「貴方は私のことを何も知らない……私もです」
今のエミールのことを私は何も知らない。どうして一度断ち切ったのに、再び同じことを言い出すのかも。
「それなのに、突然結婚してくれだなんて理解に苦しみます……お断りをします」
「知らないなら、教えて欲しいっ!……セシルのことなら何でも知りたい!……ここに置いて行ってしまったら、知り合うことも出来ないだろう。結婚を前提に一緒に連れて行きたいんだ! 知らない事を理由に断わらないでくれ……俺の事を知るために」
エミールが許可無く私の手を握り、そう懇願してくる。
私はそれを首を横に振って否定するしかなかった。
「どうして駄目なんだ!? まずは知り合うところからと言っているのに!」
「……手を離してください」
「セシル!」
手を振り払って二階に逃げようとしたら、何時の間にか床に転がっていた。すぐ目の前にはエミールの顔が迫っていた。
「嫌だっ!」
「セシルっ! どうしても着いて来てくれないんだったら、ここで、俺のものにして」
あの日、バラ園の庭での悪夢がよみがえるかのようだった。悪夢、そう私はあの時のことを良く覚えていない。まるで夢のようで、起きた後熱でうなされた間接だけが、私にあのバラ園であったことが現実だと教えてくれた。
あの時はそう、芝生が頬に当たって痛いと、それが一番印象に残っていた。エミールに犯された記憶はほとんどない。
今は、床にひかれた絨毯の毛が頬に当たっていたが痛くは無い。
ただあの頃の再現のような気がして、ああ、私はまた犯されるんだと思った。
「こらこら……エミール。守るべき騎士が一般市民を襲ってどうすんだ? 騎士精神忘れたの?」
エミールが同僚の騎士に蹴り倒されて、私の上から転がって飛ばされた。
彼が私に手を伸ばして起こそうとしてくれるがそれを拒否して、脱がされたかけた上着を両手でかき集めた。
「余計な事をっ!」
「いくらね、彼が美人で一目惚れしたからって、強姦は駄目でしょう?……撤収の目安がついたから急に焦ったんだろうけど、彼だって急に迫られたって困るだけだろう。世話になっている身なのに、強姦って……エミール、君、しかも領民だろうに。こんなの他国でよく聞く、領主が権力に物をいわせて領民を手篭めにするってパターンじゃないのかな?」
領主がそんなことをしたら、貴族といえども死刑だ。最も、この国ではそんな卑怯な事をする貴族など存在しない。
「セシル、ごめん!……嫌だといわれて……頭が真っ白になって……」
「良いんです……でも、悪いと思っているなら、できるだけ早くこの家から出て行ってください」
驚いたし、またエミールに抱かれてしまうのかと思ったが、結果的には良かったのかもしれない。
普通は強姦しようとした人間に好意を抱くはずはないし、エミールを拒絶する言い訳になる。
「分かった。できるだけ、早く出て行くようにする」
「駄目だ!……そんなこと、できない……セシルがいない人生なんて、もう考えられないっ」
「お前なあ、ほんの二週間前までは彼なしで生きていただろうに」
二階に走って逃げたかった。でも、エミールとまた二人になって話すよりも、エミールの同僚がいたほうが話しやすいし、人いれば流石にエミールも強行に出られない。
「私は……もう、何年もここで一人で静かに暮らしていました……正直、貴方方もここにいれたくはなかった」
「それはまあ……なんとなくは分かっていたが……エミールが強制して……もしかして、お前あの時にもう一目ぼれでもしたのか?」
「そうだ……初めてセシルを見て、どうしても一緒にいたかった。何時もだったら領民とはいえ、領主の一族としてあんな強引なことはしない。ただ、セシルの側にいたかっただけなんだ。だから……俺を嫌わないで欲しいっ!」
私はエミールにどんなことをされても、何を言われても、嫌いにはなれない。こんなことで嫌いになれるのだったらとっくの昔になっていただろう。
「あのさ……エミールは君に酷い事をしたけど、こいつは真剣に好きみたいだし、きっと大事にしてくれると思うよ。こいつの家は大貴族だし、金はあるし、玉の輿だから、もう少しエミールのこと考えてあげてくれないか。この調子だと、調査が終わっても引っ張っていくの物凄く大変そうだからさ」
王族である兄が嫁いだ先は名門貴族だ。その跡取りであるエミールの妻になれば当然玉の輿だ。
ただ、領民だと思われている私がエミールと結婚できるかといったら、普通は有り得ないの一言だ。
「私が、大貴族の……この領地の跡取りの方と結婚ですか? 誰が認めるんですか?」
「父や母は俺が結婚したい人なら、絶対に反対するわけは無い! 例え、反対されたとしても俺が守って見せるから、そんなことを気にしないでくれ!」
「無理です……例え、私が貴方を愛していたとしても、世界が違う事に絶望するでしょう。身分が違う、魔力が違う、生きてきた世界が違う……愛があってもきっと乗り越えるのに苦労するのに、私には貴方への愛などありません。お願いですから、私はここで一人でいたいんです。エミール、さん……貴方とは一緒に生きてはいけない」
もし、という言葉を使えるなら……私が結婚しようとしなければ、エミールは私を抱かなかっただろう。
私が独身を通そうとしていれば、おそらく結婚できる年まで我慢して、そして私に求愛しただろう。今のように。
もし、兄たちに私達の関係がばれなければ。あのままエミリオを身篭らず時が過ぎれば、いずれの『もし』でも私はたぶんエミールと結婚していただろう。
でも実際には、私達の関係は兄たちにばれ、私はエミリオを産んだ。
やり直しは人生にはきかない。
どうやっても、エミールの手を取る事はできないのだ。
私が完全に拒絶した後も、エミールは私をずっと見ていた。私は出来るだけエミールに見られないように、二階に閉じこもる生活を相変わらずしていた。
一階に誰もいないことを確認しながら、食事の用意をしようと部屋を出た。
「花?……」
階段を下りると、そこには両手でも抱えきれないほどの花が置かれていた。
エミールだとすぐに分かった。
エミールは私が侯爵家のバラ園を好きだと知り、幼い両手に一杯の薔薇をよく王都の屋敷まで持ってきてくれたことがあった。
「エミール……」
幼い頃くれた薔薇は、水晶に閉じ込めて綺麗なまま時を止めてとってあった。この花もそうしたかったけれど、今は魔法が使えない。ドライフラワーにでもしようかと、そっと花を拾い上げて腕に抱え込むと、エミールたちが戻ってきた。
両手に花を抱えているのを見るとエミールが嬉しそうに笑った。再会して初めて会った時は陰りのある表情だったのに、今は違う。
「気に入ってくれたら……嬉しい」
「……ありがとう」
「……明日、出立する事になった」
「……そうですか」
そうとしか言いようが無い。
「明日、取りあえずは行くが……仕事を終えたら、すぐに戻ってくる。一緒に来てくれないんだったら、俺がこちらに通うから。だから、少しずつで良いんだ。俺の事を考えて欲しい」
エミール、私は君たちがいなくなったら、私もこの家から出て行くよ。そしてもう一生戻ってこない。
君が探しても見つからない場所に行くんだ。君には同じ過ちをまた繰り返して欲しくないんだ。私は君に人生でいてはいけない存在なんだ。分かるだろう?
「……無理です。迷惑なんです……私は誰も愛したりしない」
エミールの同僚たちが、私にそんな事を言わないでほしいというような目で見ている。彼らはエミールを応援していた。
「私のことは永遠に忘れて、もっと貴方とふさわしい同じ年齢で同じ階級の人を探すべきだ」
「どんなにセシルに拒否をされても、俺は諦めない。好きでい続ける事はおれの自由だろう?……なんと言われても会いにくるから」
このまま私が姿を消したら、エミールは私を忘れないだろうか。私を探し続けて、他の人を好きにならないだろうか。
「私は……」
エミール、もう一度私を忘れるべきだよ。アンリ様に頼んでもう一度記憶を消してもらうべきだろうか。駄目だ、何度も記憶をいじったら、エミールがおかしくなってしまうかもしれない。
だから、私を軽蔑するべきだ。
「私は、純潔じゃない」
エミールの顔が歪んだ。
「私は純潔じゃないんだ。知らない男に、汚された……婚約も破棄されて、皆が私が汚された存在だと知っていて……私の居場所は何処にもなくなって……だから、こんな辺鄙な森で暮らしていた。分かっただろう?……私は誰も好きにならないし、誰にも相応しくない存在だ」
そして子どもを捨てるような人間なんだ。
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