21
「戻ろう…何時までもここにいたらいけない」

 座り込んでいるダリヤを立たせようと手を差し出すが、音を立ててその手が振り払われた。

「どうして…俺は生きてるんだ?」

 どうして、どうしてなんだと繰り返すその言葉は、昔ジェスがリヤに語った愛が嘘だったと告げた時の様子を彷彿とさせた。あの時からはかなり面変わりしているダリヤだったが、その口調は、その響きは変わりはなかった。

「ダリヤ……」

 ここまで父親の死を悼むとは思わなかったジェスは、何とダリヤに言葉をかけてやればいいのか分からなかった。先ほどと同じように自分を憎めと言ったところで、それがダリヤの慰めになるとも思えなかった。

「どうして…アンタは俺を殺さない?!俺も殺せ!俺も殺人犯だ……母さんを殺した!アンタの言ったように俺はあの殺人狂のクライスが父親なんだ。同じように人を殺した…母さんも殺して、自分の子どもも平気な顔で葬った。それだけじゃない!もっと何人も殺した!クライスと同じだ…禁忌を犯して、人を殺して……のうのうと生きている」

 聞いているほうが血を吐くような痛みを伴うダリヤの叫びだった。

「アンタの手で殺してくれよ…あの頃からずっと、ずっと…苦しいんだ。生きているはずなのに…どうやって息をしているのかも分からない……もう楽にして欲しいんだ」

「……それはできない」

「何で!?なあ、ほんのちょっとでもいい……ほんの少しでも俺に悪いことしたと思っているんだったら、俺をここで殺せよ!それともそんなこともできないくらい、なんとも思わないのかよ?!こんなに苦しいのに!」

 このままジェスの手で死なせてやれば、それが一番ダリヤに取って楽なのかもしれない。

「君の罪ではない!…子どもは私が君に殺させた。私が、ダリヤ…君を見捨てなければ、禁忌を犯す必要もなかった。全部私の責任だ…私の罪だ」

「どうして?…クライスの血筋がいなくなるチャンスだ。なのに何を躊躇しているんだ?アンタの奥さんと子どもの仇を取れるんだぜ……簡単だ。その火で燃やしてくれれば良いんだから、父さんを殺したのと同じようにやれよ!」

「違う…私の妻と子どもを殺したのはクライスではないかもしれないんだ。君も気が付いていただろう…私の妻だけ君が指摘したように、殺し方が違った。君に何の罪もない、いや初めからなかったんだ」

「犯人がクライスじゃない?……」

「私は真実を見ようとはしなかった…全部クライスのせいにしてしまえばどこに憎しみをぶつけて良いか分からなかった…君に私の妻の裏切りを重ねていた」 

 どうしても言えなかった、言う勇気が持てなかった。クライスが妻を殺した犯人ではなかったと認めてしまえば、ジェスがダリヤにしたことは逆恨みですらなくなってしまうからだ。ダリヤが無関係ならジェスの行動に何の正当性もなくなってしまう。
 勿論、ジェスがしたことはクライスが真犯人だろうが、始めから何の正当性もなかった。だが全くの無関係のダリヤにあれだけのことをしたことは、ジェスの中でどうしても認められないことだった。

 始めはジェスの妻が殺害されたのは、クライスの仕業だと思われていた。

 だが捜査していくうちに浮かび上がる、幾つもの矛盾点。これは以前ダリヤが指摘した点と同じものだった。魔術は殺害の際に使用されておらず、今までは魔術反動を受けて遺体が激しく損傷していたのとは異なり、刃物による切り傷だったこと。遺体に性的暴行を受けた痕が合ったことからも、模倣犯ではないかという意見もいくつかあった。

 そして捜査の結果浮かび上がった事実。ジェスの妻は浮気していたということ。その浮気相手は妻が死んで翌日に自殺していた。その浮気相手の男ははジェスの同期の国家魔術師でもあった。

 真実は闇の中だった。結局捜査本部はジェスの妻の死をクライスの犯行だということで落ち着けた。妻の浮気相手が軍の高官の息子であったため何らかの圧力が掛かったのだ。
 妻の浮気相手が犯人だったという証拠は何一つ浮かび上がらなかった。ただ、クライスの犯行ではないのではないかという見方と、現場の状況からその男が犯人なのではないかという2つの見方があっただけだった。

 だがジェスはそれを認めることができなかった。

「誰を憎めば良いのか、分からなかったんだ…」

 すでに関係者は皆死んでしまっていた。妻の浮気相手も死んでいて、怒りのぶつけ場所すらなかった。

 結局誰がジェスの妻を殺したのか分からない。ただ己の息子は殺人犯かもしれないという汚名から身をも守るだけに捜査を打ち切らせ、強引にクライスの一連の被害者の一人としてジェスの妻は名を連ねることとなった。捜査情報も極秘扱いされ、ジェスが手出しを出来るものではなくなっていた。

 ひょっとしたらダリヤの父親が犯人なのかもしれない。それとも妻の浮気相手か。

 当事者が全て死んだ今となっては、何も分からないままだ。

 ダリヤしか、怒りをぶつける存在が目の前にいなかったから、ぶつける場所がなくなった怒りをぶつけた。

「何時から……中将は何時から、知っていたんだ?」

「最初からだ……」

 信じられない目で呆然とダリヤの目は見開かれ、まるで化け物でも見るかのようにジェスを見ていた。

「知っていた?ずっと、ずっと……知っていて俺にあんなことをしたのか?それで平気な顔をしていたのか!」

「……そうだ」

「卑怯もの!復讐だなんて言っておきながら、その大義名分さえなかったかもしれなかったことも言えなかったんだろ!俺ずっと前聞いたよな?……中将の奥さんだけはクライスの仕業じゃなかったかもしれないって聞いたのに!模倣犯じゃないかって!……アンタはリヤだと知らなかった頃のダリヤ・ハデスにさえそれを認めようともしなかった!自分をずっと正当化してた!俺一人に罪を擦り付けていた!……関係なかったかもしれないなんて」

 ジェスを糾弾する声は激しく、それでいて独り言のように弱弱しくなっていった。崩れ落ちるように座り込むと、震える両手を握り締め何度も何度も地面に叩きつけていた。傷ができることも構わずに。

 怪我をするから止めるんだとも言えない。ジェスには何もダリヤに言える権利などなかった。

 全部ダリヤの言う通りだったからだ。全く無関係だったかもしれなかったダリヤをあんな目に合わせていたかもしれないだとと、口が裂けても言えなかった。自分はただの卑怯者だ。真実を話す勇気さえなく、ただ口を噤んで自分の復讐の正当性を誇示していた。

 痛ましい想いで見つめることしかできなかった。痛ましく思うことすらジェスには罪だった。

「関係なかったかもしれないなんて……じゃあ…俺の人生ってなんだったんだろう。なあ、俺の人生って何だったんだっ?……誰か教えてくれよ!」

 ダリヤも冤罪の可能性があったことは事件を調べているうちに、ダリヤが示唆したとおり気が付いたのだろう。だがジェス自身にその事実を肯定されたことによって、ダリヤの疑惑は事実へとなった。ジェス自身に認められた衝撃はあまりにもダリヤには大きく、その存在理由すら揺るがすものだった。

 ダリヤの人生はなんだったのか。ここにいる誰もそれに答えることができなかった。みなダリヤの人生の傍観者にしか過ぎず、唯一その人生に関わってきたジェスは最大の加害者だったのだからジェスにそれが答えられるはずもない。

「馬鹿みたいだ…」

「すまない…すまなかった」

 それ以上の何がジェスに言えただろう。どんな言葉を放っても、ただの言い訳にしかならなことはジェスが一番良く分かっていた。どんな言葉も決してダリヤにとって慰めにならず、余計その惨めさを煽ることにしかならないのかもしれない。ただ、謝罪の言葉を壊れたスピーカーのように復唱するしかなかった。それさえもジェスの自己満足にしかならないのかもしれなかった。

「俺の人生って…何だったんだろう」

 もう一度そう口にすると、あとはもうずっと沈痛な面持ちで押し黙って、父親が死んだ地面にずっと座り込んでいた。




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