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「早く帰ってくれ……」

 計画がジェスのせいで台無しにされたために、疲労感がどっと積もり重なって感じられた。

「大総統閣下は随分、君に執着しているようだな。閣下があんなふうに感情を露にするところなど初めて見た……あの冷静沈着で非情な男も、やはり恋人の前ではただの男だったということかな?」

「俺を使って、大総統を動かしたいんだったら、逆効果だったな。捨てられたら、俺なんか何の価値も無いぜ」

「そうは思えないな。あの執着ぶりでは……お気に入りの愛人だとくらいに思っていたが、どうやら閣下は真剣に君を愛しているらしい」

「じゃあ、その愛人に手を出してただで済むと思っていないだろう。今日は帰ってくれ……また連絡する。頼まれたことは大総統を宥めて何とかしておくから、そのためにもここに居られると、余計拗れる」

「そうすることにしようか……ただし急いでくれ。そう時間も残されていないことだしな」

 言われるまでもなかった。時間が無いのはダリヤも同様なのだ。




「気持ちが悪い……」

 あの男に触れたれた肌も気持ちが悪かったし、ジェスに掴まれた両手首も痛んだ。

 ダリヤはズルズルと床に倒れこむと、蹲った。

 ゆっくり眠りたいのに、眠れない。

 あの男を帰したのに、ジェスがまだ騒いでいる。

「静かにしていてくれ……お願いだからもう居なくなってくれ」

 ジェスが扉を叩く音が煩くて、無視していてもその音は止まなかった。もともとこの部屋はダリヤが属していた組織が用意したものだから、隣や下の階には住人はいない。だから始めは誰かにこの男がジェスだと気がつかれたらと危惧していたが、そんな心配もないだろうと思って、無視し続けていた。耳を塞いで、ベッドに横になって、ジェスがいなくなるのをジッと待っていた。






 あの扉の向こうでジェスはあの冷たい目をして立っているのだろうか。今日ダリヤを見た目は、昔の彼のように氷ついたように冷たいものだった。当然だ。それだけのことをしようとしていたのだから。






 やっとジェスも分かっただろう。俺には愛する価値のないなんかないって。

 

 俺はユーシスのためになら、何でもする。ジェスだって平気で裏切れる。






 かつて愛を誓ったジェスに俺が返した言葉は、俺を切り捨てろというものだった。ジェスよりもユーシスを選んで、一片の後悔すらしなかった。情なんてものの薄い、酷薄な人間だ、自分は。

 今回だって、そう。ユーシスを守るためなら何でも出来た。だってユーシスは俺が産めた最初で最後の子どもだから。


 俺には子どもが産めない。



 ジェスはそれを知っていて、構わないと言った。そんなことは愛することに何の関係もないのだと。


 幼い頃から身体を酷使してきたし、ジェスと再会して幼い身体で早すぎる性体験をした。妊娠して堕胎して、また妊娠して。たった一人産めたユーシスも酷い難産で、ほんの数日しか生きられなかった。そしてそれらが積み重なって、もう子どもを産むことは無理だと言われた。

 そのことでずっとジェスを恨んできた。子どもが死んだことはジェスのせいだと、彼から受けた暴行のせいだと

 でもきっとあんなことがなくても、俺は無事に子どもを産めなかっただろう。幼すぎる身体は出産には向かない。貧しい生活の中で必要な栄養も取ることができず、お腹だけはそれなりに大きくなっていたが、あとは骸骨のように骨ばかりが目立つ様だった。ほとんど月満ちて産まれたにも関わらず、ユーシスは余りにも小さすぎた。


 結局俺の身体はボロボロで、満足に子どもも産めず、ジェスとのことが有る無しに関わらず、同じ過ちをしたかもしれないということ。


 今まで俺がこんな身体になったのは、命を弄んだ罰だと思ってきた。仕方がないことだと、ユーシスがいるからもう良いのだと自分に言い訳をしてきた。




 もう何も生み出さない身体が俺には相応しいと思ってきたのに。



 リリアのように、当たり前の幸せを望んではいけないと思ってきたのに。


 
 なのに、何で今頃になって、またこんなことになってしまったのだろうか。


 俺はまた、大総統の子どもを妊娠していた。



 ここ数年大総統とそういう関係にあって、妊娠する傾向の欠片もなかった。元々出来ないと思っていたので、避妊もしていなかった。




 俺は馬鹿だ。何時も、何時も、祝福されるはずもない未来を選ぼうとする。何度も懲りたはずなのに、同じことを繰り返そうとしてしまう。




 あのままジェスの傍にいたらどうなるか。未婚で産むことなど、今更たいした倫理観も持たないダリヤにはたいしたことではない。そんなことは問題ではない。ただ相手が重要なのだ。あのままジェスとユーシスと一緒に暮していたら、お腹の父親は誰の目にも明らかになってしまう。だから飛び出した。誰にも知られてはいけない。ジェスにさえもだ。




 知られないうちにまた処分しなければいけない。どう考えても産めるはずないのだ。もし産んだらどうなるのか。今までは噂にしかすぎなかったジェスとの関係が白日の元に晒される。ひょっとしたらユーシスの出生の秘密まで暴露されるかもしれない。ただでさえ、今はそれが露呈しそうになっている時だ。



 誰にも内緒で産んだとしたら。それでも何時かばれるかもしれないし、ユーシスと暮らすことも出来なってしまう。 



 ユーシスは世間にはジェスの亡き妻の子どもだと思われている。

 実際はジェスの実子となっていても母親の欄は空白だ。事実が知れ渡ればジェスが外で作った子どもと思われるかもしれないが、それからユーシスの母親がダリヤだと判明することはありえない。


 だが今度はそうはいかない。結婚していないのにもう一人子どもが増えるのは明らかに不自然だし、その子どもの母親がダリヤだと突き止められることは容易に想像ができる。


 帰ってきてねとユーシスは言ったのに、それを叶えてやる事もできなくなるかもしれない。


 簡単だろうと、前にも一度やったじゃないかと、何を躊躇することがあるんだと自分に言い聞かせた。初めて妊娠したときのように、病院に行ってそれで終わりだ。簡単に済むことなのに。できれば誰にも知られないまま、終わらせたい。



「気持ちが悪い……」

 体内で異物が育っている証拠かもしれない。一番初めのときも、ユーシスを妊娠したときも、これほど体調に影響したことはなかった。二回とも気がついたら出来ていたという感じで、気をつけていなければ気がつかないほどだった。



 今も覚えているジェスの言葉。

 残念だけど、処分してくれないか。そう言って、ジェスはもぐりの医者を手配した。正式な医者でもなかった。

 ダリヤは一人でジェスに言われるがまま、薄汚い病院、病院と言えるものだとすればだけれど。たった一人で病院に行って、処置を受けた。その時ジェスは任務で中央に行かなければ行けないと言い、二ヶ月ほど戻っては来なかった。実際には首都に行っていたわけではなかったらしい。ただダリヤに泣かれたら鬱陶しいと思い、面倒で顔を出さないための言い訳だったようだ。それを後になって聞かされていた。

 ダリヤは手術を受けた次の日から働いていた。何日も休んでいたら母に不審がられるだろうし、悠長に休んでいられるだけの余裕もなかった。

 そして二ヶ月ほどして戻ってきたジェスは、ダリヤの身体のことなど何一つ聞かないまま、何時ものようにダリヤを抱いた。その時は、中絶してくれと言ったときにすまないと言ってくれたから、そんなことは聞きづらいのかもしれないと思った。いや、そう自分を納得させた。

 ダリヤ兄弟の命を救ってくれた英雄であるジェスなら、きっとそう思うのだろうと、何もダリヤは言及できないまま、ジェスに言われるがまま身体を開いた。そしてユーシスを再び妊娠するまでジェスは一度も避妊をしてくれなかった。ダリヤも言い出せないままだった。そんなことを言い出したら、嫌われるかもしれないと恐れてだった。

 今思えば、どれほど矛盾し、どれほど自分を誤魔化してジェスの傍にいたかよく分かる。本当にジェスが自分を愛して大事にしてくれていたなら、一度中絶した後にきちんと避妊をしてくれただろう。たった一人で病院に行かせたりはしなかったに違いない。もぐりの医者などではなく、もっと清潔できちんとした病院にも行かせただろう。

 みんなみんな、ダリヤを愛してなどいなかったから、憎いクライスの娘だったからだったのに。恋に溺れた目で見ていなければ、どれほどジェスのダリヤを見る目が冷徹で、触れるのさえ嫌悪していたかが分かっただろう。



 また夢を見る。何度も同じ夢の繰り返し。また妊娠したときがついてから、毎夜同じ夢を見る。まだ公邸に住んでいた時、ジェスと一緒に眠っていても、そんな夢を見て朝が来ていた。どうしたのかと優しく訊ねるジェスに首を振って、何でもないと嘘をついた。

 ダリヤを騙して笑みを浮かべていた時からもう10年近く経っているというのに、ジェスはあの頃からほとんど変わっていないようにすら思える。勿論年相応の貫禄は出てきているが、そうやって優しく微笑むと昔のままのようだった。だから今でも時々錯覚しそうになる。

 ダリヤを苦しめたジェスと今のジェスはどちらが本当なのだろうかと。



 ―――愛しているよ、ダリヤ



 ―――愛しているよ、リヤ



 同じ愛しているという言葉でも、片方は嘘で、片方はおそらく真実。でも時々分からなくなる。全部嘘じゃないかと。全て、夢じゃないかと思うときさえある。



 ―――君を一生大事にするよ



 ―――お前なんかにどんな価値があると思っているんだ?……人殺しの娘が





 駄目なんだ。大総統。愛しているって言うより、罵って、お前なんか要らないと言って欲しいだ。こんな自分を見たのだから、そう言えるだろう?

 そう言って、何もかもこのジレンマを終わらせて欲しい。


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