窓の外に見える風景は寂れていてお世辞にも美しいものではなかった。ここは東方地方の中でも最も最下層の住民たちが住む地域なのだ。そして正規の商売ができない店が連ねている地域でもあった。犯罪者や娼婦のたまり場となっているこの地域は、軍の手も入ってくることは少ない。実質上、治外法権の場でもあった。

 ダリヤが住むアパートもこの勤め先も、この地区にある。産まれ育った故郷は内戦で何も無いところだったけれど、美しい自然にだけは恵まれていた。こんな薄汚いごみごみとした町並みを見ると、懐かしい故郷のことが何時も頭の中でよみがえってくるのだ。

「リヤ、何を見ているんだい?」

 ジェスの手がガラスに置いている手に、上から重なった。

「何も…ただ見ていただけ。あ、あれ恋人同士かな?」

 街灯のほとんど無い通りを手を繋ぎながら歩いているカップルがいた。遠目では分からないが、とても楽しそうだった。こんな汚い町にでも恋の花は咲くのだと少し驚いた気分だった。

 ジェスとはこの狭く、薄汚い部屋でしか会うことは出来ない。ジェスとあんなふうに一度だけでも歩けたら、どんなに素敵だろうと思った。でも例えあと何年経とうが一生そんな日は来ないことを、もうダリヤは知っていた 

 何時までも子どもではないのだ。もうジェスと始めて関係を結んだ12歳のあの日から2年も経っていた。ダリヤはもう14歳になっていた。

「何をそんな目で見ているんだ?君の恋人はここに居るだろう?リヤ…会える時間は少ない…おいで」

 素肌にシャツを纏っただけのダリヤの手を引き、何時ものようにジェスはダリヤを抱いた。だがもう、ジェスに抱かれて独占欲を満足させるだけの子どもではダリヤはなかった

 自分の幸せとジェスのために犠牲にしたものが、何時もダリヤの中で重く圧し掛かっていた。こうしてジェスの腕の中に包まれていても、幸福感だけではなく、何時訪れるか分からない終わりを何時も恐れているのだ。

 そっとダリヤは何のふくらみも無い腹部を押さえてみた。これからまた同じ痛みを何度も繰り返さなくてはいけないことに、絶望感さえすでに抱き始めていた。

「しばらく中央司令部に行くことになった。当分戻れないから、ここにはしばらく来れない」

「え?」

「寂しいかい?」

「う、うん……どのくらいで戻ってくるの?」

「そうだな…3,4ヶ月。長ければ半年くらいかな?正式なことは中央に行ってみないと分からないんだ。寂しいなら付いてくるか?」

「ううん…それは無理。母さんがいるし」

 ジェスに付いていきたいのは山々だが、病弱な母がいるので無理だ。母も一緒に連れて行くのはどうやっても無理だし、自分は首都のような都会には行けない。

 こんな地方都市だからこそジェスと一緒に居ることができる。首都に行ってしまえば、もう今のように会うことはできないかもしれない。ジェスと一緒にいることすら許されないのかもしれないのだ。

「そうだな…だから大人しく待っていてくれ。私もリヤに会えないのがとても寂しいよ」

「うん…大佐が帰ってくるの俺、待ってる」

「良い子だ」

 そう微笑むジェスにダリヤは何度も肯いた。ジェスが望むなら何だって言うことを聞く。子ども扱いのように良い子で待っていろと言われれば、その通りに自分は大人しく、例え何年ジェスに置き去りにされようがずっと待ち続けるだろう。

 ただ一つのことを除いては。

「大佐…あの、俺」

 癖になったように腹部に手を置きながら、ダリヤは言いどよんだ。

「なんだい?」

 不思議そうな顔をするジェス。やっぱり言えないと思った。

「ううん…やっぱり良い。大佐が帰って来てから言う」

「そうか……少しだが、これを」

 渡されたのは数枚のお金だった。それでもダリヤが何週間も働かなければ手に入らないだけの額だ。

「でも…」

「いいから…持っているんだ。何に使っても構わないから」

 いつも少しだけ手渡されるお金よりはずっと大金のそれに躊躇していると、もう返されても受け取らないと言うジェスの態度に、受け取るしかなかった。いつものお小遣い程度の金額ならともかく、今回は大金過ぎる。それでもこれだけあれば、母にもう少しマシな治療をしてやれるのは確かだった。

 ジェスはダリヤがジェスから渡されるお金を何に使っているか知っていてこう言うのだから、受け取るしかない。施されたくない、ジェスと対等な立場でいたいという思いもあったが、プライドだけでは生きていけないということもダリヤは知っていた。

「ありがとう……ちゃんと帰ってくるよね?大佐」

 こんなものを渡されるとまるで最後の別れのような気さえしてくる。ジェスは軍人だから何時殉職するか分からないし、事件に巻き込まれるかもいしれない。それに東部でテロの検挙率を著しく上げたジェスはかなりテロリストから恨みを買っている。いつジェスがダリヤの前から姿を消してもおかしくはないのだ。

 いつもいつも、会えるのは今日が最後かもしれないと思いながら、眠るジェスを置いて家に帰るのが習慣のようだった。ジェスに相応しい階級の女といつか結婚するのではないかと怯えながらも過ごしていた。首都に行ったら、もう二度とダリヤの下には戻ってきてくれないような気がしてならなかったのだ。

「戻ってこないでどうするんだ…疑うのかい?私の気持ちを」

 心外だと言うように顔を顰めるジェスに、

「違う!違うよ…信じてる」

 信じたい、そう思っている。でもダリヤの周りを取り囲む現実の全てが、それを無理だと囁いているのだった。いずれジェスは自分に相応しい場所に、隣は相応しい女性が取り囲んで、ダリヤの居場所など無くなるのだと。

 きっと傍にいられても今と同じように、日の差すことの無い、こんな薄暗い場所でしか会うことは出来ないのかもしれない。そんな未来しか想像できなかった。

「信じているのなら、ちゃんと待っていなさい。良いね?」

 ダリヤは何度もその言葉に頷いた。

「待ってる…待ってる。ずっと」

 そしてダリヤは待ち続けた。



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