ジェスは無言だった。ダリヤも一時の激しい感情がおさまると黙って、下を向いていた。ジェスの顔も見ることが出来ず、感情に伴って零れ落ちそうになる涙をただ堪えていた。
そんなダリヤにジェスが手を伸ばし、ジェスは『行こう』とだけ言って、ダリヤの手を引いた。
「どこに行くんだ?」
引きずられるように連れられて行くダリヤは、ジェスのコートを羽織っているとはいえ、とても外に出れる格好ではない。なのにジェスは気にも留めていない様子だった。
「皆に怒られるよ。だいたい今日のパーティー抜け出したりして平気なのか?大総統が」
「大丈夫だ」
ただそれだけを言ってジェスはダリヤを車に乗せると、自分は運転手に何かを言ってからダリヤの隣に乗り込んだ。
「俺は帰らないって言った」
「…官邸に戻るわけではない」
ではどこに向かおうとしているのだろうか。訊ねてもジェスは答えてはくれなかった。
「怒ってるのか」
怒っていたのはダリヤでジェスは黙ってそれを受け入れていたはずなのに、寡黙にただダリヤの隣に座っているジェスは感情を出さないようにしているが、怒っているように感じた。数年一緒にいた仲だ。流石にそれくらいは分かった。
「怒っていないはずはないだろう」
だから何に怒っているか見当が付いた。
「俺はあの男と寝た」
「違うな」
「どうしてそう思うんだ!」
「私以外の男に抱かれたのなら、君は私の前にはいないはずだ」
それは確信を持ってジェスが語った。一瞬ダリヤも答えに詰まった。
「でも寝ようとした」
必要ならそうしただろう。あの時ジェスがダリヤのアパートに現れなかったら、時間を稼ぐためにそれくらい厭わなかった。あの男を抹殺するための猶予のために、自分の身体ぐらい投げ出すことなど簡単だった。例えそれにどんな嫌悪を感じようが。
「ユーシスのためだと分かっている……だが、君がほんの少しでもあんな男に抱かせようとしたことは許せない」
「許してもらおうとも思ってない」
「私は確かに……過去、取り返しの付かないことをした。それはどんなに君に謝罪しても、し足りないほどだ。だが……それと今は別だ。私が悪いのは分かっている……だが君が自分を今も大事にしないことを……私を裏切ることを簡単に許したら、それはそれは間違っているとは思わないか?過去の過ちがあるから、私は君がどんなことをしても許さなければいけないのか?…それでは、どんな関係も築けない」
そんなこと言われるまでもない。だがそんなことは分かりきっていたことではないのだろうか。元々対等な関係でもない、言いたいこともはっきり言えないのに、まともな関係が長く続くわけもないのだ。ジェスはダリヤに過去した仕打ちを、ダリヤは自分の身の上を。どう考えたところで上手くいくはずも無い。
「私は君を大事にしたい、ダリヤ……だから君にも自分を大事にして欲しい。君自身を軽く見るな……」
ダリヤはそんなジェスの懇願にも自嘲を隠し切れなかった。
大事にって、こんなぼろぼろの身体を今更大切にしたところでという思いがあるのだ。
「今更だ……」