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「俺は中将に謝って欲しくはないけど……でも、俺は謝っておくよ……あの時は謝らなかったもんな。俺のせいじゃないって言って、被害者ぶって中将の気持ちも考えることができませんでした。今度はちゃんと謝ります。ユーディング中将、俺の父親が中将の奥さんとお子さんを殺して、申し訳ありませんでした。クライスの子なんかに生まれてきてすみませんでした。生まれてきたこと自体が間違いでした。クライスの孫なんか産もうとして本当にすみませんでした」

「何をっ…」

「何をって…見ての通り謝っているんじゃないか。アンタは俺が悪くないって言い張ったことで怒ってただろ?だから、今謝っているんじゃないか。不満なのか?……ほら、今の俺を見てみろよ!クライスの子らしく、無様な有様だろ?犯罪者の子らしい、相応しい末路だろ?…俺も生まれてこなければ良かったってあれから何度も思ったんだぜ。あの時アンタに殺されたほうがどれだけマシだったかと、俺が何度思ったか。アンタは信じないかもしれないけど、俺は俺を生み出したことさえクライスを怨んだくらいだった。だから、謝っておく……申し訳ありませんでした」

「もう良い!止めないか!またお前は被害者ぶってるのか!自虐者ぶって」

 余りのダリヤの昔との変容振りに、それ以上は聞くに堪えないものだった。

 分かった。どうしてリヤのことを忘れていられたか。何故あれだけのことをしておいて、何の罪悪感すら覚えなかったのか。それは何も見ていなかったからだ。

 ジェスはダリヤから妊娠が告げられ、激昂し、ダリヤを見捨てた後、中央に行き、東方地方には戻らなかった。そしてダリヤのことを思い出しもしなかった。

 そうしていられたのは、その後のダリヤを見ていなかったからだ。想像すらしなかったから、自分がした行為の結果がなにをもたらしたか、どんなふうにダリヤを変えてしまったのか知らなかったから。

 だからあれほどジェスは冷淡で、むしろダリヤの存在自体を厭っていられた。

 今はっきりとそれが叩きつけられたのだった。

 昔も、今も、目の前にいる少年は、例えクライスの娘だろうが、何の罪もなかった、ただの少女だったはずだ。こんなにも昔と変わってしまったダリヤを、何故だと疑問に思ったこともあった。だが、ジェスの仕打ちが、ジェスが彼女を罵ったその言葉が、これほどまでにダリヤを変えてしまったのだ。

「もう良いって、どうして?……何で良いわけ?俺があの父親の子だから、何をしても平気だったんだろ?昔みたいに、殴ってみたら、少しはデュースのことも話す気になるかもしれないぜ?…アンタは俺と話に来たわけでもないのなら、謝罪しに来たわけでもないだろ?……本当は俺に全てを吐かせて、無理矢理協力させる気でいたんだろう。お互いのための利益とて言っちゃってさ、馬鹿みたい。本当はアンタだけの利益のためだけに、そのためだけに、アンタは俺に悪いとも思っていないのに、謝罪をする振りをしにきただけだろう?」

 ジェスはダリヤの言葉に何一つ反論できなかった。反論できないまま、それ以上ダリヤと同じ空気を吸うのも嫌で、無言のままその場を去った。



「吐き気がしそうだ」

 ダリヤの淡々とした謝罪の言葉は、ジェスを口汚く罵る言葉よりも余程ジェスの心を貫く言葉だった。

「どうしたんですか!?中将!」

 真っ青な顔で立ち尽くして、今にも倒れそうなジェスを見て、ワグナーが駆け寄ってきた。

「顔色が凄く悪いですよ?」

「大丈夫だ……少しあの子に中てられただけだ」

 胸の中が消化不良のように一杯で、吐き気を堪えるだけで精一杯だった。

「ちゃんと謝れたんですか?」

「謝らせてもくれなかった……逆に謝られたよ」

 本気で謝るつもりなんかジェスにはなかった。ただ形式上、部下たちの手前、ダリヤに謝罪しておこうと思っただけだった。それをダリヤは見抜いていた。そして、この様だ。

「何で、彼が謝るんですか?」

「生まれてきて……ごめんと」

 出会ってごめん、好きになってごめん、生きていてごめんなさい。

「そう言ったんだ」

「それは、最大級の嫌味ですね」

「普通だったら、そう思うだろう?」

 ダリヤも嫌味のつもりで言っていたのだろう。だが違う。

「本気で、あの子は…そう思ってるんだ」

 ダリヤはジェスが最後に投げつけた呪詛のような言葉を、呪いのように受け入れてしまっていた。だから自分をあれだけ価値のないもののように思い込み、性欲処理くらいにしか自分の身体は使えないなどと平気な顔で言ってのけたのだ。

「馬鹿か!あいつは……私が言ったあんな言葉を真に受けて、それで人生を狂わせてどうするんだ!復讐だけで、その人生を台無しにして!」

「貴方が言ったことでしょう!…中将。貴方が言って、ダリヤ・ハデスの人生を台無しにしたんですよ」

「そうだ…私が言ったことだ」

 あれだけ聡明なダリヤが、ジェスにした行動、言動全てをただの逆恨みだと言ってのけたダリヤが、心の底ではジェスが放った言葉によって支配されていたなどと、どうして信じられただろうか。
 だが、ジェスは目の前で見てきてしまった。自分が放った容赦のない言葉が、あれだけ人の人生の価値観さえ変えて狂わせてしまうことに驚きを隠せなかった。

「やっと、後悔しているんですか?……自分のしたことを」

「後悔?……さあな」

「俺は……どうしてあの時、中将と同じように見て見ぬ振りをしたか、後悔してます」

「お前は私を止めようとしたじゃないか。見て見ぬ振りをしてわけじゃない」

「俺だって同じですよ。階段から落ちて身動き一つしなかったあの子を助けようともしなかった。それでいて、中将のことを無意識に責めていました」

 病院に連れて行こうと騒ごうとしたワグナーを止めて、放っておけば娼婦か客が通りかかるから必要ないと言って無理やりつれて帰ったのはジェスだった。そのままどうなったのか調べもせず、中央へ栄転になった。情報屋と娼館の女将を兼ねている女にもその後一度だけ会ったが、ジェスに何も言ってくることはなかった。それで勝手にリヤは死んだのだろうと思い込んでいた。それでジェスの中で全部終わった出来事だった。

 だがダリヤはそれが終わりではなかったのだ。それからがダリヤにとっての新たな人生の、ジェスへの復讐への始まりになったのだ。

「恨みっていうのは時間とともに薄れていく場合もあれば、より凝り固まっていく場合もあるって聞いたことがあります。中将の場合は前者で、時間が経ってみると自分のしたことを冷静に見つめ返すことが出来て……その結果が目の前にあることに罪悪感を覚えるようになった。違いますか?」

「……」

 嫌に真面目の口調のワグナーに、違うともそうだとも言えないまま、自分でも自分の真意が分からなかった。これは罪悪感なのだろうか。自分はダリヤに悪いことをしたと、今、真実そう思っているのか。

「ダリヤ・ハデスの場合は後者ですよ。時間とともにその憎悪は薄れることなんかありえない。むしろ、時間が失ったものの大きさを実感させて、余計に中将への怒りが解けないんじゃないでしょうか?」

「そうかもしれんな」

 ジェスは当時正気ではなかった。別に狂っていたわけでもない。ただ自分の感情が制御しにくかっただけだ。自分のしていることを一般常識から常軌していると感じなかったわけではないのだ。馬鹿なことをしていると何度思っただろうか。何も知らない馬鹿な娘だと、何故こんな笑顔に騙されて簡単に体を投げ出すことすらできるのだろうかと唾棄した夜もあった。騙されているのだとどうして分からないのかと、余計に怒りが沸いてきて殴りつけたい衝動にも駆られた時もあった。

 しかしそれも皆過去のことだ。あの時、妻を殺されたばかりの頃だったからあんな行動にでてしまった。善悪の区別がつかなかったわけではなく、理性でそれを止めることができなかった。悪いことだという意識は勿論あったのだ。
 もしジェスがリヤ以外の子どもにあんな行為をしたら猛烈に自己嫌悪しただろうし、他人がそうしていたのを見たら嫌悪だけではすまないだろう。だが当時のジェスにはリヤはクライスの娘だという免罪符があった。だから何をしてもその免罪符で罪悪感の欠片も持つことはなかったのだ。

 だが今初めて目の前にクライスの身内が現れたとしても、もうそんなことはしないだろう。そこまでの激情はもう持ち合わせていない。それが月日が経つこということだ。

 だからあの時、あの場所で、出会ってしまったことがリヤにとっての運の尽きだったのだ。

 だが今あの変わり果てた少年の姿を見て、感じているのは昔感じていた嫌悪感だけではなかった。ロシアスが言っていた。時がたてばやがて今の憎しみも昇華するものだと。新しい幸せが手に入れば、辛かったことも思い出に変わると。

 ジェスは新しい幸せなど手に入れようとは思わなかった。だがあの憎しみをずっと常に抱いていたわけではなく、思い出さなくなる日々もあった。あんな想いをずっと抱えていることは、不可能なのだ。

 だから今ダリヤを見て、あの頃のことを冷静に見つめなおすことができる。ジェスのダリヤに対する憎しみは、最後階段から蹴り落とした時で終わっていた。それっきり忘れていたのだから、もう憎みようもなかった。
 牢屋でダリヤがリヤだと気がついた時は、昔のままの覚えている感情でダリヤを罵った。何故なら今のダリヤに対する感情を持ち合わせていなかったからだ。亡霊に対してどんな憎悪を持ち続けろというのか。

 今持ち合わせているダリヤへの感情は、苛立ちだった。あんなふうに誇り高く、なのに自虐的な様を見せるダリヤにどう接したらいいか分からなかった。

 この中途半端な苛立ちは、ワグナーの言うようにダリヤへの罪悪感なのだろうか。ジェスの感情であるはずなのに、その感情に上手く名前をつけることができなかった。もっとダリヤの過去を見てくればこの苛立ちの正体が分かるだろうか。

「明日…東方地方に行く。お前もついて来い」

「え、ああ!……そろそろそんな時期でしたね」

 そう、この秋の終わり、東方地方の田舎ではそろそろ雪がちらつく頃がジェスの妻子の命日だった。



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