「フリッツ、ごめん。結婚式らしいこともできなくて」
「良いんだ。やっとジゼルと結婚できるんだってだけで嬉しいから、結婚式なんてどうでも良いよ」
数年に及ぶ秘密の恋人同士でやっと結婚まで辿り着いたが、ブランシュに婚約破棄も、フリッツと結婚する事もすべて秘密にしているため、今日の結婚を知っている人は伯父一家と、自分の家族とフリッツの身内だけだ。できるだけ情報を漏らさないために、結婚式らしい式も行わず、お披露目パーティーもせず、二人で籍を入れるだけのささやかなものでしかない。
それでもフリッツはやっと俺がブランシュと縁を切って、こうして結婚まで辿り着いたことを喜んでくれている。
今日が二人の初夜になるはずだが、俺はもう綺麗な身体ではない。フリッツのためだとはいえ、裏切ってしまった事を後ろめたいと思っている。だが正直に話せば良いとは思わない。真実を言っても傷つくだけだろうし、知らなくて良いことはたくさんある。
「凄く待たせてすまない。絶対に幸せにするから」
「そうだね。散々やきもきさせられたから、絶対に幸せにしてもらわないとな」
「じゃあ、出しに行こうか」
先ほど二人で書いた婚姻届を典礼省に出せば、フリッツと夫婦として認められることになる。
「うん……でも、本当にブランシュ様は大丈夫なの? いっそ正直に全部言ったほうが良かったんじゃないか? こんな騙まし討ちのようなことをして後々揉めないか心配なんだけど」
「何をしたって絶対に揉めるに決まっている……籍を入れてしまえばブランシュもどうしようもならない。せめて今日くらいは穏やかな気持ちでいたいんだ。それにはブランシュには何も知られていないほうが都合が良い」
両親はきちんとブランシュに事情を話したほうが良いと何度も説得されたし、実際に俺もきちんとブランシュに話しつもりだった。しかしブランシュがやすやすと婚約破棄を受け入れるとは思えず、絶対に結婚を邪魔しようとするはずだと想い、伯父夫妻に相談をし、婚約破棄としばらくブランシュには黙っておいてもらえる様に話し合った。
本当ならとても不誠実なことはしているが、オーレリー様はこちらが強引に婚約まで進めてしまったし、俺がブランシュを愛していないことは分かっていたので、仕方がないと受け入れてもらえた。
「当然揉めるに決まっているよな? ジゼル……そんな男と結婚したいがために、純潔を捨てたのか?」
婚姻届をもった手が震えた。目の前に転移魔法で現れたばかりのブランシュがいた。
「……ブランシュ」
「俺の気持ちを弄んで捨てて……どんな気持ちだったんだ? 少しはすまないって思ってくれていたのか? 愛しいジゼル?」
驚愕に目を開いているフリッツを背後に隠し、ブランシュに対峙をした。誓約の契約によりブランシュはフリッツに傷つけることはできないはずだが、それでもフリッツをブランシュの目に曝しておくことはできない。
「心配するなよ。どんなにその男をこの世から消してやりたくても、できない。そのためにブランシュは俺に抱かれたんだよな? 俺に抱かれた体で今夜その男を抱くつもりだったのか?」
「やめてくれっ!!」
背後で息を呑む気配がしたが、今はフリッツに弁解をしている暇はない。フリッツに構っていたら余計ブランシュを怒らせるだろう。
「やめてくれだって!!?? 俺の方こそこんな茶番を止めて欲しくて仕方がないんだ!!……ジゼルは俺の花嫁になるはずだっただろう? なのにその男のほうが良いのか? 婚約破棄? 認めるはずがない!!! ジゼルが俺以外の男の物になるなんて絶対に許さない!!!」
手に持っていた婚姻届が燃え上がる。
「……ごめん。許してくれ……どうやっても俺はお前と結婚するのは無理なんだ。愛していない」
「そうか……ジゼル。こんなに愛しているのに……俺のものにはならないって言うんだったら」
数十トンにも及ぶ重力が降り掛かってきて、結界で凌ぐが屋敷は全て崩壊していた。
ブランシュの怒りは勿論分かる。自業自得だというのも勿論自覚している。だが、今までフリッツに向けられる悪意を心配したことはあっても、ブランシュが俺へ危害を加えることを想像したことはなかった。甘いかもしれないが、それだけ愛されている自信があった。
「ブランシュっ、俺とお前が遣り合ってもお互い潰しあいになるだけだぞ!」
同じだけの莫大な魔力でやりあっても決着はつかない。お互いに魔力を使い果たし死ぬしかない。
「その男を守りながら俺に勝てるとでも?」
今まで見せたことの無いような冷たい笑みを浮かべながら次々に魔法攻撃をしかけてくる。
フリッツには直接危害は加えられないだろうが、俺に対する攻撃の余波では別だ。ブランシュの攻撃魔法なら余波だけでフリッツは死んでしまう。
衝撃をやり過ごしながら、確かにこのままでは消耗戦になるがフリッツと一緒にいる俺のほうが不利だろう。負けはしないだろうが、フリッツを守りきれるか。このためにフリッツを守るために契約を結んだのに、まさか俺を殺そうとするブランシュの巻き添いになるなんて。
それでもまだ余裕はあった。まだ魔力は尽きそうもなかった。あと何時間かは余裕でブランシュと遣り合えるだけの魔力はあったはずだった。
「えっ……?」
突然魔力が途切れた。そして次の瞬間、猛烈な痛みが身体中を駆け巡った。ブランシュの攻撃の余波でクレーターになった地面に倒れた。
何が起こったのか理解が出来なかった。一番痛みのある場所に手をやると、べっとりと血がついていた。そしてその血は止まりそうもなかった。
普段だったら怪我をしてもすぐに治癒魔法が意識をしなくても治してくれる。今は意識して治そうとしても魔力が何も感じられない。
「ブ、ランシュ……どうやって?」
魔法が使えなるときは妊娠した時。確かに俺はたった一度ブランシュに抱かれたが、妊娠はしていない。もし妊娠していたとしてもこんな急激に使えなくなるものではない。だからどうやったか分からないが、魔核を壊されたとしか考えられない。
「血族と戦うのってやっぱり面倒だねジゼル。同じ血を持つから魔法がキャンセルされるし……俺の持つ時封魔法でもブランシュの時をほんの二秒しか止めてくれなかった。けど、魔核を破壊するだけなら二秒あれば充分だったよ」
同じ血と同じ魔力を持つ間柄では、独自魔法は発動しないか、効き目が物凄く低い。実際に俺は何度もブランシュに対する予知を妨害された。勿論無自覚で妨害する。
「こ、こんなっことを……」
「勿論、卑怯なことだって分かっているよジゼル。魔核を破壊するのは死刑にも値する、卑劣な行為だってね。でも、最初に卑劣な事をしたのはジゼルだろう? 魔法が使えるとジゼルは俺から逃げ出せちゃうし、面倒な事しかならないから、もう魔法は使えなくても良いよな? こんなに魔力があるから俺から逃げ出してあんな男と結婚しても大丈夫なんて、馬鹿らしいことを考えるんだよ」
今まで国内有数の魔力を誇りできないことは何もなかった。そんな俺がもう魔力がない? 魔法が使えない?
フリッツを守るどころか、生きていく事さえ一人ではできなくなってしまった。
「魔核を破壊するほど……俺のことが憎かったのか?」
「憎いんじゃないよ。愛しているんだよジゼル……愛しているから俺から逃げ出そうとする余計な力は無いほうが良いんだ。ほら、もうあの男を守るささやかな魔力もないジゼルは本当に可愛い」
「何を、フリッツにっ」
「何もできないって分かっているだろう? 俺は契約により指一本あいつには触れれない。だけど地獄を味あわすことはできる」
ブランシュは魔核を破壊した傷をあっという間に治療すると、俺の血に塗れた衣服を剥ぎ取った。
「……何を、考えているんだ」
「何をって、ジゼルは俺のお嫁さんだよ。今夜初夜のつもりだったんだろう? 俺たちの初夜にしよう。あいつに見せてやる。自分の夫になるはずだったジゼルが俺に抱かれる姿を見て、誰からジゼルを奪うつもりだったのか思い知れば良い」
傷が治療されても破壊された魔核は治らない。一度魔核が破壊されるとどんな治癒魔法でも治る事はないのだ。
ブランシュに陵辱される俺を信じられない物を見る目で、呆然と立ち尽くしながら見ているフリッツをもう俺はどうすることもできない。魔法で転移させることも、記憶を消してやる事も、見せないようにその目を覆いつくしてやることも、もう俺には何も出来ない。ただの無力な人間に成り果てたんだ。
「ジゼル……俺の可愛い奥さん」
「………ブランシュ、無駄だ。俺はもう何も出来なくなったが…こんな身体じゃあフリッツの夫になることもできない。だけど、お前を拒否する権利だけはある。最後に残された権利だ」
「俺に抱かれているのに? 俺の妻になるしかもうジゼルはないのに?」
「この身から魔力が無くなろうが、俺は公爵家の一員でお前の従兄弟だ。やすやすと言いなりになったりはしない……魔核を壊されたのは……俺がお前を騙したから、酷い事をしたから……当然の仕打ちだと思って受け入れるよ。でも、お前の妻にだけはならない。何を言われても、婚姻届にサインをするつもりはない」
ブランシュを恨むつもりは無い。俺はそれだけの事をしてしまったんだ。
ブランシュの愛に甘えて、ブランシュが俺を壊すはずがないと自惚れていた。
だけど、こんな身体になろうと愛していないブランシュの妻にはなれない。
「本当に……ジゼルは酷い……」
「ごめん……」
「俺、ジゼルに純潔を捧げたんだよ。他の誰とももう結婚できないのに……」
「ごめん……」
「愛しているんだよ」
「分かっている……けど、こんなことをされて、お前の妻にはなれない」
「一生、許してくれないの?」
「許しているけど、許せない」
俺とフリッツの未来をぶち壊し、俺から何もかもを奪った。それだけのことをブランシュにしたから、許すけれど、許せない。
「じゃあ、死んでもらうしかないよね………安心してジゼル。俺は一生、一生、ジゼルだけを愛するよ。愛している……愛しているよジゼル」
ブランシュはできるだけ痛みを感じないように俺を殺してくれた。心臓を一突きにしてくれて、むせ返る血の味を感じたのはほんの一瞬だった。
「ジゼル……ジゼルは死んでも綺麗だ……これでもう誰もジゼルを奪えないよね?」
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