「中将アンタに少し話があるんだ」

 そんなふうにダリヤから声をかけてきたのは、あのダリヤから絶望的な事実を聞かされた翌日のことだった。ダリヤからジェスに声をかけてくることなど今まで無かったことだったが、ダリヤの真剣そうな表情に頷き、リリアやローズにも遠慮してもらい、部屋に二人きりになった。

 ロシアスはまだ仕事から戻ってきてはいなかった。薄闇に佇むダリヤはひょっとしたら昨夜は眠っていなかったのかもしれない、少し目が充血していた。その目は精彩を欠いていた。

 ジェスは昨日の教訓を生かして、自分からは何も切り出さなかった。何か言えば、修正しようとすればするほどダリヤを傷つけることしか言えないような気がしたからだ。

 だからダリヤから用件を切り出すのを待っていた。

「アンタ思ったより優秀だったよな…ちっとも尻尾を掴ませてはくれなかった。俺色々アンタのこと調べてみたのにさ。悪事の一つや二つ出てくるかと思ったら、何にも出てこないんだからさ。嫌になっちまうよ」

 突然そんなことを言い始めた。こんなことを言うために、二人きりになったわけではないだろうが、何かきっかけを探すようにそんなことを言い始めた。

「そんなことはないさ……私は君にやられっぱなしだった。君の手腕はなかなかのものだったよ…部下にしたいくらいだった」

 そう言うと、何故かダリヤは手でギュッと自分の胸を掴み、泣きそうな表情をした。今のジェスの言葉のどこにこんなふうにダリヤの表情を変えることのできる意味があったのか、ジェスには分からなかった。

「なぁ?中将にとって、そんなに大総統になるって大事?命を懸けても良い位?」

「ああ……私の人生そのものだ」

 内戦から戻って以来、そして妻子を亡くしてからはジェスが見てきたのは、大総統になりこの国を変えること。だたそれしかなかった。

「だよな…昔からのアンタの夢だもんな」

 そんなことをダリヤに言ったことがあっただろうか。昔に言ったのかもしれない。

 寝物語のようにして聞かせたのだろう。ダリヤはジェスの胸の中で、ウットリとして聞き入っていたのかもしれない。ジェスは馬鹿馬鹿しいくらいリヤと話したことを余り覚えていないというのにだ。ダリヤは違う。ジェスのしたこと言ったことを一字一句違えることなく覚えていたのだ。悲しいほどに。

「でも今はその夢と同じくらい大事なことがある」

 それと同じほどに、しなければいけないことがジェスにはあった。

「君のことだ…君を、君を幸せにしたい」

 愛しているとは言えない。自分でもこの感情は愛じゃなく、同情だと理解している。いや、ダリヤにもロシアスにも指摘されたように懺悔だ。ダリヤを愛おしいと思う瞬間もある。しかしその感情は決して愛情ではなかった。これだけ歳が離れていると、おかしな話だが自分の子どものようにすら感じるのだ。

 だがジェス自らの手で、ダリヤを幸せにしてやりたいという気持ちは偽りはない。出会ったばかりの頃のように、無邪気な笑みをどうやったら浮かべてくれるだろうか。そんなことを何度も考えた。

 ダリヤが言ったように、ダリヤがリヤだったあの頃に戻れるのなら、ジェスの何を差し出しても構わないだろう。ダリヤが失ったように左足を差し出しても、リヤが好きだと言ってくれたこの黒い両目を抉り出しても良い。

「幸せ?」

 何それと言ったような、馬鹿にした物言いだ。

「そう……君のために私は何ができる?何をしたら昔のように笑ってくれる?……もう今更私が何をしても、君の心には何の感銘も与えられないかい?……何をしたら良いのか私にはわからないんだ。君が教えて欲しい」

「俺のために何が出来るって?……そんなこと、昨日も言ったけど、今更中将が何を言ったってやったって、俺が信じるとでも思っているのか?中将の言うことなんか少しも信用できるもんか。いざとなったら、中将は簡単に俺を切り捨てる……俺なんかよりも大事な大総統への地位と部下のほうを選ぶに決まっている」

 全くジェスの言うことなど信じていない。当然と言えば当然の成り行きだが、だがジェスなりにダリヤを守ろうとしてはいた。

「……どう証明したら信じてくれる?」

「じゃあ…俺のために…俺のユーシスのために死んでくれない?」

 ダリヤは素早く懐から銃を取り出し、ジェスの目の前に突きつけた。

「そうすれば、信じることが出来るかもしれない。そうすれば、アンタを許すことができるかもしれない」

「どうやってそれを?」

 この家に連れてくる際、ダリヤからは一切の武器を取り上げたはずだった。外部とも一切遮断させていた。

「何言ってるんだ?俺は魔術師だぜ?……この家にあるものでも十分、銃くらい作ることはできる。俺を少し自由にしすぎたな、アンタたちは。司令部にいたときみたいに、四十六時中、見張りでもつけて両手を縛っておけば良かったものを」

 一歩一歩と歩みを進めジェスとの間の距離を縮めるダリヤ。ジェスにとってこのままダリヤを取り押さえることなどたやすい。魔術の腕前はともかく、体術ではしょせん子どもと歴戦の軍人だ。比べ物にならない。だがそうする気にはなれなかった。今やっとダリヤの本心が吐露されているような気がしたからだ。

「自由になれるんだ…アンタを殺せば、俺はやっと、やっと、この檻から抜け出すことができるんだ…もう何にも縛られずに済むんだ」

「ダリヤ…ユーシスなら大丈夫だ!君には内緒にしていたが、私が探させている!もうすぐ見つかるはずだ。そしたら君とともに、保護するから。もう何も心配しなくて良いんだ。もう君はユーシスと一緒に自由になれる…さあ、その手を離すんだ……震えている」

 だが首を振るダリヤ。その震える手はますます酷くなっていった。精一杯何度もダリヤは大きく息を吸って、それを抑えていた。顔が青ざめきっていて、今にも倒れそうなほどだった。

「おいで……ほら、私が助けてやるから…今度こそ嘘はつかない」

 ジェスは手を伸ばした。ダリヤがこの手を取れるように。ダリヤを傷つけるつもりが無いことを証明するように。

「違う!そんなんじゃあ、俺たちは自由になれない!アンタじゃあ、俺たちを助けられない!」

 子どものようにダリヤは首を振って、ジェスに向かって引き金を引いた。ジェスは避けようとはしなかった。

「だから…だから!あの時、親父と一緒に俺を殺せば良かったのに…そうしたら」

 こんなことをしなくても済んだんだ。そう最後にジェスの返り血を浴びながら言った。ジェスのこの時みた光景は、血に染まるダリヤの苦しげな表情だった。そんな辛そう顔をするなと言おうとしても、打ち込まれた銃弾で息ができなかった。



「俺はちゃんと…アンタを……愛していたよ。アンタのように偽りじゃない」

 その言葉はジェスの耳にはもう届かなかった。

 ダリヤもジェスに聞かせるのが目的ではなかった。ただ、最後に、過去の自分に決別するためだけにそう言い残したのだった。

 辺りには銃弾の響きと、咽るような血の匂いしか残っていなかった。それでもダリヤは弾が無くなるまで、ジェスを撃ち続けた。六発全部。震える手を叱咤しながら。

「さようなら…ユーディング中将」

 ダリヤはジェスの脈がなくなったのを確かめてから、最後にまだ温かい頬に口付けた。



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