「今日の祝賀会は何のために開かれたか知っているか?」
ダリヤは窓際で足を組んで、煌びやかな夜会が開かれているであろう大総統官邸を視線で男に示した。あそこを後にした日からそんなに月日は経っていないはずなのに、もう何年も経ってしまったように感じた。
だがあそこにいた日々が夢で、今が本当なのだと思えば、そんなにおかしいことでもないようにも思えた。
「さあ?私のところには招待状が届いていなかったようなので知らないな……最も、招待状があったとしても、こちらを優先しただろうが」
男はダリヤの大きくスリットの入った真っ赤なドレスの胸元から、太ももまでを舐めるように視線で追って笑った。普段はこんなドレスなど着ない。スカートだってはかない。だがこんなものでこの男の気を惹けるのなら、ダリヤにとって簡単なことだった。
「約束のものは持ってきてくれた?」
「ああ、これだ」
「これだけ?他には?……どうせこれが全部じゃないんだろう?」
渡られた書類は随分と薄かった。中身を確認してみると、ユーシスの写真や研究内容が書かれたものだった。しかしこれからもダリヤを言いなりにさせるために、絶対に他にも証拠を残しているはずだ。
「疑りぶかいようだが、私の手持ちはそれだけだ……それも偶然手に入れた物でね。当時はそんなもの役に立つとは思っていなかったくらいだから、本当にそれだけしかない」
「分かった」
勿論信じたわけではなかったけれど、今はそう答えれば充分だった。
「約束通り、君が望むものを持ってきた。今度は君が約束を守る番ではないかな?……あの夜は大総統に邪魔をされたからね」
「せっかちだな……俺は約束を破らない。現に今だってこうして来ているだろう。大総統にだって財閥解体は思いとどまるように言ってある」
男に向かって歩きながら、一枚一枚衣服を脱ぎ捨てていく。見られているのは承知のうえだ。恥ずかしいとも思わない。
「とても子どもを一人産んだような身体には見えない身体だな。まだ少女のようだ」
「よく言われるよ」
「それは大総統にかな?」
それには答えず意味深に笑って見せた。この笑みできっとジェス以外にも見境無く身体を開いている女だと思っただろう。それで構わない。こんな男に何て思われようが、ダリヤは気にもならないし、どうでも良かった。自分の生き方を誰にも言い訳する必要など無かった。
賢くない生き方だと自覚もしているし、愚かだと客観的に感じる自分もいた。それでも、どうやっても賢い生き方はできなかった。馬鹿だと笑われても、これがダリヤ・ハデスなのだから仕方がない。
「その左足が義足なのが惜しいな……それがなければければ完璧なのに」
「デュース将軍は俺の義足がお気に召さなかったようで、ベッドには呼んでくれなかったんだ。アンタは気にするかな?」
いいや、あの男はダリヤの義足が気に入らなかったわけではない。ダリヤは殺人犯の娘で娼婦をしていて、誰が父親かもしれないか分からないような子どもを産んだダリヤ自体を、何の価値も無い屑のようなものだと見下していたのだ。
「いいや……なかなかそそられる。今まで抱いたことのないタイプだ」
「だろうと思った」
ダリヤは誘うように微笑むと、そっと男の首に両腕を回した。
「なあ……裸って便利なんだよ。何でだか知っているか?」
男の答えを待つまでも無く、ダリヤは答えた。答えを待つ時間など必要なかったからだ。
「返り血が付いても、すぐ洗い流せば服には付かないからだよ」
そうダリヤが酷薄な笑みを浮かべると、やっとここにダリヤが呼んだ目的を察したのだろう。ダリヤから身を離そうともがくが、離さなかった。そのままダリヤは笑みを浮かべたままだった。
「あの書類はっ!まだ他にもあるぞ!私を殺したら」
「アンタの自宅や、会社、愛人宅まで全部爆破しておいたよ。きっとテロリストの仕業とでも思われるだろうけどね。何処に隠しておこうと、もう証拠は何処にもない。あったとしても、あの写真や実験結果から俺とユーシスを導き出すことなんか不可能だ……アンタみたいな立場の人間が見たりしない限りはな。俺はアンタなんかに屈服したわけじゃない……ただ時間が欲しかっただけだ。全ての証拠を抹消し、最後にアンタという証拠を…」
そう、証拠などもう何処にも残していないはずだ。最後の証拠がこの男だった。だから殺すまでだ。ユーシスのためにも生かしておくわけにはいかなかった。
「そうそう……最後に教えてやるよ。今日のパーティーはアンタの会社が解体される……要するにあの法律が発布されたっていうわけだ。俺を簡単に操れると思った、アンタの負けだ」
チェック・メイトだと両腕で絞めていた男の首を離すと、もう男は逃げる体力すら残っておず、浅い息を繰り返すだけだった。そして魔術を発動させ、男の存在そのものを消そうとした。このまま遺体すら出てこなければ、失踪扱いされるだけだ。タイミングも良い。今夜の法律発布によって、男は絶望し姿を消したというシナリオが出来上がる。そうでなくても、死体が出てこなければ事件すらなりようが無い。ダリヤの勝ちだった。
「アンタも……ユーシスを盾にしようとさえしなければ…こんな目に会うことも無かったのに。自業自得だ」
今一人の男の命を消そうとしているのに、相変わらずダリヤには罪悪感の欠片も浮かんでこなかった。こんな時は、あの父を思い出す。きっと数多の女性を手にかけてきた父も、母のためという大義名分の元、何の罪悪感も無かったのだろう。こんな時にこそ、痛感するのだ。やはりあの父親と自分は紛れも無い親子だったのだということを。
「ダリヤ!止めるんだ!」
男に触れ、あとは分解する、ほんの一瞬前に、静止の言葉がかかった。
「大総統っ!……どうして」
ジェスは今頃官邸でパーティーに出ているはずなのに。大きな改革を成し遂げた彼が、こんな所にいるはずはないのに。
「何て格好をしているんだ!」
ジェスはダリヤが男を殺そうとしていたことではない、ほぼ全裸に近い下着だけの姿に憤った。着ていたコートをジェスは素早く脱ぐと、ダリヤに着せると、そのまま強く抱きしめた。
「私がどうにかしようとしていたのに……やはり一人でやろうとするんだな…君は。どうして私を頼らなかった?…私に任せておけばあんな男くらい簡単に葬れた」
悔しそうなジェスの声に、呆然とされるがままだったダリヤだったが、すぐに自分を取り戻すと、ジェスを睨みつけた。
「俺だって一人で全部片付けられた!……大総統になんか頼らなくたってっ!」
「それは分かっている……君にそれをやり遂げるだけの力があることぐらい、身に染みて理解している。だが、どうして頼ってくれないのかと思うだけだ……君たち二人くらいを守る力は手に入れたつもりだ。それでもダリヤは変わろうとしない……誰にも頼らないで、自分だけの力でやり遂げようとする……それでは私は何のためにいるんだ?」
昔と違ってたった一人で戦う必要はないのに、どうしてと訊ねるジェスに、ダリヤは何度も頭を振った。
「君に傷付いて欲しくないんだ。もう誰も殺さないで欲しい……私が全部するから」
汚いことも、人を殺すことさえも、ダリヤとユーシスのためなら厭いはしないというジェスに、ダリヤはもっと首を振った。
「俺のほうこそ!……俺のせいで、俺のためにそんなことをして欲しくないっ!……」
ダリヤのせいでジェスの経歴に傷をつけたくない。ジェスがダリヤのせいで、その手を血に染めて欲しくない。自分がもう汚れきっているからこそ、この人にだけは、ダリヤの中で理想となる大総統でいて欲しいのだ。同じ思いがジェスにあることを知らず、知ろうとせずにダリヤは叫んだ。
それはダリヤにとって聖域でさえあった。
昔してくれた少佐だったジェスとダリヤの約束。