「行かないでくれ!」
「義務を果たしたら自由になることは、もう何年も前から分かっていた事でしょう? お兄様」
陛下からの命令である、兄と結婚し子どもを二人も受けるという義務を完全に果たした。
初めは抵抗もした。俺の願っていた自由とは程遠かったからだ。兄と結婚したくないのに、そういう異常な家族が嫌で、兄との間に子どもを儲けるのが嫌で、逃げ出したかったのに結局は兄と交わる羽目になった。
どうにか反抗しようとして、結局無理だと分かった。
この国で生きる以上、国王陛下の命令は絶対だったし、その意向を無視することはできない。
そして兄と結婚し、二人子どもを産んだ。
一人目はすぐ出来たが、二人目は5年かかった。兄がかなり抵抗して二人目を作らないように努力していたからだ。二人目が出来たら俺が離婚して出てくのが分かっていたから、出来るだけ作らないように、と魔力をコントロールしていたようだが、それも完全ではなく数ヶ月前に俺は二人目を産んだ。
すぐで出て行かなかったのは、流石に乳飲み子を置いてはいけない。母乳が必要なくなるまでは母親として面倒を見るべきだろうと思ったからだ。
「お兄様、さようなら」
兄に返事はなかった。ただ、泣いていたからだ。
二人目の子ども、クリストファーが生まれた時、兄は喜ばなかった。子どもが生まれたことじたいは嬉しかったとしても、俺との別れを示唆していたからだろう。
俺も自分勝手に子どもを二人も置いていくことには罪悪感はある。俺は母親として失格だろう。自分の自由と引き換えに、子どもを道具のように作って捨てるんだから。
「よう、クロード。もう産休から復帰なのか? もう少しゆっくりしていれば良いのに」
「ああ……けど、稼がないとねえ」
もう実家の金を自由に使えるわけじゃないんだ。自分で働いたお金で全てやりくりをしないといけない。
「子ども、二人目はどっちに似ていたんだ?」
「……俺、かな?」
子どものことを思うと胸が痛い。特に長男のシオンは、もう6歳だ。突然母親がいなくなって混乱するだろうし、寂しがるだろう。
「あれ? 入り口に誰かいる?」
「ん?………え?」
俺の所属する第六部隊の官庁の入り口に、場違いな人間が三人立っていた。
正確には、大人一人が立っていて、一人はおんぶをしてもう一人の子どもは腕に抱いていた。
「クロード! この通りだ、帰って来ておくれ!」
「ママー……どうしていなくなったの?」
「クロードに捨てられたら、私は生きていけないんだ!……昨日、クロードに出て行かれて、私はどうやってこれから先、生きていったら良いのか……」
わあああと、兄は泣き、長男が泣き、次男もつられて泣きだしていた。
「おい、クロード。お前旦那と喧嘩でもしたのか?」
「ちょっと、おに」
お兄様と言おうとして、どうやっても俺の夫にしか見えない人にお兄様と言ったらおかしいのに気がつき、口を噤んだ。
「シリル……元々約束でしたよね? 子どもを二人産んだら離婚をする事は」
「そんなもの! クロードと陛下が勝手に約束したことであって、私は了承したわけではない!」
「なっ!」
確かに、俺と陛下との約束で、思い返せば兄は一度も頷いたことはなかった。しかし、陛下の命令なのに、それを反故にする気満々なのはおかしい。
「クロードがいないと、私は駄目なんだ! クロードが生まれた時からずっと愛していたのに……お願いだ、私を捨てないでおくれ」
「ママー! 僕の事嫌いになったの?」
「……うわ、クロード。旦那を捨てるんだって。酷いな」
「子どももかよ。どんな悪妻だ」
「旦那は、生まれた時からずっとクロードのこと愛していたって言っているのに。可哀想になあ」
同僚たちの囁き声が聞こえる。確かに、兄と子どもたちの言い分を聞けば、俺が悪いとしか思わないだろう。実際に子どもを捨てる俺は最悪な母親だ。俺だって葛藤はあって何度も悩んだ。でも、やはり兄と結婚生活を続ける事は無理なんだ。
「知りません。いくら、おに……シリルが離婚に了承しないと言っても、陛下がなんとかしてくれるでしょう。そういう約束だったんですから、もう俺を自由にして下さい。もうここには来ないで下さい」
夫と子ども二人に背を向けて、官庁に入っていく。相手にしてはいられない。
「おい、クロード。離婚って、普通は出来ないだろ? 旦那、よっぽどDVが激しかったのか?」
「いえ、そういうわけじゃありません」
兄は何時も優しかった。俺に手を上げたことなんか一度もなかった。何時だって、僕のお嫁さんといった頃のまま、俺のことをとても大切に扱ってくれていた。
「じゃあ、まさか浮気でもしたのか?」
「まさか」
兄が愛しているのは俺だけだ。絶対に浮気なんかするはずはない。
そうじゃなければ、あんなに俺を大事に抱いたりはしないだろう。
「じゃあ、働かないで、生活費も入れないでお前に働かせているとかか?」
「いえ……夫は公職にはついていませんが、広大な領地の管理をしていますし、金は腐るほどあります」
「じゃあ、何であんなにクロードを愛している夫を捨てるんだ? しかも子どもまで。可哀想だろう!」
この国は愛している夫たちにとても甘い。同僚達皆は兄に同情をしていた。
「戻ってやれよ」
「結婚する前から、この別れは決まっていました。政略結婚だったんです……俺たちのことですから、口を挟まないで下さい」
しかしいくら俺がそう言っても、兄の擁護はおさまらなかった。離婚する夫婦など誰も知らないからだろう。
それから毎日、登城するたびに兄は門の前に待っており、無視をしても続けていた。
ある日、こんな小さな子どもを立たせておかないで下さいと言えば、何処から持ってきたか不明なゴザをひいて、その上に座って、捨てられましたというプラカードを立てかけて、俺の仕事が終わるまで座り続けているのだから、こっちはたまったものじゃなかった。
普通だったら関係者以外立ち入り禁止になるはずなのに、皆が兄や子どもを不憫だと思って誰も撤去をしてくれない。
「もういい加減にして下さい!」
「ママー!」
「シオン……ごめん。ママのことはもう忘れなさい」
「やだよ! まだ僕のお嫁さん、ママにうんでもらっていない!」
「………」
「こら、シオン! そんなことをママに言ったら余計戻ってきてくれなくなるだろう!」
シオンにとって運命の相手は次男のクリストファーではなかったらしい。それは分かっていたが、俺が戻る価値ってシオンにとってはお嫁さんを産んで貰う価値くらいしかないのか?
「ごめんなさい! ママにもかえってきてほしいの! 僕さみしいよ。夜、ママに寝かしつけて欲しいの」
「クロード! 私もだ! 私も一人で眠るのが苦痛で……ベッドの中に入ると、クロードのことばかり考えて……クロードとの初夜の記念すべき夜のことを思い出して、一人慰めたり、クロードの匂いを思いで出して眠れなくなったり、クロードが乱れる姿を思い出しては」
「子どもが聞いているでしょう! 卑猥なことばかり言っていないで下さい!」
ゴザに座って哀れさをかもし出している親子三人のせいで、俺の神経はすり減りまくっていた。
「もう終わったのに、何時までも未練を」
「未練があるに決まっているだろう! クロードはずっと私のお嫁さんだったんだ……これから先も永遠に……」
「無理だって分かっているでしょう? もう離婚届も受理してもらいました。もう他人です」
正確にいえば、兄弟なのだから他人ではないが、俺はもうあの家と関わりのある人間ではなくなった。兄のサインなしでも陛下の独断で離婚届も受理してもらったし、偽りではない。
「クロード!……どうしても、お兄様の元には戻ってきてくれないか?」
「はい」
「なら、私に一生一人でいろとは言わないだろう?」
「……再婚を考えたいという事ですか? 俺は口出しする権利はありません」
「私はクロードを愛しすぎて頭がおかしくなりそうだ……だから、クロードの代わりにクリストファーを愛する」
「愛してもらわないと困りますけど……子どもなんですから、俺の分まで」
「違う。クリストファーはクロードに良く似ている。だから大人になったら、私の妻にする」
「……正気ですか? クリストファーはお兄様の子どもですよ?」
「クロードが戻ってきてくれないのなら、仕方がない」
血族結婚が普通の我が家でも親子での婚姻はしない。何でもありでの公爵家でも、親子婚は禁忌とされている。
「許可は出ませんよ」
「いいや……陛下は離婚したくないと言う私に無理強いをするのだから、何でも一つ願いを叶えてくれるといった。だからクリストファーと結婚できる」
「騙されませんよ。そんなの俺を連れ戻す作戦だって分かっています。お兄様がどれだけ俺のことを好きでいてくれたか、分かっているつもりなので」
そう簡単に伴侶を変えれるほど、この国の夫たちの貞操は緩くない。そして兄がどれほど俺のことを愛しているか、身をもって知っている。ただの馬鹿らしい脅しに過ぎない。
「そうだ。私は、このままではクロードを忘れられない。そして息子を妻にするという禁忌にも手を染められないだろう。だがら、アンリに言って、記憶を改竄してもらう」
「記憶の改竄?!」
「そうだ……お前なしで生きていけないのだから、クロード無しでも生きていけるようにしてもらうんだ」
俺のわがままで兄にとても辛い事を強制していることは自覚している。
だけど、俺のことを全て忘れる必要があるのか。
兄が、俺のことを全て忘れしまう?
「今からアンリの所に行ってくる」
「わざわざ兄の所に行かなくても、俺がそれ位してあげるが?」
「ブランシュ?! 何を言い出すんだ!」
かつて俺が無理矢理押し倒して妻にしてもらおうとした男が突然しゃしゃり出てきた。
「だって、聞いててクロードがムカつくからな。お前、酷いよ。18歳までお嫁さんになると夫を騙してきて、ずっとお前を妻に出来るのを楽しみに18年待っていたシリルさんを地獄に突き落とした。お前のために、18歳まで大事に処女を奪わないように守ってきただろうに。同じ家の中で一緒にいて抱かないなんてどれほど自制心が必要だったか、想像するだけで涙が出てくるな。 で、やっと花嫁に出来ると思ったら、実はずっと昔から結婚する気はありませんです? 俺だったらそんなことされたら怒りの余り強姦しまくって監禁して、花嫁の塔から一生出さないね。そして子どもを作れる限り産ませまくる。 お前は、義務が終わったら夫と子どもをポイ捨てして、妻に捨てられて生きていけるわけはないだろう? お前は死ぬよりも辛い運命を夫に背負わしたんだ。自分の夫が子どもと結婚するという異常事態を見るのは罰だと思わないか?」
「悪いとは思っているけど、それとこれとはっ!」
「じゃあ、シリルさん。俺の魔力を抵抗しないで受け入れてください」
ブランシュの手が兄の額に触れようとする。魔法を受け入れてしまえば、兄は俺のことを忘れるのだろう。忘れて本当に息子と結婚するのだろうか。そんな馬鹿げた事、させてはいけない。
「止めろ、ブランシュ!」
兄を庇うように兄の前に立ち、ブランシュの手を遮ろうとした。しかしその手は兄の額には行かなかったが、俺の後頭部に当たり。
「うわっ!」
「クロード!」
「ん? 別に痛くはないはずだけど。大丈夫?」
「……確かに、痛くはなかったが」
記憶を消去されると思ったが、記憶は正常だった。何も忘れている様子はない。兄の中の俺の記憶を消すのだから、代わりに俺がその魔法を受けたら俺自身の記憶がなくなってしまうかと思ったが、そういうわけもなかった。
「ブランシュ……いったい、どんな魔法をかけようとしたんだ? 何も変わっている様子はないんだが」
「クロード、大丈夫なのか?」
「はい……大丈夫です。お兄様」
兄が心配そうに抱き寄せて来たので、そのまま兄の胸に身を委ねた。何故か兄が驚いたように俺を抱きしめていた。
「無事に見えても心配だ。一緒に城に戻って……くれるか?」
「はい、勿論です。お兄様……」
俺の返答に兄は何故か絶句していた。
「良いのか? クロード。離婚した夫の元に戻るのか?」
「え? ……そうだったよな、離婚したんだった。ブランシュ、一体俺に何をしたんだ?」
「シリルさんが、息子と結婚できるような魔法をかけた。そう、倫理観を無くすように。息子との結婚は、彼の中で禁忌だっただろうから、ちゃんと結婚できるように倫理観を削除したんだけど……対象がクロードになったから、戻す魔法をかけてやろうか?」
ああ、それでやっと納得がいった。記憶も何も弄られていないのは分かっているのに、何かが変わったことだけは確かだったのに。
「いいや、必要ない」
「クロード! 本当に良いのか?」
「ごめんなさい……お兄様……今までたくさん、お兄様のことを傷つけて……兄弟だって言う些細なことに拘って、俺は大切な物を一生失うところでした」
そう、あの7歳の日まで俺はずっと兄と結婚するつもりでした。
兄の、僕のお嫁さんという言葉がくすぐったくて好きだった。兄の花嫁になることを疑いもしなかった。
なのに、皆から兄と結婚するのはおかしいという言葉に拘って、兄を遠ざけようとし、一番大切な人をたくさん傷つけた。
「俺はずっとお兄様の花嫁になるつもりだったのに……皆からおかしいと言われ、異端視されることが怖かったんです。普通でありたかった……そして普通に拘る余り、自分の気持ちを隠して、自分でも見えないように閉じ込めてしまったんです」
そうじゃなければ、義務とはいえ、兄と抱き合う事なんかできなかっただろう。愛との関係を禁忌だと思っていたが、兄に抱かれる事は決して嫌じゃなかった。本当に嫌だったら平気な顔で抱かれるなんてことは出来なかった。本当に愛していたから、兄を受け入れる事ができたのだ。
「良いんだ、クロード! お兄様の元に戻ってきてくれるのなら……戻ってきてくれるか?」
「はい」
「もう一度、お兄様のお嫁さんになってくれるか?」
「はい……一生」
俺は、倫理観を削除される事で、やっと自由になれた。そして本当に愛する人を手に入れる事ができた。ブランシュが戻そうかと言ってくれたが、戻す気はない。
今のまま、何も罪悪感を覚えず、兄のお嫁さんにいられることがとても幸せだからだ。
「ママ……ご気分は良い?」
「良いよ、シオン。どうしたんだ? 嬉しそうだね」
「うん、だって。今度の弟は、僕のお嫁さんなんだもん! 生まれてくれるの楽しみだな、僕のお嫁さん!」
END
エピローグがあるけど、とりあえず一旦エンドですw
生まれる前からお嫁さんが分かるエスパー長男★
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