「手を上げなさい!……それ以上動いたら、撃ちます」
「上司を撃つなんて、軍法会議にかけられるぞ?レンフォード大尉」
思わず舌打ちした。後をつけられていることにも気が付かなかったなんて、迂闊にもほどがあった。とはいっても、ダリヤは軍の訓練を受けていない。正式な訓練を受けた彼らに敵うわけもなかっただろうが。
「私たちの上官は、ユーディング中将だけだと申しあげたはずですが?ですが、一応一時だけ上官でした貴方にお訊ねします……何をなさろうとしていましたか?」
「見ての通りだと思うけど?」
言い訳は無様だから特にするつもりはなかった。
「では、証拠偽造、遺体損壊未遂の容疑で拘束させていただきます」
レンフォードは言葉こそ丁寧だったが、以前と同じようにダリヤを見る目は軽蔑に満ちたものだった。
「そこ…俺怪我してて痛いんだけど。せめてもう少し優しく押さえてくれない?」
「駄目です。貴方は魔法陣なしでも魔術が使えると聞きました。拘束を解くことは出来ません」
「あ、っそ…別に期待しては無かったけどね」
「随分と余裕そうな表情ですね……立場が逆転したというのに、どうして笑っているのですが?」
「笑ってた?…そうかな?」
知らないうちに笑っていたらしい。
「そう、上手くいくはず無いって思ってたからからかな?……俺の人生上手くいかないことばっかだし…役者が違いすぎるしね」
ダリヤは助けがあるとはいえほぼ一人で動いているのに比べ、ジェスたち陣営は組織立ち人数や情報処理能力も違いすぎる。
「助けは来ませんよ…貴方が期待しているデュース将軍やその部下たちも、ユーディング中将の指令で動くことができなくしてあるわ」
「助けなんか期待していない…ずっと一人でやって来た。いざとなったら一人で潔く死ぬさ」
ダリヤは始めから誰の助けも必要としていなかった。誰も信用をしていなかったし、助けを持ち望んでいるわけでもない。
「貴方の父親が殺したこの女性を、貴方は存在すら消そうとした……この女性にも愛する家族はいたはずだわ。なのに……貴方には人間らしい感情がないの?貴方は人を好きになったことがあるって言ったわ。だけどそんなの嘘よ!…本当に人を好きになったことがあるのあなら、こんな惨たらしいことがどうしてできるの?」
「流石あのクライスの子だって言いたいんだろ?殺人犯の子どもは人間らしい感情がない、機械のような人間だとでも思ってるんだろ?あんたは」
ジェスだってきっとそう思っていた。だからあんな仕打ちをしても、殺人犯の親を持ったダリヤになんの罪悪感も持っていない。同じ痛みを感じる人間とすら思っていないのだろう。
「でも、こんな人間に誰がしたと思う?……アンタたちの大事なユーディング中将が!……俺だって愛する感情くらいあった……だけど母親よりも、何よりも、愛した人に憎まれて、裏切られるとどうなると思う?」
そうすると心は凍ってしまうんだ。何の痛みすらも感じなくなる。今背後で両腕を縛り上げられ、手首の傷口が開き血を流していても、ダリヤに齎される痛みという感覚はほとんど訪れることはない。
「何も感じなくなるんだ……アンタたちに罵られようが、何の罪悪感も感じない」
ヒンヤリとした冷たさしか残らなくなる。
「なあ…俺のほうこそ聞きたい。ワグナー中尉……アンタは中将のことを許してやってくれって言ったよな?もう止めようって言ったよな?どうやってそうしろって言うんだ?……何もかも無くしてしまった俺が、俺から痛みすら奪っていった中将を憎む以外に、どうやって息をすれば良いんだ?どうやったら生きている実感が持てるんだ?」
ジェスを憎む以外に、どうすればこの心のバランスを保つことができるのだろうか。誰も教えてはくれなかった。だからダリヤはジェスを憎しみ続ける。それがダリヤの生きている証なのだから。