僕がこの世で最も嫌いな人間は、兄ハンフリーだ。

兄と呼ぶのも厭うほどの存在だ。

ハンフリーはこの子爵家に生まれた。しかも嫡子で長男として生まれたのに、魔力は僅かばかりの出来損ないだった。普通なら余りの魔力の低さに生まれなかったことにし、他家(分家)に養子に出されるような出来損ないなのだ。

しかし、ハンフリーは類稀なる美貌を持って生まれたらしい。両親はそれはハンフリーを可愛がり溺愛し、甘やかして育てた。
流石にあとを継ぐせるのはできないので、僕が子爵家の跡取りになることは早くから決まっていた。しかし両親の愛は常にハンフリーにあり、僕は可愛げのない息子として扱われ、跡取りとしては尊重されていたが愛は与えられなかった。

ハンフリーなんか、アホで馬鹿で何の努力もしない。なのに、誰からも愛されている。

僕は、勉強し、子爵になるのに相応しいようにずっと努力をし続けてきた。だが、それすら両親にとっては愛想のない子供で、可愛くないようにしか写らなかった。よくハンフリーを虐めているのを見られては、意地が悪いと責められた。
魔力の低い守ってあげないといけない兄を、虐げる僕は性根が腐っているとも言われた。

けれど、両親だって兄に向ける愛情の10分の1でも僕にくれただろうか?
あんな出来損ないの兄ばかり可愛がって、僕に責任ばかり押し付けて、将来的には兄の生活を保障してやり、守ってやって欲しいとまで言われた。

誰があんな馬鹿を守ってやるか!
父の目がなくなれば、この世でもっとも愚かな男でも伴侶に選んでやろうと思っている。



「お父さまっ! どうして僕が廃嫡されないといけないんですか!!???」

「ハンス、ハンフリーの夫になったエクトル殿は伯爵家の跡取りだった方だ」

「だからといって、当主として相応しい僕がいるのに! 僕を廃してまでハンフリーの夫を当主の座になんて納得できるわけがありませんっ!」

あの馬鹿ハンフリーが、顔だけは良かったせいで伯爵家の嫡男を射止めてしまったらしい。そのせいで僕は未来の当主の座から引き摺り下ろされるらしい。

「では聞くが? ハンス、確かにお前の魔力は高い。だがそれは、あくまでも子爵家の人間としてはだ。母君は伯爵家の嫡男で、父君は王族から婿入りされた方を両親に持つエクトル殿と、どちらが当主に相応しいと思う?」

「っ……」

身分も血筋も魔力も全てが僕はエクトル殿に勝てない。まして父が当主の座を婿に渡すと言っているのだ。僕ではどうあがいてもこの状況を変えることは出来ない。

「まして、お前のように卑劣な事を平気でするような息子に跡継ぎは任せられない」

「それはっ!……」

貴方達が僕もハンフリーと同じように愛をくれていたら……僕だってこんな性格にはならなかったのに。
でも、今更愛情が欲しかったなんて泣き喚いたって、僕なんかに似合わない。馬鹿にされるだけだろう。

「僕はハンフリーのスペアで、スペアとしても……今日、用済みになったということなんですね」

「ハンフリーに渡そうと思っていただけの財産はお前にも与えよう」

「いいえ、必要ありません。僕はハンフリーと違って、自分で仕事も見つけれますし、自分の面倒くらい自分でみられます。卒業までは子爵家のお世話になりますが、どうぞ卒業してからは僕と言う人間がいなかったことにして下さい」

父も母も、勿論ハンフリーだって僕の世界には必要ない。
僕を愛してくれない人間なんて要らない。



「ハンス、お前廃嫡されたんだって?」

同級生たちが意地の悪い笑みを浮かべて、僕を揶揄していた。
僕も同じように、所詮平貴族のくせにと笑っていたから、その仕返しだろう。

「残念だから、正確には廃嫡じゃない。義理の兄が当主になっただけだ。僕はまだ跡継ぎには変わりない」

跡継ぎになる権利は奪われたが、ハンフリーが子どもを産むまでは僕が権利があるままには違いない。ハンフリーが絶対に子どもを産むとは限らないし、生まれてもハンフリーと同じように魔力の低い子どもだったら、僕に回ってくる可能性がまだ僅かばかりある。

「そんなのただのスペアだろ? どうせ、都合よく使われるだけさ」

子爵家の跡継ぎとして散々えばってきた僕の零落振りが楽しいのだろう。

「そうだな、ハンスは美人だしな。伯爵家や王族ともコネができたんだったら、どこにでも嫁にいけるだろう?」

「お前らみたいな雑魚とは結婚しなくて済むと思えば、コネが出来た事を喜ぶべきだろうな」

「おい、ハンスっ。あんまり敵を作るなよ。お前ただでさえ」

敵を作りまくった挙句、跡継ぎでさえなくなった僕はどんな報復をされるか分からないと言いたいんだろう。僕の唯一の友人がそう忠告をしてくるので、やつらを無視して席に着いた。
早く卒業したい。ハンフリーに子どもができなかったら当主の座が巡ってくるかもなんて期待はしない。一度切り捨てられたんだ。もう何があっても実家の駒になる気はなかった。

「ハンス、逃げるなよ。子爵家という荷物がなくなったのなら、俺の嫁に来い……未来の侯爵夫人だ。悪くないだろう?」

雑魚たちに何時も取り囲まれているレイダードが、僕の顎を取って彼に向かせた。レイダードは雑魚たちの首領とはいえ、このクラスでトップの魔力を誇り、権門の出だ。

「断わる。興味はない」

「ハンス何が悪いんだよ。レイダードが嫁にしてくれるって言うのに」

「そうそう、レイダードは前から何が良いのか、ハンスを嫁に欲しいって言っていただろ? 婿に行っても良いとまで言ってくれていたのに、贅沢を言うなよ」

レイダードの冷たい指先を振り払おうとしても、強い魔力で顔を動かせないようにされ、彼の顔から目を逸らせないでいた。
上級貴族によくある茶色の髪をしたレイダードは、何が良いのか分からないが昔から僕を嫁にしたいと言っていた。僕は子爵家を継ぐと断わると、なら侯爵家は兄弟に継がすので婿に行っても良いとさえ言っていたが、僕は自分で当主になりたかったし、その実力もあった。だからレイダードには興味がなかったし、今もない。
ハンフリーが結婚する前だったら、レイダードと結婚するから子爵家の当主の座はレイダードにと言えたかも知れないが、そもそも僕は自分が当主になれないのだったら、他者と力を借りてまでなろうとは思わない。


「ハンス、何がそう気に入らないんだ? 子爵家から必要されなくなったのだったら俺の嫁になるしかないだろう? 大事にしてやるよ」

「遠慮をしておくよ」

「お前を蔑ろにしたやつらを見返してやろうとは思わないのか? 俺なら、お前のためになんだってしてやるのに」

「自分でできないことを他人にやってもらおうとは思わない……離してくれないか? その手を」

「そうか……つれないな。だが、俺は諦めない。ハンス、お前は俺の妻になるんだ。それは決定事項だから覚えておくんだな」

子爵家は上流貴族とはいえないが、明確な区分があるとはいえない。例えば、子爵家の当主だから魔力が侯爵家に勝てないというわけでもない。一代でも上流貴族の魔力の高い婿がくれば飛躍的に魔力が高まるケースもある。だが僕はレイダードには到底勝てないのは分かりきっている。

だがいくらレイダードが魔力が高くても、僕が頷かない限りどうこうすることはできない。強姦は死罪だ。レイダードも侯爵家の令息なのだから馬鹿な真似はするはずないだろう。

一般的に上流貴族ほど無茶苦茶なことをするのだが、ハンスは性根が腐っていると言われても、汚い事をするわけではなく正々堂々とハンフリーを虐めていた。だから上級貴族がどれほど汚い事をするのか分かってはいなかった。

それからもレイダードは何度も絡んできたが僕は無視をし続けた。好みじゃないという問題も勿論あった。レイダードは利己的で僕に良く似ている。それに僕は自分の遺伝子を残したくなかった。
そうして卒業を迎え、最後に実家に戻ってケジメのために両親に別れの言葉を言いに戻った。二度と戻ってくるつもりはないからだ。

とっくに僕にとって実家は戻る場所ではなくなっていたが、どうやら本当に僕の居場所はなくなっていたようだ。
ハンフリーが妊娠し、スペアとしての価値もなくなってしまった。

最後だと思って、両親ハンフリーとその夫との団欒の時に、苦痛だと思いながら参加をした。会話には入らず、晩餐が終われば去るつもりだった。ハンフリーはどの省庁にも受からなかったが、僕は幾つも合格通知を貰っている。

「ねえねえ旦那様、この子はちゃんとちんこの大きな子に生まれるかな?」

「ハンフリー?」

「だってノーラが魔力の大きな子はちんこ大きいっていっていたもん。僕で魔力の大きな子が生めるかな? ハンスみたいな小さなちんこだったら可哀想だよ」

は?
何で僕の名前が出てくるんだ?
僕の何が小さいって?

「ハンフリー!? どういうことだっ!」

「旦那様っ! お父さまっ、ハンスが怖いっ!」

「ハンス、ハンフリーは大事な体だ。怒りを向けるな!」

「ですがっ!」

「だってだって、ノーラの言う事が正しいのか、僕確認しただけだもん! ハンスのお風呂に入っている所を盗み見て、僕よりもちんこ小さいって分かったんだもんっ。旦那様みたいにちんこが大きいか、確認したかったんだもんっ!」

「ハンフリー、そのな……デリケートな問題だからあまり小さいと連呼しては可哀想だろう?」

「だって本当のことなんだもんっ!」

「本当のことでも言ってはいけない事があるだろう? ハンフリーだって馬鹿だ馬鹿だと言われたら悲しいだろう? だから、そういうことは口にしてはいけない。いいね?」

どうしてこんなのが僕の兄なんだろう。
幼児だってもっと頭が良いだろう。僕の実家での最後の夜がこんな馬鹿馬鹿しい喜劇で終わるのかと思うと情けなくなった。

「じゃあ、僕の赤ちゃん、ちんこが大きい子になってくれる?」

「安心しなさい。大きな子が生まれるまで先生が頑張るからね」

ハンフリー、貴様をずっと嫌っていた。けれど、今日は殺意を覚えた。

僕はもうこの家を出て行く。二度と戻るつもりはなかった。だが、ただ出て行くだけでは気がすまない。
両親が愛し、何不自由なく誰からも愛されたこの家の希望を孕んでいる今、僕のできる限りで、この家に手土産を残してやろうと思った。絶望という名前の、僕からの最初で最後のプレゼントだ。

「ハ、ハンスっ! 僕怖いよっ!」

「煩い、黙れ。お前の泣き言なんか聞きたくない」

僕は家を出た振りをし、ハンフリーを誘拐した。正確には王都の屋敷と地方の領地とを結ぶ転移魔方陣から連れ出したのだ。その地方の城から、用意しておいた転移魔方陣で更に飛んだ。僕の魔力では残念ながら、転移をすることができない。だが予め用意しておいた魔方陣からなら可能だ。
そして用意しておいた転移魔方陣はランダムで転移するもので、僕自身どこに運ばれるか分からなかった。そして帰る術もなかったが、戻るつもりもなかったのでこれで調度いい。
帰還方法を設置していたら追跡されるかもしれないが、僕自身この場所がどこかも分からず、帰る方法もなければハンフリーを探す方法なんか、いくらエクトル殿でも無理だろう。

「どうして僕に酷い事をするの? 僕、赤ちゃんがいるのに…」

「目障りだからだ」

転移した先は深い森の中で、人気はない。逆に猛獣や魔獣のたぐいの気配は複数感じられる。対抗する魔力のある僕ならともかくハンフリーでは食われて終わりだろう。

「僕と赤ちゃんが邪魔だから? いなくなったらハンスが跡継ぎに戻れるから僕たちを殺そうとしているの?」

「馬鹿な頭ながら、それなりには考え付くんだな?………いいや、僕はもうあの家には何の未練もない。未来にも何の展望もない。希望も、何もな……今望んでいるのは絶望だけだ。大事な大事な愛するハンフリーを亡くした父や母の絶望の顔だけが見たいんだ」

見たいけど、見れないだろうな、とは思う。帰る方法を自ら放棄した僕は帰国する術はない。ここでハンフリーとともに朽ち果てるつもりだった。だけど、その顔を想像するだけで死ぬ価値はあると思える。

「それで、大事なハンフリーを殺したのが嫌いな次男だと知ったら、どう思うかな? やっぱり僕なんか産まなければ良かったって思うんだろうな。安心しろよ、当主の座への復権を狙っているとか、お前の素敵な旦那様と再婚でもして僕が当主になるなんてことはありえない。僕もここで一緒に死んでやるよ、ハンフリー……」



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