「ハンスにい様、起きて、起きて?」

「んっ……なに?」

僕の朝は遅い。レイダードの嫁になったため合格していた官吏には結局ならなかった。仕事に出ても良かったけれど、何のために働く必要があるんだと思ったからだ。
実家を出て独り立ちする必要があるわけでもないし、見返してやる相手ももういない。
僕自身が負け犬だからどんなに仕事で出世できたとしても、ハンフリーは何とも思うはずがないんだ。それに子爵家としては高かっただけで、僕の魔力なんか高位魔力者たちばかりいる軍や他の官庁からしてみれば、せいぜい普通レベルで、出世だってできるはずもない。

どうせもう戦う必要もないんだ。何もする気が起こらず、怠惰の生活を送っていた。

昨晩もレイダードはしつこかったせいもあって、時計を見るともう10時を過ぎていたがまだ眠い。起きて起きてと言う幼い声が響いていたが、無視していた。

「こら、レオニード。お兄ちゃんはまだ眠いんだから、邪魔しては駄目だろう」

「だって僕、ハンスにい様と遊びたかったの」

「えっ……お、お義母様っ!? レオニード」

レオニードの声は無視していたが、流石に義母を無視するわけにはいかず飛び起きた。
良かった、ちゃんと夜着は身につけている。

「あ、あの……申し訳ありません。こんな時間まで眠ってしまっていて」

「構わないよ。新婚なんだから、当然だし。ただ、どうしてもレオがハンスと一緒に遊びたいって騒いで。ごめんね?」

「ハンスにい様、遊んでください」

「あー……すぐ仕度しますので……」

レイダードはたくさん城があるのに、結局この王都の城で両親と弟と一緒に暮らすことになった。僕としては煩わしいので、できれば一緒に暮らすのは勘弁して欲しかった。確かに広い城だけど、一緒に住んでいれば顔を合わさずに暮らすことは難しいし、失礼でもある。
僕はレイダードに逆らうこともしなかったが、できれば一人で暮らしたかった。僕を抱きたいのなら好きな時にくれば良いと言ったが、昼間僕を一人にしておきたくないらしい。
僕は好かれ様と思っては無かったが、礼儀に反する事もできないので、仕方がなく義母やレオニードの誘いを受けるしかなかった。

レオニードは7歳になったばかりだ。レイダードに少しも似ていない。

僕なんかのどこが良いのか分からないが、懐かれている。

どうせ僕の本性を知れば、離れていくだろう。

支度をして居間に行けば、お茶とお菓子が振舞われた。すぐにお昼なので、朝ご飯をおなか一杯というわけにもいかないので、レオニードの朝のおやつを兼ねてだろう。大人しくレオニードと一緒にクッキーを食べた。

「僕ね、ハンスにい様がお嫁に来てくれてすごく嬉しいの」

僕なんかが嫁に来て何が嬉しいんだ。

「兄上がね、僕にこの家を任せて良いか? ってお願いされていたの。どうしても兄上はね、ハンスにい様と結婚したいからって……僕にね、お婿さんを取って侯爵家を継いでくれないかって……僕ね、良いよって言ったけど」

馬鹿か、レイダードは。レオニードが優秀ならそういう話もありだろうけれど、お世辞にも広大な侯爵家を維持するのは無理だろう。いくら婿を取る事前提でも、親戚からは良くは言われないだろうし、子ども心に不安だろう。

弟の事を思えば安易に婿に行くなんて長男に生まれたのなら言うべきじゃない。ハンフリーほど馬鹿なら何も考えずに言うだろうが、レイダードは少なくても頭は悪くないのに。

「そんなこと……許したんですか?」

「どうしてもハンスと結婚したいのだったら良いよとは言ってあったよ。ただね誤解しないで欲しいんだけど、レイダードは決して責任感が無いわけじゃないんだよ。婿に出てもこの領地の管理はするって言っていたし、レオに負担をかけるつもりはないって。好きな人と結婚して良いし、婿に来てくれるのが難しければ嫁に出しても構わないって。自分の子どもに跡を継がせるからって。レオを愛してくれているよ。ただね、レオよりもハンスのことをあの子はより愛しているんだ。あの子はハンスを辛い目にあわせてしまったけど、許してあげて欲しいんだ」

僕はレイダードを憎んでいる。僕を死なせてくれなかったから。
ただそれをこの人に言わない程度には弁えていた。

「さ、レオ遊んでおいで」

「うん! ハンスにい様、後で来てね!」

遊び相手くらいは良いけれど、そういえばレオニードは学校に行かなくて良いのか?
もう7歳なんだから小学校に行っている年齢だろう。

「そういえば……学校は行かなくて良いんですか?」

まだ半分以上残っている紅茶を口に運びながら、疑問に思った事を口にした。

「レオはね……魔力が低いし、学校に行ってもついていけないだろうから、家庭教師に見させている」

「でも……魔力が低いって言っても、ついていけないレベルじゃないでしょう。あのくらいの子はたくさんいたし」

侯爵家としては明らかに低いだけであって、僕が通っていた学校でもレオニードくらいの魔力は珍しくなかった。もっとレベルの低い学校に行けば充分やっていけるはずだ。

「家格の差というやつだよ。レオは侯爵家としては低すぎるからね……面子というものがあるから下手にレベルの低い学校には行かせられないし、無理して上級の学校に行かせればついていけない。それもまた恥じになるから、下手に家から出せない」

言っていることは分かる。
ハンフリーがそうだった。どこの学校にってもついていけず、教師からも学校を変えてはと何度も打診され、転校をよくしていた。あんな奴家から出すべきじゃないと何度も言ったけど、僕の進言は無視された。
普通だったらあれだけできない人間を外には出さない。ただ父はハンフリー可愛さに、家の面子も考えずにハンフリーを望むをかなえ続けていた。

「それにね……レオは優しい子で競争社会では傷つくだけだと思うんだ。侯爵家に生まれてその魔力かって、馬鹿にされると思うと……可哀想で。社会の厳しさを知らせるのも親の役目かもしれないけれど、あの子は一生知らなくても良いと思うんだ。私や夫やレイダードという守るべき人間がいるから」

それはそうだろう。レオニードは侯爵家という後ろ盾がある。嫁に出すとしても伯爵家なら喜んで迎え入れるだろうし、子爵家なら言うまでもない。わざわざ苦労する必要などないのだ。

「そうですね……」

ハンフリーとは逆だ。あの兄は子爵家程度の後ろ盾ではどうしようもないほど魔力がなかったし、頭も悪い。それなのに、公の場になるような所にばかり出したせいで、余計に嫁の貰い手が無かった。馬鹿で魔力が低いと知れ渡っていたからだ。
恥になるから何度も家から出すなと父に言ったが、それが余計父の気に触って僕は遠ざけられた。
ただ、エクトルという婿を手に入れた今の状況を考えるとあながち間違った選択ではなかったのだろう。

「それでね、レオに年頃のお友達を連れてくる事も考えたんだけど……レオはとてもハンスのことを気に入っているから、レオの勉強も見てくれないかな? 家庭教師のことも怖がって勉強してくれないんだ。だから友達兼家庭教師で。そんなに長い間じゃなくって良いんだ。2〜3時間程度レオに付き合ってあげてくれないかな」

「勉強は構いませんが……友達というのなら、やはり同じ歳の子を学友としたほうが良いのでは?」

僕は人に好かれる性質じゃない。勉強だけなら小学生だ、何も問題はない。ただ、それ以上のことまで期待されると正直億劫だ。
僕みたいな卑劣な性格がレオニードにうつったらどうするんだと言いたかった。

「ハンス、暇だろう? 弟の世話をするのは嫌か?」

「おかえり、レイダード。ハンスにねお願いしていたんだけど、やっぱり小さな子の面倒は見るのは嫌かな? ハンスも赤ちゃんができた時に役立つと思うんだけど」

レイダードは軍など、貴族の師弟の嗜みと言った仕事には就いていない。入隊しようと思えばできるだけの実力はあるんだろうが、侯爵家が人手不足で領地の管理をしなければならなかったらしい。そのせいで時間は不規則であり、好きな時間に出て行きこうやって帰ってくる。

「レオがお前と違って優秀じゃないから、嫌なのか? 兄を思い出すのか?」

「レオはハンフリーみたいな馬鹿じゃない。けど……僕にはそういうのは向かない」

「なら良いじゃないか。母の言うように、子育ての予行練習だと思えば」

「お前……ムカつく」

レイダードの魂胆は分かりきっている。家族と仲が悪かった僕に、新しい自分の家族とやり直させようとしているんだ。
特にレオニードのような幼い純真な子と触れ合わせることで、僕の死にたいという願望をなくさせようとしているに違いない。

侯爵夫妻もレオニードも僕に優しい。決して嫌な家族じゃない。
レイダードが自分の家族で僕の心を癒そうと考えるのは分からないでもない。

でも僕はそんなに単純じゃない。

「お前なんか、嫌いだ」

「何とでも……俺は、お前を殺したりしない。絶対に生かしてみせる……なあ、人生はやり直しがきかないものなのか? 実家であったことは忘れて……俺と新しい人生を作っていこうとは思ってくれないか?」

「僕はそんなに単純じゃない……僕は……」

ここには欲しい物なんかない。レイダード、お前がくれるもので僕は満たされたりなんかしない。
いくら皆が優しくしてくれたって、僕は……お前なんかに変えられたりしない。



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