エクトルが寛大な罪だとは思わないと言ったのは、正解だろう。
当主の妻であり兄を殺そうとした罰が、侯爵夫人になることは世間一般的に見たら、何が罰なのだろうと疑問に思うはずだ。
レイダードの家は名家で、結婚すれば子爵家当主になるよりも余程名誉だと思われるだろう。僕も妻になるのだったら侯爵家としても異論のない魔力だろう。懲罰と言う意味での結婚と知られなければきっと歓迎されるのかもしれない。
だが僕にとっては何の興味のない男と結婚し、このままレイダードの子どもでも産まされ、そんな生活が救いになるはずはない。エクトルにとっては死刑と同等の罰と判断したのだろうが、逆だ。僕にとっては死刑よりも嫌悪する罰だ。このままここに打ち捨てて行ってくれた方がどれほどマシだっただろうか。
「ハンスっ……服を着てくれ!」
「どうしてだよ? お前、僕のことを抱きたかったんじゃないのか? 昔から、嫁に来いって言っていただろ。だったらやれよ、遠慮する必要ないだろ?」
レイダードが近づいてこないので、僕は自分から寄って行った。
「エクトル殿が言っただろ? これは僕にとっての罰だって。お前は僕を自由にできるし、何をしたって許されるんだ。さっさとやれよ」
レイダードは僕を直視せず、斜めのほうを見て拒絶してきた。
「俺は、そんなつもりはない。確かにお前が欲しいし、お前を妻にするけれど、こんな場所で抱こうとは思わない」
「こんな場所って……どこだって一緒だろう!? やれればどこだって良いはずだ。なんだよ、まさか僕を大事にしたいとか言いだすんじゃないだろうな!?」
「そうだ! 俺は、お前を安っぽい扱いなんかするつもりはない!……大事にしたいと思って何が悪いんだ?」
まずい。真剣に笑いそうになった。この僕を大事にしたい? あのレイダードが?
お山の大将で、僕を何かの商品化のように嫁に欲しがっていたやつがか?
それに、実の両親からだって嫌われている僕を大事にしたいだって?
「レイダード、知らなかったよ。お前笑いのセンスがあるよな……こんな僕を大事にしたいって……まさか、僕を好きだとか言わないよな?」
「当たり前だろう! 愛しているから結婚したいに決まっているだろう! どうして好きでもない奴を嫁にしたいと思うんだ? 愛しているから、エクトル殿と交渉してハンスを命を救ったのに!」
ただの征服欲だと思っていた。
こんな僕を好きだと思っているなんて馬鹿じゃないのか、レイダードは。何の価値もない僕を好きだなんて、どうかしている。
「好きなのに、僕の気持ちは無視なのか?……僕はお前と結婚なんかしたくない」
例え罰だとしても、唯々諾々と受け入れたくない。
僕はここで朽ち果てたい。
性格が悪くて、誰にも好かれなくて、友達もたった一人しかいなくて、両親からも捨てられる僕にはぴったりの果て方だ。
レイダードの妻になって生き恥をさらしたくない。
「好きだから、お前を生かしたいんだ! 死なせたくないからっ!」
「本当に好きだって言うんだったら、ここで死なせてくれよ!! 僕がこのまま無様に生きて幸せだと思うのか!? もしそう思うのならお前は僕っていう人間を分かっていないし、尊重してもいない! ただのお前のエゴだ! お前の自己満足で僕を生かそうとするな!」
生き残って何が楽しんだ?
一体僕の未来に何があるっていうんだ?
もし愛しているっていうんだったら、何故生きる事を強制できるんだ?
僕だったら、相手を死なせてやる。
「愛しているから死なせたくないんだ……側にいて欲しい」
「タダじゃない。僕を好きにして良いって言っているんだ! 何をしたって良い……好きなようにすれば良いんだ。だから満足したら殺して欲しい」
僕は自分からは死ねない。レイダードの物にされてしまったから、レイダードの意思に反して何もすることが出来ない。
死ぬ自由もない。レイダードが僕を哀れんで殺してもらうか、ここに置き去りにして餓死でもするか、魔獣に殺されるしか死ぬ方法はないんだ。
「僕を満足するだけ抱いて、置いていってくれ。お前なら僕なんかより余程マシな男と結婚できるさ」
子爵家を追放され、何もなくなった僕と結婚する意味なんか無い。
「そのつもりはない」
「そんなことを言って、ここはその気じゃないのか? 身体はその気なんだから、やれば良いだろう!」
僕を極力見ないようにしているレイダードに抱きついて、膝でレイダードの股間を刺激した。紛れも無く興奮しているのが感触で分かった。
「大事にしたいと言っただろう!……確かに……俺も男だから、ハンスの裸を見て反応しないでいるのは無理だが、ここでは抱かないし、死なせるつもりも無い。ちゃんと籍を入れて、妻にしてからしか抱く気はない」
「お前なんか死んでしまえ! 例え、お前が僕を妻にしたって一生愛さないし、一生許さない! ここで死なせたほうが良かったって絶対に後悔するはずだ! 僕はお前を一生に憎み続ける」
両親もハンフリーもエクトルもレイダードも、誰も彼もが僕の敵で、憎い。
「母上、父上、俺の妻のハンスです。ハンス、俺の両親だ」
「来てくれて嬉しいよ。レイダードは昔から君と結婚するって聞かなくってね、結婚できなかったらどうなるのかと心配なほどだった」
「こんなに早く嫁に来てくれるとはね。私たちを本当の両親だと思って、甘えてくれ」
レイダードの父侯爵は婿に入った方で、母はこの家の生まれだそうだ。レイダードは両方に似ているように見える。
そういえば昔会った事があった。授業参観にも来ていて、陰険なレンダードの両親にしては感じが良くて、優しそうに見えるのが不思議に感じた記憶があった。まだそのころ一人っ子だったレイダードは両親に溺愛されていた。
僕はといえば、両親は僕の授業参観になんか来なかった。ハンフリーが馬鹿をやっていないか心配で、僕のところに来るどころじゃなかった。
「はじめまして、お義兄さま。こんな綺麗な人が兄上のお嫁さんに来てくれて嬉しいです。仲良くして下さい」
レイダードの年の離れた弟だ。
昔はレイダードは嫁に来いとしか言わなかったが、この弟が生まれてからは婿に行くと言い出した。
この子はお世辞にも魔力が高いとはいえないが、婿でも取らせるつもりだったのだろうか。レイダードの父も婿に来ているから、それほど拘らない家なのかもしれない。普通は僕の家のように、魔力が高い子どものほうを跡継ぎにするのに。
3人とも僕を歓迎してくれているようなのに、僕はそれを喜ぶことができない。
仲の良い家族に僕を招き入れてくれるとでも言うのだろうか。
魔力の高いレイダードも弱い弟も区別せず可愛がっている両親に、甘えろとでも言うのだろうか。
「……ハンスです…よろしくお願いします」
僕はこんな所に来たくなかった。レイダードと結婚なんかしなくなかったと吐露し、叫ぶほど馬鹿じゃなかったが、好かれようと努力することもしなかった。
「父や母や弟もハンスを歓迎している。本当の家族と思って欲しい」
「……家族に恵まれなかった僕に施しか?」
偽者の家族なんか欲しいわけが無い。
僕は何も欲しくない。
「僕に何か与えようと思うな。お前なんかが、僕に何をしようが僕は何の感銘も受けない」
「ハンス、俺はこれまで欲しいと思う物は何でも手に入れてきた。お前も例外じゃない。必ずお前の心を手に入れて見せるし、俺と結婚して良かったと思わせてみせる」
レイダードは綺麗に整えられたベッドに僕を横たえると、そう耳元で囁いた。
「生きていて良かったと言わせてみせる」
レイダード、やはりお前は僕と良く似ている。利己的で、他人の気持ちなんてどうでも良い。
僕もお前の気持ちなんてどうでも良いし、お前も僕の気持ちなんてどうでも良いんだ。
お前程度が僕を幸せにできるはずがない。
例え僕をどんなに大事にしたとしても、それはお前の独り善がりでしかない。
僕は汚い。息をしているだけで空気を汚したような気分になるし、こんな僕を誰も愛さないで欲しい。
「愛しているハンス。生きて、手に入れることが出来てよかった……一生大事にする。お前の家族の分まで愛すると誓うから……俺を見てくれ」
僕は言われたとおりレイダードを見ていた。
僕が望んだ場所じゃなかったけど、僕が言ったように僕を抱いて、だけど望んだように僕を殺してはくれなかった。
ああ、だけど。もう……死んだも同然か。
レイダードは死体を抱いて喜んでいるんだ。
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