本当に何年ぶりだろうか。故郷に足を踏み入れるのは。
内戦で焼け野原になった故郷はダリヤたち親子が去ってからもうすでに十年近くが経過していた。昔は焼け跡以外殆ど何もなかったというのに、今は緑に溢れ、美しい自然が、昔ダリヤが生まれたばかりの頃のようになっていた。
ダリヤたち兄弟が故郷に降り立ってみても、村人たちは父クライスが殺人犯だと知った時のような目で見たりはしなかった。ダリヤたちを見ても、昔自分たちが追い出した兄弟だとは思わないのだろう。
ただこんな田舎に見知らぬ、そして見目麗しい兄弟がやってきているのを物珍しげな目で見ていくだけだった。
二人が生まれ育った家はそのまま残っていた。だれも手入れしていないままだったから、昔に記憶していた家よりもずっと錆びれて薄汚くなっていた。母がよく手入れしていた季節ごとに美しい花が咲き乱れていた庭の花壇はすっかり荒れ果てて野生化していた。
それをいくつか摘んで、母の墓を作った。父親は遺品すらなかったから家の中から父の持ち物を探して一緒に埋めた。
そうするともうすることが無くなってしまった。家があってもここに住むわけにもいかないし、本当になにもすることがないのだ。
ぼうっと墓石の前に佇むダリヤにユーシスが微笑みかけてきた。
「ねえ、あっちの丘の向こうに行ってみようよ…ずっと昔よく遊びに行ったでしょう?」
「丘の向こう……?」
あそこは、そう、ジェスと初めて出会った場所だった。
小さな人質の一人だった自分と、解放するためにやってきたユーディング少佐。もう自分の人生の半分より前の出来事になってしまっていた。
「ユーシス…もう……全部、過去のことにしてしまっても良いよな?」
丘の上に吹き上げてくる風に髪を靡かせたまま、ユーシスにそう問いかけた。
しかしそれに対する答えは得られなかった。その前にもう捨てようとしていた過去の、それでも何よりも愛おしい存在がダリヤに向かって飛び込んできたからだった。
「ダリヤ!」
「……ユーシスっ」
驚愕でその声は震えてしまっていたのかもしれない。隣にいたユーシスに救いを求めるように目線を投げかけても、助けてくれるわけも無かった。もう我慢するなとでも言うように、その目が語っていた。ユーシスは知っていて、ここにダリヤを連れてきたのだ。きっと。
ずっと会いたかったけれど、もう会わないと決めた存在だったのに。二人のユーシスは尽くダリヤの決心を無に帰させてしまう。
大きくなった。ダリヤと叫んでもう離さないとでもいうように抱きついてくる小さな腕を、震える手で抱きかえすこともできなかった。研究所から出られない生活をしていたときは、真っ白だったその肌は、今は健康的に日に焼けていた。
元気そうに嬉しそうにユーシスは、ダリヤに昔と同じように抱きついていた。同じように抱きしめ返してくれることを期待した、大きな目がダリヤを見上げていた。研究所では寄り添えるのはユーシス二人っきりでいつも抱き寄せて、小さくなって身を寄せ合っていた。
もう会わないと決めたはずなのに、目の間にいる最愛の存在を目の前にしてしまうと、そんな決心はもろくも崩れ去ってしまった。ユーシスが自由になったのを実感したくて、その温かさを感じたくて、触れようとした瞬間、後ろから突然抱きしめられた。
「ダリヤ……やっと会えた。ずっと待っていたよ、この始まりの場所で」
「中将っ」
余りにも強く抱き寄せられて、呼吸が止まりそうだった。驚きの余りに、心臓が早鐘を打った。姿を見なくたって分かった。この低めの声は、ジェス・ユーディングに他ならなかった。
「本当はずっと後悔していた。君の願いを破ってでも、君を救い出さなかったのかと。でも君はそれを望まなかったから。こうやって大総統になるまで、君を解放できる権力を手に入れるまでずっと待ち続けた……どんなに君を助け出したかったか、この手に取り戻したかったか」
ジェスの声が耳元で、余りにも近くで聞こえた。まるで幻聴のようにさえ感じられた。余りにも突然で、ジェスの余りにも強い腕を振りほどくことすら出来なかった。
「迎えに行かなかったことを許して欲しい。本当は私が迎えに行きたかったんだが、流石に大総統就任式をさぼるわけにはいかなかったからユーシス君に迎えに行ってもらった」
さぼったら今度こそレンフォード少佐に殺されてしまうだと耳元で苦笑した声は、最後に過ごした夜と同じほど熱っぽく、あの時から何も変わっていないのだと言っている様な意思表示にすら感じられた。何も聞きたくなくて、ジェスの視界から消えてしまいたくて、逃れようとしても決してその腕の力は緩もうとはしなかった。
「変なことに権力使うなって言ったのに……」
何か言わないと気まずいと思い、当たり障りのない言葉が口から出てきた。
誰にも後ろ指を指されることのない大総統になれって言ったのに、就任したばかりでダリヤの恩赦に使うなんて馬鹿だ。職権乱用だと言えば、反論が返ってきた。
「変なこと?君を守るために大総統になったのにか?君に使わないで誰に使えというんだ」
使わなければ良い。そう言おうとした声は、言葉は、次のジェスの言葉にかき消されてしまった。
「愛しているよ……まだ君を愛している」
「大総統っ……」