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 こんな取り返しが付かない時にやっとダリヤを愛していることに気がつくなんて。いや、気がついたんじゃない。

 これほどの痛みを抱えて、それでもジェスを愛していたと言ったダリヤに、どうしようもない愛おしさを感じた。昔のままのダリヤだったら、ジェスは愛することはなかっただろう。今のダリヤだから、ジェスはもう一度人を愛することが、好きだと思うことができた。このダリヤだから、こんなにも守ってやりたいと、愛おしいと思えたのだ。

「ユーシスに聞いた。昔、私たちはあの戦場で出会っていたと……君は私が言ったことを覚えているのか?昔、一番最初に私たちが出会った時のことを今も」

「覚えているよ…でも、アンタは忘れてた」

「そうだ…君の弟に言われるまで、君と昔出会っていたことなど思いもしなかった。君が暮していたあのアパートで、君が写真盾の裏に私の写真を隠していたことに気がついたのに」

 そんな可能性など思いもしなかった。

「私は何と君に言った?君にどんな約束をした?……私のどんな言葉が君の人生を狂わせた?」

「そんなたいしたこと言ってないよ。アンタは……たぶん記憶の底にも引っかからないような数分だった。そんな一言で、俺の人生は変わったりはしない」

 それでもその表情から、ダリヤにとっては掛替えのない数分だったのだろう。どうして何を忘れてもこの少年のことを覚えていなかったのだろうと悔やまれた。覚えているよ、忘れていなかったと言えれば、少しは喜んでくれたかもしれなかったのに。

「君が好きだよ……愛している」

 それ以外言う言葉がなかった。今まで戯れに愛を囁いてきたように、言葉を飾ってみてもダリヤには陳腐に写るだけだろう。

「もう本当に遅すぎたかい?…もう私の言葉を受け取ることは出来ないか?」 

「……正直、そんなふうに言われるなんて想像もしてなかったから……分からない。今はあの頃みたいな気持ちじゃないんだ。この四年間で中将の気持ちがあの頃と変わったように、俺の気持ちもあの頃みたいに純粋に中将のことを愛していない……愛する代わりに憎んだんだ。そうやって生きてきた。あの頃は中将が一番だったけれど、今はもう他に大事なものがある…遅すぎた。何で今なんだ?……アンタ何年も遅すぎるんだよ」

「それは当然だ」

 今こんなジェスの告白を聞いて、あの頃のように素直に喜んでもらえるなんて都合の良いことが、ジェスの気持ちを受け取ってもらえることを考えていたわけではない。ダリヤがジェスに向けた想いが何年も実を結ばなかったままだというのに、つい先ほどダリヤへの想いを自覚したばかりのジェスが簡単に報われるはずがないのだ。

「でも、悪い気分じゃないよ。俺の過去の想いが報われたみたいで……嬉しい。はは……ねえ、中将、俺を抱きしめてみて。もっと俺に好きだって言ってみてくれないか?その言葉を信じさせて……過去の亡霊の俺が喜ぶから」

「ダリヤ、ダリヤ……愛しているよ。遅れて…遅すぎて、すまない」

 昨日抱きしめた身体と同じはずなのに、何もかもが違った。堪らなく愛おしくて、この厳しい世界から隔離して、辛いことから全て関係のない世界で、美しいものだけで彩ってやりたかった。 

 そしてどちらともなく唇が重なった。覗き込んだ金色の目は潤んで、ジェスの肩を掴んだその両手は、振るえていた。ジェスもダリヤの背中で抱きこんだ腕は振るえていた。

 初恋を知ったばかりの少年のように自分が思えた。

 そしてそのまま、長い時が経った。



「何もしないの?」

 ふと膝に上に抱き上げたダリヤがジェスの目を覗き込んで、まるで当然のことのように問いかけてきた。

「しないよ……君が私を好きでもないのに、抱けない。もう二度と君を玩具のように抱いたり出来ない」

 それがジェスなりの誠意のつもりだった。

「抱けよ」

「ダリヤ…」

「俺に、愛されて抱かれることを教えて。今でも、過去にふいに連れ戻されて、何の価値もなかったあの頃に戻ってしまうような気がするんだ……少しは価値のあったんだって、中将自身で証明してくれ……そうすれば強くなれる気がするんだ」

 正直ここでダリヤに言われるがまま、彼を抱くことが正しいかジェスには一瞬で判断はできなかった。だが確かにダリヤの言うように、ダリヤは愛されて抱かれたことはなかった。ジェスが投げつけた言葉をそのまま信じ込み、自分を何の価値のないままだと思い込んだままだった。

「ダリヤ……ここで私が君を抱くのは簡単だよ。でも、そのことでまた君が傷付くのが私には怖い」

「大丈夫…俺はそんなに弱くない。俺に教えてくれ……愛されるってことを。それできっと…もう何も怖くなくなるから」



 何が正しいか分からないまま、それでも今伝えられるもの全てを使って、ジェスはダリヤを抱いた。愛した。

 それはとても辛くて、胸が張り裂けそうなほど愛おしくて、まるで儀式のようだった。

 大切に、まるで壊れ物を扱うかのようにダリヤに触れた。

 もう何度もその体に触れたことがあったはずなのに、まるで初めてのようで。



「どうしたんだ?…中将、そんな顔して」

 汗ばんだ身体のままダリヤはそっとジェスに手の伸ばし、首を傾げた。

「どんな顔をしている?私は」

「神妙な顔」

「ああ、今とても安らかな気分なんだ……それでいて、とても神聖な儀式のようで。君を壊したらどうしようと思っていたくらいだ」

「なんだ…そんなこと?」

 クスクスとダリヤが笑った。

「私は真剣に」

 揶揄されたと思い、抗議すると。

「俺はいつもそう思ってた。アンタに触れられているときは…いつも。馬鹿みたいだろう?こんなふうに抱かれたって……もう俺は命を育むことは出来ない。無駄な行為なのに」

「そんなふうに自分を貶めるのは止めてくれ。みんな私の責任だ……君は私を責めれば良い…私が愛した君を自分で貶めるようなことは言わないでくれ」

 この夜はダリヤを大切に扱ったつもりだった。だがそれでもダリヤの呪縛は解け切ってはいなかった。四年もの間に降り積もったものは、たった一夜では解けきらないのかもしれない。

 ダリヤを愛したから余計に、傷ついている彼が不憫に思える。愛したから、余計に自分の犯した罪にいたたまれなくなる。ダリヤはただジェスを愛しただけなのに、その代償に得たものは余りにも残酷すぎた。そして、やっと彼を愛せたというのに、その傷を癒やすこともできていない。そしてどうやって癒やしたら良いか、償ったら良いか、ダリヤを抱いていながら分からないままだった。

「強くなれると……自分に価値があるように思えると言ったじゃないか。今日だけで無理なら、君が一人で過ごした四年以上、言い続けるよ。君が好きだと…愛していると…だから」

 もう二度と自分で自分を貶めるような笑みは、言葉は、行動はしないと欲しいと頼めば、そっとダリヤは手を伸ばしてきた。ジェスの頬に触れ、その手を下にずらすと、そっとジェスの手に重ねた。ダリヤの手は小さくて、けれど両手にある切傷は余りにも大きく見えた。

「四年以上言い続ける?無理だよ……俺には分かる。今の中将の感情は熱病みたいなものだ……俺がいなくなったら、すぐに忘れてしまうんだ」

「居なくなんかさせない。ずっと、私のそばにいれば良い……もう何処にも行かなくて良いんだ。私が君を守る」

 ダリヤの重ねられた手を包むように、その上から左手を重ねた。

「もし君がいなくなったとしても、忘れたりなんかしない。君が愛してくれたこと……君を愛したことを忘れない」

 そう言いながらも、けっして離したりはしないと抱き込んで離さなかった。ダリヤは何も言わなかった。潤んだ目でジェスを黙って見ているだけだった。

「忘れない?」

 とそれだけを言った。

「ああ……忘れない。一生…二度と、私の人生から君を締め出したりはしない」

「そっか…」

 聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小さな声で、それだけを言ったダリヤは安堵しているように思えた。

「なあ、中将……俺がアンタを大総統にしてやる」

 それがどういう意味かはジェスには分からなかった。ただそう言ったダリヤは、全てを吹っ切ったような笑みをしていた。

「だからアンタが俺の願いを叶えて」

「どんな願いでも、ダリヤ…君の望むことだったら、命にも代えて叶えてみせるよ」

「何を犠牲にしても?」

「ああ」

「自分の良心と引き換えにしても?」

「引き換えにしても…だ」

 他の誰を裏切っても、もう決してダリヤだけは裏切らない。

「約束」

 そう微笑んだダリヤの顔は酷く無邪気に見えた。今まで見たダリヤの、リヤの笑顔の中で一番の微笑みだったとジェスは思った。



 ダリヤ。君は気づいているだろうか。私が今まで君に約束したことを何一つ守っていないことを。私が君に言ったこと約束したことは、全て偽りに満ちていたことを。

 ずっと昔に好きだと言ったことも、結婚して幸せな家庭を築こうと約束したことも、皆守ることは無かった。あの初めて出会った時、気まぐれで小さなダリヤに約束したことも全部。

 だが今なら、今ならどんなことも叶えてやるだろう。



「一緒に暮そう……もっと大きな家に引っ越しても良い。何が欲しい?……大きな犬でも飼おうか」

「何それ…それって中将の理想の家庭ってやつ?」

 クスクスと笑ってダリヤは揶揄した。以前の時の様に拒絶はされなかった。何もかも遅すぎると罵られたが、もう一度だけチャンスをダリヤが与えてくれるなら、二度とダリヤが悲しむ顔をさせることはないだろう。

「そういう訳ではないけれど……ダリヤ。君がいてくれるなら、何でも構わないよ。二人でいられればそれで良い」

「俺なんかが大総統夫人になれるわけないのに?俺はお尋ねものの犯罪者で、逃亡者だよ」

「なれるよ…してみせる。できなければ、私は大総統になれなくても構わない。」

 ダリヤに好きだと返してもらってもいないのに、彼の気持ちがジェスに向いていないのに、そんな本当に実現できるのかも分からない未来を二人で語っていた。いや、ジェスが一方的に語っていた。ダリヤはそれを可笑しそうに聞いていただけだった。

 思い返してみればそれは絶対に叶うはずがないと思っていたからこそ、ダリヤは笑っていたのだと気がつけた。それを見抜けなかった自分が愚かなだっただけだった。



「なあ、俺がどれだけアンタの愛が欲しかったか……きっとアンタは一生分かる日は来ないよ。俺のことを愛していると言った、今のアンタでも…それはきっと無理」

 

 そう言ったダリヤの重苦しい思いを、確かに私は理解していなかったのだろう。少しでも理解できていたら、きっと一分たりとも私の腕の中から出したりはしなかった。

 私の考えは余りにも楽観的で、ダリヤのことしか考えてはいなかった。実際、事がダリヤのことだけだったら、もっと話は簡単だっただろう。しかし、ダリヤはダリヤだけではなかった。ダリヤの人生はダリヤだけのものではなく、彼女が命を投げ出しても構わない、大事なものがあったことに私はその時考えが及ばなかった。

 ただ、初めて恋を知ったように浮かれていた私は、昔と変わらず愚かだったということだけは確かだったのだろう。



6章END
この回が書きたくて、この話を書いたといっても過言ではない回でした。
憎しみから愛に変わるのはそう簡単ではない。そして簡単に人を許すことも出来ないはず。
一目ぼれとか、可愛いとか、そんな簡単なものではなくて、その人の苦しみ。生き様を見て、愛した……そういうところが書きたかった。そんな記憶があります。
ちょっとでも伝わったら嬉しいです(^^


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