ジェスは昔と一緒だ。昔は嘘を言って騙して荒唐無稽なことばかり言っていたけれど、今は本気で言っているのだから、余計手に負えない。14歳も年下のダリヤのほうがよほど現実的だと言えるだろう。

「もっと……現実を見てみろよ。ダリヤ・ハデスのままでは絶対に無理だ。そしてもう…俺は自分を偽らない。そして……俺は大総統をどう思っているか分からないって、愛していないって言ってるのに、アンタは無茶ばかり言って、俺を困らせている」

「何処を見ている?」

「え?」

「君からは何の感情も伺えない。前のように押し隠していた訳ではなく、今の君は何処を見ているんだ?私を憎んでいたときは、あれほど強い感情を私に向けていてくれたというのに……今の君からは、それすらない。そんなふうに見られるくらいだったら、憎まれていたほうが余程マシだ」

 ああ、そんなことかと思った。

「今の俺は抜け殻だから……生きる屍だよ?……俺ってダリヤ・ハデスは何で出来ていたと思う?アンタへの憎しみとユーシスを生かすためだけの執念で生きていた。それだけで構成されていたといっても過言ではないんだ。それが無くなったら、何もない……アンタはこんな俺でも良いの?欲しいのか?」

「ああ…欲しいよ」

「俺は…駄目だ。今の俺は……何も欲しくない」

 何も望まないことで、楽になれたのだ。これ以上ジェスに、ユーシスに掻き乱されれば、また過去の二の舞になってしまうだけだ。

「まだ君は死にたいのかい?……死んで楽になりたいと思っているのか?」

「どうかな……」

 全てが終わったら、死んでもいいと思っていた。いいや、違う。全部しがらみが無くなったら、死にたいと思っていた。それがジェスに全てを拒絶されたダリヤにとって唯一の楽になる方法のはずだった。ユーシスさえ救い出せれば、その後は。そう何度も考えたことはあった。でもユーシスを救い出したら救い出したらで、大きくなるまで庇護する存在が必要だから、死ねないのかもしれないとも思っていた。そんな惰性で生きていくのかもしれないと思っていたときもあった。だけど今ならユーシスを保護してくれるジェスがいる。

 ここでジェスに頼もうかとも思った。俺のことを愛してくれるっていうのなら、やっと静かな気持ちでいられる今、ここで殺してくれないかと。そうすればもう何も悩まなくて済むのだから。

「ママ!」

 そんなダリヤの思いを叱咤するかのように今まで黙っていたユーシスがダリヤをママと呼んだ。そんなふうに呼ばれたことなど無くて、言葉に詰まった。一生そんなふうに呼ばれることなど無いと思っていたのに、ダリヤの葛藤などよそにユーシスは余りにも簡単にママとそう呼んだ。

「ママ!…ダリヤ。パパと一緒に帰ろう?……ずっとそばにいてくれるって約束したでしょ」

「ユーシスっ!」

 一緒に帰ろうと手を引かれる。小さな手で懸命に、ダリヤの手を引いて離すまいとしていた。

「弱いんだっ!今の俺はどうしようもなく、弱い…今、大総統とユーシスと一緒にいても、ただ、守られて…それだけ…」

「それのどこがいけない!…もう悩まなくて良いんだ!……もう、楽になっても良いだろう?」

「駄目だ…俺は、今どうしようもなく弱いんだ。アンタと一緒にいたら、ただ流されて…もっと弱くなって。また同じことを繰り返すんだ」

 自分の気持ちも分からないまま、ただジェスに寄りかかっているだけ。それはとても楽だろう。何も考えなくても良いから。一緒にいれば分かりきっている。ジェスの気持ちに流されて、何も考えずに人形のように生きていける。

 ジェスの目の前にして、彼を拒否できるほど自分は強くない。ジェスはあらゆる意味で、ダリヤにとって特別で、そのうえ最愛の息子まで一緒にいるんだ。

 そんな人生の何が悪いんだと言われるかもしれない。ジェスの言うようにもう何も苦しむ必要はないと言われるかもしれない。でも、そんな人生は嫌だった。流されるばかりの、運命に翻弄され続けるばかりの人生ばかりはもうたくさんだった。

「ごめん!…ユーシス。でも、いつか、いつか」

 二人の前に立っても恥ずかしくない自分になれたら。流されるだけの人生ではなくなったら。そうしたら、ちゃんと答えられる日がくるかもしれない。

「ちゃんとした自分になれたら……そうしたらもう一度、大総統の前に立てるかもしれない」

「ダリヤ!」

「愛しているって言ってくれて嬉しかったよ!……忘れられていないって分かって」

 自分の名を呼ぶ男にそれだけを言うと、ユーシスを最後に強く強く抱きしめて。

「ユーシス……ごめん。約束破って、ごめんな。そばにいてやれなくて、ごめんっ……」

 ギュッと抱きしめて、それでも会いに来るとも、傍にいてやれるとも何の約束もしなかった。約束を破られる辛さは身に染みてダリヤが知っていたから。

「世界中のどこにいてもお前のことを思ってるからっ……お前のことをずっと、愛しているから。お前はまだ小さいから、俺のこと忘れても仕方が無いけど。きっと忘れたほうがいいと思うけれど……でも、俺が誰よりも大事だったのは、ユーシス……お前だよ」

 ジェスには忘れられなくて嬉しいと言ったけれど、ユーシスは自分のことは忘れたほうが良い。

 ユーシスを抱きしめていた腕を外してジェスに引き渡すと、兄さん、ダリヤと呼ぶ声にも振り返らずに走り去った。どんな声も今の自分を引き止める切欠にはならなかった。

「ダリヤ!愛している…君を待っているから!そんなに長くは待たない!もう一年も待たされたんだからな!……世界中のどこにいても捕まえに行く!その時は君の都合など考えもしないから!……それが嫌なら、君から私のところに来るんだ!」

 そんな声が最後にジェスからダリヤの背中にかけられた。

 それに返事をせず、振り向きもせぬままダリヤは走り続け、どこへ行くかも確かめないまま列車に乗り込んだ。

 ダリヤの胸に再びあの過去のような耐え切れない痛みが襲った。でもこれを乗り越えなくては、ダリヤがダリヤとして存在することが出来ない。

 ちゃんと自分の足でしっかりと立てるようになるまで。強く慣れるまで。それまでは誰にも会うことはできない。

 ダリヤはこのジェスとの出会いの地で再びジェスと決別をした。


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