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 ダリヤの父であるクライスは偉大な魔術師として知れ渡っていた。かつて彼の名前は魔術師なら誰でも知っており、その知識は並び立つものはいないとさえ言われていた。この世に一人だけ、魔方陣を必要せずとも魔術を発動することのできる、ただ一人の魔術師だった。魔術は通常ならスピードは関係ない。どれほど時間を掛けても正確な魔法人を開発し、精密な陣を描くことで、魔術を成功させれば良いのだ。
 しかし、軍に所属する魔術師はある場ではその魔術の発動スピードが最も重要になってくる。それは戦場でだ。戦場で暢気に魔方陣を描いている時間はない。たった一秒の違いが、生死を分ける。従って戦場ではあらかじめ、魔術師たちは自分の身に魔方陣を身につけ、発動までの時間を短縮していた。
 ジェスも同様だった。
 そうしてその魔術で多数の命を奪い英雄と言われて、この若さで地方都市とはいえ司令官まで任されるようになった。

 しかしダリヤの父クライスは、何も必要としない。敵に反撃する一瞬のチャンスも与えずに、魔術発動をし、葬り去ることができたのだ。戦場でも無敵であり、しかしその才能はどちらかと言うと研究に生かされていた。彼の名を聞くものは魔術師なら誰もが尊敬しただろう。

 しかし、今はその名声も地に落ちている。彼が犯した罪のためだった。


「私の妻と子どもはどうして死んだと思う?」

 ダリヤがあの日ここでジェスと出会った時、すでにジェスには妻はいなかった。事故で死んだと、そう聞いていた。子どもがいたことは知らなかった。

「まさか…父さんが?」

 ここでジェスがクライスの娘と言い出してくる原因は一つしか考えられなかった。ジェスのこの嫌悪以上の憎しみに満ちた表情は、ただダリヤがクライスの娘だと知った態度ではなかった。それ以上の侮蔑と憎悪があった。

「そう…お前の父親に殺されたんだ…惨たらしく。誰もが目を背けるような、そんな死に様だった。私は初め現場を見に行った時、それが自分の妻だとは思いもしなかったよ…なんの面影も感じさせない、ただの肉塊だった。私はその被害者の家族を哀れに思ったくらいだった…それが自分のことだとは思いもせずに、な」

 悪い夢だとダリヤは思った。それも今まで見た夢の中で、一番の最悪な夢だと震えた。もうこれ以上聞くことが耐えられなかった。耳を塞いでいてもジェスがダリヤを弾劾することを止めようとはしなかった。

「妻は妊娠していた…あと数日で産まれるはずだったろう。なのに、腹を引き裂かれ、引きずり出されて、玩具のように投げ捨てられていた……鑑識の結果、それらが私の妻たちだったと聞かされてショックで気が狂うかと思ったよ」

 淡々と語るジェスの言葉に、ダリヤのほうこそ気が狂いそうだった。父親のことを憎んだことは何度もあった。でも今以上に父のことを疎んだことはなかった。どこの誰を殺しても、ジェスの妻子だけは殺して欲しくはなかった。それエゴだとしても、ジェスにだけは嫌われたくは無かったのに。

「だが、私の妻子がクライスによって殺害されたことは秘密裏にされた。司令官の家族も守れずに殺されたことが知れたら、軍の評判はがた落ちだからだ。そんな理由でろくに捜査もされないまま、公式には妻は事故死とされ……捜査権は私の手から奪い去られた」

 ゆっくりとダリヤのほうへと向かってくるジェスに、瞬き一つせずにダリヤは断罪の言葉を聞いていた。それ以外の何も出来なかったのだ。

「私の気持ちが分かるか?どんなにあの男を憎んだか……クライスの娘のお前は、母親がいて貧しくても幸せだと言っていたな?お前の父親が犯した罪を直視もしないで、のうのうと生きていて、幸せだと笑っているお前などに、私の苦しみなどが分かるはずもないか」

 ダリヤは首を振った。確かにダリヤはクライスという名前から逃げて、隠して生きてきた。だが、クライスの娘だということで失ったものは数限りない。安住の地も無く、本当の自分を晒すこともできない。弟すら奪われ、謂れの無い非難を甘んじて受けなければならなかった。ダリヤも色んなものを失って生きてきた。

「お前に近づいたのは、ただクライスが自分の娘を弄ばれたら、少しは自分の罪を思い知るかもしれないと思ったからだけだ。私の妻と子どもにした仕打ちを、お前にやり返しただけだ。まあ、あの男にそんな親子の情などあるわけもないだろうがな」

 ダリヤは首を振り続けた。それ以外に何も出来なかった。息をすることすら苦しくて、これが現実に起こっていることだと認識することすら拒絶したかった。

 それでもこれは紛れもない悪夢のような現実だった。

「お前に好きだと言うたびに反吐が出そうだったよ……抱くのもだ。本当だったら、クライスの子であるお前に触れるだけでも汚らわしいというのに……私は、お前を抱いた後はいつもすぐにシャワーを浴びに行っただろう。あれはお前に触れたところを洗い流さないと、私まで汚れた気分になるからだ」

 ダリヤの人生の中で失ったもので最も大きなものはジェスの愛情だ。
 初めからジェスはダリヤに対してそんなものを抱いてなかった。あったのは復讐心だけだったのだ。

 でも本当だったら得られたかもしれないジェスの愛情を、与えられるチャンスすら奪われたことだ。あの父親を持ったことで、そんな些細なチャンスすらダリヤには用意されてはいなかったのだ。

「そのクライスの子が私の子どもを産むだと?そんな子どもは私の子どもなものか!殺人鬼の血を引く、汚らしいクライスの孫だ」

「違う!違う!俺だって大佐に相応しく生まれてきたかった!あんな男の娘になんか生まれてきたくは無かったのに!俺には関係ない!…だって俺が、大佐の奥さんを殺したわけじゃない。俺も赤ちゃんも、アイツなんかと何の関係もない!俺は何も悪くない!」

 ダリヤ母子もクライスによって不幸にさせられた被害者だ。そう思いながら、そう思わないとやり切れなさに、前を向いて生きていくことができなかった。

 だがクライスによって殺された犠牲者やその家族にしてみればそんな理屈は通らないだろう。ダリヤ自身とてそうだった。本当にダリヤたちも被害者だと言い張るのなら、何も隠さず、自分の名前はダリヤだと公言できたのかもしれない。自分の父親は連続殺人犯だが、ダリヤも母も悪くないと。

 だがジェスにすら自分の素性を話すことはできなかった。正直に話すことで、こんなふうに軽蔑されることを、嫌悪されることを恐れていた。こうして自分を自分だと明かすことができないことが、ダリヤがクライスを父として生まれてきたことの罰だと思っていた。例えクライスと関係ないと言い張っても、この身に流れる血も、細胞一つ一つも、あの男から受け継いだものなのだから。

 だからといって、こんな仕打ちをジェスから受けるほどの罪を自分は犯したのだろうか。

 どんなにダリヤがジェスに相応しい家庭に生まれたいと願っただろうか。ジェスに相応しい上流階級の人間でなくても良い。せめて、せめてあの父の子として生まれてこなかったら。

「俺だって…俺だって、母さんも弟も…たくさん苦しんだ!俺たちだって被害者だ!」

 お願いだから、全部悪い嘘だったと言って欲しい。

「苦しんだ?…それでもお前たちは、まだ生きているだろう?……私の妻も子も…他にもお前の父親によってたくさん死んでいるというのに、まだ被害者ぶっているのか!」

「被害者ぶってない!俺は大佐たちに何もしていない!俺も!母さんも!」

 ここで謝れば、ジェスは許してくれただろうか。だが何を謝ればいいのかも分からなかった。だってダリヤ自身はジェスにも彼の妻子にも何もしていない。

 クライスを父として生まれたこと事態が罪というのなら、ダリヤにもどうしようもない。この身体の半分はクライスから出来ていて、それはどうやっても拭い去れない事実なのだ。どれだけその事実を厭っていたとしてもだ。

 そして、このお腹にいるジェスの子どもも、紛れもなくクライスの血を引いていた。そしてジェスはクライスを、そして同じ血を引くダリヤを憎んでいる。どうなるのだろうかと、お腹を押さえながらジェスを伺い見た。



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