ジゼルが死んで3年が経った。
その間ブランシュの行動を支配していたのは常にジゼルだった。
朝起きたらジゼルの墓へ行き、仕事が終わったともずっとジゼルの墓の前で佇むだけの毎日だった。
誰からも婚約者を失って頭がどうかしたと思われているだろう。
婚約者を失い、葬儀の日に同じ名前の花嫁を浚ってきて塔に閉じ込めている。かといってその妻に執着するわけでもなく、毎日毎日ジゼルの墓で過ごしているブランシュを誰もが狂っているのではないかと危惧していた。
「ブランシュ隊長、はじめまして。副隊長を務めさせて頂きますロアルドと申します」
「ああ、よろしく頼む。ロアルドというと……メリアージュの夫か」
「はい。隊長はメリアージュ様の甥に当たる方ですよね」
「そうだ……結構仲の良い甥と叔父だったんだが、メリアージュを怒らせてしまったから、もう会えないな」
ジゼルをあんな目に会わせたことを、静かに怒っていた。
ブランシュのしたことを面と向って怒ったのは母とメリアージュだけだった。
父も兄も祖父さえも、ブランシュを嗜めることすらしなかった。
同情しているのだろうか。愛した人に愛されなかった男がこんなに狂ってしまう様を見て、怒る気にもなからなかったのかもしれない。
「メリアージュ様はきちんと説明すればきっと分かってくださるかと」
「いいや……俺のしたことを誰にも分かってもらおうと思わないし、メリアージュくらい俺のことを許さないでいてくれる人がいても良いだろう」
母も結局俺の事を許した。こんな血に産んでごめんと謝ることすらして。
でも、母のせいじゃない。全部はブランシュを愛してくれなかったジゼルのせいだ。
「これからの隊について話し合いたいが、今日は念願の隊長就任なんだ。妻に報告したいから、また今度話そう。ロアルド副隊長」
そう、隊長の座をずっと望んでいた。
3年もかかってしまった。2年くらいでなれるかと思ったけれど、なかなか上が引退せず席が空かなかった。お陰で3年もジゼルを待たせてしまった。
ごめんね、こんなにも待たせて。
*******
起きて。
起きて。
早く、目を開けて。
「んっ……」
酷く永い眠りについていたように感じる。一体どれほど眠っていたのだろうか。
「やっと目を開けてくれたね、ジゼル。俺の大事な愛しい奥様……」
「ブ、ブラン……シュ?」
「ああ、やっぱり起きているほうがずっと綺麗だ。死に顔も凄く綺麗だったけど……」
死に顔?
ぼんやりと記憶が蘇ってくる。そうだ、俺はブランシュと戦って、魔核を破壊されて、殺されたはずだ。夢じゃない。事実、魔力が全く感じられない。
両手を見ても、服を着ていない自分の裸を見ても、あの戦いの片鱗は全くうかがえない。
傷一つついていない肌だが、破壊された魔核は外見がどれほど復元されても決して元には戻らない。
だからこそ、魔核を破壊することだけは厳しく禁止されている。通常の戦闘でも背骨の内側にある第二に心臓ともいうべき魔核は、背骨ごと両断されないかぎり破壊されることはないし、魔法攻撃では意図して傷つけない限り破壊されることは無い。
だがブランシュは明らかに意図をして俺の魔核を破壊した。
「どうして俺は……生きているんだ? 確かに殺されたはずなのに」
死の直前でブランシュは治療したのだろうか。でも、確かに死んだという実感があったし、ブランシュも死に顔と言っていた。
死んだはずだったのに。
「あれからもう3年が経っているんだ。凄く、凄く長かったよ。ジゼルのいない人生は地獄だね」
「……3年?」
「そう……だから、皆ジゼルが死んでいると思っているし、事実死んでいた」
死んでいたのが真実なら、こうして生き返る魔法は存在しない。いや、たった一つだけある。辺境伯家に伝わる独自魔法、蘇生だ。この蘇生魔法は辺境伯家でも使い手は片手ほどしか存在しないのと、制限がありすぎるせいで、口外禁止の独自魔法となっていて知っている者もほとんどいない。
「俺を……蘇生させたのか? どうやって?」
「俺たちの中にも辺境伯家の血は流れているだろう? たまに辺境伯家でも時系魔法が使える者が出てくるし、逆に俺たち公爵家でも極稀に蘇生魔法が遺伝で現れる、そう俺みたいにね。発動条件は知っている? 一等親以内の親族か、合意の上で性行為をした者に限る……良かったよ。ジゼルがあの夜、俺に合意の上で抱かれてくれて。そうじゃなかったら蘇生できなかった」
ブランシュには最後の時、魔核を破壊されて犯された。無理強いという行為では蘇生対象にならないのを嬉しそうにブランシュは話し続けた。
「俺は逆行魔法が使えない代わりに蘇生魔法に恵まれたから……ああ、ジゼル長かったよ。もう一つの制限の、妻になってくれる条件を達成しないと蘇生ができなかったから、隊長になれるまでの3年間、本当に辛かったんだ」
うっとりと囁くように長かったけど、もうずっと一緒だよ。俺の愛しい奥様ジゼルと何度も囁くブランシュは、俺との間に何があったのか忘れているかのようだった。
「3年……妻? 俺は死んだ事になっているのなら、お前の妻のはずはっ!」
「ああ、そのこと。それだったら外国からジゼルって名前だけ一緒のつまらない男を誘拐して来て結婚したんだ。ジゼルは戸籍がなくなっちゃったからね。ここは花嫁の塔なんだ。そいつを閉じ込めていることにして、実際にはジゼルと暮らすんだ。わざわざジゼルのために、偽者ジゼルを用意しておいたんだよ。でも、もう用無しだけど」
「お前はっ……」
俺を誘拐花嫁としてここに囲う気だ。そのためだけにジゼルという名前の男性を誘拐して来て、形式ばかり結婚し、ジゼルという妻の籍を用意した。
用意周到だが、狂っているとしか思えない。
「……そうだ、フリッツは?!」
自分のことも気になるが、婚約者のフリッツのことを忘れていた。3年も経ってしまっていて、今どうしているか。ブランシュに酷い目にあわされていないか。
俺が不甲斐ないせいで、守りきれなかった。
俺の考えも甘すぎたんだ。まさかブランシュが俺に危害を加えるとは思いもよらなかった甘さだ。
「その名前を二度と口にしたら許さないから……でも、二度と口に出さないために、あいつの末路を教えておいてあげるよ……俺は、ジゼルに騙されてアイツに危害を加えられないようにされた。だから、ね。何度も何度も永遠にジゼルが俺に抱かれる姿を死ぬまで流し続ける魔法をかけた。そんな顔しないでよ……死んだりしないんだから。怪我一つしていない……でも、日常生活を送るのが難しくなっちゃったみたいだから、ジゼルと結婚させてあげたんだ。ああ、ジゼルは偽者のほうだよ……偽者をここに置いておくのも嫌だったから、アイツもジゼルと結婚できて本望だろう? 俺からジゼルを奪ってまで結婚したかったみたいだから」
こんなことを平気でする男じゃなかったのに。穏やかで優しかったのに。
確かにフリッツに何かしでかさないか心配をして誓約をした。けれど……
「だから、もうアイツはジゼルの物じゃないし、もうジゼルは俺だけの物だ」
「……両親は?…ローラは? どうしているんだ? 俺が生きていることを知らない?」
「知らない……ジゼルが生きているのを知っているのは、俺だけ。だからここにいるのは偽者ジゼルだと思っているし、誰も助けには来てくれないよ」
「どうして! どうして! ここまでするんだ!!?? 俺は確かにお前を裏切った!! けど、魔核を破壊するだけで充分だっただろう? 魔力の無くなった俺じゃあ、お前に抵抗のしようがないんだから、お前は俺を自由にできたのに!!!……なのに、どうして殺したんだ! 俺を世界から亡くしたんだ!」
両親やローラをどれほど悲しませただろうか。特にローラはたった一人の弟を亡くして、しかも双子で生まれた時からずっと一緒だった。どれほど喪失感を抱いているだろうか。
「だってジゼルは死なないと、俺だけの物にならないじゃないか。ジゼルの魔核を壊したなんて知れたら、叔父上やおじい様たちがきっと煩く言って、こうして閉じ込めさせてくれないだろう? だから死んだ事にすれば、もう誰もジゼルを知らないし、助けにも来ない。ジゼルが頼れるのは俺一人だけで、俺しかいない……凄く素晴らしいだろう?」
「理解できない」
できないのではなくて、したくない。
「俺の何もかもを奪って! 花嫁の塔に閉じ込めて!……それで俺がブランシュの物になったとでも思うのか? 何もできなくなったけど、死ぬ自由はまだ残っている。蘇生魔法は人生で一度きりしかできないはずだ。逆行魔法が使えないお前は、二度と俺を戻すことはできない」
「ジゼルが自殺したら、もう誓約魔法なんてどうでも良い。ジゼルがいない人生なんて興味が無いから、誓約の反動で死んだって構わない。アイツを殺して、大事なローラも殺してやる」
「っ…」
「ああ、ローラ、まだ独身なんだよ。セドリックと婚約しているけどまだ結婚できていない。ジゼルが死んじゃったから、セドリックのところに嫁にいかせれないからって、叔父上は一族から婿を迎えようって言っているし、っていうか言わせているし。でも、ジゼルが俺の妻でいてくれるなら、大事なローラをセドリックと結婚させてあげるよ」
ローラの安全は確保できていても、ローラの幸せまでは誓約で確保できない。その気になればブランシュはローラの人生を破滅させられる。あんなに愛し合っていたセドリックとまだ結婚できていないなんて。
「お嫁さんになるよね? ジゼル」
俺は答える代わりに瞼を伏せた。
ブランシュの唇が降って来る。
「ああ、ずっとずっとこの時を待っていたんだ。ジゼルが俺のお嫁さんになってくれて、俺だけの物になってくれる日を。一度は俺を裏切ってあんな男と結婚しようとしたけど、許してあげるよ。だってジゼルはもう誰にも会えないし、どこにも行けないから」
ローラを一刻も早くセドリックと結婚させて欲しいと懇願すれば、良いよと笑い返してくる。
両親とローラに俺が生きていることを知らせてくれと言おうとして止めた。
きっと彼らにとっては俺が生きていることを知らないほうが幸せだろう。ブランシュはもう俺を誰にも会わせるつもりはないだろうし、こんな俺を知ったほうが両親も苦しむだろう。
フリッツからもあんな記憶を消してくれと頼もうとして、これも止めた。二度とフリッツの名前を出してはいけない。それは彼のためにはならないと感じて。
結局俺はフリッツを守れず、今こうして生きているのも、ローラのためだけだ。
「ほら、ジゼルこれを飲んで。これ? 花嫁の媚薬だよ。これを飲んで俺しか欲しがらなくなって」
無理矢理飲まされた毒薬は酷く甘かった。
けれど何の効き目も俺には無かった。本来公爵家の男に花嫁の媚薬は効かない。誘拐された花嫁の血を濃く引く場合は、この限りではないだろうが、俺には何の効果もなかった。
「効いたほうが辛くなかっただろうに。でも、こんな物がなくても俺だけしか考えられないようにするから。ずっとずっと一緒だ。ジゼル」
俺はこれほど仕打ちをされることをしただろうか。
ブランシュの愛を利用した。ブランシュを騙した。ブランシュの純愛を踏みにじった。
俺は酷い男だけど、それでも、魔核を破壊され、殺されて、何もかもを奪われる事をしただろうか。
大事な人を人質にされ、死ぬ自由すらない。
きっと俺はこのまま塔の中で閉じ込められたまま、ブランシュだけしかいない人生を終えるんだろう。
魔核を破壊された今、そう長生きするとも思えない。魔力もなく、逃げ出すことも当然できず、まるで自分の物ではなくなった弱った体で生きていかなければならない。短い人生だとしても、ブランシュに囚われているこの生活は永遠にも感じられるだろう。
「何も出来ないジゼルのほうが良いね。だって俺がいないと生きていけない。魔力が高くて高潔だったジゼルも勿論好きだったけど、俺は何も出来ないジゼルのほうが好き。たくさん子どもを作ろうか? 誰にもあわせないつもりだけど、子どもだけは別にしておくよ。魔核を破壊したお陰で俺の子どもをたくさんジゼルに産ませられる。何人欲しい? 産ませられるだけ孕ませてあげるよ」
ブランシュ、昔のお前は俺のことが大好きで……俺の後を何時も追って駆けてきた。俺のほうが年上だったから追いつけなくて泣きそうになっていた。
大人になっても子ども頃と変わらない、まっすぐな愛情を俺に向けてくれていた。
ブランシュ、俺はお前を許せない。本当だったらフリッツと結婚して、幸せになれていたはずなのに、お前がそれを滅茶苦茶にした。俺だけじゃなくて、フリッツの人生も壊した。
両親も子どもが先立たれる悪夢を見せてしまった。
許せるはずが無い。
けれど、俺がブランシュにそうさせてしまった。俺もブランシュを壊してしまった。
「愛している、愛しているよ、ジゼル。可愛い……一生、愛している。誰もジゼルが生きているって知らなくて良いんだ。俺だけのもの、俺だけの。ジゼルが死んだら俺もすぐに死ぬから……ずっと一緒だ」
許せない。許したくない。
けれど可哀想なブランシュ。俺のせいで、まっすぐだったブランシュを殺してしまった。そして残ったのはただの狂人だ。
全部俺のせいだ。もっと上手くやっていれば。いや、初めから諦めてブランシュを幸せにしようと思えていれば、こんなブランシュを見ずにすんだのに。
「ジゼル、ジゼル。俺の大事な奥様」
「ブランシュ……死ぬまでは一緒にいてやる。死ぬまでは俺はお前の物だ……」
だから死んだ後は自由にさせてくれ。
お前への贖罪で生きている間はお前だけの物だから。
お前を愛せない俺を許してくれ……。
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