「お父さんとは…呼んでくれないかな。やっぱり」

 そんな資格などないとは分かっているから、言えなかった。ジェスの悪行の数々を知らないユーシスなら呼んでくれるだろう。だけどそれは不公平な気さえした。母親のダリヤがずっとユーシスを命がけで守ってきたというのに、母と名乗ることも出来なかったのに、今表れたばかりのジェスが簡単にユーシスに受け入れてもらっては、申し訳ない気さえした。

 ジェスがユーシスに怨まれていないのは、ダリヤが何も言わなかったからだというのに。

「そう頼んでみてはどうでしょうか?…ダリヤさんもそんなことで怒ったりはしませんよ」

 負傷した目を手当てしている間ずっとユーシスについていてくれた副官は、ジェスの勝手な行動には怒ったものの、ユーシスには優しかった。

 生きていて良かったですねと、レンフォードはユーシスの存在を喜んでくれていた。勿論ジェスも嬉しかった。自分の息子が生きていたことも重要だが、このユーシスの存在が今までダリヤを生かしておいてくれたことが。

 それは裏を返せば、ダリヤが死ねなかった原因でもあり、苦しみを長引かせていることだったとしても。ユーシスという存在がいるからこそ、どんな苦しみがダリヤの人生にあっても、それを終わらせることが出来ない。

「それは分かっているよ……ダリヤが今までユーシスを守ってきた。私の悪口も一切言っていなかったようだし……ユーシスは私を慕ってくれているよ。私はダリヤの少佐だから」

 ジェスが何をしたかを知らないまま、過去の英雄だったジェスしか聞いていないユーシスは素直にジェスを慕ってくれている。今はぎこちないが、もっと時間が経てば素直に甘えてくるようにもなるかもしれない。ユーシスはまだ幼い。今までの悪夢を忘れて、新しい人生を受け入れるのに何の抵抗もないだろう。そこはダリヤとは違っていた。

 ダリヤは全てを忘れ、新たな人生を受け入れることができるほど幼くはない。そこがジェスが懸念するところだった。



「デュースは何か吐いたか?」

「いいえ…その前に尋問できる状態ではありません。命に別状はないものの、精神錯乱していて今の状態では証言能力さえ危ぶまれています。よほど恐ろしい目にあったのではないかと、精神科医は言っていました」

「あれくらい何だ……ダリヤの苦しみに比べれば、たった数分のことだったというのに」

 ジェスは銃弾で四肢を貫いたが、痛みですぐにデュースは失神してしまっていた。ダリヤが長い間苛まれてきたのに比べ、余りにも軽すぎるように思えた。全身死なない程度に焼いてやればよかったと思うくらいだ。あそこが魔術さえ使えれば確実にそうしていただろう。

「まあ、好都合だ。あの男がこのまま証言能力がないままでも構わん。ダリヤが持ってきた証拠があれば、充分その罪を問えるだろう……あの男は違法な魔術の研究、脱税、人身売買幇助、随分たくさんの犯罪に手を染めていたようだ。それに私が元々持っていた情報も合わせれば、あの男が有罪であることは誰の目にも明らかだ。ダリヤに送った私の暗殺についてのメモも残っている」

 全ての罪をデュースに被せて、ジェスはダリヤを救い出すつもりだった。それができるはずだった。そうしなければ、何のために権力を持っているのかすら分からない。誰になんと言われたって構わない。絶対にダリヤを今度こそ守ってやると心に決めていた。

 今はジェスの執務室のソファの上で丸まって眠っているユーシスのためにも。

「しかし…ダリヤさんを無罪放免というのは難しいです……確かにダリヤさんは被害者です。でもそれを証明するためには、人質という存在があったこと……ユーシス君の存在も明らかにすることにもなります。それは彼が過去に蘇生魔術を行ったことを証明しすることにもなってしまいます。ユーシス君の存在を明かさないままでは、ダリヤさんの減刑は難しいです」

 そしてそれは全てできないことだった。ユーシスの存在は決して明かすことはできない。ユーシス自身のためにも、一度死んで生き返ったことなどダリヤのためでも、いやダリヤのためだからこそ、絶対に知られてはならないことだ。蘇生魔術をしたことも同様だ。そのことから、ユーシスのことがばれるかもしれないからだ。そしてダリヤもユーシスのことが公になることを絶対に望んでいないだろう。

「何よりも……ユーディング中将。大総統選は直前です。いまここで、ダリヤさんを庇い立てすることは……」

 レンフォードに今さら言われなくても、ダリヤからも散々言われていた。

 俺なんかが大総統夫人になれるわけはない。犯罪者だよ、俺。俺を突き出せば、大総統になれる。

 二人きりで過ごしたたった数日の出来事が、鮮明に蘇っては消えていく。あの壊れ物のようにダリヤを抱いた夜を、最後にしろとでも言うのだろうか。

「無理なんだ!……状況が許さないっていうのも、誰も私たちのことを祝福してくれないと分かっていても、私は……ダリヤを愛してしまったんだ。笑えるだろう?レンフォード大尉。あれほど女を厭い馬鹿にしていた私が……最後に愛したのが、私を破滅させるために現れたダリヤだったんだ。ダリヤはこの世の終わりが来ても、絶対に愛することはないだろうと思っていた。嫌悪すらしていた。それなのに気がついてみたら、この心の中にダリヤがいたんだ。やっと気がついたのに、今度こそ何もかも捨てても守り通したいのに!……愛した者を庇い立てすることすらできないのか!私は!」

「ユーディング中将……」

 レンフォードに当たっても仕方がないことだった。全部自分が招いたことだ。

「一つだけお伺いしてもよろしいですか?」

「何だ?」

「ダリヤさんも同じ気持ちなんですか?」

「いいや……私の片思いだ。あの子は私を……愛していない」

 あるのはただ過去の亡霊だったのかもしれなかった。ダリヤはあの夜、昔得られなかった愛を欲しがっただけかもしれない。愛しているかは分からないと言われた。それで当然だとも思った。

「分からないと言われたんだ……色んなことがありすぎて。それでも、愛していないと言われなかっただけまだマシなくらいか?」

「どうして……そんな厄介な恋をするんですか?……亡くなった奥様の時とは違って、今度こそ幸せになっていただきたかったのに」

「すまない」

 今になってようやく分かった。どんなに愛されないことが辛いということが。ダリヤと同じほどの愛を知らなければ、その痛みがどれほどのものか理解出来なかった。ダリヤはこんな痛みをずっと抱えて生きてきたのだ。

 ジェスはダリヤもレンフォードも、死んだ妻も皆不幸にした。曖昧な感情のまま結婚し、幼いダリヤを不幸にして、副官として従ってくれているレンフォードも皆。誰一人幸せに出来ないままだ。

 それでもたった一人で良い。これほど尽くしてくれたレンフォードには本当に申し訳ないと思う。ジェスがダリヤにしたことを知った時かなり葛藤しただろう。それでもジェスに付いてきてくれた大事な部下なのだ。

 だけど、自分はダリヤを取ろうとしている。それがどんな裏切りかを知りながら。

「でも、もう二度とあの子の信頼を、あの子との約束を破りたくないんだ。約束したんだ……ダリヤと。そのためならこの命だって惜しくは無い。大総統の地位もだ」

 だから、すまないとジェスは頭を下げた。何よりもダリヤを優先させてくれと。もうこれ以上ダリヤを裏切らせないでくれと。

「私たちと貴方の夢と、ダリヤさんとなら、ダリヤさんを選ぶということなのですね。中将…貴方は。あの時とは違って」

 あの時。それはジェスがダリヤに殺された時にレンフォードと病室で語った時と比べてのことだろう。あの時はダリヤを愛していなかった。だからダリヤを選んだわけではないといえた。だが今は違う。

「いいや……全部取ってみせる。大総統の地位も、君たちの信頼にも全てに答えてみせる。それは変わりはない。ただ、最後に一つを選べといわれた時には、ダリヤを取ると言っているんだ…それを今から言っておきたかっただけだ」

「そのお心に…変わりはないんですね?私たちが幾ら頼んでも、もう決めてしまわれたのですね?」

「ああ…すまない、君たちに迷惑ばかりかけて申し訳ないと思っている」

「本当です……でも、中将。貴方にもう一度、大切なものができて……それだけは凄く嬉しいのですよ」

 本当に自分でも不思議だった。もう二度と自分は人を愛することができないと思っていた。愛してはいるかは曖昧なまでも大切にしようと、大切にしなければと思っていた妻の裏切りを目にした時から、こんな感情を持つことが出来る日など想像もできなかった。

 ましてその存在は自分が死んだ妻の代わりに憎んだダリヤだったのだ。

 それでも今はもう、ダリヤしか要らない。

 ダリヤを愛して、全てを失っても構わないとさえ思った。


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