「おとう様、おあしが痛い」

「靴擦れでもしたのかな? 見せてごらん」

粗末な靴ではこの山道では、子どもの足には良くなかったのかもしれない。だが、昔のような豪華な庶民の年収ほどもある靴などはかせてはやれない。
この息子も世が世なら王子と呼ばれる身分だった。私は国王だった。しかしそんなものは過去の栄誉でしかない。
政争に負け、王都から遠くはなれた山の小さな村で逃亡中の身では、息子に贅沢などさせてやれるわけはなかった。
息子にあう靴くらい魔法で作りだせる。だが、貧村で隠れるように暮らす子どもが、そんな靴などはいていたらおかしい。息子が生まれたばかりの頃に、王都を追われたのだ。息子は当然自分が王族だった事など知らないし、知らせるつもりは無い。貧しい生活に慣れてもらうほかはなかった。

一緒についてきてくれた家臣や妻は、いずれは王都にもどり王座を奪還すると信じているが、私にはそのもつもりはない。
こうして生きて逃れられただけでもありがたいと思わなければならないのに、見つかれば私は勿論、息子も命は無いだろう。今更王座には興味はないし、王座を奪っていった異母弟と再び骨肉の争いをするつもりはない。魔力で負けたということもあるが、この可愛い息子に王族という枷をつけたくなかったからだ。

自由に生きて欲しい。命を狙われる事なく、貧しくても平和に生きて欲しい。ここでならそれができる。

「血が出ているね。おうちまで抱っこしてあげるから、泣かないんだよ」

勿論魔法を使えばこのくらいの傷はすぐに治るだろう。だが、息子には魔法を使わせたくはない。大きくなれば自然に覚えてしまうだろうが、できるだけ遠ざけておきたかったからだ。

山で取った山菜を右手に持ち、左手で息子を抱き上げようとした。ふと、視線を感じたような気がして振り向いた先には、茶色の髪をした男が立っていた。追手かと身体が強張ったが、そうではないとすぐに感じた。

追手のほうがマシだろう。この男は追手よりも、余程たちの悪い男だ。私ではとても相手にはならない。

「レーン、足が痛いだろうがお家に戻りなさい。走ってっ……振り向かないで」

「おと」

「早くっ!」

怒鳴った事などない私が息子に怒鳴ったのだ。一瞬泣きそうな顔をしたが、頷くと走っていった。
男は少しだけレーンを見ていたが、何もしなかった。

もうきっと二度と顔を見ることができないだろう息子の無事だけが酷く嬉しかった。

目の前男の顔を見た瞬間、未来視が脳裏を過ぎった。王家に代々伝わる、過去や未来を予知する魔法を私は持っていた。弟には遺伝しなかったようだが、私には要所要所で、未来や過去が見える。自分の意思で見えるものではないが、経験から運命の別れ道といった重要な選択の岐路に立っている時に見えるのだ。

弟が反乱を起こし王位を奪おうとしているのも、未来視で知った。ただ知ったとしても何かできるというものでもない。弟の魔力は強く私では勝てないことはどうしようもないし、反乱を抑える事もできなかった。ただ、妻や息子の命を守るために逃げることくらいはできた。そのくらいのささやかなことしかできないのだ。

今日も、息子を逃がすことは出来た。

ただ、私の運命は変わらないだろう。

私の未来視では、この男は私を気に入り、私を連れ去ろうとする。私は逃げようとし、見せしめに息子を殺され、一族も皆殺しにされ、この男に陵辱をされた。
それでも、息子も家族も守る事ができた。

それだけで、充分すぎるほどこの未来視は役立ってくれただろう。

「美しいな……名はなんと言う?」

「……レナードです」

本当はもっとずっと長い名前があった。だが王位を奪われた自分にはもう、代々の国王の名を冠した名前は名乗る資格は無い。

「私はアランだ」

「アラン様…」

アランが私に手を伸ばすと、一瞬で風景が変わった。

「こ、ここは?」

「私の祖父が建てた塔。花嫁の塔と呼ばれている。公爵夫人が代々住む塔だ。レナード、私の妻である君がこれから暮らす場所だ」

アランが私を犯すことは見た。
だが余り先の未来までは予知では見せてはくれない。犯され、奪われた後、私がどうなるかは分からなかった。
飽きたら殺されるかもしれないと思っていたが、妻にする気なのか?

「わ、私は何番目の妻なんですか?」

これだけの魔力の持ち主だ。しかも公爵夫人と言ったので、この男は公爵という位を持っているのだろう。何人も妻がいてもおかしくない。実際に私にも後宮があり、何人も側室を薦められた。

「何を言うのだ、レナード。私の妻はこの世でたった一人だけだ。私が愛を捧げるのはレナードただ一人で、私の最初で最後の妻だ」


あれからどのくらいの月日が経ったのか、私にはもうよく分からない。
花嫁の媚薬と言う薬を飲まされ、アランに抱かれるだけの毎日だった。私がアランのたった一人の妻らしいが、こんなことならアランにたくさんの妻がいたほうが余程楽だっただろう。アランの情熱と愛を一心に注がれることは、肉体的にも精神的にも酷く疲弊していった。
陵辱されて捨てられたほうがいっそ楽だったのではないかと思うほどだ。

アラン以外には誰とも会わず、ここがどこで、アランという男がいったい誰なのかも分からないまま、私はアランの子を身篭っていた。
妊娠し、やっとあの花嫁の媚薬という呪縛から逃れる事ができた。こんな明瞭な頭でいられたのは何年振りなのだろうか。だがやっと頭がはっきりしても、私には逃げる術は無かった。花嫁の塔は出入り口が無く、明り取りの窓から下を見ても、下の景色が豆粒にしか見えないほど高い場所にある。

そして、逃げる気力も最早無かった。

私を閉じ込めた男の子を身篭って、息子を産む。私にとって息子は、あの小さな山の村に置いてきてしまったあの子だけだった。今頃どうしているだろうか?もう何歳になっただろうか?
あの子の名前はもう二度と呼べない。
嫉妬深いアランが、私に妻も子もいたと知れば、何をするか分からない。もし逃げ出せたとしても、あの子たちには会えない。僅かばかりの危険もあの子たちに与えたくないからだ。

あの子だけが私の息子。

だが、私のお腹の中で育っているのもまた私の息子に変わりは無かった。

「連れて行かないでっ!」

「レナード、ここは子どもを育てるのに不向きだし、邪魔だ」

あの子までアランのせいで失ったのに、またアランに子どもを奪われるのだ。
アランは自分の子どもなのに、まるで必要ない物のように息子を扱っていた。私を抱くのに子どもが邪魔になると。

「私の子どもだっ! 私から取り上げないでっ」

まだ3歳になったばかりだった小さな小さな私の息子。同じようにアランは生まれたばかりの私の息子も連れて行ってしまう。

「乳母に任せておけば問題ない。レナードには私がいれば良いだろう?」

「嫌だっ」

余り私が泣くから、アランは私に子どもを返してくれた。

「私がいない時はここに置いておいても良いが、私と過ごす時はあちらの城に移す」

それでも良かった。どのみち、アランに抱かれている時には面倒は見られない。アランは再び花嫁の媚薬を私の飲ませ、アランに抱かれなければ子どもの面倒はろくに見られない状態だった。息子にしてみれば良い迷惑だったかもしれない。媚薬に犯された身体で、朦朧としまともな精神状態ではない親に育てられるよりも、きっとちゃんとして乳母が育てたほうが子どものためだっただろう。

しかし、もう離したくなかった。

私の世界はアランと子どもたちしかいなかった。

その子どももある程度大きくなると、学校に行き始め、友達を作り、公爵家の息子としての教育を受け、私といてくれる時間は少なくなっていく。息子の世界は広がり始め、私には相変わらず息子とアランしかいなかった。

私が寂しそうにしていると、アランは私を身篭らせる。子どもを与えておけば、私が大人しく言う事を聞くからだ。

そうして私は何人アランの子を産んだだろうか。

何人目の子を身篭っていた時だろうか、大きくなった一番目の息子が訪ねてきてくれた。アランそっくりに成長していた。

「母上、お久しぶりです。また弟が生まれるんですね」

「………そ、その子は?」

「ええ、私の花嫁です。一目見て、愛おしくなって連れてきてしまいました。母上にちょっと似てますよね。ってこんなことを言うとマザコンっぽいですか? ということで、この塔をそろそろ譲ってください。父上の許可は得ましたので」

息子の腕の中にはかつての私と同じように浚ってきた花嫁がいた。酷く怯えているように見える。当たり前だ。私の時と同じように、有無を言わさず連れ去ってきたのだろう。

「ア、アランが許可を出したの?」

「ええ、母上は何十年ぶりにこの塔から出れますね」

息子の手で塔に閉じ込められていく青年は、助けてと小さな声で叫んでいた。

「レーン、さあ、ここが私の花嫁君が住むことになる塔だよ。君だけを愛して一生幸せにすると誓うから」

息子の花嫁に誓う言葉を聞いて、頭が真っ白になった。

レーン、レーン、レーン……私の可愛い…

「駄目だ! 駄目だよ! その子はっ」

「レナード、息子の恋路に口を出してはいけない。愛する人を奪おうとする真似はいくら母親でも良くはないな」

アラン、だって、だってその子は私のっ

「父上、良いんです。母上はこの国の人間ではないので、抵抗があっても仕方が有りません。でも、母上だって分かっているでしょう? 私は父上と同じように、レーンだけを愛するし大事にします。この塔に閉じ込めて誰にも会わさずに私だけを見てもらいますから」

「さあ、レナード、私の城の部屋を案内しよう。大丈夫だ、この塔ではなくても、私と子どもたち以外に会わずにいられるようにしてある。これからもレナードの世界は私だけだ」

駄目なんだっ!
あの子はお前のっ!
そう言いたかったが、アランを見て以来見なかった未来視が横切った。私が花嫁の正体を告白したら……息子はそれが何か問題でも、と笑い、アランはレーンを殺そうとし……私はレーンが花嫁の塔に閉じ込められていくのを、ただ見ているしかなかった。

あの子をアランのせいで失い、今度は希望だったはずの息子に奪われた。

「レナード、どうしてそんな顔をしている? 息子の手が離れたことが寂しいのか? また産まれるだろう? その子を可愛がればいい。それでも寂しければまた孕ませてやろう」

アラン。アランを愛せると思ったことはない。私から可愛いあの子を奪った事をずっと憎んでいた。
けれど、子どもたちは違った。アランに陵辱され続ける月日の中で、子ども達だけが私の希望だった。失ったあの子の代わりに可愛がった。

けれど、私が産んだ子なのに、アランの血しか引いていない獣に育ってしまった。

もう、このお腹の子が生まれてきても愛せれるか自信が無い。

「愛している、レナード。そんな顔をしないでくれ。あのレーンという花嫁もきっと幸せになれるはずだ。私たちの息子が愛するのだからな」


END



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