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「また兄さん家出してきたの?」

「うるさい」

「また何があったの?……前はユーシスに弟か妹が欲しいって言われた時に飛び出してきたよね」

「そんなこともあったよな……」

 ジェスと縁りを戻すつもりで彼の元に行ったわけではなかったけれど、気がつけばジェスの情熱に流されしまっていた。そしてジェスと再び関係を持ってしまったことに後悔することが多々あった。いや、毎日のように後悔して、だがユーシスの笑顔を見るたびに、やはりジェスの元から離れられない自分を再確認する毎日だった。

 別にジェスの愛人と言われようが、構わなかった。本当は噂になるだけでも、それから自分の過去がばれてしまうのではと恐れていたが、噂だけならどうとでもなる。

 だけど結婚だけは絶対に、公式にジェスとの関係を公表することはできないことだった。それはもう二度と自分を偽ったり出来ないと決めた時から、ジェスとは結婚などすることもないと思っていたし、こんな関係になることすら有り得ないと思っていたことだ。

 ただユーシスには本当にすまないとは思っている。自分という本当の母親がいるのに、決してそう呼ぶことは出来ないのだ。一生この事実を公表することもできないし、ジェスと結婚をして義理の母親となることすらできない。

「また妹か弟が欲しいって言われて落ち込んでいたの?」

「そんなんじゃない」

 以前そんなそんな理由でユーシスのところに逃げ込んできたことがあった。

 ダリヤはずっと昔にもう子どもが産めないだろうと言われていた。

 ジェスはユーシスもいることだし、以前家出したときに何を後ろめたく思うことがあるんだと言っていたけれど、ジェスは自分が原因だからダリヤが子どもを産めなくなったことを責められないだけだと思っていた。ダリヤはもしジェスがちゃんと子どもを産める女性と結婚したいと言えば、何も言わずに公邸を去ろうと思っている。

 それはきちんとジェスに言ってあるし、一緒に住むと決めた際の約束でもあった。自分たちはユーシスの両親だが、ダリヤとジェスは夫婦でもなければ、公に出来る関係ではないこと。恋人同士と言われる間柄であっても、ただの他人でしかないのだと。公に出来る関係はただ一つ、部下と上司、国家魔術師と大総統という関係でしかないということ。

 冷めた言い方だったかもしれないが、それがダリヤにとって一緒に暮らすことの精一杯の譲歩であった。

 子どもが産めないこと、結婚できないこと。それはダリヤにとっては当たり前のことで、変えようとは思わないことだった。

 ダリヤ・ハデスでなければ、ダリヤ・クライスでなければ、ジェスと添い遂げることも可能だった。ジェスの権力を使って全くの別人になれば正式にユーシスの母とは言えなくても、義理の母親にはなれただろう。

 でももう二度と、自分に人生を偽らないと決めたときからそんな選択肢はあり得なかった。

 この左足も、何も生み出すことの出来ない体も、汚名に彩られた自分自身も、もう何も偽ろうとは思わなかった。これはもう意地かもしれない。簡単に解決できる方法もあるのに、あえてそうしない。

 これは無意識の復讐の一環なのかもしれないと何度か思ったこともあった。ジェスにお前の罪を見続けろという復讐だ。ジェスの左目は治したのに、自分の足は治そうとはしない。できるのにしない。

 ジェスがダリヤを抱く時は必ず、義足に口付ける。そしてもう今は傷つけていない、手首の傷にも恭しく何度もキスを降らした。ダリヤを愛しているのだと何度も言った。愛していて、なのにこんなふうにしか一緒にいられないことをいつも謝罪して。そんな繰り返し。

 そして、ダリヤは一度もジェスに愛しているとも、好きだとも言っていないままだ。ただ一緒にいるだけ。抱かれるだけだ。

 全てを許したはずなのに、まだ足らないのだろうか、自分は。ジェスが苦しむ様を見てみたい。ダリヤがあれほどジェスの愛を欲しがったのと同じように、ジェスにも求められたいのだ。ダリヤが苦しんだ分と同じほどジェスにも同じ苦しみを味合わせたい。

 そのために、ユーシスを犠牲にしているのかもしれない。散々自分の過ちのせいで、生まれる前から誰にも祝福されない存在だった。幸いなことに、ユーシスはジェスに連れられてくる前のことを余り覚えていないことだろうか。

 ダリヤの力が無い時は研究材料としか見なされていなかったが、ダリヤが研究所内でそれなりの地位につくとユーシスの扱いもそう悪いものではなくなっていた。だから物心つく頃には、その頃の記憶は余り無くなっていた。それだけがダリヤにとって救いだった。

 ダリヤがユーシスを連れて逃げていたら、安定した生活も、今のように約束された未来も何もなかった。戸籍すらない幽霊のような生活をし続けなければならなかったかもしれない。ユーシスのことだけを願って、ダリヤはジェスに託した。

 そのユーシスが、ダリヤに兄弟を欲しいと頼んだ。ダリヤにとってユーシスの願いは何でも叶えてやりたい。だがそれだけは無理だった。物理的にも、今の状況下でも。

 以前の家出はちゃんとユーシスの兄弟を生める女性と再婚すれば良いんだと、頑なになってジェスの元に戻ることを拒否した結果だった。

 そのためだけではないけれど、そうなっても良いようにジェスとは籍を入れていないのだし、何時だってただの部下になる覚悟はしていた。

 以前ジェスの身内がお見合い候補の女性を連れて大総統公邸に来たことがあった。ジェスも長い間妻が亡くなってから独身を貫いていたし、そろそろ再婚をしても良いだろうと思ったからだろう。そこで初めてジェスにユーシスという息子がいることを知って驚いていた。ユーシスのいう存在がいることすら、身内にもジェスは話していなかったらしい。

 そして一緒に暮している恋人、つまりダリヤがいることも知って、だったら見合いの女性じゃなくても構わないので結婚しなさいと彼の両親は勧めた。ジェスの両親は相手の女性に家柄などは特に求めているわけではなかったらしい。しかしダリヤがクライスの娘だと知ったら、きっと強固に反対しただろう。真実はどうであれ、ジェスの妻子を殺したのは父ということになっている。賛成されるはずはない。

 結婚するつもりはないと告げると、何故だと問い詰められた。本当の理由など言えるはずもない。ダリヤの父親のこと、自分自身も犯罪者として裁かれた身だということ。だから子どもが産めない身体だからとダリヤが言ったら、出来損ないの紙くずのような目で見られた。

 直接ダリヤには何も言われなかったが、きっと自分との結婚を許さないとでもジェスに言ったのかもしれない。まさか14歳でユーシスを産んだのです、昔はちゃんと産めましたと話せるわけはなかった。

 ジェスが母親たちを追い返した夜に、ダリヤはジェスにあの女の人と結婚しても良いのではないかと言った。ダリヤはその時は知らなかったが、見合い相手として連れられてきたのはジェスの亡くなった妻の歳の離れた妹だったらしい。
 妻の実家としての言い分は、不始末をしでかした娘の代わりにということだったようだ。それに今もジェスが独身を貫いているのは、死んだ妻のことが忘れられないため、よく似ている妹なら結婚する気になるだろうと思ったのだろう。それはジェスが結婚しないカモフラージュのために亡き妻のことを今でも愛しているからと、言っているせいでもあったが。

 ダリヤにはジェスは何も言わなかったが、その不機嫌な表情で怒っていることだけは分かった。何に対して怒っているかというと、とにかくダリヤに不愉快な思いをさせたことらしかった。その他に、どれほど死んだ妻のことでジェスが絶望感を抱いていたか考えもせず、のうのうと妻の妹を連れてくる母親や、妻の実家にも怒りを抱いたらしかったが、それはおくびにも出そうとはしなかった。ただダリヤが想像しただけだった。

 ジェスはダリヤに不愉快な思いをさせたことを謝り、そして他の女と結婚しても良いなどと二度と言わないでくれと懇願した。結婚するとしたら相手はダリヤしか考えていないと、君が許してくれるなら明日にでも結婚をしたいのだと、もう何度も聞いた言葉を繰り返した。

 その頃から思っていた。ただの部下になってしまったほうが、何も悩まなくてすむのにと。

 ダリヤの過去も、この身体のことも、ジェスとのことも、そうしてしまえば簡単なのにと思った。



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