15
「リヤについてですか…」

 ワグナーが連れてきたのはリヤが住んでいたアパートの隣に住んでいた女だった。彼女もリヤ同様、やせ細り、貧しさからか暗い表情をしていた。彼女は生前、リヤの母親のエリーゼと親しくしていた女だという。なるべくならダリヤと親しい人物が良かったが、リヤはほとんど働きに出ているか、母親の看病のため家に閉じこもっていることが多かったため、親しい人はいなかった。顔を見たことがある、その程度の人しか他にはいなかった。エリーゼと親しかったということは、リヤのことも間接的に知っているだろうこの女性に聞くより他はない。

「申し訳ありませんが…リヤのことは何も言うなと言われているんです」

「それは軍の人間にということですか?」

「……」

 女は無言だったが、それが肯定を示していた。

 ジェスはやはりという思いだった。ここにダリヤの秘密があるのだという核心ができた。ワグナーに目配せすると、ワグナーも頷いた。何らかの形で、軍がリヤの過去に関与しているという確信はあった。そうでなければ、何故あのリヤが軍にいることができるのか。
 だがここで確信が確証にかわったのだ。

「ご覧の通り我々も軍のものです……再調査のためもう一度話を伺いたい。リヤ・クライスについて」

「リヤのことについて知っていることはほんの少しだけです。リヤやエリーゼの姓がクジェスというのも知りませんでした」

「知っていることだけで構わないのです」

「以前お話したことを、もう一度お話すればよろしいのですか?」

「ええ。この部屋で、リヤとエリーゼがいなくなった時のこと」

 その女は戸惑っていたようだったが、ジェスやワグナーも軍人だということで、ポツリポツリと話始めた。



「あの夜のことは今でもはっきりと覚えています」

 今日と同じような雨の日でしたと、当時を思い出すように語り始めた。

「リヤは母親と2人きりで暮らしていて、病気の母のために働いていました。おそらく身体でも売っていたのか、ろくでもない男に騙されていたのか、気がつくと何時の間にか大きなお腹をしていたんです。母親もそのことに気がつかず、誰の目からでもリヤが子どもを身籠っているのが分かる頃になって、エリーゼも初めて知ったようでした」

 その頃はジェスはここにはおらず、中央に召集されたいた頃のことだった。ジェスも知らず、母親も知らず、一人秘密を抱えたままでダリヤはいたのだろう。

「そして……あの夜は酷い雨で…リヤは部屋の前でびしょ濡れになって倒れていました。母親の悲鳴で私が駆けつけたのですが、私にもエリーゼにもできることは何もありませんでした。リヤは傷だらけで、血塗れになって浅い呼吸をしていました。もう助からないだろうと思いました。勿論…赤ん坊も。リヤは死に掛けていて、エリーゼももう病で……私は2人のうちのどちらが先に死ぬのかと思っていました」

 その場面が目に浮かぶようだった。ジェスに殴られたリヤは必死に逃げ出し、母親の元に帰ったのだろう。だが帰ったとて何が出来ただろうか。母親もリヤも無力すぎた。

「それでもリヤは生きました。倒れていた夜から数日後、リヤは男の子を産みました。その産まれた赤ちゃんはほんの数日だけ生きて、静かに息を引き取って…泣き声もほとんど上げることができないような小さな小さな赤ちゃんでした。ちょうど軍人さんのような黒い髪をしていたのを覚えています……エリーゼは娘の分まで泣いていました。こんな目にあわせた男を殺してやりたいと、あのもの静かなエリーゼが何度もリヤに子どもの父親の名を問いただしていましたが、私の知る限りリヤは最後までその名前を言うことはありませんでした」

 あんな目に合っても、本当にダリヤは何も言わないままだったのだ。何も言わないまま、一人で実らなかった恋にでも耐えたつもりだったのだろうか。いっその事、母親と二人で散々ジェスのことを口汚く罵ればよかったとすら思った。

「リヤは子どもを産んでからも具合が悪く、意識が無いときのほうが多かったかもしれません。エリーゼも同様でした……そして、リヤが倒れていた夜から数えて一週間後くらいだったと思います。ちょうど赤ちゃんが息を引き取った日でもありました。突然、夜、リヤたちの部屋から悲鳴がしました。私はどちらかが死んだのかと思いました。2人とも何時死んでもおかしくありませんでしたから……駆けつけると辺りは血だらけでした……そこらじゅうに肉片が飛び散っていて…私は正視することができませんでした。それが何だったか分かりません。ただこの部屋にいたはずのエリーゼがいなくなっていて、リヤは……左足を失って倒れていました。すでに虫の息でした」

 やはりダリヤの母、エリーゼはもう亡くなっていたのだ。だがどうしてそれを軍が隠す必要があるのかが不可解だ。ジェスと同じようにエリーゼの存在をクライスを捕らえるための餌にしようとしたのかもしれない。

「待ってくれ…その悲鳴が聞こえたという時にエリーゼの生死はどうだったか?もうその時には死んでいる可能性はあったか?」

 それがとても重要な気がした。血まみれの部屋。肉片。それはある事件とあまりにも似ている。
 ダリヤはあれだけの才能の持ち主だ。もし当時も魔術が使えたとしたら。

「……分かりません。エリーゼはもうずっと病に倒れていて……特にリヤのことがあってからは……昼間会ったときは、エリーゼは生きていました。でも、夜の時点では」

「もうその時死んでいたとしてもおかしくない容態だったということか?」

「はい……そして、それはリヤも同様でした。でも、その夜で生きていたのはリヤだけでした。一体あの夜に何が起こったのかは私には見当もつきません…その後、憲兵を呼んで、リヤは運ばれていきました。不思議なことにすぐ後に軍の方々がたくさんやってきて……何もかも無くなっていました。血で汚れた床もきれいになっていて、本当にあんな恐ろしいことが起こったのかすら不思議になるほどに…その後、軍の人は私たちに厳重に口止めをしていきました」

 それがこの女に知っている全てだった。

「分かった…ありがとう。何か貴方が他に気がついたことは…たとえば床に魔法陣…いや、奇妙な模様のようなものが描かれていたりはしなかったか?」

「あ、ありました!このベッドの」

 女はジェスが立っているベッドのすぐ横を指で示した。

「このベッドの横には、小さな机が置いてあったんです。でもあの夜にはそれがなくて…床一面に変な模様のようなものが書かれていて、でも血があたり一面を覆っていたからそれほど目立たなかったような気がします…あまりにも恐ろしかったのでそれくらいしか見ていないのですが」

「そうか…」

「あんな事件があったからでしょうか…この部屋には借り手がいないままになっています。だから、あの事件さえなければリヤがいつ帰ってきてもおかしくないと、ふと思ってしまいます」

 女にいくらかの金を渡して下がらせると、ジェスは想像していたよりも惨いダリヤの過去に、頭痛がした。おそらくダリヤの母親が使っていたベッドに力なく腰を下ろすと、そのまま顔を覆った。

「中将…一体何がダリヤ・ハデスの身に起こったんですか?どうして軍が出てくるような事態に?」

 ジェスは顔を覆ったまま、一言呟いた。あまり話したい気分ではなかった。

「蘇生魔術だ…」

「蘇生魔術?」

 魔術師でもないワグナーに蘇生魔術と言ってもピンと来ないのかもしれない。だがジェスになら分かる。ダリヤが何をこの部屋で行ったのか、どうして左足を失うことになったのか。

「蘇生魔術は軍では禁忌とされている…それくらいはお前でも知っているだろう。死んだ者を蘇らせてはいけないんだ……禁忌とされている理由は、勿論倫理的なものもあるが…成功したものがいないからだ。ダリヤ・ハデスのようにな……人の世の理に反する魔術には、それなりの代償を持っていかれる。禁忌の相応しい代償をな」

「じゃあ、ダリヤ・ハデスはその蘇生魔術を行い、失敗したということですか?」

「おそらく死んだ母親を蘇らそうと禁忌の術を使ったのだろう…その結果が魔術反動として左足を失い、母親も原形を留めなかった…そういうことだろう。形はどうあれ…父親と同じことをダリヤは仕出かしたのだろう。大抵は死ぬが、生き残ったのは父親から受け継いだ才能かもしれないな」

 ダリヤは当時14歳。しかも子どもを産んだばかりで万全の体調とはいえなかったはずだ。先ほどの女も言っていた。ダリヤも死に掛けていたと。それでも蘇生魔術を行い、生き残った。類まれな才能といえるだろう。

 軍にとってはこれ以上ない逸材だったに違いない。しかも、言いなりに出来る良い材料がはじめから用意されていたのだ。禁忌を犯し、連続殺人犯の娘だという二重の鎖。何もかもを失なったダリヤが抵抗する術などなかったのだろう。

「可哀想ですね…あの子」

 ワグナーも他の部下たちもはじめはダリヤに同情的ではなかった。ジェスを失脚させるために送り込まれ、事実ジェスを追い落とそうとした少年なのだ。誰もが敵愾心を持っていた。

 だがダリヤはそうしなければ生きていなかったのだろう。ジェスを憎み、追い落とそうとすることでしか生きることができなかった。

「ああ…可哀想だ」

 ふとベッド脇の窓を見ると、小さなフォトフレームが出窓に置かれていた。3人が写っていた。そこには父親の姿は写っていない。母親と初めてダリヤに会ったときよりもずっと幼い容貌のダリヤと弟だろうか。以前ダリヤの部屋で見た弟だと言っていた少年に似ていた。背景を見ると田舎の小さな家に住む、平和で優しい雰囲気だ。

 何気なしにジェスはそれを手に取った。ダリヤは笑っていた。こんな笑顔の似合う少女だったのに、今はあんなふうに寂しそうな笑みしか浮かべない。

 どうしてあんなことをしてしまったのだろうか。今更後悔しても遅すぎたが、こんな結果が待っていたと知っていたら。ダリヤの運命をこんなにも狂わせてしまうことが分かっていたら。

 ただクライスの娘を持て遊んで捨てるだけだったはずなのに。そんな馬鹿げた言い訳すらもうできない。



 せめてこの写真だけ持っていこうとフォトフレームを開ける。きっとダリヤは何も持ってはいないだろう。この写真よりももっと成長した弟の写真を1枚持っているのしかジェスは目にしたことは無かった。彼に渡せば少しは喜ぶかもしれないと思った。

 写真を取り出すと下に何か紙が入っていた。よく見ると新聞紙の切れ端だった。

 何かと思って広げてみるとそれはジェスだった。今よりも若い。おそらく内戦から戻ってきたばかりの頃だろう。英雄ともてはやされた時に、掲載されたものに違いない。そんなものが後生大事に取ってあった。まだリヤに出会う前のものだ。この頃はまだ結婚さえしていなかったはずだ。

 そんな昔から、ダリヤはジェスのことを好きでいたのだ。ただの憧れだったとしても、初めてあの場末の娼館で出会ったときには、もうダリヤはジェスのことを知っていたのだ。



「俺こっちに来る前に、中将が墓参りに行くって言ったんです…そうしたら、羨ましそうにしていました。覚えて貰えてるだけ幸せだって……初めは何言っているんだコイツ……中将の気も知らないでって、ムカつきました。でも、違ったんですね。自分の死んだ子どもは中将に覚えていても貰えないのに、奥さんとの子どもはって思うと……きっと本当に羨ましかったんだと思います…あの子」

「そうか…」

 クライスに殺された子どものことは、片時も忘れたことはなかった。だがリヤの子どものことを思い出したことはなかった。

 どんな思いでダリヤはそんな言葉を口にしたのだろうか。

「どこに…どこかに墓があるのだろうか?私のもう一人の子どもは」

 先ほどの女に聞いておけば良かったと思ったが、あの様子だと何も知らないだろう。

「さぁ…もし墓があるとしたら、きっと共同墓地にでも入れられているのかもしれませんし。ひょっとしたらこの部屋の証拠を隠滅する際に軍が持って行って、処分してしまったかもしれませんね」

 酷く鎮痛な面持ちでワグナーは言った。

 同じ父親を持ちながらその処遇は余りにも違った。ダリヤの子どもは墓すらないのかもしれない。ゴミのように捨てられたのかもしれない。ジェスの子どもは豪華な墓の下で眠っているというのにだ。

「何も違わなかったかもしれない……例えクライスの血を引こうとも、私の子どもであることには変わりなかったのに…どうしてあんなことを平然としてしまったのだろうか。私は」

 こんな有様を、過去を見るまでそんな簡単なことにも気がつけなかった。

 今はじめて、もう一人の死んだであろう子どもの死を悼んだ。




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