翌日の朝はまだ秋だというのに、とても冷え込んだ。部屋に篭りっきりの生活をしているので、何時しか季節を感じることも少なくなったが、それでも今日の寒さはジェスに季節と言う言葉を思い出させた。

『うちのローズちゃんがさあ、』

 今日も親友の娘自慢を聞かせれ、ウンザリしながらジェスは書類にサインをしていた。ロシアスは優秀な男だが家族自慢は流石に鬱陶しいものがあった。子どもは可愛いぞと言って、ジェスにも家族を作るように会う度に勧めるのが最早習慣のようになっているのだ。

 親友のことはとても大事に思っているしかけがいの無い存在だが、こと子どものこととなるとどうにも鬱陶しくてかなわなかった。ジェスが子どもの話題は好きではないと知っているくせに、わざとロシアスは話題にするのだ。それがショック療法を兼ねたつもりになっているのだろうが、ジェスとしては逆効果にしか過ぎなかった。

「ロシアス……娘自慢が構わんが、頼んだ調査のほうはどうなっている」

『ああ、昨日のやつだろ。ちょっと今日中には無理だけど、明日までには何とかやっておく』

 ダリヤの再調査をジェスは依頼しておいたのだ。ワグナーでは数日かかることも、ロシアスなら半分の日数で済む。

「頼んだぞ……あと、何か変わったことは?」

『デュース将軍のところが、少し妖しい動きをしているようだ。決定打はないが…気に留めておいてくれ』

「ああ、分かった」

 電話を置くとジェスは溜息をついた。デュースは大総統選でのライバルの一人だった。ただあの男は黒い噂が付きまとっており、現大総統にも嫌われている。ジェスのほうが圧倒的優位にあった。今までにも何度がジェスを追い落とそうと、あるいは命を狙ってきたこともあった。

 その度にこちらの持つデュースの弱みをチラつかせ黙らせてきたのだが、何度失敗してもやつは諦めようとはしないのだ。そろそろ叩き潰しておいたほうが良いのかもしれない。極力大総統選を前に恨みを買うことはしたくは無かったが、仕方が無いだろう。

「あのー中将…」

 電話が終わるのをビクビクしながら待っていたワグナーが、大きな身体を縮めて情けない声を出してお伺いを立ててくる。

「何だ?」

「ジェシー・クレイっていう、昨日言っていた娼婦なんですけど、あの後会いに行ったんですが、客に貸切にされて連れ出されちゃっていたんですよ。なんで……会えずじまいでした」

「急げと言っておいたはずだが?…まあ、時間稼ぎか…最悪始末されたのかもしれんな」

「ええ!?」

「それだけ重要なことを握っていたのだろう…ダリヤ・ハデスについて。だから早く調べろと言ったんだ。まあ、良い。ロシアスにもジェシー・クレイを調べさせている。明日には詳細が分かるだろう」

 ダリヤの処分が一日伸びただけの話だ。ダリヤは国家魔術師なので手荒な真似をするわけにもいかないが、背後にいる勢力を黙らず材料になってもらうことはできる。

 明日でダリヤともお別れだと思うと少し惜しい気もしてきた。怪しげなことこの上ない存在だったが、あれほど知性に秀でて一緒にいて楽しめたのは滅多にいないのだから。

「俺が失敗するって始めから分かっていたんですか?」

「そういうわけでもないがな……あのダリヤが何も手を拱いて見ているわけ無いだろう。現場に居たダリヤと報告を待つだけだった私とでは、どうしても私のほうの対処が遅くなる。当然ダリヤのほうに先手を打たれる可能性も考慮にいれるべきだろう。失敗したときの場合を想定して動くのは基本だ」

「それほど彼を買っているんですか?」

「頭のキレという意味ではな。部下にできないのが惜しいほどだ」

 もっとも職場には恋愛感情を持ち込まないので、実際ダリヤを部下にすることはありえないだろうが。

 散々噂されているレンフォードとも良い友人であり部下であるのはそこが原因している。女として、また実家の権勢からも、恐らく今まで出会った女性の中でレンフォードが一番上等な女だと断言ができる。だがそれ以上に部下として有能だから、ジェスは彼女を女として扱うことをしないのだ。だから、彼女がジェスに向ける気持ちを知っていながら、二人の関係はずっと部下と上司のままだ。

「それなのに…彼を見捨てようとするんですか?」

「見捨てるなんて人聞きの悪いな。その選択肢を選んだのはダリヤのほうだ。私は一応手を差し伸べたのに」

 ダリヤが失敗をしたら、ダリヤが属する組織のものに始末をされる可能性は勿論ジェスも分かっていた。

「まあ…保護はきちんとするつもりだ。流石に見殺しにはしないさ」

「なら良いですけど……なんか騒がしいですね」

「そう言われれば」

 ジェスの執務室のほうに何人もの足跡が向かっているのが、執務室からも十分に聞こえた。こちらの方にはジェスの執務室しかない。ということはこの多数の足音はこちらに用があるということだ。

「レンフォード大尉、様子を見てきてくれ」

「はい」

 レンフォードが椅子から立ち上がったが、様子を見に行く暇もなく扉は乱暴に開かれた。ノックもない様に一堂は思わず目を見張る。ここは仮にも次期大総統と目されるジェスの執務室なのだ。大総統でもなければこんな真似ができないはずだ。

 しかもそのまま許しも得ないまま入り込むと、ジェスの周りに陣取ったのだ。

「何の用だ。許可も得ず、無礼だとは思わないのか?」

 中将であるジェスにこんな態度をとれば、不敬罪として処罰されても文句は言えない。彼らは憲兵隊なので軍人とは少し違うが、それでもジェスにこんな態度を取るのはあまりにも不自然でおかしい。

「何の用だ?」

「ジェス・ユーディング中将。貴方をシンシア・ランバート殺人容疑で逮捕します」

「何を馬鹿なっ!」

 余りの驚愕に、再び一堂は言葉を失った。

「昨日のシンシア・ランバート殺人事件現場から残された毛髪が、ユーディング中将のものと一致しました」

 もし真実それがジェスの毛髪だったとしても、昨日の今日でこんなに早く結果が出るはずがない。軍人になる時、戦死したときを想定し、各々のデータは勿論、毛髪も管理されている。それは戦場で遺体を回収できない場合、髪だけを持ち帰り照合するためだ。だから勿論ジェスの毛髪も軍に保管されている。

 しかし何万といる軍人のデータを照合するとしたら膨大な日数が掛かることは分りきっている。それなのに、昨日起こった殺人事件でもうジェスのものだと判定されるのは明らかに日数的に考えて不自然だ。どうみても、嵌められたのだ。

「きちんと礼状も出ています。ユーディング中将はシンシア・ランバートが殺害された午前一時前後にアリバイがないのは確認済みです。その上でシンシア・ランバートの遺体に中将の毛髪が検出されたのです。中将は当日現場検証には訪れていないことも確認済みです、ではどうして遺体に毛髪が付着していたのか?それは中将が犯人だという証拠です」

「犯行が起きた日、私は…」

 ジェスはダリヤを振り返った。いつの間にかダリヤは執務室の中にいた。きっと憲兵たちが入ってきたときに一緒についてきたのだろう。それまで居ないはずのダリヤは、部下たちのように驚きもせずに微笑みさえ浮かべていた。

 犯行が起きた夜、ジェスはダリヤの部屋に泊まっていた。だが、ダリヤがそう証言するはずもない。

「俺はユーディング中将と一緒にはいなかった。悪いけど嘘はつけないから」

 唇を噛んで、ダリヤを睨みつける。これはダリヤによって仕組まれた罠なのだ。ダリヤなら簡単にジェスの毛髪を手に入れることができる。そして証拠物品の中に、ジェスの毛髪を入れることさえ容易にできるだろう。

 あのダリヤを抱かずに過ごした夜、あの寂しげな表情をしながら、ジェスを陥れることを考えていたとしたら、流石としか言いようがない。

「連れて行け」

「ユーディング中将!」

「中将っ!」

 部下たちが悲鳴のような声でジェスを呼ぶ。ジェスは手首を拘束され、連行されながらもその声を聞いていた。

「止めてください!ユーディング中将も被害者の一人なんですよ!中将の奥様も子どもも、殺されたんです!ユーディング中将が犯人のわけありません!!」

「それこそユーディング中将が犯人の証拠ではないか。身内が犯人というのは一番よくあるパターンだ……当時も中将が容疑者の一人となってもおかしくなかったというのに、上からの圧力で捜査は打ち切られたと聞く」

「違います!中将は奥様が殺害されたとき、アリバイはありました!中将は犯人ではありません」

「では奥方が殺されたショックで、殺人という狂気に走ったのだろう。何れにせよ動機は憲兵本部で聞く…弁護をしたいのなら法廷ですることだな」

「大丈夫だ…すぐに戻る!騒ぎは起こすな!」

 こんな理不尽な行動が通るはずは無いことはジェスが一番よく分かっている。

「すぐに戻ってくる。それまでここを頼む」

 正式な令状がある以上この場で拒否をすれば、ジェスは射殺されても文句は言えない立場だ。この程度の人数の憲兵など、ジェスやジェスの部下たち先鋭にかかればどうとでもなる。だがそれでは罪を認めるようなものだった。ここは素直に従うのが最も穏便に済ます方法だろう。

「後は…頼んだ。無茶をしないように」

 部下たちがジェスを救い出すため命をも省みないだろうことも容易に想像がついた。だからジェスは最後にそれだけを言い残して言った。例え無駄な言葉であろうとも。



「中将!…」

 想像もできない展開に、ジェスの部下たちは身動きすら出来ずにいた。そんな彼らとは裏腹に一人冷静だったのはダリヤだった。

「あーあ…中将捕まちゃったね。これでせっかくのキャリアも台無しだ。大総統なんて夢のまた夢かな?」

 おかしそうに微笑むダリヤに、彼らは視線だけで人が殺せるという見本のような目で睨んできた。そんな彼らを尻目に一人ダリヤはおかしくて堪らないというように笑い続けた。

 実際楽しかったのだ。こんなにも簡単に事が進んで行くとは思っていなかったほどなのだから。



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