それからも私はずっとエミールが残した屋敷に住み続けた。
王都にはもうずっと戻ってはいない。隠遁生活のようだと兄には言われたが、もう私は一生終えた気分でいた。
そんな余生を送るような私にとっての楽しみは、兄が季節の折に届けてくれるエミリオの記録映像だった。
少しづつ成長していく様子を映像として残していてくれる、それを見るのが楽しみだった。
エミリオは兄と似たハニーゴールドの髪をしていて、それだけではなく顔も良く似てきた。
ハイハイをする様、ご飯を食べる様子、初めて一人で歩いた映像。
兄は全部撮っていてくれていた。
一生名乗ることもできない、甥っ子……エミリオを私が育てられたら、そう思ったことは何度もあったけれど、兄夫婦にとても可愛がられて育つエミリオを見ると、これで良かったんだと、一人で泣いてエミリオを見ていた。
エミリオが歩けるようになると、兄はエミリオを連れてこの辺境の家まで来てくれる様になった。
あくまで兄が弟に会いに来るついでに息子を一緒に連れてきただけだ。
「ほら、エミリオ。セシル叔父さんのところに行きなさい」
「やっ」
見知らぬ私には警戒心があるのか兄から離れずベットリ抱きついていた。それを悲しく思うよりも、兄に託してよかったと思うほうが先立った。
「お母さん子なんですね。エミリオは」
「次男だからか、年が離れて出来たからか、皆が甘やかすからな。すっかり抱き癖がついてしまって……甘えん坊になってしまったよ」
皆がのうちにはエミールも入っているのだろうか。
もう15歳になるのだろうか。そろそろ16歳になる頃かもしれない。14歳離れている弟を可愛がってくれているのだろうか。
しかしエミリオのことは話題になっても、エミールのことは兄も私も話さない。まるで禁句のようにだ。
年に2〜3回くらいだろうか。兄はエミリオと、または義兄の三人でこの家に訪れてくれる。
私は20代半ばくらいで加齢をしなくなっている。兄たちも年を取らなくなって久しい。毎日今日が何時だったか数えるのも止め、ただ月日が流れるがままに任せている中で、エミリオの成長だけが私に年月が過ぎ去って行っているのを教えてくれる。
エミリオは成長するとますます兄に似てきている。
私やエミールにもし似てしまっても、誰も疑わなかっただろう。エミールに似たなら兄に似た、父に似たと思われるだけだ。私に似ても、叔父に似たと疑惑をもたれる事は無かっただろう。
それでもこの闊達な兄に似たことを、何時も感謝をしていた。
この子は私のようには生きて欲しくはないし、エミールのようにもなっては駄目だ。
「エミリオはもう小学生なのか? 大きくなったね……学校は楽しいかな?」
「楽しいよ。でも、ぼく一番が良かったのに、二番なんだ。クライスがいつも一番とっちゃうんだよ」
「2番でも充分だって言っているんだけどな。どうしても一番が良いらしい」
「だって!」
「お前は頭は良いし、何でも良くできるけど、物臭なところを直しなさい」
エミリオは成績もよく、魔力も高く、言う事が無いらしいけど、どうやら次男として育てられた性格なのか、面倒くさがり屋で、細かい所は気にしない、嫌なことを聞き流す性格をしているらしい。
でもそんなエミリオを可愛くって仕方が無いって目で兄も侯爵も見ていた。
「僕じゃなくってお兄ちゃんに言ってよ。お兄ちゃんだってそろそろ身を固める事を考える時期なんでしょう? おじいさまたちがたくさんお見合いの話をもってくるのに聞く耳持たないって言っていたよ」
エミリオの口からエミールのことが出されて、思わず空気が凍った。しかもエミールの結婚に関してのことだ。
「エミリオ、今晩のおかずをセシル叔父さんと作るから、お父さんと狩りにでも行って来てくれないか?」
「うん! セシル叔父さん弓貸して!」
エミリオがここに来るのを最近楽しみにして来てくれるのは、狩が出来るからだ。魔法ではなく、わざわざ弓で射るのだが、覚え始めたばかりで楽しそうにしている。
「……エミールのことを聞いても大丈夫なのか?」
「大丈夫です……お父さんたちが何か無理を言っているんですか?」
私達は3人兄弟だ。
兄が家を継いでいるのだが、未だに子どもがいない。
兄は二人子どもがいる。
私は田舎に引っ込み独身を通すことは、みな了承している。あんな事件があった私を無理矢理結婚させるわけにも行かないし、誰もしようとしてくれないだろう。
だから、兄が産んだエミールとエミリオに父や長兄が注目するのは当然だろう。エミリオはまだ幼いが、エミールは結婚できる年齢になっている。
「ったく、父上も自分の所に跡取りがいないからって、嫁に出た俺のほうに養子を要求してくるんだよ。エミリオを跡取りに欲しいそうだよ」
「でも……」
「分かっているよ。エミリオは自由に結婚相手を選ばせたいから、あっちのほうは堅い家だしエミリオには継がせたいとは思わない……それに、本家からもアンリ様の息子の嫁にどうかと打診も来ているしなあ」
そんなことになっていたなんて。確かに兄は子どもがいない。しかし、私はもう没交渉になって久しいのでそういった事情は全く知らないままだった。
「で、いい返事をしなかったら、今度はエミールにたくさん子どもを作らせて一人養子によこせと煩いんだよ。エミールも相当見合い攻撃にウンザリしているな」
「でも、そろそろエミールも結婚を考えてもおかしくない年頃でしょう」
「……エミールがどうしても結婚したいって相手を連れてくるならともかく、見合いをして仕方なく、それなりに気に入った相手くらいじゃ結婚を許す気は無い」
「どうしてですか?」
「……物凄く愛した相手ができたって言うんだったら仕方がないが、そうじゃないんだったら相手が可哀想だろう。本人も相手も知らない事だが、エミールは純潔じゃないし、子どもすらいる。そんな複雑な家に入らせるわけにはいかない……俺も夫もエミールには結婚させないでエミリオに跡を継がせようと思っている」
兄の言う事も分からなくはない。
もし、結婚して夫に子どもがいる事が分かり、その子どもが弟として一緒に暮らしていることが分かったら、計り知れないショックを受けるだろう。
結婚には純潔が求められるのに、夫が純潔ですらなく、相手は叔父で子どもまでいて、そんな状況に耐えられるわけは無いだろう。
だからこそ兄は、それを乗り越えれるほど愛している相手ではないと、結婚をさせるつもりはないということなのだろう。しかしエミリオに跡取りとにとをこんなに幼い頃から背負わせるのも。
「心配しなくても良い。家のことはエミールにさせるし、エミリオには煩わしいことはさせるつもりはない。ただ、エミリオに余計な負担をかけさせる事になる可能性はある。そのことは予めお前に言っておかないと、と思っただけだ」
私に許可など必要ないのに。
エミリオを兄夫婦に託したが、託した時点で私にはエミリオに対するいかなる権利ももうない。
二度と会えないことも覚悟をしていたのに、こうやって年に数回でも会わせてもらえる。
それだけでどれほど感謝をしているか分からない。
エミリオと侯爵が取ってきてくれた鳥で料理を皆で作ると、それを食べて、エミリオ達は戻っていった。
そしてまた私は一人になった。
この家は小さいと言っても、私達が育ってきた城に比べてということだ。エミールが作った家は全部で部屋は10ほどあり、一般市民から見ればきっと豪邸なのだろう。
しかし兄から見てもやはり小さいらしく、こんな辺鄙で誰もいない森の中ではなく、領地の領都に住めばいいと薦められた。エミールに会うなといっただけで王都に戻るなとも言っていないので、王都の実家に戻っても言いのだとも。
しかし、私にはこの家で充分だった。
生まれた時から王族で、何をやるのにも使用人がやってくれていた。
しかしこの家では当然いない。全部私一人でやる。魔法を使えば余りにもあっという間に全てが終わるだろう。
しかしほとんど魔法を使う事は無い。有り余るほどの時間があるので、魔法を使って家事を終えてしまったら、時間を持て余してしまう。
朝起きて、暖炉に火をくべ、朝食を作る。パンの生地をこねる事から始まって、ベーコンなども手作りだ。
畑で野菜を育て、罠を張り、時には弓で鳥やうさぎを狩り、川まで歩いて魚を取る。
魚を干物にしたり、取れたフルーツをジャムにしたり、ドライフルーツにしたり、冬を越えるために食料を溜め込む。
時には領都まで出て、調味料などや、細々とした日用品を手に入れるくらいしか人と会う事はない。
夜は兄に貰ったエミリオの映像を見て、楽しむ。そうやってきっと私は一生を終えるのだろう。
老いないのが残念だった。何時までも外見だけ若く、心はもう老いているのに。
そんなふうに今日も同じ日になると思っていた。
「え?……」
一人で暮らしていると、話す事もなくなっていた。ただ黙々と作業をするだけだった。
突然、自分の身体から魔力が抜け落ちるのを感じた。魔法を使う事がなくても不自由はしないが、突然の異変に思わず恐怖を感じた。
魔力がなくなることなど、エミリオを身篭って以来なかった。魔力を無くなる時はたった2つのパターンしかない。妊娠した時と、魔核を破壊した時だけだ。
今日はそのどちらでもないのに、突然魔力が無くなってしまった。魔力が無くなっても生きていけるが、この家から出る事ができなくなってしまう。領都までは転移を使っていたし、凶暴な魔獣がいるときは魔法で排除していた。
兄に助けを求めようにも心話もできない。歩いて人里まで行こうとしても徒歩で何日もかかってしまう。
幸い食料はたっぷりある。この魔力が無くなってしまう原因が分かるまで、家に閉じこもっていても大丈夫だろうと判断し、何日も家から出ない日々が続いた。
原因は分からないまま、10日ほど経っただろうか。
突然、ドアが激しく叩かれた。
兄が心配して駆けつけたのかと思ってあけてみれば、見知らぬ男達だった。
「あの……?」
「失礼する……私達は王都からきた調査隊です。この地域で魔力無効地帯が広がっており、私たちはその調査と警備にやってきた第6部隊騎士隊員です」
「魔力無効地帯?」
「何らかの誘引で、魔力が無効化されてしまう土地のことです。今この辺り一帯に広がっているため、我々が派遣されてきました」
全員でその調査隊は10人ほどいた。鍛えられた騎士たちだからだろう。皆私よりも背が高く、威圧的だった。
「そうだったんですか……突然魔法が使えなくなったので何があったのか分からず心配していました。でも、原因が分かって安心しました。調査ご苦労様です」
突然、この魔力無効地帯は現れたり消えたり広がったりするため、何時消えるか、または移動したり広がるかは分からないが、長くても2〜3ヶ月ほどで移動するか消えると聞かされ、それくらいなら閉じこもっていても充分食料は持つので、大丈夫だろうと安堵した。
お礼を言ってドアを閉めようとしたが、騎士たちはドアを閉めさせてくれない。
「我々はこの魔力無効地帯が無くなるまで、この一帯を警備しなくてはいけません。そのため、この家を我々に明け渡していただきたい。勿論、貴方はいていただいて構いませんが、数ヶ月はこの家を基盤にしたい」
本当なら国民としてこの事態に協力すべきなのだろう。騎士たちも魔力無効地帯でなければ、瞬時に王都に戻れるが、ここでは無理なので野宿で警備をするしかない。調度いい家があったので協力を依頼しているだけなのだろう。
「ですが……」
ここはエミールが私に残した家だ。兄やエミリオならともかく他人に立ち入って欲しくない。
「ここはエミールの領地なのだろう? 領民として貴方は領主の命令に従う義務があるはずだ」
後ろに立っていた男を振り向きながら、先頭の騎士がそう言った。
エミール?
あの見知らぬ男が?
一番後ろにいてはっきりとは顔は見えない。けれど、騎士たちと同じだけの身長がある背の高い男だということだけは分かった。
あの小さかったエミールが、ここに騎士としてやってきたというのだろうか。
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