兄と義理の兄の険しい表情に思わず俯くしかなかった。
私はこの二人を裏切っていた。エミールの言うなりになって戻らなかったのもこの二人に合わせる顔が無かったからだ。
「お母様、僕はおじ様と」
「黙れ! 言い訳は聞くつもりは無い。見れば何があったのかすべて分かる。お前は上手くやっていたつもりだったかもしれないが、やはり考える事はまだ子どもだな。学生生活とセシルをと囲う生活が両立できるとでも思っていたのか? お前が頻繁に寮を抜け出していることに、誰も気がつかれないとでも思っていたのか?」
たまのことならともかく、毎日のように夜に寮を不在にしていたら誰かが不審に思い始めるだろう。それが一年以上も続いた。
そして私の行動にも異変を感じたらしい。旅をしている間は定期的に兄に連絡を取っていた。心話で近状を報告したり、エミールのことを尋ねたりしていた。しかしここ最近は定期連絡が手紙になり、エミールのことを尋ねることもなくなっていった。兄に合わせる顔がなかったため、またエミールが私が兄に話す事を恐れ、手紙にするようにと言われてエミールの検閲の入った手紙を送っていたのだ。
そんなふうに私の態度が変わった時期と、エミールの頻繁な外出が加わった時期が一致して、兄夫婦の間では私達の間に何かあるのではと疑惑が膨らんだことが、今回の発端だったらしい。
「お母様! 聞いてください! 僕はおじ様を愛しています。18歳になったらおじ様と結婚します。学校で期待に添うことができなかったのは申し訳ありませんが、今後は改めます。だから」
「結婚する? 誰が許可を出すんだ?」
「陛下にお願いして」
「それを俺たちが許可を出すと思うのか? セシルをこんな目に合わせて! 自分の息子ながら吐き気がする!」
反対されると恐れたのか、エミールが私の手を握り締めるのが分かった。
「どうして反対するんですか! おじ様も僕と結婚してくれるといってくれています。ねえ、おじ様」
私は何時でもエミールを庇ってきた。エミールから逃げるためには、ここでエミールから無理強いされたと言うべきだろう。そうすれば自由になれる。しかし、エミールの罪を認めてしまっては、これまで庇ってきた意味がなくなってしまう。
兄たちの厳しい視線に、エミールに過酷な罰が与えられる可能性も高い。
「兄上、侯爵……こんなことになって申し訳ありません。でもエミールの言うとおり」
「セシル、エミールを庇うな! お前の表情を見ていればエミールを愛しているのか、合意の上だったのかは一目で分かる!……あの事件もエミールが犯人だったんだろう?」
「セシル、息子がこんな事をして本当に申し訳ないと思っている。父親として息子がこんなことをしていたことにも気がつかず、セシルに暴行した犯人が息子だと考える事もしなかった。あの時気がついていれば、長年苦しめ続ける事もなかったと思うと……」
二人は私とエミールがこの家にいるのを見ただけで全ての事情を悟っていたのだ。いくら私やエミールが繕おうとしても、通用しない。
「おじ様を愛しているんです! 愛しているからやったんです! 何が悪いんですか!?」
もはやエミールはごまかす事が不可能と感じたのか開き直って主張を始めた。
「こんなに愛しているのに、年が違うから、甥だからといっておじ様が結婚するのをただ指を咥えて見ていろと言うんですか! そんなのできなかった。愛しているんです! おじ様しかいらない! おじ様を浚っていく事もできたのに、僕は僕なりに円満に事を進められるようにしたんですよ! 学校だってちゃんと行って期待にこたえようとしていたでしょう? お父様とお母様が目を瞑ってくれれば、18歳になったらおじ様と結婚して家を継ぎます。それで丸く収まるんだ」
二人の間にはエミールしかいない。他の男子がいたらエミールを簡単に廃嫡できただろう。しかし一人っ子であるエミールには他に替えがきかない。
「セシルを犠牲にしてか? 馬鹿馬鹿しい! 認めるはずが無いだろう! 確かにお前しか跡継ぎはいない! しかし、叔父を強姦し親を騙し叔父を監禁するような息子に用は無い! セシルを犠牲にしてまでこの家を存続させるつもりはない。お前とセシルは絶対に結婚させない」
「お母様……」
エミールの魔力が高まってくるのを握られている手で感じ取る事ができた。両親と言えども攻撃も辞さないつもりなのかもしれない。
「兄上! 私のことは良いんです! エミールが望むなら、エミールと結婚します! だから、エミールを許してやってください」
こんな幼くして両親に縁を切られたら、エミールは駄目になってしまう。もともと魔力が高いせいで、何でもできると思っている子だ。確かに何でもできる子だ。一人だって生きていけるだろう。だが精神は成長しないまま、自分のことしか考えないような大人になってしまうだろう。
「セシル。気持ちは嬉しいが、大人の君がそんな事を言っていては駄目だ。君が庇ってせいで、事態はますます悪化していったんだよ。君のやる事はエミールのためになっていない。君がエミールを駄目にしていっているんだ」
分かっていた。私が庇うのはエミールのためにはならないと。でもエミールが全てを失うのは我慢できなかったのだ。
「お願いです! エミールはまだ子どもなんです! こんな若いうちから将来を摘まないで下さい! 更正する機会を与えてください!」
息子にもう用はないと言った兄夫婦がエミールにどこまでするつもりが、廃嫡か、分からない。
「エミール、お前が傷つけた叔父さんはこんなお前でも更正を望んでいるが、更正する気はあるのか? 勿論叔父さんと結婚など許可できない。叔父さんを諦め、一生会うことも許さない。勉学に励み、騎士として国に貢献することを誓うなら考えるが」
「おじ様を諦める気はありません! 勘当するなり廃嫡にするなり好きにしてください。僕にはおじ様さえいてくれればそれで構いませんから」
邪魔をするんだったら両親ともども殺して、おじ様を浚います。とまで言った。
「そこまでの覚悟あるんだったら、もう良い。お前には失望した」
「兄上?……」
兄はそのまま姿を消した。義兄だけは残っていたが、最早話し合いのためではなく、エミールが何かをしでかさないかただ見張っているだけのようだった。
「侯爵……あの」
「セシルはもう何も言うな。ただ黙っていなさい」
ほんの数分して兄は戻ってきた。ただ一人じゃなかった。
「アンリ様っ!?」
この国で最も魔力が高く、最も権威のある方だ。公爵アンリ、エミールの親戚筋の当主だ。
「要望通り、お前の息子の記憶を、全て消去する。それで良いんだな?」
「はい。隣にいるセシル……エミールの叔父にあたるセシルの記憶を全て消し去ってください」
これまで両親にばれようが、何を言われようが顔色一つ変えなかったエミールの表情が強張った。
「嫌だ! 僕からおじ様を消すなんて許さない!」
暴れようとするが、公爵の魔力で拘束され逃げ出す事もできず、泣いて嫌だと叫んでいた。
「僕にはおじ様が全てなんだ! 僕からおじ様を消さないで! 死んだほうがマシだよ!」
「エミール……っ」
おじ様、おじ様と泣くエミールにこちらのほうこそ身が裂かれそうだった。兄のお腹にいた頃からいた頃からずっと誕生を待ちわびてきた。生まれた時、抱きしめた時の柔らかさ。拙いしゃべり方。12歳になるまでずっと可愛い甥だった。
「兄上、侯爵……記憶を消すなんて、もっと他の方法は無いんですか! エミールが可哀想です」
「どうやってもエミールはお前を諦めない。だったら記憶から全てお前を消すしか方法は無い。これでも甘い罰だ。お前が頼むから廃嫡せず記憶消去を選択したんだ」
これ以上指図するなと言う様に、それ以上の反論を許してはくれなかった。事実、未成年は犯罪を犯しても死刑にはならない。通常エミールが私にした事は成人であれば死刑だ。未成年であれば、更正施設に入り、魔法で処置を受ける。エミールのように。今回エミールが親族に頼み誰にも知られないように更正処置を受けたのは、私が兄夫婦に懇願した特例なのだろう。
エミールも魔力は強いが公爵には適わない。このままエミールは私のことを忘れる。それはエミールには抗うことができない。
「おじ様! ねえ、おじ様お願い! 僕を待っていて! 僕絶対にもう一度おじ様を愛するから! おじ様以外絶対に好きにならない! だから誰も好きにならないまま、誰とも結婚しないで僕以外に抱かれないで、僕を待っていて! お願いっ!」
公爵の措置を受けながら、エミールは最後にそう叫びながら私に懇願をし、意識を失った。
起きたら、もう、私のことを覚えている事はなくなるだろう。
大丈夫だよ、エミール。私は誰も好きにはなれないし、誰とも結婚するつもりは無い。勿論、エミールとも。
「セシル、エミールからお前の記憶を奪った。だが、わが息子ながら相当諦めの悪い性格をしていそうだ。二度とエミールに会わないでくれ。わが城に来ることも許可を出来ないし、親戚の集まりにも来ないでくれ。それがエミールのためになる、分かるだろう?」
「はい、分かります……」
私を忘れたほうがエミールのためになる。そしてもう二度と会わないこともだ。
「セシル、本当に息子がとんでもないことをして……どんなに謝罪しても許されない事だ。どんな罰でもエミールに下す気だった。だが、それを君は望まない……それで本当に良いのか?」
「可愛いエミールに罰なんか必要ありません……」
私は私が破滅したとしてもエミールには全うな人生を歩んで欲しかった。
私がエミールの中からいなくなってしまったことで寂寥感を覚えたが、それが一番エミールのためになることを分かっていた。
エミールには輝かしい未来が約束されている。高い魔力に高貴な家柄。そしていずれ父親のあとを継いで侯爵になり、妻を迎えて子どもも何人も儲けてほしい。
もう会うことは適わないが、それを知ることは出来る。
エミールや兄夫婦、アンリ様がいなくなった後、残された小さな家でソファに座りながらそうエミールの将来を望んでいた。
わずか一時間前までエミールに抱かれていたのに、もう人生が変わってしまった。勿論良いほうにだ。
エミールは私がいないと生きていけないと言ったが、私はエミールがいなくても生きていける。
だがそこまで考えたところで、恐ろしい事に気がついた。
エミールに使われていた花嫁の毒薬……男に抱かれる事なしで生きていけなくする秘薬だ。
私はそれを一年以上投与され続けてきた。
先ほどエミールに抱かれたばかりで禁断症状は出ていない。しかし、数日後には禁断症状は現れるだろう。それをエミールなしでどう切り抜ければ良いのだろうか。
エミールに抱かれるわけにはもういかない。だったら他の男に頼むしかないのだろうか。
エミールの最後の叫び声が聞こえる。
他の誰も好きにならないで。
僕以外に抱かれないで、と。
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