「ロシアスさん」
「ダリヤ?」
雪が舞い降りる中でロシアスの帰りをダリヤは待っていた。
「どうしたんだこんな所で?俺に用なら司令部か、家で待っていれば良いのに」
仕事帰りのロシアスを隠れるように道の端で待っていたダリヤに驚いたようというよりは非難めいた表情で、ロシアスは言った。
「こんなところをジェスが見つけたら怒るぞ…ダリヤをじゃなくて、俺をな」
「だって大総統に会いたくなかったから……ここで待っていた」
そうダリヤが肩を竦めて言うと、ロシアスは少し眉を顰めた。彼はダリヤがジェスの敵で会った頃から、ただ一人だけダリヤに気を砕いていてくれていた人だった。今でも一番ダリヤとジェスのことを心配してくれている。
「ジェスと上手く行っていないのか?」
「そういう訳でもないよ」
勝手に上手くいかなくしたのはダリヤのほうだから、ジェスが悪いわけでもない。
「俺がちょっと家出しているだけ」
「おいっ、それってジェスがまた何かやらかしたのか?」
「またって……大総統って本当に信用ないよな。ロシアスさんにかかると」
何時も何かあるとジェスのせいにするロシアスに、少し笑みがこぼれた。何時もジェスが悪いという訳ではないのだ。今は優しいし、ダリヤが不満に思うところも多々あるが、それはジェスの性格が不器用なだけだと思っている。彼なりに誠意を尽くそうとすることが、ただダリヤの望んでいないことだということだ。自分の立場も省みずにする無茶ぶりに、ダリヤは何度怒っただろうか。覚えていないほどだ。
「当たり前だろう。あいつのやってきた無茶苦茶っぷりを俺はこの目で見てきたんだからな……あいつに関わるとお前はいっつも辛い目にしかあわん。お前さんが国家魔術師になって戻ってきた時だって、少しは待てば良いのに…強引に自分の元に引き入れて。あいつは欲しいもののためには手段を選ばんからな」
「ロシアスさんは、いつも俺の味方してくれるよね」
強引にダリヤを引き止めて自分のものにしたジェスを怒ったのはロシアスだけだった。物事には順序があるだろうと、どうしてもう少し待てなかったんだと、充分すぎるほど待ったんだと妙に冷静に反論するジェスとは対照的だった。
「そりゃ当然だろ?……ジェスの味方なんかしてられるか。あんな最低男……何があったか知らんが、どうせお前の家出だってジェスが悪いに決まっているだろう?」
その問いかけにはダリヤは答えなかった。ロシアスはダリヤの味方のようでいて、やはりジェスの親友であり、最後にはジェスの味方だ。ここでダリヤが話したことは全てジェスに筒抜けになると考えて良いだろう。もっともロシアスには悪気があるわけではなく、ただ最終的に二人のためになるようにと考えているだけに違いない。
「大総統は悪くないよ。ただ……何時ものように俺が勝手に不満に思っているわけだから」
「まあ、良いさ。ここは寒いから、家に寄っていけよ。リリアが今日はシチューにするって言っていたから、ダリヤも食べていけ。話はそのついででも良いだろう?」
「うん、ありがとう」
言われるがまま入ると、そこは何時も変わらない優しい空間が広がっていた。
そして変わらない笑みを浮かべるリリアがいた。まさに理想の家庭だ。
食欲がないが、出された食事を無理矢理片付けながら、ユーシスにもこんな家庭を用意してやりたかったと、痛感した。本当に平凡で難しいことではなかったはずなのに、ダリヤにとっては平凡で平和というものが何よりも難しかった。
目の前のロシアス、リリア、ローズたちを見ると、決まって感じる寂寥感だった。
「リリアさん、もう一人産まれるの?」
夕食の後、懐いてくるローズを仕事の話だと断り、二人っきりでロシアスの書斎にいた。
「え?ああ、分かったか?まだ安定期じゃないんで、話していなかったが」
「なんとなくそんな気がしただけ。何時もと感じが違っていたし……何ていうの?柔らかい雰囲気っていうか……幸せそうだよね。皆に祝福されて生まれてくる子どもか……」
母親になるもの独自の雰囲気を感じさせた。幸せに包まれている女性だけが持つ、独特なものだった。
「ダリヤ……お前にだってユーシスがいるだろ?」
「別に……なんとも思わない。羨ましいと思ったからとか、そんなこと言ったんじゃないよ。俺は子どもは産めない。そんなことはとっくの昔っから分かりきっていることだ。正直に喜ばしいことだと思ったから、言っただけ」
肩をすくめてダリヤは笑った。そんなに物欲しそうな、羨ましい顔だっただろうか。余りにも当たり前のものが。ダリヤには子どもができて祝福されたことはない。だから素直に、彼女のことを喜ばしいと思っただけだ。
「聞きたいことがあるんだ」
本題に入ることにした。そのためにここに来たんだから。
「大総統が今推し進めている、政策」
「ああ、財閥解体のことか?よく知っているな」
ダリヤの主に関わっている仕事は魔術の医療転用が大部分だ。ほとんど国の政策に関わるようなことには手を付けていないし、ジェスはダリヤを部下としているが、実は余り政治や軍事に関わってほしくないため、ほとんどジェスはダリヤに国の中枢に関わる仕事を任せてはいない。
ダリヤはジェスの役に立ちたいというのが幼い頃からの夢だったため、それを表立ってダリヤに言うようなことはなかったが、親友であるロシアスはジェスのそんな気持ちを知っていた。
本当は、ジェスはダリヤには国家魔術師さえさせていたくないということを、ロシアスだけが知っていて、その苦悩を知っていた。ダリヤがジェスの役に立ちたいと願っているから、ダリヤの好きにさせているが、本当はダリヤに何も関わらせず静かにいさせたいと思っていることを、ジェスは言っていた。
「まあね……俺が関わっていることはそんなに多くないけど、財閥解体した結果の経済分析とかちょっとだけ関わっていたから」
「お前そんなことまでできるのか。魔術専門じゃなかったんだな。本当にどういう頭の構造してるんだか」
「大本は似たようなものだよ。同じ数字と計算だし」
ジェスの役に立つのが嬉しくて、役に立ちたくて、手伝っていただけだ。
実はジェスは笑顔の裏で、そういったダリヤの行動をあまり良く思っていないことに気がついていた。ジェスはダリヤが昔と同じように軍にいることを、心の底では不快に思っているのだ。ただダリヤの心情を慮って、それを言わないだけだ。
だからこういった計算の類の書類仕事を好んでジェスはダリヤの仕事に回すことが多い。ユーシスはパパは何時も遠くに行く時にダリヤを連れて行くと文句を言うことが多いが、本当はダリヤが身辺警護をしたいと付いて行きたがったのだ。ジェスは自分でも魔術が使えるし、体術もそうとうのものだ。だから守られるという意識が希薄で、その分無防備になりやすいので、ダリヤの知らないところで死にはしないかと心配なのだ。
ダリヤがそういうと、心良く頷くが、本当はそれすら嫌がっている。それを感じ取っているけれど、ジェスがダリヤからそられを全て奪い取ってしまったなら、ダリヤには一体何が残るだろうか。
ジェスの愛人のようにして、ただ生きていろと言うのだろうか。ジェスは。それがジェスの望みなのか。
「それで何が知りたいんだ?」
「解体の対象になっている5つの財閥の情報……特に、軍需財閥のトップの情報が欲しい。表の顔から裏の回まで全て。ロシアスさんなら知っているだろ?」
「…そりゃあ、知っているが。それらはお前には関係ないことだろ?ジェスもそんなことに関わらせたりしていないはずだ……どうしてそんな情報が欲しいんだ?」
「聞かないでくれると嬉しい」
「何か厄介なことでも起こっているのか?」
「俺自身が厄介の種だよ……分かってるでしょ?ロシアスさん」
ダリヤをその腕に抱くことがどれほどのリスクをジェスが抱え込むことになるかは、ジェス以上に彼が分かっていたはずだ。だから、ロシアスができる限りの情報操作をしてくれていた。だけどそれだって限界がある。ダリヤの一連の事件に関わった人間は相当数に及ぶ。全ての口を塞ぐことは不可能だし、今ロシアスに調べて貰っている男は、ダリヤのもっと暗い部分まで知っているかもしれないのだ。
「分かった……詳しい情報をまとめておく。今すぐには無理だが、明日中には渡せるようにしておくよ」
「ありがと……できれば大総統には内緒にしておいて」
無駄だと思ったがそう頼んでみた。
「すまん…俺もジェスの部下だ。確約はできん」
「そうだよね…それが正しいと思う」
「悪いな」
「ううん……そういう人が大総統の部下にいないと駄目だよ。ロシアスさんみたいな人があの人の親友で良かったで、俺思うから」
「ダリヤ…俺は確かにあいつの親友だが、お前のことも大事に思っていることを忘れるなよ?……昔、俺があいつの隣にいれたら、あいつを殺してでも、止めていた。ダリヤを傷つけるようなことは死んでもさせなかった」
「じゃあ……あの時ロシアスさんがいなくて良かったよ」
自分のせいでロシアスを人殺しにはさせられないし、もう自分が関わった過去の人で、昔のことをどうこういうのは止めにしようと思っていた。父もデュースももう死んでいたし、ジェスはその身をかけて生涯償い続けると約束してくれた。だから自分は表面的にはジェスのことを許したはずだった。だからこんなふうにロシアスが言ってくれても、もう過去のことだからと笑うのだ。もう終わったことだからと。
だけどそんなふうに笑う笑顔の反面、自分はジェスのことを許しきれていないのだと実感する。だって上手く笑えないから。いつも相反する感情が渦巻いているのだ。
「ダリヤっ!ジェスに少しは頼れよ…あいつは駄目な男だけど、今はお前しかいない。お前に心底惚れているんだからな!……できれば早く戻ってやってくれ」
明日調べてもらった書類を受け取る約束をして、ロシアスはローズたちと見送ってくれた。ロシアスの言葉に『できれば』とだけ答えて、ロシアス宅を後にした。