ワグナーもレンフォードもジェスの部下は皆彼を心配している。部下にだけは恵まれている男だろう。
ダリヤはジェスの部下でワグナーだけは良く見知っていた。何時もジェスを守るように一緒にいたからだ。とは言ってもワグナーと会話すらしたことがない。今思えばそれは彼の罪悪感の表れだったのかもしれない。真実を知っていながら、ジェスに逆らうことすらできずただダリヤが堕ちていく様を黙って見ていた。だから遠くからダリヤと関わりのない場所でいることを選んだのだろう。
リヤ。ワグナーが呼んだように、それがかつて俺が呼ばれていた名前だった。本名はダリヤだったが、あの男の子どもだと分かる厭って何時しかリヤと名乗るようになっていた。
たいして名前を変えたわけでもなかった。でもたった1文字ないだけで別人になれた気がした。
今とは違って、昔はダリヤと呼ぶのは母だけだった。今は誰もリヤと呼ばないように。
この国は貧富の差が激しい。俺の生まれた家も、例に洩れず貧しい家庭だった。俺の故郷は内乱とある事件のせいで、すでに帰ることのできる場所ではなかった。平穏な時を思い出すのが困難な人生だった。貧しくても幸せだとは母よく言っていたが、それは嘘だと何時も思っていた。
もっと裕福だったら、母に十分な治療を施すことができたはずだった。もっと自分が美しく大人で、十分な教育を受けている女性だったら、きっとジェスの隣に立っても恥ずかしくなかった。
そんなふうに思っていたのは、まだ12歳になったばかりの俺だった。今となっては、恥ずかしくなるほど純情で馬鹿だった、俺の過去だ。
「リヤ…頼むよ」
ダリヤは先ほどから懇願を続けるワグナーをせせら笑った。そんなことでダリヤの意思を変えられるとでも思っているのだろうか。思っているのかもしれない。彼は昔からジェスに盲目的に付き従っているだけの男だったのだから。上司に何かしらの進言をできるような男だったら、今のダリヤはいなかったかもしれない。
「なあ、懐かしいよなあ」
ジェスもワグナーも自分のことなど思い出すことすらしなかった、もはや遠い昔に感じるのかもしれないが、ダリヤは今もまざまざとあの頃のことを思い出すことができた。
「俺とワグナー少尉って結構昔からの知り合いだったのに、こうして話すのは俺がここに来てからが初めてだったよな?」
「ああ……」
「だから、俺って人間を…いや、リヤって人間を良く分かってないかっただろうけど、今なら分かるだろう?俺が決してジェス・ユーディングって男をを許さないってことを」
ジェス・ユーディング。過去、俺が誰よりも愛して、そして今、誰よりも憎んでいる男の名前。
馬鹿な俺が、何もかもを自分の愚かさで失い、その人生を終わらせた地は、ここ首都から遠く離れた東の地だった。
今の俺を見ても、きっと昔の俺リヤを想像できるものはほとんどいないだろう。むしろ何も関わりの無かったあの娼婦ジェシーのような人間のほうが、先入観がない分、俺のことをリヤだと分かったのだろう。
昔の俺と、今の俺は、立場も境遇も、そして外見すら見違えるようだろう。それは自分で変えたわけではない。ジェス・ユーディング。アンタのせいで、こうなったんだ。
俺とジェス・ユーディングとの出会いは、内乱の中、軍人と救助される子どもという、関係だった。ただ一瞬の出会い。ジェスにその時の記憶はないだろう。
そして俺が12歳の時に一度目の再会した。勿論ジェス・ユーディングにはその俺という人間を覚えていなかった。
そして今、俺は再び、ジェス・ユーディングを滅ぼすため、二度目の再会をした。今度も彼は俺という人間を覚えていなかった。でもそれで良かった。
俺の運命を変えたといってもいい、その一度目の再会は東の地での薄暗い娼館でのことだった。
俺と当時大佐だったジェスとの再会は、俺にとっては運命の再会だったはずだが、大佐にとってはただの娼館で働いている子どもを以前と同じように助けたには過ぎない、そんなものだった。
本当に過去を思い返してみると、何て陳腐なものだったのだろうか。それでも俺にとって、あの時は真実だった。
第二章END