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 相変わらずダリヤの部屋は殺風景だった。初めてダリヤにこの部屋に招待された時にも思ったように、生活感がまるで感じられない。ずっと研究所で暮らしていたので、ほとんどこの部屋を使っていなかったのだということだが、それにしても何もない空間だ。あまりにも殺伐としすぎている。

「これは誰かな?」

 ダリヤと同じ年頃に見える少年が、写真の中で微笑んでいた。ダリヤより少し濃い金髪をしていた。顔は似ている。何もない部屋でその写真だけが妙に自己主張をしているように目に飛び込んできた。

「弟」

「弟なんかいたのか…どうして一緒に暮らさないんだ?」

 ダリヤの身元を調べさせた時も弟の存在など、浮上してこなかったはずだ。相変わらず謎が多いと思うが、ダリヤも容易に悟らせようとはしない。両親のことを話したときも、弟の存在は言わなかった気がする。

「養子にいったんだ。うちがあんまり貧乏でさ……子ども二人も養えないって言われて、俺と弟両方とも引き取ってくれるって家だった…でも、俺は母さんを一人にできなくて…弟だけを養子にいかせた」

 いつもダリヤは家族のことを話すときは辛そうな目になる。

「今なら君は十分弟を養えるだろう。一緒に暮そうとは思わないのかい?」

 窓際にひっそりと飾っておくだけではなく、一緒に暮せばどうだろうと提案してみれば、ダリヤは寂しそうに笑った。思い返すとダリヤはこんな笑みしか見せない。どうしてこんなにダリヤは若くて美しいというのに、世界の不幸を一身に背負ったような表情しかしないのだろうか。

「良いんだ…もうずっと前に別れたんだし、新しい家族の下で楽しそうに暮しているのに、今さら俺となんて暮してどうするんだよ。きっともう覚えてもいないよ」

「そう、寂しいことを言うものではないだろう…君が会いに来るのを待っているかもしれない」

 ダリヤは自分のことに関して酷く後ろ向きな考えをする。生きていて何が楽しいのか分からない生き方をしていると思う。ダリヤの人生に深く関わろうとは思わないが、それでも今まで付き合ってきた女性の中でも、こんな寂しそうにしか笑えないのはダリヤただ一人だった。

 もっともダリヤほど若い、いや幼い女性と付き合った経験がないので理解できないだけかもしれないが。

「俺みたいな疫病神なんか待っているわけ無い……待っていないほうがアイツのためだ…俺の周りにいる奴はみんな不幸になるんだ……俺の大事な人は皆、死んでしまった」

 淡々と、だが血を吐くようなダリヤの告白は聞いているほうが胸が痛くなった。ダリヤは嘘は言っていない。例え何かを隠しているにせよ、ダリヤは嘘は一つも語っていないことだけは分かった。同じように大事なものを全て失ったジェスだからこそ、ダリヤの悲しみが胸を突いた。

 一体ダリヤは何に絶望しているのだろうか。こんなにも若く美しいというのに。この美しい身体を切り刻むくらいの、どんな苦しみが彼を襲ったのか想像もつかない。

 それでも今この瞬間にジェスに走った感情はダリヤを守ってやりたい、そんな庇護欲だった。この悲しみに濡れた目に笑顔を燈してみたい。ジェスはダリヤの顎に手をやり顔を上げさすと、触れるだけの唇を落とした。ダリヤの顔が驚きに彩られた。

「中将……慰めてるの?」

「私で、君の慰めになるのなら」

 そうは言ったが、拙いな、とも思った。こんな得体に知れない少年に情をかけてどうすると思う自分もいた。ワグナーに言ったように、ダリヤに対して何の感情もないはずだった。だが明らかに自分の心はダリヤに向き始めている。こんな何も持ち合わせていない少年に。もしもう一度伴侶を迎えるとしたら、役に立つ女を選ぼうと思っていたというのに。

 こんな貞操観念の無いスパイかもしれない少年に心を傾けてどうすると、自分を叱咤した。

「俺…キス初めてした」

「ああ…そういえばしていなかったな」

 何度も身体は合わせあったというのに、そういえばキスはしていなかったなと指摘されて気がついた。ジェスはあまりキスという行為が好きではなかった。セックス自体は性的欲求の解消だが、キスはなんとなく誰でもというのは抵抗があった。ダリヤとも身体だけの付き合いなのだから必要はないと思ってしてこなかったのだ。

「違う……俺、家族以外でキスしたのは初めて」

「なっ!」

 ジェスも人のことは言えないが、性経験が豊富そうなダリヤのファーストキスがまだということは俄かには信じられないことだった。一体どんな男たちと付き合ってきたんだと罵倒したくなった。そんな資格などジェスにはないくせに、ダリヤの貞操観念が信じられない思いだった。

「だから言っただろう?ろくな男と付き合っていないって」

 もう一度キスをねだる様にジェスの首に手を回す、その手首についた傷跡がやけに気になった。初めからこんな少年だと知っていたはずなのに、今になって痛々しさと苦々しさが混ざった感情に苦しめさせられる。

 軽々しく手を出すのではなかったと後悔した。過去ダリヤを苦しめた男と同じ行動をきっと自分はしているのだろう。いや、もっと不誠実な男かもしれない。自分がしている行為は彼の傷口を抉るような真似をしているのではないだろうか。

「何を考えてるの?」

「どうして君が、何も聞かなかったのかと思った……私が君にキスもしないことを」

 考えていたことと違ったが、そんなふうに思ったことも事実だった。普通はキスがあって、セックスをするものだ。ダリヤは疑問に思わなかったのだろうか。

「ああ、そんなこと……だって俺みたいなの、性欲処理はできても……キスはしたくないものだろ?」

 思わずジェスは天を仰ぎ見た。そこには薄汚い天井しかない。余計虚しい気分になった。

「どうしたんだ?抱かないのか?」

 微動だにしないジェスのことを訝しげに覗き込むその顔は、無邪気ささえ感じるというのに。

「そんな気分になれなくてね…」

 こんな話をした後に平気でダリヤを抱く気分にはなれなかった。自分は誠意のある男とは言えないが、ダリヤの中の最低な男と同じ行為をしたいとは思えなかったのだ。

「じゃあ、帰る?」

「どうして?ここに居るよ」

 しないからといって、どうして即帰宅という話になるのだろうか。

「しないのなら、ここに居る意味はないじゃないか」

 やはりダリヤはそういう扱いしかされていないのだろう。しかも思い返してみると、ジェスも会うときは何時もそういう行為をし、帰るだけだった。要するにそういう目的でしかジェスも軍の外では会ったことがないのだ。これではやるだけの男だと思われても仕方が無かった。事実そうなのだが。

「一緒にいるだけでも良いだろう?」

 こんな時どんなふうに慰めたら良いか分からなかった。ダリヤもジェスにそんなことは求めていないだろう。そんな関係ではなかったのからだ。ダリヤにとって過去の男とジェスとどのくらいの違いがあっただろうか。何も変わりはしないだろう。

 例えジェス自身がそんな男たちとは違うと言ったところで、ジェスは彼を愛してもいない。一緒にいる理由はただ、彼を利用しようという思いからだった。ただ、今いくばくかの憐憫さを感じたに過ぎない。

 自分は男としては最低な人間だという自覚がジェスにはあった。誰一人幸せにすることなどは出来ないだろう。そんな心などとうに凍り付いていた。だが一人の女に心を捧ぐことができない代わりに、この国民に一生を捧げるのだろう。

「俺と一緒にいたりして何か楽しい?」

 本当に彼のような寂しげな少年がスパイなのだろうか。これだけ一緒にいても、何も怪しい部分は出てこない。大総統選を控え、少し過剰に反応しすぎただけだろうか。そう思うほど彼からは何も洗い出すことは出来なかった。
 怪しいことは確実だ。ただそれだけでもある。

「ああ、楽しいよ」

 楽しいというより、楽なのかもしれない。元々恋愛感情を持たず近づいたのだ。好かれようと努力することもなければ、自分を飾る必要もない。だが、それだけではない。同じ寂しさをダリヤが持っているからかもしれない。

 ジェスもダリヤも家族というものを持たない。全部亡くしてしまったからだ。そこが似ているのかもしれない。

 その夜、ジェスは初めてダリヤを抱かずに同じ夜を過ごした。



第一章END


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