産みたくない。

僕を愛しているんだって言うんだったらどうして殺してくれないんだろう。愛していることを証明したんだったら僕を死なせてくれることが一番の証明になるのに。

「ハンス……出来ないと分かっていることを言わないでくれ。どんなに嫌われても、それだけはできない。ハンス……なんと言われてもハンスはずっと俺の妻で、俺の子を産むんだ。俺がずっと守るから……愛しているんだ」

僕は契約によって死ぬことは出来ない。
だからレイダードの言うがまま、レイダードに抱かれて、レイダードの子を孕み、こうやってレイダードの子を育てるために生きている。

だけど気がついたんだ。


僕は死ぬことは出来ないけど……

要らないものは始末できるって……

だから僕は自分の腹を切り裂いて、要らない物を処分した。

…誰も愛してくれない世界に生まれてこなくて、幸せだったんだ。

苦しまなくて済むから……



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