「兄さん…また少佐の写真切り抜いて。新聞片付けておいてよ」
「ちゃんと片付けておくって」
父がいなくなってから、まるで父親のように口うるさくなったユーシス。父は『母さんのことを頼んだ』と言ったっきり、姿を消してしまった。今頃はどこにいるのだろうかと、リゼンブールの焼け焦げた風景を窓から見ながら、そう思った。
父が残していったものは、山のようにある書物だけだった。ダリヤとユーシスは病弱な母親の手伝いをしながら、その書物を読みふけった。純粋な知識欲だけではなく、憧れの人と同じ職業につきたい。その思いから、ダリヤは魔術を学んだ。勿論教えてくれる人はもういないから、独学でしかなかった。
「兄さん。ユーディングさん結婚したんだって」
数日遅れでやってくる新聞は、東方地方の英雄の華やかな結婚式の写真を載せていた。何時の間にかユーディング少佐は中佐になっていて、ダリヤを助けてくれた時よりも少し精悍な顔つきになっていた。
「結婚、したんだ」
ユーシスが差し出した新聞を手にとって、ジェスと美しい花嫁が載った一面を広げた。記事には異教徒の英雄は長い間温め続けた愛を成就させた、美談が載っていた。婚約者は戦場に出かけていったジェスを五年間待ち続けた。誰が見ても、お似合いの美しいカップルだった。
「兄さん?この写真は要らないの?」
「要らない」
自分が子どもなのが悔しかった。あんな約束などジェスは子ども騙しのつもりで、冗談で言っただけなのに、本当に迎えに来てくれると信じていた。そんなわけもないのに。ジェスはダリヤの名前も知らないし、何処に住んでいるかも知らない。現実的に考えればありえないことなのに。
それから毎日本を読んだ。国家魔術師になってジェスに会いに行きたいと、その願いからだけに。
東方地方に着いて、ユーシスと別れたばかりのダリヤとエリーゼは消沈の面持ちだった。無理やり母に付いてきてしまったことを、母は諌めなかったが馬鹿な子ねと一言だけ言った。
けれど、この病弱な母一人でどうやって生きていくというのだろうかと、文句は言わないまでもそう思っていた。いまさら父親を恨んでも仕方がないが、父親さえいればこんな目にあわなかったはずだと思うと、父への恨みは相当なものになっていた。
「ここでしばらく暮らしましょう…ダリヤ。都会のほうが色々知られずにすむからね」
「うん……」
「ここでも名前は言っては駄目よ?良いわね…ダリヤ、誰に聞かれても名前はリヤ、名字はないんだって答えないといけないのよ」
戦争や内戦のせいで孤児となったり戸籍が元々ない人々も、底辺に生きるものたちはたくさんいた。戸籍があっても自分の正確な名前すら知らないものたちもいる。ダリヤもその中の一員だと聞かれれば答えろというのは、故郷から出てきて以来の母の口癖だった。
自分にはダリヤ・クライスという名前があるのに、それは名乗れないものだ。クライスという姓は珍しく、そして悪い意味で有名すぎた。
重苦しい気分になりながらも何か明るい話題はないかをダリヤは探したが、弟がいなくなったばかりの今では何もなかった。ユーシスはいるだけで雰囲気を明るく出来るような幸せを運んできてくれるような明るい少年だった。
ダリヤは母と二人きりになるとどうしても父親への文句しか出てこず、あんな父親でも今でも愛している母にとって聞き難かったことだろう。もう10歳を超えていたダリヤにはそれが分かってきていたので、なるべく父親の話題は避けるようにしていた。なので、何を話したら言いか分からず、キョロキョロと辺りを見回し話題を探していると、ずっと憧れ続けていた人がいた。
「あ、母さん!あの人、あの人、見て見て!!ほらあの人だよ!俺とユーシスを助けてくれた人!」
間違えなくユーディング少佐だった。今は中佐になっていると新聞で読んだ。同じ軍服を女の人と男の人を付き添えて何かをしていた。あとで分かったのだが駅でテロ予告があったのだが、ダリヤには関係なかった。ただ、ジェスを再び見れたことで興奮しきっていた。
「知っているわよ、ダリヤ。何度も写真を見せてくれたじゃない。あの人のいる街なら安心ね」
「うん!」
ここにどのくらい居ることができるか分からなかったが、だがジェスのいる街ならずっと居たいと思った。
ジェスはこっちを振り向かない。ここからではジェスの後姿しか見えない。でも振り返ってくれたとしても、ダリヤの存在などに目もくれないだろう。それでもダリヤは母親に手を引かれ視界にジェスが写らなくなるまでずっと後ろを振り向きながら、ジェスの姿を見ていたのだった。