「ハンス、久しぶり! 元気だったか?」
「……ブライアン?」
僕のただ一人の友人だった男ブライアンが、僕を見かけて駆け寄ってきた。
「よ、レイダード。宣言通りハンスを妻にしたんだな。同期の中でも一番乗りだったよな」
国王即位式の祝いの夜会で、滅多に外出しない僕は侯爵家一族とともに出席していた。貴族同士の付き合いはそれなりにはあるが、引きこもっている妻も多数いる。しかしこうした滅多にない国の即位は別だ。基本的に全員出席のため、僕も仕方がなく出ていた。
「式にくらい呼んでほしかったのに。一応ハンスの友人なんて俺くらいだっただろう?」
「結婚式はしなかった……」
「レイダードケチなのかよ。結婚式くらい盛大にやれば良いのに」
「今からでもハンスがしたいと言えばするが……したいという訳がないしな」
「まあ、そうか」
「今から陛下に挨拶に行かないといけない。ハンスは置いて行くから、弟とハンスを見ていてくれないか?」
「まあ良いけど。今夜は身内ばかりだから、手を出すような馬鹿はいないはずだけど?」
明日行われる夜会は外国人も多数出席する。この国の仕来りや風習を良く知っている客ならば、王国人に手を出したりはしない。下手な事をしたら命がない事を知っているからだが、たまに馬鹿がいて人妻に手を出そうとして命が無くなるアホがいるらしい。
今日は国内貴族しかいないので、人妻に言い寄るような常識はずれな人間はいない。
それに普通に考えれば有力貴族である侯爵家の妻に無礼なことをする人間など、有り得ない。
「噂でいきさつは聞いたけど……レイダードと上手くいっているのか? 遊びに行こうとしたけど侯爵家で門前払い食らっちゃったし、気になっていたんだよ。お前レイダードのこと好きじゃなかったし」
「好きじゃなかったわけじゃなくて、関心が無かっただけだ。まあ、似たような性格をしていたから嫌いと言えば嫌いだったけどな……仕方がない。僕が存在していいのは、レイダードの妻としてだけになってしまったからな」
それも自分からは絶対に辞退できないものになってしまっている。
こうしていれば、レイダードの妻で、次期侯爵夫人だ。死罪の罪人としては、上位に位置していて、皆から敬意を払われる。なるほど、レイダードが侯爵夫人になって見返してやれば良いと言ったのはこういう意味だったんだろう。
ここにいるだろう実家の子爵家はもっとずっと下の場所で控えているはずだ。
僕は、僕を愛する夫と、優しい義両親と、可愛い弟を得て、さぞかし幸せでいるべきなのだろう。
「そういうなよ……昔からあんなにレイダードはハンスのことを好きだったじゃないか。望まれて結婚するほうが幸せだって言うし……大事にされているみたいだし」
「そうだな……」
そう思えば良いんだろうよ。死にたいとか思わずに、与えられた物を素直に受け取って、そして……
「ハンスにい様、僕お腹が空いた」
「ああ……何か取りに行くか。ブライアン、弟が何か食べたいみたいだから、移動してくれ」
立食形式のブッフェなので、食べたいものがあれば自分で取りに行くしかない。召使はここには入れない。ただでさえ王国中の貴族が集まって来ているんだ。これで使用人まで入れていたらとんでもない数になってしまう。従ってここは貴族しか入れない事になっている。
「何が食べたい? レオ」
「うんとね、グラタンとケーキと、あとねキッシュと、かぼちゃスープ」
言われるがままよそってやろうとすると、大声が響きわたった。
「何で!? 何でそんな奴に優しくするんだよ!?? 僕には酷い事しか言わなくっていじめてばっかりだったのに、酷いよハンス!!」
「……だあれ?」
「レオ、ご飯は後にしよう」
「逃げるなよ! ハンス!」
この場を去ろうとする僕にハンスは両手で僕の腕を掴んできた。コイツは運動神経はないくせに昔から力だけは強かった。魔法で何とでもなったが、ここでは魔法を使えないようにされているし、今は無理だ。ハンフリーの腕を振り払えなかった。
「僕のにい様の手を離してよ!」
「何が、にい様だよ! 僕がハンスの兄なんだ! 勝手に弟になるなよ!」
「僕のハンスにい様だもん! ハンスにい様手を痛がっているよ、離してあげてよ!」
まるで子どもだ。レオニードと変わらない年にしか見えない。しかもこんな場所で大声で怒鳴って、馬鹿じゃないのか。場を弁えるって事を知らないのか? だから、こんな奴外に出すべきじゃないのに。これで子爵夫人だっていうんだから笑えてくる。
「ハンフリー、離しなさい。王城で騒いではいけないと言っただろう? 皆が見ているんだ」
「だって、先生! ハンスは僕の弟なのに!……ハンスは僕には優しくないのに……っ! どうして」
エクトル殿が赤ん坊を抱いて、ハンフリーを諌めていた。あの腕の中の子がハンフリーのお腹の中にいた子なのだろう。僕がハンフリーともども殺そうとした子だ。無事生まれていたという訳か。
「何なんだ? ハンス」
「知らない……どうせ、実の兄弟なのに僕には優しくしてくれなくてレオは優しくしているのは理不尽だって怒っているんだろう?」
ブライアンに聞かれたって僕がハンフリーの心情を理解できるわけがない。馬鹿のすることだからだ。
本当に馬鹿だ。10歳に満たない幼い子と張り合ってどうするんだ? もう母親なのに。
レオニードは守られるべき存在で、お前は成人で兄だろう。何で僕が優しくしないといけないんだ?
「それにしても、せっかく魔力の強い婿を迎えたって言うのに、あの赤ん坊の魔力の可哀想なことって……やっぱりお前が子爵家の当主になるべきだったんじゃないのか?」
エクトル殿の魔力でも、結局子どもにはハンフリーの弱い魔力のほうが遺伝してしまったのか。
ざまあみろとも思わない。どうでも良かった。そのことで父が後悔すれば良いとも思わない。本当にどうでも良かった。
「ハンフリー、一体どうしたというんだ? そんなに泣いて」
「お父さま! ハンスが、ハンスがね! 酷いんだ!!!」
何時の間にか、両親までがハンスの泣き声を聞いて集まってきたようだ。僕は去り時を謝ったようだ。
もう二度と会わないと思っていた彼らに会ってしまったからだ。
ハンフリーを慰める両親に、エクトル殿に、赤ん坊。5人集まってさぞや完璧な家族だろう。
大嫌いな僕がいなくなって、可愛い息子と優秀な婿とで、ご満足な生活に違いない。
魔力の弱い孫でも、きっと彼らにとっては目に入れても痛くないほど可愛がっているんだろう。エクトル殿も両親も魔力の弱い子が逆に可愛くて仕方がないのだから。そう思うと、甥は強く生まれないほうが良かったのかもしれない。強く生まれたって扱いは僕のようになるだけだからだ。
僕はかける声も思いつかなかったし、声をかけたくも無かったのでその場を無言のまま立ち去ろうとした。
「ハンス、お前はどこまで性根が腐っているんだ! ハンフリーを殺そうとしたことも許したのに、またハンフリーを」
「え? ちょっと待ってください、ハンス今日は何もしていませんよ」
「君は関係ない、黙っていてくれ。これは家族の問題だ」
家族の問題? 僕はもう子爵家の人間じゃないのに?
まだ父の中では、僕は子どもにカウントするのだろうか?
「ハンス、お前は!」
「家族の問題なら、ハンスにい様は侯爵家の人間です! レイダード兄上のお嫁さんなんです! 僕のにい様なんです! ハンスにい様をいじめる人は家族なんかじゃない! あなたなんかにい様のお父さまじゃない!」
「レオ……」
「兄上が言っていた! ハンスにい様を侮辱する人は侯爵家に楯突くも同然だって! お父さまや兄上を敵にまわすんだって!」
「よく言った。レオニード、流石私の息子だ」
「お父さま! 兄上! 僕、ハンスにい様を守ったよ!」
「ああ、ありがとうレオ……エクトル殿、このような場で私の妻を誹謗中傷をすることは、子爵家が無くなっても良いと言っているも同然ですが?」
いくらエクトル殿が上位貴族の出とはいえ、今はただの子爵だ。侯爵家とは天と地ほどの違いがある。
公の場でこれほど侮辱されれば、明日には子爵家が無くなっていても文句は言えない。
「申し訳ありません。妻と義父が失礼な事を申しまして……今すぐ帰宅させます。この場で謝罪の言葉がないことをお許し下さい。彼らは、おそらく奥方に謝る事ができないはずです。余計に気分を害する事しか言えないはずなので、当主の私が代わっての謝罪でお許しを」
僕は何も言えなかった。許すとも、許さないとも。父に反論もしなかったのと同じように。
別にどうでも良かったからだ。
あそこでハンスが泣いていれば、僕が虐めたと思われ当然だったし、それだけのことをしてきたのだから仕方ないと思っていたし。
「ハンス、これで構わないのか? お前が望むのだったらもっと」
「どうでも良い……もう帰りたい」
「そうだな……大事な体だ。早く帰って身体を休めたほうが良い」
レイダードは僕の身体を引き寄せると、父に最後に視線を向けた。
「前子爵殿……後で、エクトル殿に今日のあらましを聞けば良いが、ハンスは一言もハンフリーに話しかけてもいない。それなのに、ハンスから弁解も聞きもせずによく責められましたね。ハンスは今、貴方の孫を身篭っているんですよ? 大事な時期なのに、あなたは罵声を浴びせることしかしなかった。一生忘れませんよ、あなた方の仕打ちは……」
レイダードの言葉に驚いたように目を見開いていたが、何の言葉も無かった。
まあ当然だろう。僕は同じように身篭っていた兄を樹海に連れ去り殺そうとした。この程度の仕打ちが、どうだって言うんだと両親は思っているだろうし、エクトル殿だって同様だろう。
一生許さないほどの事ではない。
「凄い家族だな……何で、お前あんなに嫌われているんだ?」
馬車に乗り込むと、何故か義両親とレオニードと一緒にブライアンまで乗り込んできた。
「僕が卑劣な性格だからだろう」
「……お前はきつい性格しているのは事実だけど、卑劣っていうほどじゃないだろう?」
こんな性格をしていなければもっと友達だっていたはずだ。いたのはブライアンだけだった。ブライアンは僕の飾らない性格が面白いと、僕が何を言っても離れていかなかった。逆に僕のフォローに回って苦労していたくらいだった。
「間違ったことは言わなかったし、正直すぎて馬鹿を見ているような感じさえしていたけど……」
「兄を虐めていたから、腐った性格だと言われただけだ。その通りだろ?」
子どもの頃は平等に可愛がってくれていたような気もした。けれど、僕が小学校に上がったころからだろうか。
全く出来ない子のハンフリーに比べて僕は良く出来た。別に自慢しようと思ったわけじゃないけど、テストが良かった事を褒めて欲しくてテストを差し出したら、卑しい子だって言われたな。お兄ちゃんが出来ない子だと馬鹿にしているんだろうって。
「虐めていたって、魔法で傷つけたり、殴ったり手を上げたりしていたのか?」
「は? そんなくだらない事をするわけないだろう。強い魔力があるからって、弱い者に手を上げるなんて騎士道精神に……」
騎士道精神?
そう教えられてきたけど、ハンフリーを最後に殺そうとした僕が騎士道精神とか言ったって笑い話にしかならない。
「ハンフリーが馬鹿だから馬鹿だと言ったんだ。恥ずかしいから外に出すなとか、僕が当主になっても守ってやらないし責任は持たないって」
「それって性根が腐っているって言われるのか!? まあ、確かに褒められたことじゃないけど、けど、そこまで言うほどのことか? むしろ、あんな場であんな事を言う前子爵のほうが余程性根が腐っているだろ? あんなアホな兄がいたらアホだと言いたくなるのは分からないでもないし、努力してきたハンスから子爵家当主の座を奪うようなことか? 兄弟だったら誰しもがやる兄弟喧嘩だろ?」
「違う……僕の根性が悪いからだ」
「いや、悪いって言っても、あんな扱いうけるほどのことじゃないだろ? 悪口くらいで、あそこまでっておかしいだろ?」
「おかしくない」
僕があの家の癌だっただけだ。その僕がいなくなってさぞかし平和になっていたのに、また現れたりしたから、ハンフリーに危害が加えられると思って当然だ。実際に僕は殺そうとしたという事実があるんだから。
「おかしいよ……」
それまで黙っていた義母がポツリとそんなことを言い出した。
「親なら……子どもを愛するものでしょう?」
「愛せないような下劣な子どもなら愛さないのも当然ですよ」
「違うよ!……君は良い子だよ! ハンス……レオには良いお兄ちゃんでしょう!……君に兄と同じだけ愛さなかった両親が悪いんだ。君は悪くないよ」
そういう理屈も分からないでもない。昔はどうして僕を愛してくれないんだろう、ハンフリーの半分でも良いから愛して欲しいと思ったこともあったけど。同じ子どもでも同じ性格じゃないから、同じ子どもなら可愛い素直な子のほうが良いに決まっている。
「ごめんね……ハンス、ごめんね」
「何を謝るんですか?」
「だって……君が……あんな扱いを受けていたなんて知らなかったんだ」
「別に、当然の報いですよ」
それに義母に何の関係が有るんだ?
「当然じゃないよ!……親はね……愛さないといけないんだ。愛さないといけないのに……ごめんね、ごめんね。もっと君に優しくするべきだった」
「充分優しくしてくれていますよ。僕に……不釣合いなほどに」
「ごめんね、ごめんね……」
両親に詫びられるのならともかく、何で関係ない義母が泣いて謝るんだ。
「母上……ハンスが困っていますよ」
そうレイダードが言っても、ずっと泣いたままだった。
「お前、思ったよりもずっと大事にされているじゃないか。旦那に優しいお母さんに、頼もしい弟に。これなら子どもを産んでも、皆が助けてくれるだろ?」
僕はその言葉に、YESとは言わなかったけれど、僕が愛さなくても、僕以外から浴びるような愛が保証されていることに安堵していた。
僕は愛さなくても良いんだ。そのことに救われていた。
この時は……。
- 279 -
← back →