死んだ子どもを抱きながら、最後にたたきつけられた絶望の言葉。
―――もう子どもは産めないだろう。
母がなけなしの金を叩いて連れてきた医者にそう、宣言された。容赦のない言葉だった。
―――命が助かっただけでも儲けものだと思いなさい。
子どもが死んだばかりで飽和状態だったダリヤに、更に追い討ちをかける一言だった。もう子どもは産めない。
「ローズの好きなおとぎ話のように、お姫様に王子様が迎えに来てハッピーエンドで終わりなんて有り得ない」
それをダリヤは思い知っている。ずっとダリヤの心の中で英雄だった男は、ダリヤの王子様ではなかった。いや、違う。ダリヤがお姫様ではなかった。だから、ハッピーエンドなど用意されていないだけだった。
何時でもお姫様だけが幸せになって、その他の登場人物の末路など哀れなものだ。ローズの童話のように上手くいきっこないのだ。それがハッピーエンドストーリーのお決まりのパターン。ダリヤは脇役だ。
「出てけよ!…これ以上俺を惨めにさせたいのか?」
呆然とした表情のジェスを見て、自分はジェスを責めていると思うだろうか。違う。ただの事実に過ぎない。どうやっても変えることのできない、これもまたどうしようもない現実なのだ。
「ダリヤ……すまない…すまない。どう謝ったらいいか…」
「行けよ!謝罪なんか必要ないって言っただろ!……その代わりに俺はアンタを許したりしない!死ぬまで、死んでも、永遠に許さない!」
どんな言葉を投げかけられても、何も変わりはしない。余計に惨めになるだけだった。
ジェスがいなくなるとダリヤはその場に崩れ落ちた。バルコニーの柵を握り、涙をじっと耐えた。涙なんか流したりはしない。ずっと昔に封印したのだから、次にダリヤが涙を流すのだとしたら、それは全部が終わったとき。ダリヤが自由になれた時だ。
それまではずっと、ここにいても自分はデュースの飼い犬に過ぎない。
空を見上げると、余りにも青すぎた。目に痛いほどに。
下を見れば、そこは色とりどりの花が咲き乱れていた。今のダリヤの思いとは裏腹に鮮やかな色彩。純粋に綺麗だと思える。リリアやローズはまさにダリヤが望んでいた未来の形。どこか羨んでいるように見えたからだろうか。ジェスがあんな途方もないきことを言い出したのは。
好きだって?どうしてそんなに簡単に言えるんだろうか。ダリヤがジェスに好きだと言って、なくしたものを思えば、どうして簡単にあんなふうに嘘を言えるのだろうか。一番残酷な嘘だとジェスはどうして気が付かないのだろうか。
分からないんだ。ジェスは。ジェスも大事なものを亡くしているとはいえ、誰一人として味方のいなかったダリヤと違って、親友も、ジェスを慕っている部下たちもいる。だからダリヤの気持ちなど、表面からしか見ることができない。ジェスとダリヤの境遇がどれほど違っているか、分かっているようであの男は分かってはいないのだ。自分が孤独だと思っているかもしれないが、ジェスがどれほど恵まれているかきっと気がつくこともないだろう。
苦しい。母さん苦しいんだ。俺が殺した母さん。
もし生きていてくれたら、今の俺を見てどう思う?
上手く呼吸すらできない俺に、どんな慰めの言葉を囁きかけてくれる?
謝ることを決してしなかった男が、自分が悪いと決して認めなかった男が、漸く自分の非を認めて、ダリヤに謝っているのだ。そして馬鹿らしくも、あれほど嫌っていたダリヤと結婚しても良いとまで言ってきているのだ。勿論、自分のことを愛しているわけではなく、ただの責任をとるつもりだけのものだ。
母さん、最初の態度と比べればたいした譲歩だと思う?
ジェスの手を取って、それで終わらせれば良いって思う?
何もかもを忘れて?
そんなことできないのは、母さん、あの最後のときに居合わせた貴方が一番よく知っているはずだ。俺の取ることのできる道はたった一つで、それは変わらず茨の道なんだ。
手紙に入れられていた、一本の髪の毛。封筒の隅に検閲されたときに見つかりにくいように貼り付けられた、たった一本の短いその髪の毛には嫌になるほど見覚えのあったもの。これは警告だ。自分に与えられた役目を思い出せと。
母さん。もう俺に残された時間はないんだ。
タイムリミットがもうそこまでやってきている。