帰れと散々言ったのに、ユーシスはダリヤの傍から決して離れようとはしなかった。結局行く宛てもないダリヤはユーシスに引きづられるようにして故郷向かう列車に乗り込んでいた。
持ち物は母の遺骨だけ。あまりにも軽装な旅だった。
中央は大総統就任の祝いで、喧騒とした雰囲気だったが、一歩中央から出てしまうと、あまりにも静かだった。
途中東方地方の駅で降りて、一泊をした。泊まった場所は簡素なホテルで、ジェスと幼い愛を交わした娼館でもなければ、禁忌を犯し母を亡くしたアパートでもなかった。そんなところしかダリヤはここ東方地方では知らなかった。
中央は一年ぶりで大して変わっていないように思えたが、東方地方は数年ぶりで、かなり様変わりしていた。
母と最後に暮した部屋を見たいかとユーシスに訊ねたが、別に見たくはないと言われた。気を使われているのかと思って、無理に連れて行ってみた。自分でも五年経ってもあの時の恐怖が忘れられずに、母を殺した場所に足を踏み入れられないままだった。ユーシスと一緒だったら、自分が罪を犯した場所に行くことができるかと思ったのだ。
しかしもう、母と暮したアパートは取り壊されて存在しなかった。治安の悪かった娼館の一辺も一斉に撤去され、その面影はまるで無くなってしまっていた。
「時間が経つのってあっという間なんだな……」
自分の中では過去から抜け出せきれていなかったのに、それを取り巻く環境は目まぐるしい速さで変わって行っていたのだ。変わっていないのはダリヤだけだった。
再び故郷行きの列車に揺られながら、二人黙ったまま風景を見ていた。昨日はダリヤに気を使ってか、ユーシスは自分の家族のこと、学校のこと、ガールフレンドのことなど語っていたのだが、今日は重苦しい表情のまま何か言いたそうな表情でダリヤと向かい合って座っていた。
「ねえ、兄さん……兄さん、今でもユーディング大総統のことを……愛してる?」
「……何、深刻そうな顔して聞いてくると思ったら」
思わず笑いそうになった。
「笑ってないで真面目に答えてよ!僕真剣に聞いてるのに」
「俺が……あの人に向ける感情は愛じゃない」
「じゃあ、何?!」
「何って……返答に困るな」
あの激流のようだった憎しみは、今何になったのだろうか。ダリヤがジェスに特別な意味で執着していたのは否定しがたい事実だった。だがそれはどんな言葉で言い表せるのだろうか。
愛や尊敬、憧れ、そして憎しみ。そのどれもが正しくて何か違うようにも感じられた。ただジェスにまた忘れられたくなくて、ジェスに自分を刻みたくて、そんな気持ちだった。ダリヤが叶えられなかった夢をジェスに託した。そんな感覚をどうユーシスに説明したら分かってもらえるだろうか。自分でも良く分からないままだというのに。
「大総統は……兄さんのことを、今でも愛しているって!……ずっと待っているんだって言ってたよ!」
「そんな戯言信じるのかよ」
「信じるよ!……ねえ、意地張ってないで大総統と小さなユーシスのところに行ってよ!そんなふうに笑ってないで、幸せになってよ!……僕見てられないよ。兄さんは自分から不幸になりに行ってる!」
「待ってなんかないよ」
「違うよ!ずっと待ってるって言ったんだから!だから僕、許したんだよ!本当は大総統から兄さんのことを聞いた時、殺してやりたいって思った!…僕の兄さんに、何て事をしてくれたんだって、怒鳴りつけて、殴って、殺したって誰にも文句言わせないって……そう思ったよ!でも、僕は兄さんじゃないから……あの人は、兄さんに許しを望んでいた。その兄さんがいないから代わりに僕に贖罪を求めていた。だから僕はあえて大総統を楽にしてやろうなんて思わなかった……どうして僕がそんなことをしてやらないといけない?彼に罪を与える権利があるのは兄さんだけで、僕はそうする権利を持っていない……けど、あの人は兄さんを愛した。兄さんを愛して、兄さんのためだけに全てを捨てることも厭わなかった。だから僕は兄さんをこの人が幸せにするのだったら……幸せにするようにするんだったら許そうと思ったんだ」
「駄目だ!それ以上言うなよ!」
冷静にユーシスの話を笑って聞いていたダリヤも、段々とユーシスの感情に釣られて冷静なままではいられなくなっていった。
「分かっているんだろう!?俺と大総統の道が…交わることは、決してないことを。それなのにっ」
「そんなことないよ!兄さんがそう思い込んでいるだけだ」
「誰も認めない」
ダリヤ・ハデスでは、犯罪者として裁かれた身で。
ダリヤ・クライスに戻れば、犯罪者の娘だ。
そのどちらでもジェスと結婚などできるわけもないのだ。そんなもの望みもしなかったけれど。
「俺は不幸じゃないよ…ユーシス。俺の望みはもうみんな叶ったのだから……不幸になんかなってないんだ。これでもう良い。これ以上は望まない」
もうこれで良いと、全てを受け入れて許そうと思えるまでになったのに、もうこれ以上の感情は必要なかった。