「まだ兄さんの居場所は掴めないんですか?」

 そう、出会ったばかりの少年は何度もジェスに訊ねてきた。ロシアスに探させたダリヤの弟は、ダリヤと同様にはっきりとした物言いをする少年だった。ダリヤと似てはいるが、ダリヤほどクライスに似てはいなかった。聡明そうな面持ちは兄弟に共通するものだったが、ユーシスのほうが穏やかな印象を与えるものだった。しかし、その毒舌ぶりはダリヤに負けず劣らないものだった。

 こうして会うまで、彼がダリヤの弟だという確証はなかったが、目の前にしてこの少年はダリヤの弟以外何者でもないと、誰の目にも明らかだった。

「まだだ……全力を尽くして捜索はしているが」

 ようとしてダリヤの行方は知れなかった。とは言っても、まだダリヤが指名手配されてから三日しか経ってはいなかったが、頼る者などいないダリヤがいるところなど何処にもないはずだった。組織ももはや利用価値のなくなったダリヤをそのまま保護しておくとも思えない。勿論ダリヤの頭脳はかなりの利用価値があるはずだった。だがそれ以上にアキレス腱になりかねないダリヤを保護するよりも殺すほうが、身の安全を考えるしか脳がない奴らには手っ取り早いはずだ。

 ジェスはできればダリヤを秘密裏に保護し、外国にでも逃がしてやりたいと思っていた。ここではダリヤには安らかな生活は送れないだろう。この弟もできればダリヤと一緒にいさせてやりたいとは思ったが、ユーシスにも家族がいた。それができるかは分からない。



「余り何も聞かないのだね…君は」

 ジェスはダリヤの弟であるユーシスに、話せることは全て話したつもりだった。包み隠さず、それでいてダリヤの不利になるようなことは出来るだけ避けて話した。

 ジェスとしては口汚く罵られて当然、殺されたとしても文句は言えない立場だと思っていたが、兄の行方を厳しく追及する様子とは裏腹なほど、責められたりはしなかった。

「…兄さんの傍に居られなかった僕が、どうこう言える立場でもありませんから」

 幾分消沈した様子でそう語るユーシスは、自分だけが何不自由ない生活をしていたことへの罪悪感を感じさせた。

 正直ジェスとしても何も知らず幸せに暮らしているユーシスに、諸々の事情を話すことへの躊躇を感じなかったといえば嘘になる。あのダリヤもそう思い、見ているだけでユーシスに近づこうとはしなかっただろう。そんな彼女の思いを無視してジェスが勝手にユーシスをこちら側に引きずり込むことは、きっとダリヤは望まないだろう。

 ユーシスにも真実を話すことで、身に危険が及ぶかもしれないことも、兄がユーシスにはきっと何も知らないままでいて欲しいと思っていたことも話した上で、彼に真実を知りたいか知らないままでいるかの選択を任せた。その上でユーシスは、ダリヤと離れてからの数年で起こったこと、彼らの両親の死。それらを全部受け止めたのだ。

 両親の死を知っても、ユーシスは泣いて取り乱すことも無かった。薄々は察していたのだろう。その背景にあったジェスのダリヤの仕打ちについても、そうですかと、まるで他人事のように受け止めただけだった。

「僕が兄さんと一緒に居たとしても、兄さんの恋心を止められたとは思えないんです」

 起こるべくして起こった。そうユーシスは告げた。母親にさえジェスとのことを漏らさなかったダリヤだ。もしこの弟がいたとしてもダリヤはジェスのことをユーシスに言うことはなかっただろう。

「でも…その最悪の事態だけは食い止められたと思うんです」

 蘇生魔術。父親から受け継いだ才能を持っていたのはダリヤだけではなかった。このユーシスもダリヤに負けず劣らない才能があった。母親では止めようも無かった凶行も、ユーシスがいたらまた違った結果だったかもしれない。

「そうすれば…兄さんが軍にいることを強いられることもなかっただろうし、こんな指名手配犯として逃亡することもなかった…はずなんです」

「君のせいじゃない……皆、私が彼をこんな状況に追い込んだ。今回だって、もっと早く彼を救おうと思えば救えたかもしれないのに……あんな行動を起させるまで、黙って見ていただけだった」

 もう少しダリヤから話を聞けば良かった。ダリヤは頑なで自分の意志を曲げようとはしなかったが、ジェスも歩み寄る努力をほとんどしなかった。ああやって危険から遠ざけるように囲っているだけで、ダリヤを守れたつもりになっていた己の愚かさを、今さら嘆いても仕方が無いが。

 大切なものは殆ど無いのだと言っていたダリヤの大切なものとは、ユーシスだと思い込んでいた。この弟がダリヤにとって足枷となっていると。

 だがダリヤの唯一のものとは弟ではなかったのだ。勿論彼のこともダリヤは大切な弟に違いない。ああやって部屋に写真を飾るくらいなのだから。だが弟が原因でダリヤは軍に足止めされていたわけではなかったのだ。
 ダリヤがジェスを殺そうとした時に、ジェスはユーシスのことは心配する必要はないと言った。もうダリヤの足枷は解いたのだと、そう言った。

 だがダリヤはユーシス以上の何かを守るために、ジェスを殺すことを選択した。今のダリヤに、母親を亡くしてから三年で、ただ一人残った身内以上に大切なものとは一体なんだったのだろうか。

「贖罪が必要ですか?」

 相変わらず静かな声だった。

「そうだね……私は、ダリヤに罰して欲しかったのかもしれない。あの時、殺されても構わなかった……それなのに、こうしてのうのうと生きている。なのに、弟である君にそんな悟ったような態度を取られては、私の立場もないな」

 こんな態度を取られるよりは、殴られたほうが余程気が楽だと言うと、ユーシスは苦笑し口を開いた。

「貴方は…僕たち兄弟の命の恩人ですから」

 既に既知の事実であるかのようにその言葉を口にするユーシスに、ジェスは驚きを隠せなかった。過去にダリヤたち兄弟に関わったことがあるのなら当然覚えているはずだ。クライスに関わることで、ジェスが忘れることなどありえなかった。

「兄さんに聞いていなかったんですか?」

「いや…」

 リヤは時々懐かしそうな目でジェスを見ることはあった。だが何も言ったことはなかった。本当に過去、ジェスがダリヤやユーシスの命を助けたことがあったのだろうか。

「何時だ?」

「異教徒内戦時です。僕たちも含め、多くの子どもたちが人質になった時、開放して助けてくれたのは当時少佐だった、貴方でした」

 それなら今から十年以上昔のことだ。まだジェスも結婚していない。当然クライスなどのことも知らない。ダリヤたち兄弟が故郷にいたことからも、まだ彼ら家族が平和だった頃のことだろう。



「すまない…あの頃は毎日が目まぐるしくて、余り覚えていないんだ」

「良いんです……僕たちのことなんて中将にとっては、その他大勢の一人に過ぎないと思います。僕たちみたいな子どもはたくさんいたと思いますし、覚えていなくても当然です……でも兄さんは違いました」

 ダリヤは違った。きっとこのユーシスも命を救ったというジェスに感謝はしているのだろう。だからダリヤのこともジェスに強く詰ることができない。だが、それだけだ。

「あの時からきっと兄さんはユーディング中将のことを、ずっと憧れていたんだと思います。幼すぎて恋ではなかったかもしれません……でも、実際に会えば憧れは簡単に恋になります。兄さんが命の恩人である貴方を盲目的に愛したとしても不思議は無いでしょう?」

 

 何の偽りも無く、ジェスの地位や財産に関わりなく、ジェスを愛したのだ。ユーシスの言うように、幼さゆえの一途さと盲目さで。

 ジェスの周りにいたような打算など一欠けらもなく。何の見返りも求めなかった。



「覚えていないんだ……」



 そう先ほどと同じことを繰り返した。ダリヤの人生が狂い始めたとしたら、そう、それはジェスが助けたという事件の時からに違いない。その事件さえなければ、ダリヤはジェスを愛することも無かっただろう。そうすれば蘇生魔術を行うことも無かった。

 昔ダリヤの命を助けたことはなければ、ジェスが同じようにダリヤを弄んで妊娠させても、それでも最悪の結果だけはダリヤに訪れなかったかもしれない。ジェスを愛していなかったダリヤは、子どもを蘇らせようとはしない。

「それは仕方がありません。貴方にはさっして重要なことでも何でもなかった。僕も中将のことは命の恩人だと思っています……でも、それだけです。でも、兄さんは貴方に貰った言葉が、何よりも大事な宝物になった」

「何か私は言ったのか?ダリヤに…」

 ダリヤに会った記憶も思い出せなければ、何を言ったかすら記憶になかった。

「分かりません…それは兄だけの大事なものだったから。僕には何も教えてはくれませんでした。ただ、中将が兄さんに何かを言ったことだけは、見て覚えています」

「そうか…」

 何も覚えていなかったジェスだが、ふと過去の記憶で気にかかったことを思い出した。

「あの子はすぐ私の階級を間違えたんだ」

――中佐

「私が大佐だと言うと」

――だって、すぐ出世しちゃうから覚えきれないよ。この前は少佐だったのに。

「少佐の頃の私なんか知らないだろうと言うと…意味深に笑っていたよ」

「兄さんは内戦の頃の少佐のユーディング中将を知っていたんです。きっと中将から思い出して欲しくて、何も言わないままだったのでしょう。貴方が約束した何かを、兄さんからは言いたくなかったのかもしれません」



 きっとその何かは、自分にとってはとても些細で記憶に残すほどのことでもなかったのだろう。だが覚えていれば、それをダリヤに伝えてやれれば、今もっと違う未来がダリヤにはあったのかもしれない。ジェスをほんの少しでも信用し、その胸のうちを語ってくれれば。

 いや、ダリヤがもっと純粋にジェスを愛してくれたあの頃に戻れたら。ダリヤが遅すぎるといった、あの過去の頃に戻り、そう伝えられれば。

 もしも、という仮定は余りにも残酷だ。過去に戻れたらと、そう思うものは多いだろう。あの地点に戻れたら、そう願うことは何度もあったが、ジェスは今もしも一度だけ過去に戻りやり直すことができるとしたら、それはダリヤがジェスを殺そうとした時でもなく、あのジェスがリヤを絶望の淵に陥れた夜でもない。

 最初に出会ったという、内戦での出会いだ。あの日に戻れたら、ジェスは永遠にダリヤと関わらないように生きていくだろう。



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