*再会の日の夜の話になります
「ダリヤ…浮気はしていなかったか?」
「あ、ちょっと」
二人きりになった瞬間に身を引き寄せられ、甘い声で誘惑されていた。こんなことをするつもりで、ジェスの家、大総統官邸にやって来たわけではなかった。約束したとおりにジェスに会いに来て、ユーシスにも会っていけと言われ、会いたくないはずも無くのこのことこんな場所までやってきてしまっただけだ。
「私はずっと君を思って、一人で過ごしていたよ。君はどうだ?…知りたい」
「俺は……こんなこと、アンタ以外と」
浮気って、別にジェスとダリヤは恋人だったわけでもないし、愛しているとは告げられたがそれに対してダリヤがイエスと言ったわけでもない。この一年弱、ダリヤが何をしていようがジェスに文句を言われる筋合いはなかったはずだ。たとえダリヤに他の男がいようが、誰と寝ようがジェスには口を出す権利はない。だがそんな言い訳はジェスには通用しない雰囲気だった。
「特にしたいわけじゃないし……そういうこと。必要が無いんだったら、自分からしようとは思わない…」
もそもそと言い訳のようにそう言った。12歳の時はジェスがしたいと言えば、その通りにしたし、復讐のために近づいた時は作戦のためで。自分からしたいと思ったことは一度もなかった。
最後に抱かれたのも、人生で一度くらい、愛されて抱かれたことがあっても良いのかもしれないと、刹那的に思っただけだった。
「私以外とはしたことはない?」
「ない……けど」
いつの間にか豪華なベッドに押し倒されていた。どうしよう、どうしようと思うだけで、抵抗らしい抵抗もできないままだった。
「あ、ユーシスが!ユーシスが今日一緒に寝たいって…だから」
なんとか拒否しようとしたが、ジェスには通用しなかった。圧し掛かられたまま、身動きできない状態だった。ジェスの押さえつける腕の力はほとんどなかったが、この状態でいるだけでダリヤは頭が混乱して、頬が火照った。ジェスのまっすぐ見てくる目を直視することも適わない。
「ユーシスとは明日一緒に寝なさい」
「で、でも!…ずっと待っててくれたし、楽しみにしているって言って」
今日はユーシスが生まれた日で、ダリヤは息子が生まれて初めて一緒にお祝いをした。研究所にいた頃はそんなことをできる立場ではなかったし、ユーシスの生まれは母エリーゼの死とも密接に繋がっていて、またダリヤ自身も余りにも絶望に浸っている立場では、そんなことにまで気が回らなかった。ただユーシスを無事に守り通すだけで、精一杯だったのだ。
ほぼ一年ぶりほどに再会したユーシスはまた大きくなっていて、生まれて五年目の誕生日を親子三人で迎えれた。それだけでダリヤは胸が一杯で、すぐに帰るつもりだったのに、ユーシスに請われるがままフラフラとここに居残ってしまったのだ。
「私のほうがずっと待っていた!」
それまで穏やかな声だったのに、急にジェスは声を荒げた。その声にこれは冗談ではなく、本当に一瞬足りともジェスはダリヤをこれ以上待つ気はないのだと分かった。
「か、考える時間くらいくれたって…」
「考える時間なんか山ほどやっただろう。これ以上何が必要なんだ?ここまで来てお預けかい?」
考える時間と言われてもそれはあくまで自分のこれから先の人生を考える時間であって、ジェスとのこれからのことを考える時間ではなかった。
当然ユーシスのことも考えたし、ジェスが待っているという最後の言葉から、ジェスとのことについて考えなかったといえば嘘になるだろう。でも結局考えても堂々巡りのままで、最後にはもう考えることを止めてしまった。
ただジェスの目を治そう。何時までもジェスが自分のことを待っているとは限らないのだし。そう思って、無意識に結論を出すことから逃げた。その結果がこれだ。何の心構えもできていなかったし、ジェスの思いを受け入れる準備すら出来ていなかった。
「考えて何になるんだ?…もう散々待った。これ以上は待てない……いくらダリヤが考えたって、私はもうこの手を離すつもりはないし、他の男にくれてやる気もない。考えるだけ時間の無駄だ」
「そんな…」
そう言いながらもダリヤ自身、幾ら考えたところで結論など出ないことも、また分かっていた。どんなに考えたところで、素直にジェスの胸には飛び込めない。それは過去からも証明していた。例えジェスの傍に居たいと思ったところで、ダリヤはそうできない。色んなことが制約になって、ダリヤを過去とは違った鎖でがらん締めにされているのだ。
裏切られることが怖い。犯罪歴がある自分がジェスとユーシスの傍にはいられない。
せめてユーシスは一緒に暮らせないまでも、近くでその成長を見守りたいとは思っていた。だけど、こんなに急には無理だ。何の心の準備もできてはいなかった。
「まだ私が許せないか?…まだ足らないかい?……どうしたら君にこの思いが伝わる?どうしたら許してもらえるかい?」
そんなことはダリヤ自身が聞きたかった。どうしたらジェスを心の底から許せるのか、どうやったら以前のようにただ純粋に愛することをできるのか。
もうこれ以上ダリヤはジェスにして欲しいことはなかった。ダリヤはもうユーシスをジェスに救い出してもらったことで、ジェスからの償いは終わらせていた。ジェスはダリヤの願いを受けて、ダリヤの大好きだった黒い目を失ってまでも、ユーシスを取り戻してくれた。だから、もうダリヤにはジェスにはして欲しいことはなかった。これ以上ジェスに何をして欲しいかと聞かれても、ダリヤには思いつかなかった。
「もう無い……言っただろ?俺にはもう、何の望みもないんだ。あるとしたら……ユーシスと一緒にいたいと思うくらいだけど、それもずっと昔に諦めている」
「どうして諦める必要があるんだ。ここで私と一緒に、ユーシスと暮らせば良い」
「そんな無茶苦茶なことっ!」
「無茶なんかじゃない……ずっと考えてきた。君が思うほど、私は簡単に考えてはいない。君とのために、大総統の座について……ユーシスと君を守る力を手に入れたつもりだ。もう、ダリヤ……君は何も心配しなくて良いんだ」
「無理っ!……無理だ!そんなつもりで会いにきたんじゃないっ」
「じゃあ、どんなつもりだったんだ?……ああやって私のところに会いに来てくれて、それで終われるとでも思っていたのか?それが私が大人しくしているとでも?……だとしたら、君は私という男を買いかぶってい過ぎたな。そんな良心的な男だったら、一生君を手に入れることは不可能だと分かっているから、君が夢見ていたような優しい男にはなれない」
ダリヤは首を振った。もうダリヤはジェスが優しいだけの男ではないことくらい、十分すぎるほど知っていた。むしろずっと昔に出会ったダリヤを助けてくれた頃のジェスのほうが、ダリヤの胸中からは最も遠い存在になっているほどだ。だけど、最後には愛していると言ってくれ、ずっと待っていると言ってくれた。ダリヤの望みを叶えてくれ、ユーシスもダリヤの望むまま庇護し続けていてくれた。だから、酷いだけの男だけとも思っていなかった。
だからこんな再会したばかりの夜に、こんなふうに無理強いをしてくるとは思ってもいなかったのだ。最後に優しく抱かれたことだけが、ダリヤの頭にあったからだ。
「私に触れられるのが嫌なら、私を殺すんだ。そうではないと止められない。君が望んでいる、ただの部下としても扱えない」
「俺は……俺は」
もう一度彼を殺すことなどできるのだろうか。ジェスの身体に銃弾を打ち込んで、脈の無くなった彼にキスをして去った時のように。
「もう…殺すことなんかできない」
駄目だ。もう一度ジェスを殺せるはずがなかった。自分も苦しんだが、同じだけジェスも苦しんだだろう。
違う、わざと苦しめたのだ。それで過去を終わらせたのだ。だからもう拒絶なんかできなかった。何を流されているんだと、自分を叱咤する声も確かにあった。何のために離れていたんだと、もうこれ以上この男に流されないためではなかったのかと思う心もあるのに、ジェスの言うように今さら彼を殺せるはずはない。
愛されたかったのかもしれない。優越感に浸りたかったのかもしれない。過去全く相手にされなかった男が、今はダリヤの愛を乞うているのだ。
「私は…君を愛して、君の行為を憎んだ」
ゆっくりと押し倒される。1つにまとめた髪をジェスがゆっくりと解いていく。
「私がどんな思いだったか、少しは考えてくれたか?君は私を大総統の椅子に座らせるために、自分を捨てた。君の目は死さえも簡単に受け入れる目をしていた……君が犠牲になることで得たこの地位を一時は恨んだりもした」
耳元で囁かれる、低い声。恨み言を言っているはずなのに、ジェスの声は甘ささえ感じられた。
「俺と同じだ……俺は大総統にされたことをしただけ」
それでジェスが苦しんだとしても自業自得だ。いや、ダリヤはユーシスのためにそう望んでいた。苦しんで、もがいて、ダリヤがどんな思いだったのかを知って、そうして生きていって欲しかった。どれほどの思いでユーシスを産んで、ダリヤが守ってきたのか、ほんの少しでも良いジェスに知って、ダリヤの後を継いで欲しかったのだ。
ダリヤの想いを知って、ジェスの後悔の念が深くなればなるほど、ユーシスを大事にしてくれるだろう。ダリヤを忘れないでいてくれるだろうと、それだけを願っていた。
「そうだ……君は私がしたことをし返しただけだ。凄く的確な復讐だよ…私にあれほどダメージを与える術は他にはないからね……刺されたり、銃で撃たれたほうが余程楽だった」
それはダリヤも同じだった。身体の痛みなどは治ってしまえば終わりだ。でも心に受けた痛みは、永遠にダリヤを蝕んでいた。生きている感覚すら奪って、眠りの中でさえ安らぎは訪れない。
「君は今も苦しんでいるのかい?……一緒にいられなかったから、君の苦しみが分からない。少しで良い……私の傍にいて、その痛みを分けてくれないか?見て、知っていたい」
そんなふうに言うジェスをダリヤは半ば信じがたい思いで聞いていた。ダリヤを誰よりも汚らしい物というさげずんだ目で見ていたジェスが、今は演技でもなくダリヤを愛しいものを見る目で見ているのだ。
痛いと言えばいいのだろうか。今も変わらず、昔受けた痛みが変わらずこの胸の内にあるのだと。何年経っても簡単には消えてなくならないのだと。どんなにジェスが優しくしてくれても、謝罪してくれても、もうダリヤの中で彼の償いは終わっていても、それでもこの痛みはなくならないと。
「大総統……俺は」
真意を言おうとした。だから待ってくれと。だがそれを遮る音が小さく響き渡った。
「ユーシスか?」
コンコンとノックされたドアをジェスが開いて招き入れた。
「ダリヤ…?もうぼくねるよ。はやくきてよ」
大きな枕を抱えたユーシスがそこにはいた。一緒に寝ようと約束したのに、何時まで経ってもダリヤが来ないから迎えに来たのだろう。だが両親の緊迫した様子を見て、意味が分からないまでも、途方にくれた顔をしていた。
「ユ、ユーシス!」
ダリヤは脱ぎ散らさせた服を掻き集め、胸にかき抱くと居た堪れない思いで俯いた。心臓がドクドクと音を立てていた。
「ユーシス……今日だけは一人で寝てくれないかい?明日はママと一緒に三人で寝るから」
なのにジェスは涼しい顔で、平然と子どもに大人気ないことを頼んでいた。
「……うん。わかった」
「良い子だ」
「明日は約束だよ」
ジェスは笑って頷くと、ユーシスは大人しく部屋に戻って行った。ダリヤはただ黙って見ていただけだった。何の反論もできなかった。動揺していてたぶん何を話せば良いのかが分からなかったのだ。
「ひどいっ!……こんな姿ユーシスに見せるなんて」
こんな顔しかしていない姿をユーシスに見られるなんて、言葉には言い表せないほどの屈辱だった。ダリヤは何時だってユーシスの前では毅然として、こんな情けない表情など見せたことはなかった。なのにジェスはこんな姿を平然と息子の前に出しても、詫びれもしない。
「今夜だけは君を独占したいんだ……大人気ないと言われても引かないよ?……ダリヤ、君に泣かれても止めない」
「泣いたりなんかっ」
今までどんなことがあったって、人前で泣いたりはしなかった。ジェスの前だって例外ではない。自分だけで生きてきた。そんな生き方をダリヤはもう変えられなかった。
「違うな……泣き顔が見たい…私の腕の中で、私を欲しがって、快楽に咽び泣くダリヤを見てみたい」
「そんな顔するわけ、んっ」
悪態ばかりつくダリヤの唇を噛み付くようにジェスは塞ぐと、そのまま押し倒してダリヤをベッドに縫いとめた。優しく、だが強引にジェスはダリヤの唇を奪った。呼吸まで奪いつくすような、勢いだった。
「う、んっ」
キスは何度目だろうか。ほとんどジェスとはしたことがなかった。記憶にある限り、初めてのジェスとのキスは寒々しいアパートの一室で、何の感情も彼はもっていないままして、あとはジェスがダリヤを愛していると言った、あの最後の夜だった。
だからダリヤは上手く呼吸さえできなかった。
愛されることに慣れていなくて、欲しがられることに慣れていなくて、どうやって呼吸したら良いのか分からなかった。
以前は生きているのが苦しくて、愛されないことが辛くて、毎日が生きていることが地獄だった。
「私無しでは…生きていけないようにしたい」
本気でそんなことをジェスは言っていた。正気とも思えない。この男が、何もかも持っているはずの男が、こんな何も持っていないダリヤに、本気で言っているのだ。ダリヤには心底理解なかった。
「やめろ、やめてくれっ……これ以上、俺を暴かないでくれ」
せっかく一人で生きていくのに慣れたのに。ユーシスもジェスも何も関係なく、一人で息をして、一人でそっと生きていくことができるようになったのに。ジェスがそれを滅茶苦茶にしてしまう。
「嫌だ、全部暴いて、全部私のものにしたい。許可なんか貰わない。私が勝手にそうするから」
酷いとも言う間もなく、また口を塞がれた。ジェスの舌がダリヤの口内を好き勝手に蹂躙する。
少し角ばった、だが軍人にしては繊細な指がまるで愛撫するようにダリヤの頬を撫でる。いや、これはまさしく愛撫だったのだろう。キスを止めないまま、その手がそっと下りていった。わずかばかり残っていた最後の衣服をダリヤから取り去ると、始めは優しくダリヤの胸を揉み始めた。
「はあっ…や」
子どもを産んだ経験があるにしては貧弱なダリヤの胸を、ジェスは執拗に弄った。その感触にビクリと震えると、ジェスは微かに笑った気がした。硬く閉ざしていた目を恐る恐る開けると、ジェスは確かに笑っていた。ただその笑みは、ダリヤに安堵や安らぎをもたらすものとは程遠かった。まるで獲物でも狙っているかのような目だった。
「そろそろ大人しくしなさい」
キスの合間にそうダリヤに囁くと、硬直しているダリヤを前にして初めて身体を離すと、身につけていた軍服を脱いで乱暴にベッドの下に投げ落とした。ブーツが放り出される音が意外に大きくて、やっとダリヤは逃げないとと思った。この身体が抵抗できないのなら、ジェスを殺すことももうできないのなら、そして今またここでジェスと身体を繋ぐ気がないのなら、逃げないと思った。
力の入らない身体だったが、ダリヤは無駄に大きなベッドから降りて、先ほど無理矢理連れ込まれた扉に向かおうとした。ユーシスの部屋に行けば、どうにかなるとしか考えなかった。流石のジェスもユーシスの目の前で連れ去ろうとは思わないだろうと、安易に思っていた。
「無駄だって言っているだろう。どこへ逃げても追っていくし、ユーシスのところに逃げたとしても連れ戻すか、ユーシスの目の前で抱くよ」
降りようとした足を掴まれ、無情にもジェスの胸の中に引き戻された。今度は後ろから抱き締められて、どうやっても動けないように固定されてしまった。ダリヤはもう上半身は裸で、下半身には下着しか身につけていない。抱き込まれた先のジェスはもう何も身につけていなくて、熱い肌が直接ダリヤの背中に触れた。つられるようにダリヤの身体も熱くなるような気がした。
「ユーシスの前だなんてっ……変態、強姦魔、人でなしっ」
ありったけの罵詈雑言を口にしようとした。それでもジェスは笑っているだけで、少しも堪えた様子はなかった。ただ自分の欲望のままに振舞った。ダリヤの片足を持ち上げると、ジェスの立てた片足に乗せられ、結果大きく足が開かれてしまった。
睨みつけようとしてもジェスは背後にいるので無理だった。また羞恥のため顔を俯くのが精一杯だったが、目を開けているとジェスの手がダリヤに伸ばされる様が見えてしまうので、目を瞑ってやり過ごすことしかできない。
目を閉じていると、より一層ジェスの手の感触がまざまざと感じる。始めはただ両足を撫でているだけだった。特に義足の部分を何の欲望も感じさせないようにゆっくりと、優しく。何度も撫でていただけだ。だからそれだけなら我慢できた。だが当然それだけではすまなかった。ジェスの手はダリヤの下着の上から撫で始めた。先ほどまで労わるように義足の繋ぎ目を労わるように触れていたのが嘘のように、ある目的を持って触れだした。
「いやだっ…それはいやだ」
抗議したところで叶えられないことは、今までのジェスの強引さからも分かっているはずなのに、馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返していた。膝を閉じようとするが、差し入れられたジェスの足で邪魔をされてそれもできない。
無駄な抵抗だって分かっている。だってこんなにも力が入らない。ジェスからしてみれば、戯れのような抵抗してできていない。
「嫌だというわりには……濡れているよ。本当は気持ちが良いのだろう?いい加減に私に身を委ねなさい」
「違うっ、違う…気持ち良くなんか」
「本当かな?じゃあ、見てみれば分かるだろう?…ほら、目を開けなさい」
そう言われてもダリヤは絶対に目を開かなかった。だってジェスの言うとおりだったからだ。こんな扱いをされて、無理矢理抱かれようとしていて、それでもダリヤはジェスの言うように感じていた。ジェスの強引だが、優しい愛撫にすでに陥落していたのかもしれない。
「これは邪魔だな……破ってしまおうか」
ダリヤの両足はいわばジェスの両足に固定されているようなものなので、下着を脱がそうと思ってもジェスの足が邪魔をして上手く脱がすことができない。それをジェスは力任せに破り捨てて、ダリヤからたった1枚とはいえ身を守る最後の砦を取り除いた。
「ほら、見なさい……こんなに濡れている。本当は私が欲しいんだろう?……違っても良い。だけど、私と同じように欲しがってくれ」
「大総統。大総統…俺はもう何もっ……欲しがらないっ……欲しがっては、いけない…んだ」
途切れ途切れにようやくそれだけを言った。ジェスが指を差し入れた。始めは一本だけ。だけどそれを動かして、もはやダリヤがどんな抵抗もできないことを見通して腰を抱いた手で、両胸を掴んだ。上も下も刺激されて、もうダリヤの思考は乱されていた。上手く何も考えられなかった。
「ん…俺は、欲しがらないっ…やめ、それ以上、俺の中に入って、こないでくれ」
指が増やされ、また掻き回される。溢れ出た液はジェスの太ももを濡らしているのかもしれない。それを確かめる勇気はなかった。
ダリヤは拒絶の言葉以外は決して漏らさないようにしていた。快楽に喘ぐ声など自分には相応しくないと、噛み締めていた。簡単なはずだった。ダリヤは、エディスは大事に抱かれたことはほとんどなかった。ジェスと寝て、快感を感じたことなど数えるほどもなかった。昔は痛めつけられるようなセックスしか知らず、次は謀略の中で、いわば本当の意味で抱かれたのはダリヤが全てを最後にしようと思った、たった一度の夜だけだった。
なのに今日のジェスはあの夜より優しくなくて、強引で、子どものようにダリヤを欲しがった。その声すら卑猥だった。ダリヤに対抗する術など無いも同然だった。
「そんなに嫌だといわれると、男としては余計に抱きたくなるものだ……ダリヤ、これからずっと一緒にいるのだから、よく覚えておくんだ。私という男がどれほど傲慢で、欲しいもののためなら手段を選ばない男かということを……特にこんなに長い間待った後なのだから、君のどんな罵詈雑言さえ愛おしく思えるか、君は身をもって知るべきだ」
ほらと言ってジェスは自身の腰を押し付けてきた。こんなに欲しがっているとジェスの言葉通りの昂りをその身体自身で証明していた。
「愛しているよ。ダリヤ…君を大事にしたいんだ。本当だよ」
「嘘だっ……愛しているんならっ、大事にしたいんなら……こんな辱めるようなこと…しないはずだ」
「言っただろう?…愛しているから欲しがるのだし、だから逃げ出すチャンスすら与えないのだって。そんな私の考えを傲慢だと君は思うだろう。だが、これが私の愛だ」
ジェスはダリヤの弱弱しい非難にも動じなかった。ただ、こうやって強引に手に入れることしか出来ない卑怯な男なんだと、そう薄っすらと笑ってダリヤを弄り続けた。
「んっ…ん」
ダリヤの声を噛み殺す声だけが部屋には響いた。極力声を出さないようにしているのに、その声はかなり大きくダリヤには聞こえた。ジェスが何も話さないからだ。
「怖い」
後ろから抱きしめられジェスを受け入れさせられている準備をさせられていた身体を、ジェスは抱き直すとそっとベッドに横たえた。ダリヤはやっとジェスの顔が正面から見えたことに安堵し、また彼の男の顔に怯えた。こんな顔は見たことが無かった。
「もう何度も抱いた…今更怖がらないでくれ」
「そんな顔しているからっ」
再会したばかりの優しい笑顔が嘘のような、この顔。ダリヤの矜持すら全て奪いつくそうとしている気さえするから。全くダリヤの気持ちなど無視しているから。
「どんな顔をしている?私は」
「ううっ……やっ」
ダリヤはジェスのそんな問いに答えることなど当然出来なかった。圧し掛かってダリヤの内に入ってくるジェスの感触に、ただダリヤは打ち震えいるだけで精一杯だったのだ。嫌だとだけ言って顔を半分シーツに沈めても、入ってくるジェスを押しとどめることなど当然できなかった。ただその感触をやり過ごしていただけだった。ジェスの目がダリヤを凝視しているのが分かったけれど、ダリヤはジェスの顔を見れなかった。
ジェスは自身を挿入したまま、動かなかった。ただダリヤを見ていた。それが気配で察せれたけれど、ダリヤはずっとそのままの体勢でいるしかなかった。
「ダリヤ……顔を見せてくれ?さっきから嫌ばかり聞かされていて、これでも少し心を痛めているんだ。本当に嫌じゃないんだろう?嫌なら私を殺しているはずだ」
ここまでやったのなら、いっそそのまま黙ってやれば良いのに。先ほどまでの強引さでダリヤを奪いつくしてしまえば良い。そうしたら理由ができる。これはジェスが無理矢理やったことだと。自分は悪くないんだという、理由ができる。
「愛している……勝手な私を許してくれ」
ダリヤと、何度も名前を囁いた。半分シーツに顔を埋めているため、もう片方の露になっているほうの耳元に。その感触に耐えられなくなり身を捩って逃げ出そうとすれば、ジェスは拘束するようにダリヤを捕らえて離さなかった。
「ダリヤ…動くよ?」
最早ただ受け入れるしかないダリヤは、許可を得るように囁やいたジェスにただ潤んだ目を向けるしかなかった。